前を見ながら後ろを見る⑦月夜のパーティー
前回ジェイドが来た時とはまた違う状況なのか、ボス戦の場とは思えない楽しげな舞踏会に戸惑いを隠せていない。
僕も驚いてあたりを見回した。さっきは何の音もしなかったのに、どこにこんなにたくさんの人がいたのだろう。
「なんでこんなところで舞踏会なんて……」
「違いますよバルムンク。これはすべてまやかしです」
「まやかし?」
「精神魔法と言ってもいいでしょう。彼は彼自身のためにこの魔法を使っているのですよ」
彼、と目線を送った先には、会場の一番奥で人々の様子を静かに眺める男の姿があった。彼は魔物には到底見えず、肖像画と同じ服を着て玉座に座っていた。
「それでは、手筈通りにお願いしますね」
そう言い残し、店主は広い会場を悠然と進んでいった。正装した人々の中で黄色いエプロンをつけた店主の恰好は目立っていたが、その凛とした姿は誰よりも堂々としていた。
僕たちがいることに会場の人々は気づく様子はなく、踊る人々の中を店主が通り抜ける。だが決してぶつかることはない。人々の身体には実体がなく、まるで透明人間のようにすり抜けていく。
「おい、こっちはさっさと片付けようぜ」
「う、うん!」
ジェイドに促され僕は耳を澄ませた。騒めきが邪魔をしてよく聞こえない。
若い女性の甲高い笑い声に、男性の低い囁き、グラスのぶつかる音、ドレスの衣擦れ、咀嚼音。それらが同時に耳に届き、肝心な声が届かない。
店主はボスのほうへと歩みを進めている。歩くたびに、ゆらりと人々の形が蜃気楼のように揺らめく。
これはまやかしだ。目に見えるものも、聞こえるものもすべて。
僕はもう一度集中して目を閉じて耳を澄ませる。
身体全体を使って音を共鳴させる。だんだんと音の輪郭がはっきりとしてきた。この場所で本当に聞こえている音が伝わってくる。その声が形を帯びてくる。
ニロ、許してくれ。愚かなこの俺を、どうか――。
「聞こえた!」
僕はぱっと顔を上げるとジェイドを見上げた。ジェイドは一つ頷いて僕が指さす方へ走り出した。
会場の後方、舞踏会の喧騒が遠くに感じられる隅のほうに、月明かりを浴びて光る一つのバングルがあった。宝石のように輝く魔石がいくつもついた金色のバングルだ。
僕は店主がいつもやるようにそっと横にしゃがむと、優しく微笑んだ。
「お待たせしました。遺失物センターです。あなたを持ち主のところへ届けるのが僕たちの仕事です」
バングルは茫然とこちらを見上げた後、安心したのか声を上げて泣いた。
バングルを丁寧に布に包んで鞄にしまうと、ジェイドが双剣を握りしめた。
「よし、遺失物も回収したことだし、いっちょボスでも倒すとするか!」
「ボス戦楽しみだわ!」
「ボースッ! ボースッ!」
ミランダとメリンダも興奮を隠しきれていない。店主のもとへ走り寄るジェイドの後ろを邪魔にならないように追いかける。
店主は玉座に座る男の前に到着していた。忠実な臣下のように跪き、恭しく頭を下げる。
「なにやってんだ、あいつは!」
店主のやろうとしていることが読めずジェイドが走りながら頭を掻きむしる。
「素敵な舞踏会ですね」とにこやかな店主の声が聞こえてくる。
「ですが……そろそろお開きのようです」
店主が立ち上がり男に背を向けると会場に向け片手を伸ばした。次の瞬間その手から強い風が吹く。その勢いに思わず目を閉じる。風が収まり目を開けると、楽しい舞踏会は霧散していた。残されていたのは薄暗い部屋と朽ち果てたインテリア。破れたカーテンに蜘蛛の巣が張り、香水の芳しい香りは湿気を含んだかび臭い匂いに変わっていた。
「よくも……!」
ところどころ綿がはみ出たぼろぼろの椅子から城主が立ち上がる。まやかしの光の中では人間のように見えていたそれは、一匹の人型の魔物だった。青白い肌から覗く真っ赤な血管と真っ赤な口から見える牙が、それがただの魔物だということを証明していた。
「おのれ。時の狭間で永遠に囚われるがいいっ!」
城主が何やら呪文を唱えると、目が赤く光りだした。
精神攻撃魔法だ!
咄嗟に目を逸らす。
「みんな大丈夫!?」
僕の問いかけに店主が応えた。
「ええ、問題ないです」
「よかった! ジェイドは? ……ジェイド?」
返事のないジェイドを不審に思い声をかける。だがジェイドはどこか一点を見つめたまま動かない。実際にそこに何かが見えているように、視線が何かを捉える。そしてその瞳が、怯えるように震え出した。
「ジェイド!」
城主がふははははと大きく笑いその薄い唇を裂けそうなほど横に開いた。
「この魔法が効かぬものなどおらぬ。この魔法は後悔を見せる。二度と思い出したくないほどの後悔を、何度も何度も繰り返し見るのだ。大切な誰かを失い、救えなかった己を恥じ、そして決して変えることのできない過去に狂うがいい!」
ジェイドは一体どんな後悔を見せられているのだろう。苦悩に顔を歪めた後、大粒の涙を流してジェイドが膝をついた。そして。
「ルーシーちゃーん‼ お願いだから捨てないでー!」
「……え?」
精神魔法など通用しないと豪語していたジェイドは鼻水まで流しながら虚空、おそらくルーシーちゃんに手を伸ばした。
「ちょっと、やだ汚いわ!」
「鼻水たらさないでよ、脳筋!」
「ルーシーちゃーん! いかないで―! 俺が悪かったからぁー!」
「うるさい!」
「黙れ!」
ジェイドに辛辣な言葉を浴びせている双剣は、魔法が効いた様子はない。
「二人は大丈夫なの?」
「当り前よ」
「だって私たち、後悔することなんて一つもないもの」
「……そっか」
店主のことは心配していなかったが、念のため確認しようと振り返る。魔力も強く、一度も魔物相手にやられたことのない店主だ。このくらいの攻撃、大したことはないはずだ。
だが店主の様子が明らかにおかしかった。




