第52話 神殿の夜
大神官アーストが今の地位を手に入れることは、さほど難しい事では無かった。
口では時折毒を吐く事もあるが、どこぞの大賢者と違って人を思いやる事も出来れば、善良な心も持ち合わせている。
医療魔術師をも凌ぐ治癒術も扱え、判断力もあり、大神官として充分な器を兼ね備えたアーストは、今や神官含むアルティミリア教全ての信者の信頼を勝ち得ていた。
しかしながら、彼は大神官になるずっと以前から――神など信じてはいない。
「やはり気になりますか? かつて数々の敵を貫いたその弓が」
「あら、売ったらいくらになるか考えてただけよ」
夜も更け、神殿内のほとんどの人間が寝静まった頃――アーストは聖堂の奥にある小部屋へと足を踏み入れた。
白い壁が、たった1つの小窓から射し込む月明かりでぼんやりと輝いている。
部屋の中心には主の再来を待つ神の武器と、予定通り自分を待っていた人影……アーストはこの人物に会いに来たのだ。
「今更お金なんて必要無いでしょう。人間の生を超越した貴女には」
「我々には、でしょ。アンタも同類じゃない」
「私は……」
眉根を寄せるアーストを面白そうに見ながら、女がゆっくりと近付いてきた。
そしてもったいつける様な動作で、手に持っていた小瓶を顔の前でチラつかせる。
「必要でしょう? コレ。欲しい?」
「…………」
「ふふふっ……アースト、素直になりなさいよ」
苦し気に小瓶から目を逸らすアーストに、女は溜息を漏らす。
しかしその顔は呆れていると言うより、聞き分けの無い子供をあやす様な困った表情を浮かべている。
「相変わらず優柔不断なんだから。だから老け込んじゃうのよ」
「立場上、若すぎるのも問題なのですよ。いずれにしても、私の容姿を気にする者などいません」
「その妙な魔術、意味あるの?」
「ええ。少なくとも、貴女とこうして普通に話が出来る程度には」
「それもそうね。顔を認識したらうっかり殺しちゃうかもしれないもの」
憐憫の情など欠片も見せず、女が嗤う。
アーストは常に、自分の容姿を認識できなくする魔術を施していた。
見えなくなる訳では無いのだが、顔立ちも体つきも髪の色も、何一つとして誰の記憶にも残らない。
自分から見せようとしない限り、「誰かがいるのはわかるが、誰なのかはわからない」という状態なのだ。
そうすることで、アーストは気の遠くなる程の長い間……ここにいる。
「……貴女はいつまで、こんな事を続けるのですか?」
「さあ? あの人が満足するまで」
「世界を危険にさらしても? また戦争が起こるかもしれないのですよ?」
「だってあの人がそう言うんだもの。それに世界なんてどうでも良い」
あの人、と言うのが誰なのか、アーストももちろん知っている。
しかし女の口からその言葉を聞くのは、あまりいい気分では無かった。
(全てにおいて、「あの人」ですか……)
たとえまた戦争が起ころうと、それによって誰が死のうと関係無い。
彼女は昔から、たった一人の事しか考えていないのだ――自分と同じ犠牲者が、また生まれるかも知れないのに。
「はいコレ。今度はちゃんと飲みなさいよ? 今回は代わりに……「アレ」を貰って行くわ」
「……構いませんよ。私は預かっていただけですからね」
放る様に渡された小瓶を握りしめながら、アーストは女を見た。
彼女の背後には、月の光を反射した神器の弓……アーストにはそれが、まるでもう1つの月の様に見えた。
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(冗談じゃないわ……「留まった方が良い」ってこういう事だったのね……)
フェリは今、巨大な柱の影で息を潜めていた。
水差しが空になったので貰いに出てきたのだが、予想外の人間に追われる羽目になったのだ。
視線の先には、キョロキョロと周囲を探る複数の人影――。
「ああ、一体どこへ行かれたのでしょう……」
「もう旅立たれたと聞いていたのに、またお会いできるとは!」
「これぞ神のお導き。あの方は我々に命と恵みをもたらして下さいました」
「あの方は聖女……いや女神アルティミリア様の化身だ!」
「創造の女神様のご加護を、是非とも賜らなくては!」
(こっちは破滅の魔女だけで手一杯だっての……)
先程まで感激で泣かれたり拝み倒されたりしながら聞かされた台詞に、フェリはゲンナリした。
人によっては破滅より創造の方がマシと思うかもしれないが、フェリにしてみればこちらの方が始末に負えない。
破滅の魔女は畏怖されて怯えられるだけだが、創造の女神は崇拝の対象――言い出したのが信者なだけに、下手をすると粘着されかねない。
(動いたら見つかるけど……いっそ駆け抜けた方が……)
「フェリ……! こっちだ……!」
「アイト……!?」
かけられた小さな声に目を向けると、別の柱の影からアイトが手招きをしているのが見えた。
あそこくらいなら、気付かれずに行けるかもしれない――そう思ったフェリはそろそろと、アイトのいる柱の方へと近づいた。
「ここから、外へ出よう」
「こんな所に窓があったのね……」
フェリのいた柱からは死角で見えなかったが、アイトのいる柱の裏には少し大きめの窓が開いていた。
夜中にも関わらず大声で自分を探す声の主達に気付かれないよう、2人は素早く窓の外へ飛び出した。
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「ありがとアイト、助かったわ。でも、どうしてあんな所にいたの?」
「少し……散歩をしていた」
「ふーん……」
神殿の裏で少し強めの夜風に曝されながら、フェリはアイトを見た。
ローブを着ているフェリですら、山頂の風は思った以上に強くて冷たいが、アイトは鎧だけで寒く無いのだろうか。
(どっちにしても、あの人達が諦めるまでしばらく戻れないわね)
2人は自然と風を避けるようにして、近くに伸びる巨大な茎へと近付いた。
芝生ですっかり柔らかくなった地面にアイトが座るのを見て、フェリも腰を下ろす。
「実は昨日キミが倒れた後も、あんな騒ぎだったらしい。大神官殿が治療室全体に人避けの結界を張って、昨日の内にキミがもう旅立ったと言って下さったのだが……」
「私が部屋を出た途端、気付かれたって訳ね。出ない方が良いとは言われてたけど……もっとハッキリ言ってくれてもいいのに」
「す、すまない。説明するのを忘れていた」
「いいけどね。別に危害を加えられる訳じゃないし」
そう言って、フェリは諦めた様に溜息を吐いた。
どうせフェリ自身が隠れていようといまいと、噂とは勝手に広まっていくもの……破滅の魔女で経験済みだ。
「……なぁ、フェリ」
「ん?」
「明日から、また魔術を教えてくれないか?」
「へ? 魔術を?」
意外な言葉に思わず隣を見ると、夜空を見上げるアイトの横顔が目に入った。
そしてその憂いを帯びた表情を見た時……フェリは初めてアイトが、何かに悩んでいるのだと気付いた。




