第九十七話 いざ大海原へ
「レオ、あそこ……!」
レオの背中を追って通路を駆け抜けていたアキは、前方の部屋から魔王とナコが出てきたことに気づき、走りながらそちらを指さした。
ナコたちもこちらに気づいたようで、ナコが魔王の腕のなかで大きく手を振ってくる。
「お姉ちゃ―――んっ! こっちこっち!」
「ナコ、無事でよかった……!」
アキはナコたちのもとに駆け寄ると、彼女の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
魔王が、ほっとした表情でかたわらのレオを見やる。
「レオ、無事でなによりだ。姉もしっかりと助け出せたようだな」
「まあな。こいつ、果敢にも死霊どもにひとりで立ち向かっててな、間一髪だったんだぜ。俺がもう少し遅ければ間に合わなかったかもしれねぇ」
ったく心配かけやがって、とレオがアキの頭に手を置く。
「だって、あのときはいろいろ事情があって、ひとりで戦うしかなかったっていうか……!」
「そうだとしても、危なかったのは事実だろ」
アキがもごもごと言い訳すると、今度はレオに頭をぐしゃぐしゃとなでられた。
(もう、いつまでたってもレオには子ども扱いされるんだよなあ……)
いつかレオがピンチのところを華麗に助けてやるんだから、と内心決意を固めていると、気心の知れたレオとアキのやりとりを見てか、ナコがピンときた様子で人差し指を立てた。
「……もしかして、もしかしてなんですけど、レオさんってお姉ちゃんのことが好き、なんですか?」
――え。
ななななななんですとっ!?
「ち、ちちちち違っ、いや違くはないけど、私たちはなんでも――」
「そうなのか、レオ?」
動揺して支離滅裂になっているアキを尻目に、魔王が目を丸くして問いかける。
当のレオはというと、耳もとを少しだけ赤くしながら、あちゃあ、とばかりに両手で顔を覆ったままくぐもった声で言った。
「あーそうだよっ、そのとおり! ほんとにもう自分でもなんで人一倍手のかかるこいつなんだよって思うんだが、いつのまにかこいつのこと好きになっちまったんだよな」
「もう、レオっていっつも一言多いんですけど!」
腰に手を当てて憤慨してみせると、レオにくくくっと楽しげに笑われた。
こういうデリケートな話題も、すぐに楽しいノリに変えてくれるところがレオの優しくてすごいところだと思う。
レオは、アキの背中をぽんと叩いた。
「まあ、そういうわけなんだが、俺としては、自分の惚れた腫れたの話よりもアキとエリアスの関係を応援してんだよ。こいつのことはもちろん好きだし、誰よりも守りたい存在なんだが、それよりもエリアスとふたりで幸せになってほしいからな。それが、俺の一番の願いなんだよ」
なんて、いざ口にすると照れるな、とレオは気恥ずかしそうに後ろ頭を掻いている。
(……レオ、ありがとう)
アキが、レオの優しさに感謝しながら彼の横顔を見つめていると――魔王とナコが、なんて健気なんだといわんばかりにそろって目を潤ませた。
「レオさんっ……!」
「レオ……!」
そのふたりの顔が、同時にぎゅるんとアキのほうへ向けられる。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんとエリアス様とレオさんの関係ってとても素敵なんだね!」
「姉! 私のレオをぞんざいに扱ったら許さぬからな。壊れものを扱うように大事にするとよい」
ふん、魔王は腕を組んでこちらを見下ろしてくる。
「魔王に言われなくても、私のほうがレオのことを大切にしてるし、彼の良いところもだめだめなところも全部知ってますから!」
アキが魔王に負けじと言い返すと、魔王に、ぴき、と青筋が入る。
「姉! 私よりもレオのことを知っていると豪語するとは不届きなっ! 私の可愛い可愛い弟のレオを大切にする私の気持ちは海よりも深いんだぞ!」
「だったら私は山よりも高いですっ!」
きぃーっと魔王とアキはお互いの顔を突き合わせている。
