第8話 新たな波乱の種
「私は桜庭愛人。こことは違う世界からこの世界へ召喚され、魔王を倒すべく旅をしている。アイトと呼んでくれて構わない」
「どうも。フェリ……です」
自己紹介をしながら握手を求める青年は、見るからに勇者然とした雰囲気を漂わせる人物だった。
少しウェーブのかかった黒髪は短く清潔感があり、精悍な顔立ちは微笑みつつも軽薄さを感じさせない。
秀麗な白銀の鎧と腰に下げた一振りの長剣は、まるで神の加護でも受けているかの様に僅かな光を帯びている。
(まさに『勇者様』って感じね……)
差し出された手を無視する訳にもいかないので、フェリはぎこちなく握手に応じる。
勇者と名乗るからにはそうなのだろうと思いはしたが、フェリは彼を見ていて何か納得のいかない様な……微妙な違和感を覚えた。
「……しかし、本当に美しいな……」
「は? ……あの、放して貰えませんか。手」
勇者は何故か手を握ったまま、いやむしろより強く握りながら、フェリをマジマジと見つめている。割と本気で手を引こうと力を入れているのだが、彼の手は一向に解けない。
チラリとデュオを見やるも、全く興味が無いのか近くの立て板にナイフを投げて暇そうにしており、ハードルドはこちらを気にしつつもラキアと何事か話し込んでいる。
(デュオあんた……結婚とか言う割にえらく無関心じゃないの! ていうか師匠! 絶対わざとハードルドを引き留めてるでしょ! いいわよ自分で何とかするわよ!)
どうやら助けは期待出来そうに無いと、フェリがいよいよ平手か蹴り上げるかを決断しようとした時――フェリの手が横から叩き落された。
「アイト様! わたくしという者がありながら、あんまりですわ!」
「……痛い……」
いつの間に現れたのか、フェリとアイトの横に2人の娘が立っていた。
フェリの手を叩き落とした娘は金の巻き髪を持つ美女で、気の強そうな翠の目を怒らせながらアイトに詰め寄っている。
もう1人の娘は黙ってはいるが、自分の短い緑の髪を弄びながら挑戦的な視線をフェリに向けていた。
「誤解を招くような言い方はよせ、マリアーナ。私は新しい仲間と親交を深めていただけだ」
「わたくしの方が美しいですわ! 親交を深めるならわたくしと!」
「勇者である私は、誰のものでもない。キミ1人だけを愛する訳にはいかないんだ。……許せ」
「ああ、アイト様……!」
うっとりとアイトを眺めるマリアーナを冷めた目で見ながら、フェリは叩かれた自分の手をさする。
手を握って放さなかったの相手の方なのに、何故自分が痛い思いをしなくてはならないのだろうか。
しかし抗議しても無駄な雰囲気がひしひしと伝わって来たので、諦めてラキアへ事情を聞くことにした。
「どういうことですか、師匠」
「ん? ああ、放っておいてすみませんねぇ。つい話し込んでしまって。勇者殿との自己紹介は済みましたか?」
「はい。わざわざ自己紹介の時間を作って頂いてありがとうございます、師匠」
「おや? 手なんかさすってどうしたんです? 立ち話もなんですから、家に入りましょうかー」
「そうさせてもらおう」
「さ、参りましょうアイト様……ふんっ」
マリアーナはキッとフェリを見てすぐ顔を背けると、アイトに腕を絡めて家の中へ入って行った。
もう1人の娘も、ラキアに促されてそれに続く。
「私も入らなきゃダメよね……やっぱり……」
これから中であの4人と話さなければならないと思うと、フェリは憂鬱で仕方なかった。
心根の黒い師匠に敵意丸出しの娘2人、そして自分を仲間と呼ぶ勇者……楽しい話で無い事は目に見えている。
胡乱な目で玄関を見つめていると、フェリの肩をハードルドが遠慮がちに叩いた。
「おい、大丈夫か? なんで勇者なんぞがいるんだ?」
「それは私が聞きた……くもないわね。ハードルドは、もう帰るの?」
「おう。もう依頼の話はついたからな。転移魔道具の話も、一応しといたぞ」
「そう……今回はごめんね。大変なことに巻き込んじゃって」
「まぁ、なんだ、戻ってこれたから別にいいさ。深淵、オメーはどうすんだ?」
「ん~?」
ハードルドが声を掛けると、デュオはナイフを投げていた手を止めた。
いつの間にか、立て板だったものはただの木くずと成り果てている。
デュオは投げていたナイフを回収すると、その場で考える様な仕草をしながら言った。
「俺様も一旦引き上げようかな。ちょっと用事出来たし」
「あ、待ってデュオ!」
先程までのんびりしていたとは思えないほどアッサリ帰ろうとするデュオを、フェリは咄嗟に呼び止めていた。
だが自分で言っておきながら、何故そうしたのかわからない。
聞きたいことがあるのか、言いたいことがあるのか……言葉に詰まるフェリの代わりに、デュオが口を開いた。
「フェリ、あのローブってどのくらい着てる?」
「ローブ? この家へ来てすぐ貰ったから……10年くらいかしら。外へ出る時はいつも着てるわ」
「……あんまり着ない方が良いかもね」
「え?」
大賢者のお手製であるフェリのローブは、かなりの魔力抑制効果を持っている。魔力制御の苦手なフェリにとっては必需品だ。
そうでなくても、自分にとってはお気に入りのローブ……それ否定された気がして、フェリは少しだけムッとしてしまう。
「意味わかんないわよ。どういうこと?」
「なんでかな。ローブなんて無くても良いんじゃないかと思っただけ。今回だって、フェリの魔力のおかげで助かったんだし。ありがと」
「ちょ、ちょっと待っ……!」
今度はフェリが止める間もなく、素早い動きでデュオは姿を消してしまった。
伸ばし掛けた手が何となく歯がゆく感じられ、フェリは誤魔化すようにその手を握る。
(私の魔力のおかげで助かった、か……)
そんな事を、今まで言われたことなど無かった。
自分の魔力は他人を傷つけたり迷惑を掛けることはあっても、誰かの役には立たないと思っていた。
「……なによ。言うだけ言っていなくなっちゃって……」
否定したと思ったら感謝したり、意味がわからない。
それだけで自信がつくほど、フェリの抱えている問題は簡単ではない。
(どうせならもっとちゃんと言いなさいよ。ばかばかばかバーカ!)
だがそれでも、嬉しい――そう思えるくらいには、欲しいと思っていた言葉でもあった。
現にローブのことを言われてモヤッした気持ちが、今の言葉1つで消し飛んでしまっている。
「あー……じゃあ俺も帰るわ」
「ぅえ!?」
もどかしい気持ちを心の中で吐き出していたフェリは、掛けられた声に跳ね上がる。
すっかり存在を忘れていたハードルドが、気まずそうに自分を見ていた。フェリは取り繕う様にして硬い笑顔を浮かべる。
「ああ、うん。またねハードルド! また闇ギルドで会いましょ」
「おう。じゃあな」
ハードルドに軽く手を振り、フェリはそそくさと家の中に入って行った。
それを見送っていたハードルドは、玄関の扉が閉まると同時に髪1つ無い頭を掻く。
「暗殺者で良いなら、アイツじゃなくてもいいじゃねーか……」
大きなため息と共にそんな呟きを残し、ハードルドはラキアの家に背を向けた。