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第八十九話 昔日(4)


 そうして、ついに『神殿』から神官様が来る日になった。


 ずっとこの村で暮らしてきた俺は、生まれてこのかた神官様なんて見たことがなかったから、期待と緊張でどうにも落ちつかないままこの日を迎えていた。


 村の大人たちには、俺のじいちゃんが神官様と交渉すること――エリアスを今までどおりこの村で育てたいという――の通達が事前にいっていて、みんなエリアスのことをかわいがっていたから、反対する人は誰ひとりいなかった。


 みんな協力すると言ってくれて、俺たちは村人全員で村の入り口に集合して、神官様の到着を今か今かと待ち構えていたんだ――。




「……なあ、神官様って、どんな人なんだろうな……」


 村の大人たちを差し置いて一番先頭に陣取っていた俺は、隣に立っているエリアスにこそっと問いかける。


 麻の白いシャツに丈の短いベストを羽織り、細身のズボンに膝丈のブーツというよそ行きの格好をしたエリアスは、俺の問いかけに深刻な面持ちで首を横に振った。


「わからない……。けれど、母さんたちの様子を見るに、あまり友好的な人たちではないんじゃないかな。用心したほうがいいと思う」


「たしかに……」


 俺はうなずいて、視線を前方へと戻した。


 エリアスの言うとおり、俺のじいちゃんも、俺の母さんも、シェリーさんも、そして村の大人たちも一様に緊張した表情で神官様の到着を待っているのだ。


 子どもだった俺にも、警戒して臨まないといけない人たちなんだろうな、ということは予想できた。


(どんな人たちがきたとしても、俺がエリアスを守らねぇと……!)


 親友の一番の力になれるように、俺は、気を引き締めてエリアスの隣から片時も離れないようにしていた。




 朝一番にみんなで村の入り口に集まったはいいが、なかなか神官様たちは俺たちの村にやってこなかった。


 じりじりともどかしく時間だけが過ぎていって、そろそろお昼になろうかというころ――突如、俺たちの目の前、村の入り口の地面に強い光を放つ魔法陣が現れた。


 俺は驚いて後ずさり、エリアスは警戒するように目を細める。


 村のみんながどよめくなか、そんな俺たちに喝を入れんばかりに、じいちゃんが自前の杖で一度強く地面を突いた。


「うろたえるでない! あれは転移魔法じゃ。『神殿』から神官様がいらっしゃるぞ!」


 ――神官様……!


 いよいよだ、と俺は高揚感と緊張感で心臓がばくばくと鳴りはじめる。


 そのあいだにも魔方陣は徐々に光を増していき、やがていっそう強い輝きを発して、俺は思わず目を閉じた。


 そうしてそろそろと目を開けると、魔法陣の上に、光の糸のごとくきらきらと輝く、いままで見たこともないくらい綺麗な銀髪をした男の人が立っていた。


 年のころは三十代半ばくらいだろうか。


 金糸のふちどりのある真っ白な長衣を着て、それと同じ肩衣をつけている。


 片手には背丈ほどもある銀の権杖を携えていた。


 銀髪に深い青の瞳――いま思えば、彼はヨハン・クラレンスにうり二つだった。


 そう、俺はこのとき、ヨハンの父親と出会っていたのだ。


 銀髪の男の人は、数人の神官たちを付き従えながら、俺たちの前に進みでた。


「――出迎えご苦労。私は、今代神聖国教皇ゼカリア・クラレンスである。『勇者』の少年を引き受けにまいったのだが、どちらにおられるかな?」


 教皇は、こちらの様子を探るような、けっして好意的ではない慇懃な笑みで言う。


 ゼカリア・クラレンス――ヨハン・クラレンスと同じ姓名だった。


(……エリアスの言ったとおり、あまり人のよさそうな感じじゃなさそうだな……)


 俺は、尊敬の気持ちが急激にしぼんでいき、代わりに警戒心が湧きあがってくる。


 神聖国の教皇様だから、どれだけ慈愛に満ちた神々しい方なんだろうと思っていたのに、あの人からはあたたかみがいっさい感じられなかった。


 じいちゃんが、みんなを代表して恭しく頭を下げる。


「これはこれは、教皇様おん自らがお足を運んでくださるとは、村の者一同、恐悦至極にございます。『勇者』の少年はこちらにおります。――エリアス、前へ」


「……はい」


 エリアスはごくりと唾を呑みこむと、不安を振り払うように深々と深呼吸をした。そうして、まるで別人のように凛々しい表情で一歩前に出る。


 エリアスの姿を認めて、教皇は、ほう、と満足そうに目を細めた。まるで、値踏みでもしているような目つきだった。


 エリアスはそれをちらと見てから、地面に片膝をついて礼をする。


「――初めまして。私が、創世の女神様より『勇者』の拝命をつかまつりました、エリアス・リーランドでございます。教皇様にお目にかかれて光栄です」


「……これはこれは、伝承どおり恐ろしいほどに美しい外見だな。女神に愛されたお人形というのは、本当のようだな」


 ……お人形?


