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第九十五話 頼ること頼られること


 ――な、な、なっ……!


 手帳の点滅を確認して振り返ったアキの視界に、窓ガラスを突き破り、窓枠に手と足をかけて部屋への侵入を試みている一匹の怪物の姿が映り込んだ。


 怪物は、いつも襲いかかってくる魔物のように獣型や魚型をしているわけではなく、自分たちと同じ人型をしている。


 しかも、腐り落ちた肌にぼろぼろの衣服に異臭を放つその姿は、自分が現実世界で映画などで観たことのある生きる屍――ゾンビそのものだった。


(な、ななな、なんなんですか、あれ……!)


 ウー、ウー、と怪物は低いうなり声をあげながら、部屋の出入口付近で凍りついているアキにぎょろりとした目を向ける。


 いまにもこぼれおちそうな充血した瞳に、アキが、ひ、とのどを鳴らしながら後ずさると――それを好機とばかりに、怪物は窓枠を蹴ってアキに向かって襲いかかってきた。


「き、きゃああああっ!」


 成す術もなく悲鳴をあげたアキを守るかのように、胸もとのペンが強い銀の光を発する。


 その光に目くらましを受けたのか、怪物は一瞬怯んで動きを止めた。


 ペンは弓と矢筒に変化すると、自分をつかめとばかりにアキの目の前に浮遊する。


(聖遺物で……戦えっていうこと?)


 レオが召喚してくれた自分専用の武器――きっと、弓矢を使って応戦しろということなのだろう。


 ありがとう、とアキは武器にお礼を言って力強く弓の握りをつかむと、背の矢筒から手早く矢をつがえる。


(狙って――……一点集中!)


 目くらましから解けたのか床を這いながら向かってくる怪物を見据え、アキは足を踏ん張って矢をひきしぼる。


「そちらが向かってくるなら、容赦なく迎え撃たせていただきます……!」


 そう宣言すると、アキは力いっぱい引き絞った矢を、ぴん、と弾くように解放した。


 月の女神の魔力を帯びた矢は、銀の彗星のごとく怪物の胸もとに飛び込んで、彼の腐肉を貫通する。


 怪物は、なにが起こったのかもわからない様子で、その場で足を止めると、おそるおそる自分の手で胸もとにぽっかりと空いた穴に触れ、その体勢のまま銀の飛沫となって霧散した。


(た、倒した……かも?)


 なんの気配もなくなった部屋は、怪物に割られた窓ガラスから吹きこむ夜風で、ぱたぱたとはためくカーテンの音だけが聞こえている。


 緊張していた体からどっと力が抜けて、アキは、はあ、はあ、とその場で息をついた。


 なんとか倒せたけれど、いまの魔物のような怪物は、いったいなんだったのだろうか。


 なかなかグロテスクというか……いままで遭遇した敵のなかで一番恐ろしい外見だったように思う。


(さっきエリアスと一緒に聞いた音も……あの怪物が侵入した音だったのかな……)


 そうだとしたら、エリアスたちも今ごろ、あの怪物と交戦しているのかもしれない。


 ――こうしてはいられない。


(私も一緒に戦わなくちゃ……!)


 アキが弓矢を片手に部屋の扉を開けた――そのときだった。


「だっ、誰か助けて――――っ!」


 廊下に足を踏みだしたと同時、右方向から侍女の悲鳴が聞こえてきたのだ。


 はっとしてそちらに目をやると、廊下に尻餅をついているひとりの侍女の目の前に、例の怪物がいまにも襲いかかろうとだらりとした両手を振りあげていた。


「危ないっ……! ――いま、助けます!」


 アキが鋭く声を投げかけると、こちらに気づいた侍女が一瞬振り向いて、すぐさま頭を抱えて体を伏せる。


 アキは矢筒から矢を抜いて弓につがえると、怪物の脳天を狙って目を細めた。


 ――月の女神様、どうかお力をお貸しください……!


 キィイイ、と矢じりの先端部から銀の光が放射線状に煌めいて、アキは狙いを定めて力強く矢を放つ。


 ヒュン、と風を切るように飛んでいった矢は怪物の脳天を突きぬけて、それと同時に怪物は銀の飛沫となって消滅した。


(やった、上手くいった……!)


