十龍の聖太子第一学園
アンが電話に出た、その頃。ここ、街中のとある学校では。
クラスメート
「セキ!早く行こうぜ!」
ヒスイ
「うん!ちょっと待って!」
ヒスイはクラスメートに呼ばれて教科書を片付けていた。本日は小春日和。窓際のヒスイの机はポカポカ温かくて、今にも寝そうになった。
ヒスイは学年で1人だけ年下だった。しかしながら、その中で飛び抜けて成績が良い。
ヒスイはスケッチブックと色鉛筆、教科書を持って、駆け足で教室を出た。
クラスメート
「前から思ってたけど、セキって名字珍しいよね。」
一緒に美術室へ向かうクラスメートがヒスイに尋ねた。
ヒスイ
「うん。ファミリーネームもミドルネームも、外国の名字だよ。父さんも母さんも外国人だから。」
クラスメート
「そうなんだー。セキのお母さん見たことない。」
ヒスイ
「うん、今奥門にいる。父さんのいる病院とは違うところで入院してるんだ。」
クラスメートの質問はちょっとチクリとヒスイの胸を痛めたが、ヒスイは笑って誤魔化した。
ヒスイは階段を降りて1番手前の美術室に入った。
美術室の窓はステンドグラスになっている。日の光が差し込めば異国情緒たっぷりの鮮やかな光に早変わりする。ステンドグラスに描かれた十字架と鳩の絵はヒスイのお気に入りだった。
今日はこの前提出したテストと、デッサンの宿題が帰ってくる日だった。
先生
「じゃ、先週提出したテストとデッサンを同時に返すから、順番に取りにくるようにー!」
テストの最高得点者は、言わなくても誰なのか、クラスメート達はわかっていた。そのつもりだった。けれども、その予想は見事に外れた。
授業が終わり、お昼時になった。カフェテリアは混雑していた。お盆を持って学生達が、ズラズラと押し寄せる。
クラスメートその1
「えっ、最高点はセキじゃなかったんだ?」
近くにヒスイがいないことをいいことに、ヒスイと同じクラスの生徒達がコソコソと話していた。
向かいに座ったクラスメートはお茶を喉を鳴らして飲んだ後、こうつぶやいた。
クラスメートその2
「何だろうね。デッサン見せてくれたけど、俺より良かったのに、先生はあまり点数をつけてなかったよ。」
クラスメートその1
「でもあの後呼び出されてたよね。何で?」
クラスメートその2
「さぁね。たまにゃそういう時もあるんじゃないの?」
クラスメートは箸を持って、チャーシューを摘んだ。
クラスメートがお昼を食べているとき、ヒスイは職員室に呼び出されていた。
その理由は何故だか、ヒスイはわからない。心当たりもない。しかし、職員室に入りたくないのはどの生徒も同じだろう。ヒスイもその緊張感に晒されていた。
…特待生なのに、最高点じゃなかったからかな。僕、美術は苦手なんだ…
制服の襟を正し、ヒスイは職員室のドアを2回ノックした。
ヒスイ
「失礼します」
先生
「おぅ、こっちだ」
たまたま職員室のドアの近くに、美術の先生がいたから話は早かった。
ヒスイはゆっくりと職員室の奥へと向かう。その表情は芳しくない。
ヒスイ
「やっぱり、今回のデッサンの出来が悪かったからですか?」
ヒスイはボソボソと先生に呼び出し理由を尋ねた。
先生
「いや全然。今回の件はただ単に、理事長に頼まれたんだ。詳しくはわからない。」
先生は理事長室までヒスイを案内した。理事長室の前にいた秘書と少しだけ会話をした後、ヒスイに入るよう促した。
ヒスイ
「失礼します。」
ヒスイはこの学園で1番手の込んだドアの金具を掴んだ。花が彫られ、中世のヨーロッパのような美しい絵柄が刻まれていたが、ヒスイに絵柄を見る時間はほとんどなかった。
理事長
「入りなさい」
理事長
