第九十八話 『神殿』の子どもたち
(……どうして、こんなことになっているんだろう……)
海面にゆらゆらと揺れる船の上――。
船の床に腰かけたエリアスは、向かいに座る男性教師が差し入れてくれた、筒に入ったはちみつ酒と揚げパンを手に、所在なげに視線をさまよわせていた。
男性教師を浄化するために彼の船に乗り込んだはずが、いつのまにか彼の話に付き合う流れになって、こうして団らんめいた状況になってしまったのだ。
遠目に視線をやれば、おそらく仲間たちが自分を追ってきてくれたのであろう小舟が、こちらから一定の距離を保って停泊しているのが見てとれる。
(よかった、ヨハンたちが来てくれたのかな……)
万が一なにかあれば彼らが助けてくれるだろうとほっと安心して、エリアスは腹をくくって目の前の男性教師に向き合った。
「――それで、『神殿』がおこなっている人体実験の話、というのは?」
真剣に目を細めて問いかけると、はちみつ酒の筒を傾けていた男性教師が筒ごしにこちらを見る。
「ああ。まあ、よくある話さ。勇者殿は、もともと『神殿』で過ごされていたんだよな?」
「ええ。生まれた村は違いますが、少年期のほとんどは『神殿』で勇者としての教育を受けていました。……それがなにか?」
「いや、それ自体はなんら問題ない。――『神殿』で生活していたということは、あの場所には毎年多くの子どもたちが入信してくることもご存じだな?」
「それは、まあ……。ありていに言えば、俺自身も、生まれた村から『神殿』に連れられた子どものひとりでしたから」
最近知ったばかりの壮絶な幼少期の記憶を思いだす。
生まれた村でおだやかに慎ましやかに暮らしていた――それが突然、『神殿』の教皇たちによって家族を奪われ、親友や村の人たちを傷つけられ、村を焼かれて、天涯孤独の身になった自分は『神殿』に強制的に連れてこられたのだ。
(……あのとき、もっと俺に力があったなら)
いまのように強くあれたら、あのとき村を好き勝手に蹂躙されることはなかったかもしれない、自分の力で村のみんなを守れたかもしれない。
(……いまだから、言えることかもしれないけれど)
それでも、あのときの自分は力不足だったのだ。
(守りたいものも守れないような勇者なんて――……)
――それでは、勇者失格だ。
だからこそ、今度こそ大切なものを守れるように強くなりたいと願った。
自分はどうしても、『勇者』という宿命から逃れられない。
そんな自分のそばにいる人たちをその宿命の危険に巻き込んでしまう。
それでも、そんな自分のことを受け入れてくれて、そばにいてくれる人たちを――。
(――……守れるように、なりたいんだ)
ぐっと下で拳を握っていると、それを知ってか知らずか、男性教師がふと海へ視線を向けながら口を開いた。
「……なるほど、誰もが羨む勇者殿も、そう華やかな道を歩んできたわけではないのだな……。――かくいう私も、幼いころに『神殿』に連れてこられた子どものひとりだ。親に金で売られてな」
え……?
エリアスは、はっと顔を上げて、海面を寂しげな目で眺めている男性教師の横顔を見つめる。
「……それは、人身売買ということですか?」
「……そうだ。『神殿』にやってくる子どもたちは、成績優秀で才能あふれ、『神官』になることを夢見る前途有望な子どもたちだけではないんだ。そういった将来高官になることが約束されているような子どもは一握りだ。その大半は――私のような、親に売られたりみなしごだったりと、身寄りのない哀れな子どもたちなのさ」
「そんな……」
たしかに『神殿』には毎年多くの子どもたちがやってきていた。
『神官』として太陽系魔法を習得する才能があったり、利発な子どもたちが難関試験を突破してやってくるものだとばかり思っていたけれど――。
(……そんな子どもたちは、ごく一部にすぎなかったんだ……)
むしろ、そのほとんどが、自分のように無理やり連れてこられた子どもたちだったのかもしれない。
おもわず同情の目を向けると、男性教師がこちらに顔を戻して肩をすくめた。
「別に、勇者殿に気に病んでいただくほど大変でもなかったさ。『神殿』での暮らしは、最低限の生活を保障されていたし、教育も受けさせてもらえたからな。ただ……」
「ただ……?」
口ごもる男性教師を促すと、彼は視線を落として続けた。
「ただ、その対価と言ってはなんだが、私たちは命の保証をされていなかった。『神殿』の魔法研究者どもに呼ばれれば、いつなんどきでも禁止魔法の被検体として……この身を差し出さなければならなかったんだ」
息を呑むエリアスを見据えて、男性教師は自分の胸に手を当てる。
「つまり、私たち親なしの子は皆、人体実験の実験台――いうなれば、実験動物みたいなものだったのさ。モルモットとして『神殿』に飼われていたんだ。良質のエサを与えられて、優良な実験台になれるように」
自嘲気味に言う男性教師に、エリアスは言葉が詰まる。
『神殿』に連れてこられた親なしの子どもたちは、彼のように、自分の置かれている状況を知りながらあの場所で学生生活を送っていたのだろうか。
いつ禁止魔法の実験台として名指しをされるかに怯えながら。
きっと、昨日までの友人が実験台とされて、次の日には帰らぬ人となることだってあったかもしれない。
そんな悲しみと恐怖の毎日を、逃げ場もなく必死に生きてきたのだろうか……?