「大丈夫ですか!」


 弓を頭から被るように背負うと、アキは床に伏せていた侍女に駆け寄ろうとする。


 アキの言葉に応えて体を起こそうとした侍女は、アキの頭上に目をやるなり、表情を強張らせて天井を指さした。


「アキ様、上です! あの化け物がっ……!」


 え――……!?


 いやな予感がして、背筋に悪寒を感じながらおそるおそる上を見上げると――


(―――っ!!)


 天井の床の一部分を突き破り、例の怪物がこちらに向かって手を伸ばしていたのだ!


(な、なんであんなところからっ……!)


 そう思ったのもつかの間に、アキと侍女のいる廊下の左右の扉から、怪物たちがなだれのように飛びだしてくる。


「ひッ……!」


 侍女がのどを鳴らして後ずさり、アキは前と後ろを振り向いて冷や汗を垂らした。


(か、囲まれた――!?)


 前と後ろに怪物が三体ずつ、そして上にも一体――……!


(どうしよう、どうしたらいいのっ……!)


 せめて前方の三体だけでも倒して突破口を開くべきだろう。


 このまま逃げ道がふさがれた状態では、どんどんと追いつめられていくだけだ。


 それにはまず、上の一体をなんとかしなければならない。


 そう判断してアキが天井を睨みつけると、怪物はさらに両手を使って天井を突き破り、そのまま全身を転がして穴からこちらに向かって落下しようとする。


(急いで、早くっ……!)


 なんとか弓矢を構えて狙いを定めようとするけれど、それよりも早く、怪物が重たげな頭を穴から突きだし、そのまま身を投げだした。


 ウーっ、という怪物の唸り声が耳に迫る。


 怪物が、アキをめがけて落下しながら大きく手を振り上げた。


(いやだ……!)


 ――こんなところで、負けたくないっ……!


(エリアス、レオ、みんな――……っ!)


 迫りくる怪物のおぞましい姿を目に焼きつけながら、おもわず目を閉じてがむしゃらに矢を討とうとしたそのときだった。


「――アキ、伏せろっ!」


 後方から凛々しい声がしたと思った途端、アキの頭上を幾筋もの光が駆け抜けた。


 アキがとっさに床に伏せると、頭の上からさきほど襲いかかってきた怪物の悲鳴が響き、さらに廊下の先にはびこっていた他の怪物たちの断末魔の声も耳をつんざいた。


 怪物たちの気配が一気になくなり、途端に、しん、と静まり返る場内。


 この鮮やかに敵を一掃する魔法――間違いない。


 アキがそう確信しながら体を起こすと、全力でここまで走ってきてくれたのか額に汗を浮かべたレオが、通路の先に聖短剣を片手にたたずんでいた。


「レオっ……!」


 その頼もしい姿に、アキはすぐさま立ちあがって顔を輝かせる。


「レオ、ありがとう! 助かっ――……」


 言いかけると、ほっとしているような怒っているような、なんとも言えない表情を浮かべたレオが、まっすぐにこちらに駆け寄ってくる。


 そうして、アキがなにか言うよりも先に、その大きな胸にアキを抱きすくめた。


「――こっの馬鹿!! どうしておまえはそう、無茶ばっかりするんだよ! 心臓止まるかと思ったじゃねぇか!」


 アキを強く抱きしめたまま、レオが耳もとで声を張る。


 心底心配してくれているのが伝わってくる声音に、アキはじんわりと心があたたかくなって、それと同時にいつのまにか自分が震えていたことに気づく。


(そうか、私、怖かったんだ――……)


 そう思った途端、がくりと全身から力が抜けそうになって、体を離そうとしていたレオがあわててアキの腰に手をまわす。


「おい、大丈夫かよ! 少しそのへんで休むか?」


「う、ううん、大丈夫! ごめん、レオの顔を見たら、ほっとして力が抜けちゃって……」


 彼がいてくれるだけで、もうなにがあっても大丈夫だと思えるのだ。


 気が抜けたせいか目尻に涙が浮かんでしまって、アキはあわてて目もとをぬぐった。


「わ、ごめん、なんか、安心したら涙がっ……。早くひとりで戦えるようにならなきゃいけないのに、私、まだまだだよね……」


 しっかりしなくちゃなあ、なんてぼやいていると、レオががしがしと後ろ頭を掻きながら少し気恥しそうに視線をそらした。


「あー、おまえ、なんつーか……――かわいいんだよ! 俺の顔見たらほっとしたなんて言われたら、頼りにしてもらえてんだなって思えて、男としては嬉しいんだよ」


 え、ええっ!?