こうしていると、自分と魔王はじつは似ているタイプなのではないかと、アキはいやな予感がし始めた。
ナコが、魔王とアキのやりとりを見守りながら、ころころと声を立てて笑った。
「ふふふ、レオさんモテモテだね! お姉ちゃんのこと、大事に想ってくれてありがとうございます、レオさん!」
魔王とアキを見ながらナコが笑いながら言って、レオは、魔王たちのやりとりに脱力しながらも、苦笑いでナコに答える。
「……なんだか、見ていて恥ずかしいけどな……。――アキのことは、エリアスはもちろんのこと、俺も全力で守らせてもらう。だから、安心しててくれ、ナコ」
いまだ魔王と言い争っているアキには聞こえないところで、ナコとレオのやりとりが交わされる。
レオは、魔王に遠慮せずに突っかかっているアキの横顔を、愛しそうに見つめた。
地下通路は薄暗く湿っていて、うっかりすると足を滑らせてしまいそうだった。
アキたちは光の魔法で足もとを照らしてくれるレオを先頭に、アキ、ナコ、そして魔王にしんがりを務めてもらって、もくもくと地下階段を下っていた。
時折、石壁を突き破って不意打ちで死霊が襲ってきたけれど、レオと魔王の魔法が炸裂して一瞬で死霊を浄化してくれるので、アキたちはなんなく道中を進み、やがて階段を下り終えると、急に地下洞窟のような開けた空間に出た。
そこに、大勢の狼の死霊たちとたったひとりで対峙しているヨハンの背中があって――アキはおもわずヨハンの名前を叫んだ。
「ヨハンっ、大丈夫ですか……!?」
アキの切羽詰まった声が洞内に響き渡ったとほぼ同時に、ヨハンが『――ターンアンデット!』と涼やかに唱えて杖で地面を突く。
その途端、辺り一面に銀のフラッシュが瞬いて、狼の死霊がいっせいに光の飛沫となって場内に舞い上がる。
まるでたくさんの蛍がきらきらと飛び交っているような幻想的な風景のなかで、ヨハンが涼やかにこちらを振り返った。
「ああ、皆さん、よかった、ご無事でしたか」
綺麗な顔立ちをふっとほころばせるヨハンに、レオが一番真っ先に駆け寄る。
「おまえこそ無事でよかった。それで――」
きょろきょろと周囲を見渡して、レオはここにいるべき人物がいないことに気づいたのか、問いかける視線をヨハンに向けた。
「ヨハン、エリアスと男性教師はどこだ……? ここにはいねぇのか?」
「いや、それが……」
ヨハンはそこで言葉を切ると、地下洞窟の出口の先に見えている大海原を指さした。
「エリアスと男性教師は――……あそこです」
え、あそこ……?
ヨハンが指を差す先、水平線に小さな船の陰がある……ような気がする。
ま、まさかエリアス、あの船に乗ってるんですか……!?
まさかとみんなが息を呑むなか、ヨハンが「……みなさんの思っていらっしゃるとおりです」と呟きながら頭を抱える。
「あの男性教師が、地下洞窟にあらかじめ脱出用の小舟を用意してありまして、エリアスと一緒に男性教師を追い詰めたところ、それに乗って逃亡しようとしたので、エリアスがとっさに船に飛び乗ってそのまま沖に出てしまいまして……」
ああ、なるほど、エリアスが追いかけた結果、男性教師と船で海に出ることになっちゃったんだ……。
どうしたもんかな、とレオが船のほうを見やる。
「なるほどな……。そうかといって、ここで指くわえて待ってるわけにもいかねぇし、なんとかしてアスのところまで行くしかねぇだろうな」
レオの言葉にみんながうなずいたそのとき、誰かが忙しなく地下階段を下りてくる音が聞こえた。
その場にいたアキたちは、いっせいに警戒して地下階段の降り口に鋭い視線を向ける。
階段を駆け下りてきたのは、魔族たちの誘導にあたっていたサトクリフだった。
「勇者殿、魔王様、皆さん! こっちあらかた避難終わったんで、助太刀にまいりました!」
元気そうなサトクリフの顔を見るなり、アキはふとアイディアが降ってくる。
サトクリフといえば魔族……魔族といえば転移魔法――これだ!
