子育てに向いていない
男はよろよろと立ち上がった。
頭から流れた血が入ったのか、しきりに左眼をこする。
そしてわなわなと唇を震わせた。
「なぜただの人間のお前がそんな魔力を……!」
見るからに弱そうな老人から発せられたとは思えないほどの強い攻撃魔法を、男は信じることができなかった。
それに対し店主は、あれ、と不思議そうに首をかしげる。
「いまの説明では足りませんでしたか? つまり魔法を構成する他の要素が秀でていれば、ほんの少しの魔力でも瞬発的に威力を増幅することができるんです。例えば魔法使いでもない普通の古道具屋の主人が、あなたを吹き飛ばすくらいのことは簡単にできてしまうんですよ。まあ、先生が普通かはわかりませんが」
先生が立ち上がり、どこからかロープを取り出した。
そして見事な手さばきで男をぐるぐると縛り上げた。
だが男は苦し紛れの笑みを浮かべて頭をそらす。
「俺たちの他に誰もいないとでも思ったか。この洞窟には俺の配下が……」
「あ、その方々なら途中で会ったので帰ってもらいました」
平然と店主が告げる。
「なに!?」
「配下というよりも、ただお金で雇っただけの人たちでしょう? すぐに帰っていきましたよ。話せばわかる方々で助かりました」
自分とマエストロを守るために雇った者たちがすでにこの場所にいないと聞いて、男は青ざめる。
店主の手首には手錠が掛けられている。
大きな魔石と、左右をつなぐ鎖のついたその手錠には、魔力を封じる術が仕込まれている。
エチュードさえ無力化すればこちらの思いどおりにことが運ぶと思い込んでいた男の計画がガラガラと音を立てて崩れていく。
「クソ……。なんで俺がこんな年寄りなんかに」
「あんな辺鄙な場所で店をやるのなら、最低限の自衛は必須だからな」
「無理しないでください。また体を痛めますよ」
店主は縛り上げられた男を受け取ると、先生に気づかうような視線を向けた。
先生に限っては大丈夫だろうと思っていても、やはり心配だったのだ。
元気そうな姿にほっとする。
「俺を殺してもマエストロの偉大な研究は消えることはない! 素晴らしい研究は何度でも不死鳥のように蘇るのだっ!」
店主は耳元で聞こえる大声に耳をふさぎ、困ったように眉を寄せた。
「いつかこんな日が来るだろうとは思っていたんです。これは私の宿命のようなものですから。ですが……」
洞窟に冷たい風が吹く。
鬼火が揺れる。
「来たのがあなたのような方だとは。少し拍子抜けです」
なんだと、と喚く男の口を布でふさぐ。
店主にとってこの男はただのフォレスターの研究をあがめる熱狂的な科学者に過ぎない。どこかでエチュードの話を聞き、倫理を無視したその研究に憧れを抱いているだけだ。
一人で暴走しただけのこの男には、人間兵器を大量生産してもう一度戦争を起こそうというような大それた考えや敵国からの支援などもない。
ただただ禁忌とされた研究への探究心があるのみだった。
男を床に倒すと、ゆっくりと立ち上がり顔を横に向けた。
視線の先には、我関せずとばかりに目をつぶり、蓋が閉まったままのピアノを演奏し続けている男、フォレスターがいた。
店主は静かに近づいた。
久しぶりに見るその姿は記憶の中のものよりも年をとっていた。
「お久しぶりです、フォレスターさん」
呼びかけると、ぴたっと指が止まった。
ゆっくりと開いた瞳が店主を捉える。その瞳には慈しむような感情が溢れていた。
「やあ、8番。元気にしていたか」
「ええ、おかげさまで」
仮面のように完璧な美しい笑顔と穏やかな声で店主が告げた。
フォレスターにはそれが親愛の笑みに思えた。
思い出に浸るように眉を寄せ両手をきつく握ると、フォレスターはゆっくりと口を開いた。
「8番。私の愛しい子よ。お前のせいで私の研究はすべて台無しになり、我が子は皆いなくなってしまった。私はあれから常に監視される生活になり、音楽を奏でることもままならなくなった。音楽と研究のない生活は、苦しかったがまだ辛抱できた。だが一番耐えがたかったのは、私の愛しい子供らが私の前からいなくなってしまったことだ」
フォレスターの目から、大粒の涙が流れた。
あの日、エチュードたちが次々と捕らえられていく中で最後に見た彼の表情と同じものだった。
片手で顔を覆い、涙を拭う。
そしてまっすぐに店主を見た。
「だが、許そう」
道を誤った子供を導く包容力と慈愛に満ちた微笑みにフォレスターの濡れた瞳が細められる。