 引っかかる言い方に、俺は眉根を寄せる。


 それ、どういう意味だ……?


 エリアスはそれにはなんの反応もせずに、恐縮です、と答えただけだった。


 教皇は、長衣の袖を跳ね除けて言う。


「まあ、そんな世間話などどうでもよい。私は、このような貧相な村に長く居られるほど暇ではないのでね」


 吐き捨てるように言って、教皇はくるりと踵を返す。そうして俺たちに背中を向けたまま、エリアスに冷たく言い放った。


「エリアス、村長から話は聞いているのであろうから、さっさと私についてきなさい。時間がないのだからね。そなたには、『神殿』で叩きこまなければならないことが山のようにあるのだ」


「…………」


 じっと黙っているエリアスに、教皇は不機嫌そうにちらと振り返る。


「……そなたは『勇者』としてこの世界の誰よりも強く、優れていなければならないのだ。そのために、これから『神殿』で血反吐を吐くような厳しい教育を受けなければならない。泣き言は許されないのだよ。そなたはこの世界でたったひとりの『勇者』なのだからね」


 くくく、と低く笑う教皇に、背筋がぞっとする。


 エリアスをあたたかく迎え入れようなんて、そんな気はまったくないんだろう。


 片膝をついて頭を下げたままのエリアスが、教皇様の言葉に小刻みに震えていて、俺はいてもたってもいられなくてそんなエリアスに駆け寄ろうとした。


 けれど、そんな俺の視界に、俺よりも先に飛び出したシェリーさんの背中が映った。


「エリアス……!」


 シェリーさんはエリアスのもとに駆け寄ると、膝をついてエリアスを抱きしめる。


 あなたたちにエリアスは渡さない、と表明しているかのようだった。


 教皇は体ごと振り返ると、不愉快そうに眉根を寄せる。


「……なんのつもりだ、村人? おまえごときが『勇者』に触るのではない」


 村……人……?


 教皇がシェリーさんを呼んだ呼び名に愕然とする。


 シェリーさんは、エリアスの母親……だろ?


 そんな他人みたいな言い方――。


「ありがとう、母さん。俺は、平気だから」


 エリアスはシェリーさんの腕にそっと手を添えて体を離すと、毅然と立ちあがった。すう、と深く息を吸って、挑む目つきで教皇を見上げる。


「ゼカリア様、お願いがあります」


「エリアス……!」


 おまえが言う必要はない、とでも言うように、じいちゃんがとっさに声をあげる。


(もしかして、エリアスのやつ……!)


 あいつはきっと、教皇との交渉の矢面に立つ気なんだろう。


 『勇者』自身が交渉するのが一番効果があると思ったのかもしれない。


 じいちゃんの制止の声が聞こえていただろうに、エリアスは頑として聞こえていないふりをして、教皇と向きあった。


「――私に、今までどおりこの村で暮らすことをお許しください。『神殿』での訓練はきちんとこなすとお約束します。ですから、この村から通いで行くことをお許し願えませんか?」


「……ほう? それは、なぜ」


 どこかおもしろそうに、教皇が口角を持ち上げる。


 けっしてこちらに譲歩するような友好的なものではなく、冷たい笑みだった。


 エリアスは俺たちを少し振り返ってから、訴えるように両手を広げた。


「この村には、私の家族も、親友もいて、私の大切な人たちがたくさんいるんです! だから、みんなと離れて暮らすことなんて私にはできません。ここが、私の生まれ育った村だから」


 はっきりと言いきるエリアスに、嬉しくて心がふるえる。


 ずっとふたりで一緒に村を守っていこうな――その約束を、エリアスが守ろうとしてくれているのがわかったから。


 教皇はエリアスの言葉を無言で受け止めてから、これみよがしに深々とため息をついてみせた。


「……なるほど、情が移ってしまったというわけか。おまえにとって、この村の存在は弱点になり得るということだな」


「なにを、言って――……」


 いっそう冷たくなる教皇の笑みに、エリアスが表情を張りつめさせる。


 弱点、ってどういうことだよ……?


 俺たちの存在が、『勇者』にとって足手まといになるってことか……?


