ここにいる自分
分岐する無数の自分を目の前にした男は、選択を迫られる。
すべてを知るのか。
それとも、今の自分として生きるのか。
そして彼が選んだ答えとは——
風は、あの日と同じだった。
崖の上に立ち、下を見下ろす。
そこには、いくつもの「自分」がいた。
倒れているもの。
動かないもの。
そして、こちらを見上げているもの。
そのすべてが、自分だった。
「……どうする」
いつの間にか、あの男が隣に立っている。
「知りたいなら、もう一歩行ける」
その言葉は、誘いのようでもあり、警告のようでもあった。
足元の土が、わずかに崩れる。
一歩。
たったそれだけで、すべてが決まるような気がした。
落ちる自分。
残る自分。
そのどちらもが、ここで分かれていく。
——知れば、戻れないのかもしれない。
ふと、これまでのことが頭をよぎる。
あの記憶。
同じ記憶を持つ男。
写らない写真。
そして今、ここにある光景。
すべてを知ることに、意味はあるのか。
すべてを理解することが、正しいのか。
人は、知らないままでいられるからこそ、
今ここに立っていられるのではないか。
ゆっくりと、息を吸う。
今度は、止まらない。
ちゃんと、戻ってくる。
——それでいい。
そう思った。
自分は、一歩下がった。
風の音が、少しだけ遠くなる。
崖の下を、もう一度だけ見る。
そこにいた「自分」たちは、もう動いていなかった。
見てはいけないものを見たような感覚だけが残る。
「……いいのか」
男が聞く。
自分は、少しだけ考えてから答えた。
「たぶんな」
「全部じゃなくていい」
「今ここにいる自分だけで、十分だ」
男は何も言わなかった。
ただ、わずかに笑ったように見えた。
気づけば、その姿はもうなかった。
一人、崖の上に立っている。
風が吹く。
あの日と同じようで、どこか違う風。
振り返り、歩き出す。
そのとき、ふと思う。
もしかすると——
あのとき、落ちた自分も、
別のどこかで、同じように立ち上がり、
「ここにいる自分」を選んでいるのかもしれない。
そう考えると、少しだけ可笑しかった。
答えは出ない。
きっと、これからも出ない。
それでもいいと思えた。
空を見上げる。
雲の切れ間から、光が差している。
——自分は、ここにいる。
それだけは、確かだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話は、ひとつの「答え」を出さないまま終わる形にしました。
あの記憶が何だったのか。
崖の出来事は現実だったのか。
それとも別の何かだったのか。
はっきりとは語られていません。
ですが、書きながらひとつ感じていたことがあります。
人は「知らないまま」でいられるからこそ、
今の自分として生きていられるのではないか、ということです。
ただ一方で——
もしあの出来事が、単なる記憶の曖昧さではなく、
もっと別の仕組みの一端だとしたら。
たとえば、観測によって現実が決まるという考え方。
あるいは、複数の可能性が同時に存在している状態。
そうしたものが、私たちの身近な現実と、
どこかでつながっているのだとしたら——
この物語は、まだ続きがあるのかもしれません。
現在、このテーマをもとに、
もう少し踏み込んだ形での物語を考えています。
「なぜ記憶が混ざるのか」
「なぜ同じ体験を持つ人が存在するのか」
「観測とは何なのか」
そういった部分に、少しだけ答えを出していく物語になると思います。
もし公開することがあれば、
またどこかで読んでいただけたら嬉しいです。
——あなたの記憶は、本当にひとつだけでしょうか。