「サトクリフ! ちょっと相談があるんですが……」
駆け寄ってきたサトクリフに、アキは、エリアスが男性教師を追って船に乗り、沖まで出てしまったことを説明する。
そうして彼が納得したあと、アキはひとつの提案をした。
「サトクリフ、よかったらなんですが、転移魔法でエリアスを迎えに行ってもらうのはどうですか? それでまた転移魔法で戻ってきてくれれば、万事解決だと思うんです!」
転移魔法なら、サトクリフでなくとも魔王ならお手の物だろう。
アキがサトクリフと魔王に期待の眼差しを向けると、魔王が渋い顔をした。
「残念だが、それは無理だな」
「え、どうして――」
問いかけると、サトクリフが代わりに答える。
「姐御、転移魔法は指定した座標に飛ぶことは簡単なんですがね、ああいう動いてるものに正確に飛ぶのは難しいんすよ。しかも海の上だしねェ。下手したら海に落っこちる」
「さらに付け加えると、勢いあまって落下と同時に船に衝撃でも与えてみろ、船を転覆させてしまう可能性もある」
た、たしかに……。
魔王にきっぱりと言われて、アキはうなだれる。
では、転移魔法以外でエリアスのところに行くには、どうしたら――。
「お姉ちゃん、みんな、あれはどうかな?」
そのとき、ナコが水際の端にある桟橋にくくりつけられている小舟を指さした。
ぷかぷかと寂しげに浮かんでいるそれは、しばらく使われていなかったのか、ところどころぼろぼろに傷んでいるように見える。
けれど、きちんと帆とオールがついている小さな帆船だった。
ヨハンが、ぽんと手を叩く。
「……なるほど、あの船を使うのが良さそうですね。おそらく全員は乗れないでしょうから、何人かを選抜して、あの船に乗ってエリアスを追いかけましょう」
船――……!
アキは、ついわくわくして、きらきらと輝く目で船を見つめる。
(みんなで船に乗るなんて、いかにも冒険って感じじゃないですか!?)
ヨハンを先頭に、アキたちは桟橋に停められている小舟まで歩み寄る。
海水のゆらめきに任せてぎしぎしと音を立てながら揺れている舟は、意外としっかりとした造りで、四人程度が乗れそうな大きさだった。
「んじゃ、手始めに俺が乗ってみるとするか」
レオが小舟をこんこんと拳で叩いて強度を確かめてから、軽い足取りで、桟橋がら船の甲板に飛び乗る。船はレオの体重でぐわんぐわんと揺れたけれど、板が割れて底が抜けたり、ひっくり返ったりする様子はなかった。
「お、けっこうまともそうな船だ。これなら使えそうだな。――アキ、ほら」
レオが、桟橋でレオをうらやましそうに見ていたアキに、ずいっと手を差し出す。
船に乗りたくてうずうずしていたのが、バレていたのかもしれない。
アキは、レオに本心を見透かされていたのを少し気恥ずかしく思いながら、ありがとう、とお礼を言って差し出してくれていたレオの手につかまる。
レオは、アキの重さなどまったく平気な様子で、ぐいっと力強くアキの腕を引いて、甲板に引っ張り上げてくれた。
次にサトクリフが、ぐーっと腕を上に伸ばしてから、何回か屈伸をする。
「じゃ、オレ様が乗船させていただきましょうかねェ。クラレンス、おまえに手ェ貸してやろうか?」
サトクリフが軽やかに船に飛び移って、にやにやしながら桟橋のヨハンに手を伸ばす。
ヨハンは、いやそうな顔をサトクリフに向けてから、小舟の近くに用意されていた渡り板を使って優雅に船に乗船した。
そうして魔王が、船上にいるレオ、サトクリフ、ヨハン、そしてアキを桟橋から見上げると、ふむ、と顎に手を当てる。
「その船ではおまえたち四人を乗せるのが限界であろう。ナコと私はここで待機していることにしよう。ナコ、それで良いか?」
「うん! お姉ちゃん、レオさん、ヨハン、サトクリフ、いってらっしゃい! 気をつけてね!」
ナコが桟橋からにこやかに手を振ってくれて、アキたちは、任せて、とばかりに力強くうなずく。
ヨハンが船上のメンバーを振り返った。
「さて、それじゃあ――」
ヨハンはおもむろに甲板の上に横たえてあったオール二本をつかむと、それをレオとサトクリフにそれぞれ手渡した。
レオもサトクリフも、え、なに、という顔つきで渡されたオールを見つめている。
ヨハンはにやりと、いたずら気に唇の端を持ち上げた。
「レオ、サトクリフ、おふたりをこの船の栄誉ある漕ぎ手に任命いたします。体力馬鹿のおふたりにぴったりの仕事でしょう?」
「――それでは、いざ、出港!」
いつのまにやら船長に就任したヨハンが、前方に向かって勇ましく片手を振り下ろす。
ヨハンいわく、栄誉ある漕ぎ手として船の両サイドに待機していたレオとサトクリフが、「おー」と脱力気味に拳を振り上げた。ふたりはそれぞれのオールをつかむと、わっせわっせと船を漕ぎ始める。
(わ、動いた……!)
