第九十話 昔日(5)
それからは――……。
それからは、もう、思い出すこともひどくつらい出来事が立て続けに起こった……。
シェリーさんを失った怒りで我を忘れたエリアスは、かたき討ちとばかりにひとりで剣で教皇に立ち向かって――それを予測していた教皇やそれに付き従う神官たちによって、魔法を撃たれて乱暴に気絶させられてしまった。
倒れたまま動かないエリアスを、まるで荷物でも担ぐように神官のひとりが背負い、そうして教皇は、エリアスを背負った神官とふたりで転移魔法を使い、用事は終わったとばかりに言葉もなく『神殿』へと帰還してしまったんだ。
そして、部下の神官たちと一緒にその場に残された俺たちには――恐ろしい運命が、待ち構えていた。
「うわああああっ!」
「きゃああああっ!」
……それはまさに、子どもだった俺にも一生忘れられない光景だった。
神官たちは、戦う意思のない俺たち村人に向けて、容赦なく魔法を放って虐殺さながらに俺たちを皆殺しにしようとしたんだ。
村でよく狩りや釣りを教えてくれた気のいいおっちゃんたちが――、村の野菜や果物を使って作った料理を「食べていきな」とごちそうしてくれた面倒見のいいおばちゃんたちが――、俺の目の前で次々と神官たちの凶刃に倒れていく。
俺の大好きだった人たちの悲鳴と変わり果てていく姿に、俺は心が凍りついたように冷たくなって、息もできなくて、その場に立ち尽くして動くことができなかった。
(……戦うんだ、みんなを守るために戦うんだっ……)
がちがちと恐怖で奥歯を鳴らしながら、俺は自分に言い聞かせる。
――エリアスとの約束を守るんだ。俺たちがこの村を守るって決めたじゃねぇか……!
教皇に連れ去られてしまったエリアス……。
いつか、あいつのことを村のみんなで助けにいくために……!
――ここで、全滅するわけにはいかねぇ……!
強く歯を食いしばって震えを止めた俺が、腰の魔導書に手を伸ばしたときだった。
村の大人たちに目を向けていた神官のひとりが、その冷たい視線を俺に向けたのだ。
――ひッ……!
「――レオ、逃げなッ……!」
俺が息をつめたそのとき、その神官が振り下ろした手から、シェリーさんを深々と傷つけたあの光の刃が放たれた。
恐怖で、足がその場に固定されたように動かない。
そんな俺と光の刃とのあいだに――。
母さんが……俺の母さんが飛びこんで、俺を自分の体で庇うように抱きしめたんだ。
……一瞬の出来事だった。
母さんのあたたかい腕と、視界を飛び散る鮮血と、悲鳴すらもあげずに俺の肩口で母が歯を食いしばる表情と、俺の右腕を光の刃の端が切り裂いて焼けるように熱くなる痛みと――その一瞬のうちに起きたすべての光景が、フラッシュバックでもするようにゆっくりと俺の視界で展開されていった。
「――うわああああッ……!」
俺は、なにが起きたのかもわからないまま、切り裂かれた腕の痛みに悲鳴をあげる。
吹き飛んだ俺は、地面に叩きつけられて激しく地を滑った。
その俺の上に、けっして離すまいと俺の首もとをぎゅっと抱きしめた母さんが、覆い被さっていた……。
「……かあ、さっ……」
激しい痛みのなかで、なにが起きたのかをだんだんと理解していく。
母さんの生暖かい血が、どくどくと流れて俺たちの周囲に広がっていたから……。
おそらく母さんは俺をあの魔法から庇って背中に相当の傷を負ったのだと――シェリーさんのあのときの姿を見ていた俺には、わかったのだ。
「……母さん、母さんっ……!」
「……シッ、しゃべるんじゃ……ないよ……。死んだふりを……するんだっ……」
死んだふり……?