「お前があんな恐ろしいことをしたのは、私の教育が間違っていたからだ。もうお前を責めるつもりはない。だから、もう心配しなくていい。誰もお前を恨んではいない。だからまた父の所へ戻っておいで」
フォレスターが両手を店主に向かって伸ばした。
店主は彼をじっと見つめ、そしてふっと笑った。
「あなたは本当に、子育てに向いていないようですね」
店主のまっすぐに伸ばした手のひらから、淡い光がきらきらと溢れだした。
自分に向けられた静かな敵意にフォレスターは驚愕する。
「あなたは私がいつまでも小さく無力な少年のままだと思っていたんでしょう。もし私があの時のままの傷ついた子供であれば、容易く御すことができたのでしょうが……」
店主の視線が先生を向く。
そして自身の着ている黄色いエプロンに落ちる。
「子供は成長するんです。どんなに傷だらけでもその傷はいつか塞がります。たしかに後悔は消えません。私がやったことを一日たりとも忘れたことはありません。ですが、それでも前に進めるんです。なぜなら私は、半分は人間だからです」
あの小さな施設を逃げ出してから出会った人やモノ。
誰もがみな彼の心を温かく溶かしてくれた。
「何を言っている。お前は人間なんかにはなれないし、なる必要もない。お前は特別なんだ。私が作った最高傑作なんだよ。……お前はほかのエチュードたちの犠牲の上に立っているんだぞ! お前が逃げることなんて許されるはずがない!」
フォレスターの表情がころころと変わる。
小さな子供をなだめるようだったり、威圧的に怒鳴ったりする。
手を変え品を変え、気持ちをこちらに引きつけて攻撃をやめさせようとしている。
チッと大きな舌打ちが隣から聞こえた。
「子供を閉じ込めて言いなりにするのがお前の教育方針か? こいつがどんなに苦しんだかも知らないで。お前に親を名乗る資格などないわ、外道が!」
「そんなに怒ると体に障りますよ」
声を荒げる先生に、店主が困ったように眉を下げる。だがその表情はどこか嬉しそうだ。
大きく息を吸い込むと、店主は気を引き締めてフォレスターを見据えた。
「私は人間をあまり信用できません。人間よりもモノと話す方が楽ですし、あんな場所に引きこもっている根暗な男です。ですが、厳しくも優しい師に出会いました。そんな私を受け入れてくれる友もできました。守りたいと思える仲間です。彼らがいながら、どうしていつまでも傷ついて、立ち止まっていられるでしょう」
遺失物センターの店内で、バルムンクと珈琲を飲む。
ファッションと食べ物の話をするミランダとメリンダのファッションの賑やかな声に耳を傾ける。
どかどかとやってきたジェイドがいつものように酒を飲み、その日の冒険の話を聞かせてくれ、ときどきおせっかいな小言をもらう。
ともにダンジョンに行き、ともに戦い、ともに過ごす時間を楽しむ。
こんな普通の日々が訪れるときが来るなど、あのときの店主には想像もできなかった。
店主の手のひらから放たれた魔法の白い球がフォレスターの頭を掠めて後ろの岩壁にぶつかる。
ひぃっと悲鳴が上がった。
「なるほど、5分の1というところでしょうか。充分ですね」
店主は手を握り、感覚を確かめている。
「なぜ魔力が封印されているのに魔法が使えるんだ!」
攻撃の衝撃で床に転がっていた男の口の布がほどけ、驚きの言葉を叫ぶ。
店主が答えるよりも前に先生が動いた。
男の足元にしゃがんでほどけた布をもう一度きつく結ぶ。
「何度も同じ手が通用すると思うなよ、戯けが」
魔力封じの呪符の件があったあと、店主は先生に依頼して魔力封じに対抗する術を作ってもらっていた。
だからこの手錠をしていても魔法が使えたのだ。
威力はいつもの攻撃力の5分の1程度。だが店主は満足そうに微笑んだ。
「私はいつも考えていました。あのときどうすればよかったのか。どうすれば他のエチュードたちを救うことができたのか。たった一つの最適解はわかっていたのに、なぜそれを選ぶことができなかったのか。でもいまなら出来ます。あなたを殺すことが」
あの時も考えなかったわけではない。
フォレスターをしかるべきところに告発するためにかかる時間とリスクを考えれば、彼一人を消してしまうことの方が遥かに簡単だった。
だがあのときはそれができなかった。
優しく穏やかな父という思い出が胸に残っていたからだった。
でもいまは違う。
何も知らないあのときのエチュードではない。
「8番、目を覚ませ! お前は悪い夢を見ているんだ! 私はお前の父親だぞ! 8番っ!」
「もう8番はいません。さようなら……」
店主の手のひらが、白く光った。