 黙って見守っていたシェリーさんが、エリアスを庇うように前に出た。


「――教皇様! 私からもお願いいたします! エリアスを、この村で変わらず育てることをお許しください。女神様の御子であるエリアスに、私ごときが母性を感じるなどおこがましいことだとわかっています。けれどエリアスは、私のお腹から生まれた、私の子でもあるのです……!」


 シェリーさんは自分の胸に手を当てて身を乗りだす。


「どうか、エリアスのもうひとりの母である私に、この子を任せてはいただけませんか? この世界の宿命を背負うにふさわしい『勇者』に育てあげてみせます! エリアスを、どうか、私の手の届かないところに連れていかないでください……!」


 シェリーさんが地面にひれ伏して頭を下げる。


 じいちゃんがそれに続いて両ひざをついた。


「この村の村長であるわたくしめからもお願いいたします。どうかエリアスを、育ての親であるシェリーのもとに残してください。エリアスもそれを望んでおります。失礼を承知で申しあげますが、親子を引き離すのはエリアスの成長を妨げるやもしれません」


「あたしからもお願いします、教皇様!」


 俺の母さんも地面にひれ伏して、次々と村の大人たちがそれに倣って、「お願いします」「私からもお願いいたします」と地面に頭をつけてくれる。


 村のみんなが一丸になっている光景を見て、俺も、心の奥から勇気が湧いてくる。


 俺だってこの村の一員だ。


 ――エリアスの力に、なってみせる……!


 俺はその場から駆けだして、前に出ていたエリアスの手を力強くとった。


「教皇様、俺からもお願いします! こいつは俺の親友なんです! これからもふたりで一緒にいれば、お互いに高めあえることもあるかもしれません!」


 エリアスは剣で、俺は魔法で――きっと、息の合ったコンビになれるはずだ。


 意気込んで言ったけれども、教皇は、ふ、と小馬鹿にしたように笑っただけだった。


「ふん、まあ、たしかに学友というものは必要かもしれないね。――けれども、その役目はおまえなどではない」


 え――……。


「『勇者』の友人になるにふさわしい、最適の人物をこちらで用意する。それに、残念ながら『勇者』の弱点となり得るおまえたちを生かしておくことはできないのだ。この村も存続させることはできない。『勇者』に帰るべき故郷など必要ないのだからね」


「……何を、言っているんですか……?」


 なにか悪寒を感じたのか、エリアスが顔を強張らせる。


 教皇は、さっきから含みのある言い方しかしない。


 けれども、教皇や神官たちがこの村に来たときから、なんとなく違和感があったんだ。


 そうだ、教皇たちは、まるで俺たちを人とも思っていないような、まるで物でも見ているような無感情な目つきで見ているんだ。


 シェリーさんを勇者を生んだ道具、この村を勇者が物心つくまで育てた道具、用が無くなったら必要のないもの――とでもいうような。


 そのとき、突然俺のじいちゃんが頭を上げて、シェリーさんに向かって叫んだ。


「……そうか、そういうことだったのか……! シェリー、逃げなさい……! 彼らは、はじめからわしらを生かしておくつもりなどなかったのだ……!」


 え――……?


「じいちゃん、それ、どういう意味だよっ!?」


 振り返って俺が叫ぶと、教皇がさもおかしそうに笑いだした。


「くくく、そういうことだ。もう少し早く気づいていれば、なにか手立てが打てたかもしれないな、村長。――要するに、『勇者』の弱みとなり得る幼少期の思い出など、消してしかるべきなのだ。勇者が魔王と戦う上で必要のないものだからね」


 教皇が、にやりと笑って俺たちを見おろす。


 消してしかるべきって――……まさか、俺たちをっ……!?


「まずは手はじめに、『勇者』を生んだ女を始末してやろう」


「―――っ! シェリーっ! 逃げなさい、早く……!」


 これから起こる悲劇を真っ先に予測したじいちゃんが、ちぎれんばかりに腕を伸ばした。


 シェリーさんも、教皇がなにを企んでいるのかに気づいて後ずさったけれど、なにもかもが遅かった。


「――やれ」


 教皇が冷たく指示を飛ばした途端、付き人の神官のひとりが手短に詠唱して、シェリーさんに向かって光の刃を放ったのだ。


 じいちゃんがシェリーさんの名を叫ぶ姿と、俺の母さんたちの悲鳴と、エリアスが目を見開いて駆けだす姿と、教皇が口をゆがめて笑うその光景が、まるでスローモーションのように俺の視界をよぎっていく。


 シェリーさんが、迫りくる刃に、目をみはって震えている姿も――。


「――っきゃあああっ!」


「母さんっ……!」


 エリアスが手を伸ばしたけれど、間に合わなかった。


 気づいたときには、光の刃に胸を深々と裂かれたシェリーさんが、真っ赤な鮮血をふきあげて地に倒れ伏していた。


 一瞬の出来事に、頭がついていかなかった。


 な、なにが、なにが起こって――……!?