俺の上に覆いかぶさったまま、母さんが耳もとでかすれた声でささやく。
ひどい痛みに耐えているのか、しゃべるのもやっとだと……わかるような声音だった。
俺は、母さんの服を下からぎゅっと両手でつかみながら、声を押し殺して涙を流した。
母さんとの別れが近いのだと……子ども心に感じていたんだ……。
母さんが、かすかにほほ笑む気配がした。
「……泣くんじゃないよ、男の子、だろう……。いいか、い……、絶対に、あの神官どもの気配が……完全になくなるまで、母さんの下から……動くんじゃないよ……」
うん、うん、と母さんの指示に必死にうなずく。
母は、安心したようにふっと笑った。
「……怖いことなんて……なにも、ないからね……。あんたは、母さんが……、絶対に守ってやる……から……」
――この命に……代えても。
母が、本当に小さな声でそう言った気がした。
目をみはってさらに涙をこぼす俺を、母が慈しむように抱きしめる腕に力をこめる。
「……エリアスを……守っておやり……。あの子には……あんたが必要、だろうからね……。……あんたにも、特別な血が……流れているんだ……。あたしたちの……村の祖先は……伝説の魔法使い……レナード様……なんだからね……」
レナード様……?
――そうだ、このとき俺は、たしかに母の口からレナードの名を聞いていたのだ。
俺たちの村は、もともと、創世暦時代にレナードが身を寄せていた集落だった。
そこの村人である俺たちは、彼の血を受け継いでいたから魔法に長けていたのだ。
俺が、のちにサトクリフから託されることになる、レナード・ゲインズの聖遺物である聖短剣を扱えたのは、俺がレナードの血筋だったからだった。
母は明言こそしなかったが、俺の父親はレナードの直系にあたる家系の出で、俺は村のなかでもとりわけレナードの血を色濃く受け継いでいたのだ。
母は、最期の言葉とばかりに、俺の髪をそっと撫でながらささやく。
「……あんたはかならず生き延びて……レナード様のような……最強の魔法使いに……なるんだ……。そして……勇者の魔法使いに……なって……エリアスと……この世界を守るんだよ……」
わかった、と答える代わりに、俺は肩口にある母さんの頬に自分の頬をすり寄せた。
母さんは、満足そうに笑った。
「……あんたのことを……ずっと見ているからね……。さぼるんじゃ……ないよ――」
……それが、母の最期の言葉だった。
なんとも母らしい言葉を残して、母は……動かなくなった。
俺は歯を食いしばって涙を流しながら、絶対に物音を発するまいと耐えた。
……どんどんと冷たく重くなっていく母の腕のなかで、守られながら――……。
――……どのくらいの時が、経っただろう。
時間の感覚も、物事の感覚もなくなってきたころ、神官たちの気配が消えた。
おそらく、もう生き残っている者は誰もいないと判断したのだろう。
それでも俺は油断せずに、じっとその場を動かなかった。
母さんに、村のみんなに守ってもらった命を、絶対に守りたかったから。
そうして、完全に物音もなにもかもがしなくなって、小鳥のさえずりが聞こえて、やさしい風が場内を吹きぬけはじめたころに、俺はそっと母の体の下から這い出た。
(―――……っ!)
……そこには、心をえぐられるような凄惨な光景が広がっていた。
じいちゃんも、村の人たちも、みんな血だらけになって草むらに横たわっていた。
誰ひとり動いている人はいなかった。
そして、呆然と座りこんだまま後ろを振り向けば――俺たちの村が、家々が、無残なほどに壊されて崩壊していた……。
母さんと、じいちゃんと、エリアスと、シェリーさんと、村のみんなとのたくさんの思い出がある俺の生まれた村だった。
それが、こんな姿になるなんて、こんなひどいことになるなんて、これは夢だって思いたいくらいだった。
……けれど、誰もいない。
母さんも、じいちゃんも、エリアスも、シェリーさんも、みんなみんないなくなってしまった。俺は、ひとりになってしまったんだ……。
「……ちくしょうっ……」
それでも、負けるわけにはいかなかった。
生き残ったのは、俺だけだ。
俺がくじけたら、そこですべてが終わってしまう。
俺は、村のみんなの思いを託されたんだ。
――しっかりしろ、レオ……!
