元王子と泉の精霊(6)
アーロンの物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。
引き続き後日談や関連作を書いていくので、お付き合いいただけると嬉しいです。
なお、活動報告では、他作品で登場するレシピや、世界観の設定などを紹介しています。
「本当に俺の手柄にしていいの?」
ドニが驚いたように訊き、アーロンは頷いた。
「僕はただ、気づいたことを話しただけだから」
「でも、おまえの手柄にすることで、王都追放を取り消してもらえるかもしれないぞ? そうしたら、お父さんと一緒に暮らすことだってできるかもしれない」
それは心を強く揺さぶる提案だった。──けれども。
アーロンは、ふるふると首を振る。
「僕は、この仕事がたのしい。サーブルザントでは、火と水の魔力の確認しかしてもらえなくて、──ずっと自分は無能だと思ってきた」
「それであんなに傲慢だったわけか」
ドニがくつくつと笑い、アーロンは耳を赤くし、口を尖らせた。
「僕は、僕の力を生かせる場所で生きてみたい。今はそう思うんだ」
ドニは頷いた。
褒賞という意味では彼一人の手柄になったものの、ドニは意外と律儀な男だった。
王都で暮らす父には、東部までなるべく楽にこられるよう専用の馬車を贈り、そしてアーロンには、折に触れて大量の書物と植物とを贈ってくれるようになったのだった。
二人が感謝を述べると、ドニは「別に、自分のためだから」と、つっけんどんに言った。
「馬車は俺が同乗して楽するためだし、アーロンがまた新しい友好植物でも見つけてくれたら便利だって思ってるだけ」
しかし、その耳が赤いことに気づいて、アーロンは思わず笑ってしまった。
その日はなぜだか寝つけなくて、アーロンは、夜の森に入ってみることにした。あの不思議な泉へと足を向ける。
ところが、そこには先客がいた。
「アデル……? まさか、君なのか?」
声の主は、ドニだった。彼はらしくなかった。仁王立ちになって、いつもは飄々としている表情がかたく凍りつき、茶色の目からは涙がつ、つ、と溢れ出していた。
「ニパス……!」
アディーは確かにそう言った。
ドニが彼女に駆け寄ろうとしたが、その華奢な身体を抱きしめようとしたとたん、ばしゃりと水音がした。
彼は、膝まで水に浸かり、アディーをすり抜けた自分の手のひらを握ったり開いたりして、呆然としていた。
「命を分けました」
アディが言った。
「あなたが、異端な魔力を持つあたしを調べに来たのだとしても、どうしてもあなたを慕う気持ちを消せなかったの」
「調べに来た? なんのことだ?」
「ニコルがそう言っていたから」
アディの言葉に、ドニの表情が抜け落ちた。
「あたしの魔法は、命魔法。動物たちと心を通わせることができる。──でもね、死ぬ間際に、もう一つの力があることを知ったの。
それは、分霊」
「分霊だって?」
「命を削って、どこかに隠すの。──くまちゃんがあたしを、運んでくれたとき、この泉を通ったわ。そのとき、ここに、命のかけらを飛ばしたの」
アディの瞳がうるうると盛り上がっていく。
「いつかあなたに気づいてもらえるといいなって。これは残像じゃない。ニパスに触れることはできないかど、生きてる、あたしの……こころ……」
アディは、苦しげに顔を歪めた。
「もう魔法が尽きるところだったの。最後に会えてよかった……」
「たのむ、やめてくれ。……二度も俺の前から消えるなんて……」
ドニがふらふらと泉の中央へと向かう。
ずぶりずぶりと、腰の辺りまで浸かったのを見て、アーロンは茂みから飛び出し、彼を後ろから羽交い締めにした。
彼はぐったりとして、まるで別人のようだった。
「ああ、アーロン。あたしの小さなおともだち。……よかった、あいさつをできて」
アディがこちらを見て笑った。
「ばかね、もっと早く気づくべきだったわ。……ニパスが、ドニという人だったのね」
彼女の透き通った身体は、すうっと下の方から消えていく。アーロンは、驚きと怖さとで、なにも言えなかった。
「アーロンがたまに遊びに来てくれたから、あたしは楽しかった。──あたしの代わりに、ニパスを支えてあげてね」
ほっそりとした指が、腕が、闇に飲まれるようにしゅるしゅるとほどけて消えていく。
「ありがとう、さよなら、アーロン」
「アデル!」
腕の中のドニが暴れだし、アーロンは、慌てて彼を押さえる力を強めた。ここに来たときの小太りの少年はもういない。
真面目そうな面立ちの、小柄だががっしりとした青年は、自分よりも背の高いドニを必死で押さえていた。
「ニパス、……だい……すき……」
そうして彼女のくちびるも、鼻も目も、……顔までもが消えて、静かな闇だけがそこに残った。
長い月日が流れた。
秘密を共有していた二人は、かけがえのない悪友となった。
ドニは相変わらず独り身を貫いていたが、アーロンは、あれから数年後に村の娘と恋に落ち、いまでは三人のかしましい娘たちの父親だ。
今でも定期的に東部の果樹園へ足を運ぶドニとは、滞在中、必ず一度は泉へ向かい、その年に採れた、初摘みのグラソンペリーをそっと泉に沈める。
分霊された命がこの世界にもうないとわかっていても、やめられぬ儀式であった。
あれはアーロンの初恋だと思っていた。
けれども、妻と連れ添った今では、友情だったのではないかと思っている。
小太りで傲慢な元王子も、泉の精霊ももう居ない。そこには淡々と続いていく、静かで愛おしい日常があった。