「セキ・ショーヨム・ヒスイか。」
理事長は窓際の大きな黒塗りのデスクで作業していた。テレビで出てくる、社長室。それがこの理事長室を表すのに1番良い表現だろう。
ヒスイ
「はい。」
ヒスイは大きい声で返事をした。
理事長
「そこに座りなさい。」
理事長は部屋の真ん中に置かれた応接セットを指差した。向かいあった黒い革張りのソファーに低いテーブル。テーブルの端には小さい蘭の鉢植えがあった。
うわー、こんなところ初めてだ。ヒスイは絨毯を踏みしめながら、ソファーに向かった。
理事長
「遠慮なく座りなさい。私も行くから。」
理事長も立ち上がり、ヒスイの向かいのソファーに腰をかける。ヒスイの背筋は自然とシャンと伸びた。
理事長
「あなたはどこの出身?ハーフよね?」
理事長はゆったりとした話し方でヒスイに尋ねた。かなり余裕があるようだ。
ヒスイ
「生まれも育ちも十龍です。はい、日本とハンガリーのハーフです」
理事長は水槽の魚を覗くかのように、ヒスイを見た。赤みを帯びた濃茶色の髪と紫色の目、白い肌はアンに似て、スッキリした顔のパーツと細長い体型はセキエイに似ていた。
理事長
「そう…ところで」
ヒスイ
「はい?」
理事長はただ、淡々と話し始めた。表情は和かだったことは、ヒスイにとってせめてもの救いだったが。
理事長
「先週あなたが書いたデッサン、あれはあの場にいたの?あれは奥門へ向かうフェリー乗り場よね?」
ヒスイ
「…はい、父といました…」
え、どうしてそんなことを?
ヒスイは少しだけ首を傾げた。
理事長
「そう。とても夜景が素敵な絵だと思ったの。でも、こんな時間に子どもが出歩くのは良くないわ。まぁ、お父さんが一緒なのね。」
ヒスイ
「はい。その日は父と奥門にいたんです。その帰りです。」
…何でそんなことを理事長が聞くんだろう。ヒスイは疑問に思った。絵が気に入ったとしても、わざわざ呼び出す必要もない。けれども理事長は続けた。
理事長
「奥門に何しに?」
ヒスイ
「?」
呆気に取られるヒスイとは別に、理事長はニコッと微笑んだままであった。
ヒスイ
「…母に会いに」
理事長
「あら、一緒に暮らしていないのね。寂しいでしょう?」
ヒスイ
「寂しいです。だけど、もうすぐ会えます。楽しみです。」
ヒスイは、小さな嘘をついた。
…理事長は何をしたかったんだろう。どうして呼び出されたのか、ヒスイは最後までよくわからなかった。理事長が気になっていたのは、ヒスイが描いた絵のことだった。美術の先生からは然程評価されなかったのに。タデ食う虫も好きずきか。ヒスイはあまり気にしないようにした。
それよりも、理事長に嘘をついたことが、ジワジワとハンカチに垂らした水滴のようにヒスイの心を蝕んでいた。
…本当はパパと一緒じゃなかった。1人でフェリー乗り場に行った。
数ヶ月前から、ヒスイは何かあるとすぐに夜中、綾港の端にあるフェリー乗り場に向かい、海の向こうを眺めていた。
もう少し先に進みたい、でも、今の自分の「力」ではもう、先へは進めなかった。あの夜景の向こうに母がいるからだ。
どうすれば強くなれるんだろう。ヒスイはどこかで焦っていた。けれども、その焦りよりももっと早く、この少年の「力」はツルが大樹を這うかの如くメキメキと強くなっていた。
それにまだ、父は気がついてはいなかった。
クラスメート
「セキ、職員室行ってきたん?」
ヒスイは後ろからポンとクラスメートに声をかけられ、振り返った。
ヒスイ
「あ、うん。もう終わった。特に何もなし。」
クラスメート
「飯食った?まだなら行こうぜ」
ヒスイ
「うん、まだ。行こう。」
ヒスイは踵を返し、クラスメートとカフェテリアへ向かった。