「母さん、母さんっ、かあさんっ……!」


 地面にあお向けに倒れたシェリーさんの体を、エリアスが無我夢中で抱え起こす。


 俺は、言葉さえも忘れて、がくがくと震えてその光景を凝視していた。


 シェリーさんの傷口から漏れでた血が、みるみるうちに地面を赤く染めあげていく。


(―――……っ!)


 ……まるで、時が止まったようだった。


 周囲の音さえ俺の耳に入らずに、すべて消え去ったように感じた。


 あまりの衝撃に息ができなくて、俺はヒュー、ヒュー、と肩で息をする。


 なにが、起こったんだよ……?


 なんでシェリーさんが倒れてるんだよ……?


 なんでっ……!


 現実を受け入れられなくて呆然自失している俺の視界で、エリアスが血だまりに膝をついて、シェリーさんの体を必死に揺すっていた。


「母さん、大丈夫、母さんっ……!? なんで、こんなっ……! どうしてっ……!」


 声にならない声でぼろぼろと泣くエリアスに、シェリーさんが、血だらけの手を力なく伸ばして、指先でエリアスの頬に触れた。


「……エリアス、泣かないで……。……あなたはいつまでたっても泣き虫ね……。しょうがない……子……」


 かすれる声で言って、シェリーさんがふっとやさしく笑う。


 それは、いつもシェリーさんがエリアスを見つめるときの優しい眼差しだった。


 俺は、シェリーさんのあのほほ笑みが好きだった。


 それと向きあって嬉しそうに笑っている、エリアスの笑顔も――。


 けれどいまは、エリアスはとめどなく流れる涙をそのままに唇をかんでいた。


 頬に添えられたシェリーさんの手に自分の手を重ねて、エリアスが必死に首を横に振っている。いまの現実を、この光景を、受け入れたくない、といっているかのようだった。


 そんな駄々っ子のようなエリアスを見て、シェリーさんが小さくほほ笑んだ。


「……エリアス、母さんに、あなたの笑った顔を……見せてちょうだい。私は、あなたの笑顔が、大好きなの……」


 エリアスは無理に笑おうとしたけれど、どうしてもできなくて、いよいよ嗚咽を漏らして泣きはじめてしまった。


 あまりにもつらすぎる光景に、俺も、村のみんなも、言葉を失ったまま誰ひとりその場を動けずにいた。


 親子の別れが近いのだと――俺たちの誰もが、感じていたからかもしれない……。


 シェリーさんは青白い顔で、自分を抱きかかえているエリアスを見つめた。


「エリアス……立派になったわね……。母さんは、嬉しいわ……。母さんが、いなくなっても……どうか、誰も恨むことなく……やさしいエリアスのままでいてね……。それでいつか……かわいいお嫁さんを、もらってね……」


 シェリーさんの言葉に、エリアスは、うん、うん、と何度も何度もうなずいている。


「あなたの母になれて……母さんはとても、幸せだったわ……。離れても……母さんはいつでも、あなたのことを……見守っているわ……」


 エリアスの頬に伸ばされていたシェリーさんの手が、力なく下りていく。


 はっとしたエリアスがその手をとると、シェリーさんは幸せそうに笑んだ。


「……ずっとあなたのことを、思っているわ……」


 ――大好きよ、私の大切な、エリアス――……。


 シェリーさんは、ほほ笑んだままゆっくりと目を閉じる。


 その目尻から一筋の涙がこぼれ落ちて、シェリーさんを支えていたエリアスの服に沁み込んでいった。


「母さん……? 母さんっ……!」


 腕のなかで動かなくなってしまったシェリーさんの体を、エリアスが必死に揺する。


 けれど、シェリーさんはかたく目を閉じたまま、それに応えることはなかった。


(嘘だろっ……?)


 いつもやさしかったシェリーさんのかわり果てた姿に、俺は絶句したまま、気づけば音もなく涙をこぼしていた。


 体に力が入らなくて、俺はがくりと、その場に膝をついたまま立てなくなる。


「母さん、母さんっ……! 目を開けて……っ」


 エリアスは歯を食いしばると、しがみつくようにシェリーさんの体を強く抱きしめる。


 そうして、この世のすべてを嘆くように痛ましい声で叫んだ。


「うわあああああああ――――っ!」



 ……これが、俺たちの……俺たちの悪夢の、はじまりだったんだ……。



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