「なんて、ひどい……」
『神殿』は、自らの目的のためなら、どんなことも厭わないのだろうか。
(現に『勇者』の俺だって……)
『神殿』に取り込まれ、飼われていたようなものだ。
『神殿』で暮らしていたころの自分には、自由などなかったのだから。
男性教師が、話は終わったとばかりに筒のはちみつ酒を飲み干した。
「――まあ、そういうわけで、実験動物の一匹である私は融合魔法と死霊魔法の被検体となって、こうして『神殿』の命に従って勇者殿たちを妨害したわけだ。悪かった、と謝って済むことではないと思うが、私自身に勇者殿たちへの恨み辛みはない」
男性教師は深々と頭を下げると、まるでエリアスにバトンを渡すように、持っていた彼の揚げパンを投げてよこした。
「勇者殿がこの世界を救う英雄だというのなら、宿敵の魔王を打ち倒すだけでなく、どうかこの世界の悪の親玉ともいえる『神殿』のよどんだ部分にも粛清を加えてほしい。それでこそ、この世界に真の平和が――誰もが何かに怯えずに暮らせる世界が、やってくるのだと思う」
男性教師は清々しく笑った。
「私の願いを、勇者殿に託す。あの赤毛の魔族から聞いた話では、勇者殿は、私を助けようとしてくださったそうだな。そんな貴公が守る世界は、きっと誰もが生きやすい世になるのだろう。私もできればその世界を生きてみたかったが――いかんせん、この腐肉の体では長くはもたないだろう」
死霊となって蘇った自分の青白い両手を見つめて、男性教師が諦めに似たため息をつく。
エリアスは首を横に振った。
「どうか、諦めないでください。きっとどこかに死霊魔法を解く方法があるはずです! それに、俺たちの仲間のヨハンも、『神殿』のそういった後ろ暗い面を正すために、教皇に就任したら力を尽くすと言っています。きっと、『神殿』はこれから変わっていくはずです。あなたのようなつらい思いをする人たちを、少しでも減らすために」
身を乗り出して言うと、男性教師はまぶしさに目を細めるようにほほ笑んだ。
「そうか……。勇者殿を見ていると、『勇者』に選ばれる人物とはかくあるべきなのだと――……そう、感じるな。どうか、この世界のことを頼ん――……っ」
そこまで言いかけた男性教師が、エリアスを見つめたまま大きく目を見開いた。
……いや、違う。
正確にはエリアスの背後にあるなにかを凝視している。
(なんだ――……!?)
驚愕に見開かれた男性教師の視線の先を確かめようと、エリアスが自分の後ろを振り返ろうとしたそのときだった。
「――勇者殿、危ないっ……!」
決死の叫び声とともに、男性教師がエリアスを船の床に突き倒した。
途端、ごう、となにか突風に似た風圧が体の上を通り過ぎる。
そうかと思うと――
「うわあああッ!」
耳をつんざくような男性教師の悲鳴がすぐそばで発せられ、その声が遠のいていく。
すぐさま跳ね起きようとしたけれど、直後に巨大ななにかが海面にざぶりと飛び込んだのか、波と水しぶきによって激しく揺れる船に体のバランスを崩される。
(なにが、起こったんだ――……っ!?)
エリアスは必死に船のへりにつかまり、顔を振って、髪や目もとについた水滴を払う。
そうして顔を上げて前方を見据えると――
全身に青光りする鱗を持った巨大な水竜の魔物が、男性教師をその長い尻尾に捉え、小舟に残された自分を獰猛な赤い目で見下ろしていたのだ。