「そ、そうなんだ? それなら、よかった……っていうか、事実っ、レオがきてくれて安心したのは事実だからっ!」


 事実を言ったまでです、となんだか自分も顔を赤くしてまくし立ててしまう。


 レオは格好良くて、頼りになって、優しくて、そして自分のことを好きでいてくれて――ってこんな素敵な男性に想いを寄せてもらえていることがいまだに信じられないのだけれど、自分は、レオのことをとても頼りにしているのだ。


 本当に、彼がいてくれたらなにがあってもなんとかしてくれる、そう思えるくらいに。


(私、レオに頼りっきりなのかもしれない……)


 いつか彼のことも、自分が守れるようになれればいいなあと思う。


 レオに頼りにしてもらえるくらいに、強くなりたい。


 おたがいの間に気恥ずかしいどこか空気が流れるなか、アキはふとエリアスのことが思いあたって、ぱんと両手をあわせた。


「そ、そうだ! レオ、エリアスは? みんなは大丈夫ですか?」


 エリアスが自分にその場を任せて部屋を出ていったきり、所在不明になっていることを伝えると、レオは心配ないと言うように腰に手を当てて笑った。


「ああ、あいつなら大丈夫だぜ。さっきエリアスと兄貴、ヨハンとサトクリフと合流して、それぞれ持ち場に向かったところなんだよ」


「持ち場……?」


「そう。持ち場っつうのは――」


 そうして聞いたレオの話によると、『学府』から連れてきたあの男性教師に死霊魔法というものがかかっていて、それによってあのゾンビのような怪物――死霊というらしい――が大量に出現して魔王城を襲っていて、エリアスとヨハンが男性教師の浄化を行うために地下室に向かい、魔王はナコを助けにいき、サトクリフはギルフォードに合流しに行き、そしてレオが自分を助けにきてくれた――と、みんなそれぞれの持ち場に向かっているとのことだった。


「ともかく、死霊には聖遺物で攻撃しねぇと止めを刺せないらしい。おまえはさっきみたいに聖弓で戦えば大丈夫だから、それで頼むな」


 レオが注意事項とばかりに付け加えて、アキは聖弓を両手で持ち上げてうなずく。


 レオから聞いた話をまとめると、人の命を蘇らせる蘇生魔法――その派生として生まれた死霊魔法が今回の原因らしい。


 蘇生魔法に死霊魔法、そして『学府』で発動した融合魔法も禁忌の魔法とされていて、その研究のために多くの人の命が犠牲になったのだとレオが教えてくれた。


(絶対に、止めなくちゃいけないよね……)


 この世界の破壊を願う月の女神様を止めることはもちろんだけれど、人の命を物のように扱う『神殿』の凶行も。


(まずは、今回の犠牲者である男性教師の魂を浄化することが、その第一歩になるのかもしれない……)


 レオは、さきほど死霊に襲われていた侍女に屋上に避難するように伝えると、弓矢を背負い直していたアキを振り返った。


「アキ、エリアスとヨハンの加勢に行くぞ! 死霊魔法を受けたあの教師が、どんな魔法を使ってくるかわかったもんじゃねぇからな。しっかり俺についてこいよ!」


「はいっ……!」


 そうして、アキはレオと一緒に、襲いかかってくる死霊を片っ端から浄化しながら、エリアスとヨハンの待つ地下室を目指して駆け抜ける。


 ――エリアス、ヨハン、どうか無事でいてください――……!


 そう祈りながら、アキはレオの背中を追って地下室へと続く廊下の先を見据えた。




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