船の真ん中におとなしく座っているように指示を受けたアキは、いよいよ岸を離れて進みだした船に胸が躍った。
(いざ、大海原へ――って感じがする……!)
「いってらっしゃい、みんな!」
「気をつけるのだぞ!」
桟橋から声を投げかけてくれるナコと魔王の姿が、次第に小さくなっていく。
「いってきまーすっ!」
アキも、桟橋に残っているナコたちに向かって、口元に手を当てて声を張った。
船の上では、ヨハン船長の容赦のない指示がレオとサトクリフに飛んでいる。
「ほら、レオ、サトクリフ、きりきり漕いでください! エリアスになにかある前に追いつかなければ!」
「わかってるっての!」
「オレ様いっつもこんな役回りばっかり!」
レオとサトクリフがぼやき、ふとなにかを企んだようにおたがいに目配せしあう。
そうかと思うと、ここぞとばかりにレオとサトクリフが全力でオールを漕ぎ出した。
「うおおおおおおっ!」
「こんにゃろぉおおおお!」
「わっ、ちょっとふたりとも、落ち着いて!」
いきなり推進力を加えられて、船は、がくん、と一度揺れたかと思うと、波しぶきを立てながらものすごいスピードで前進し始める。
(速い、速い……!)
船はあっという間に地下洞窟を抜け、ほの暗い洞窟から急に外へ出たからか、目がくらむほどのまぶしい日差しが降り注ぐ。
明るさに目を慣らしながら、アキはおそるおそる目を開くと――途端に、海の青と空の青が視界いっぱいに広がった。
吹き抜ける海風が小舟の帆をばたばたと揺らし、アキとレオ、サトクリフとヨハンの髪や衣服を巻き上げてゆく。
(すごい、綺麗……!)
アキは、空からの日差しを受けて、きらきらと光を散らすまぶしい海面に目を細める。
(本当に……)
本当に、この世界は美しいと思う。
初めてこの世界に飛び込んだとき、空中に放り出されて、そのときに目に飛び込んできたこの世界の雄大な景色も本当に綺麗で、自分が落下していることも忘れて見入ってしまったほどだったのを思いだす。
(こんなに美しい世界に自分がいるなんて、本当に、夢のよう……)
何の変哲もない平凡な社会人だった自分が、いまや勇者様たちと一緒に世界を救う旅をしているなんて、本当に奇跡のようだと思うのだ。
「おいアキ、あんまりはしゃいで落ちるなよ!」
アキが船の上で両手を広げて、大海原の空気を胸いっぱいに吸っていると、必死にオールを漕いでいるレオが笑いながら言う。
(ふふふ、レオが心配性なのも、最初のころから変わらないなあ!)
彼の、さりげなく自分のことを気にかけてくれる優しいところは、本当に最初に出会ったころから変わらないなあと思う。
自分がこの世界に来たときから支えてくれているエリアスやレオやヨハンは、格好良くて優しくて、びっくりするくらい強くて――自分は、素敵な人たちに支えてもらいながらここまで来られたんだなあと思う。
――今度は私が、みんなが生きるこの世界を一緒に守る番……!
自分がこの世界に召喚された責務を果たして、少しでもみんなに恩返しをしたいと思うのだ。
内心で決意を新たにしながら、アキが船からの景色に浸っていると――ヨハンが、いったん船を止めてください、と指示を出した。
レオとサトクリフが、ヨハンの指示に応えてオールを漕ぐ手を止める。
「どうやら、エリアスの船は沖で停泊しているようですね」
ヨハンが水平線の先に見えるエリアスの乗った船を手をかざして見つめる。
ゆらゆらとその場で船が揺れるなかで、レオも海の先に目を凝らした。
「停泊……ってことは、エリアスとあの男性教師は、船の上でなんか話してる可能性があるってことか?」
「そうかもしれません。僕は、あの男性教師は沖に『神殿』の大きな船を待たせてあって、そこに逃げ込むのではないかと思っていたのですが、そうではないのかもしれませんね。男性教師を刺激しないように、しばらく様子を見たほうがいいかもしれません」
ヨハンが冷静に言って、レオとサトクリフはオールに手をかけたまま待機する。
(エリアス、どうか無事でいてください――……!)
アキはその場で、エリアスの無事を祈るしかなかった。