俺は自分にそう言い聞かせて、立ちあがろうとした。
けれど、神官の魔法によって傷つけられた右腕からの出血が多かったからか、視界がぐらりと歪んで、その場にずしゃりと倒れ伏した。
……視界がぼんやりとかすんでくる。
草の上に倒れているみんなの姿が、薄れていく意識と、涙でにじむ視界のなかでうっすらと映し出されていた。
――ちくしょう、起きあがれ、俺……!
こんなところで倒れている場合じゃないとわかっているのに、体がいうことを聞かない。
くやしくて、情けなくて、俺は腕を伸ばして地面に指を食いこませた。
立ちあがれ、立ちあがるんだっ……!
ぐっと歯を食いしばって腕に力を入れたけれど、体は動かなかった。
ひどくだるい体が重しのように感じられて、意識が引きずり込まれて失われていく。
(……くそっ、こんなところで……!)
――涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ぐっと歯を食いしばったそのときだった。
「誰かッ……! 誰か生きている者はいるか……!」
いままで聞いたことのない男声が、意識を失いかけていた俺の耳に飛びこんできた。
不思議と、信じられる人の声だと思った。
俺は無我夢中で声をあげていた。
「……い、る……! た、すけて……助けて……! ここに、生きて――」
必死に叫んだつもりが、かぼそい声しか出ずに、むしろまったく声にならなかった。
なにか音が出るものをと思ったけれど、そんなものはなく、俺は代わりに、亡きじいちゃんに教わった閃光を放つ魔法を詠唱した。
それは、細々とした光ではあったけれど、自分が思っているよりもずっとまばゆい一瞬の光を放って――それに気づいてくれたその人が、俺に駆け寄ってきてくれた。
「――坊主! 生きているのか、意識はあるか!?」
その人はその場に膝をついて、鍛え上げられた腕で俺を抱え起こしてくれた。
黒い短髪に口もとに包帯を巻いた男性――いっさい年をとらずにいまと変わらない容姿をしたその人は、ギルフォード……いずれ俺の育ての親になってくれるじっちゃんその人だった。
かすかにうなずいた俺に、じっちゃんはほっとしようにほほ笑んだ。
「……ああ、よかった……。おまえは無事だったんだな。このような小さな子にまで手にかけるとは……教皇は血も涙もないような男だな……」
悲しげに言って、じっちゃんは俺の腕の傷に目をやる。
「ああ、これはいかん、結構な深手だな。――痛かろう。よくぞ、ここまで耐えた。俺がおまえを助けてやる、もう、大丈夫だ」
じっちゃんがいたわるように言って、俺の頭を撫でてくれた。
そのたくましい腕のなかが安心できて、俺は、知らず知らずのうちに緊張を解いて体から力が抜けていて、うとうとと眠るように意識を失いかけていた。
そんな俺を抱きあげようとして、じっちゃんがふと自分の腰に吊るしていた短剣に目をやる。その短剣が、わずかに銀の光を発光させていたのだ。
「――む? 聖短剣が、光って――……まさかおまえ、レナードの血筋の者なのか!?」
レナード……?
ああ、母さんが、そんなことを言っていた気が――……。
「……これも運命というものなのか。ここで継承者を見つけるとは……。――ともかく、急いで魔王城におまえを連れていく。出血多量だ。このままではおまえの命が危ない」
魔王城という言葉が聞こえた気がしたけれど、朦朧としていた俺にはなにも判断できなかった。
じっちゃんにすべてを任せるという意思で、俺は、自分なりにはっきりとうなずいた。
「――よし。俺たちと一緒に来い、レナードの末裔。きっと、魔王様がおまえを助けてくださるからな」
じっちゃんは力強くそう言うと、俺を抱きかかえてその場で転移魔法を発動した。
村の大人たちよりも、神官たちよりも鮮やかに、一瞬で展開させていた。
――ああ、この人はすごく強い人なんだろうな――……。
俺はそんなことを夢心地のなかで思いながら、じっちゃんの腕のなかで気を失った。
こうして幼かった俺は、生まれた村も、母親も、じいちゃんも、親友もなにもかもを失い天涯孤独の身となって、数奇な運命のなかでじっちゃんに助けられ、魔王城に行くことになったんだ――……。




