第八十六話 昔日(1)
――俺が、魔王の弟……?
その信じがたい話を聞かされたあと、頭が整理できずに思わず食事の間を飛びだしたレオは、中庭を臨むように造られている白いテラスの隅っこにひとりで腰をおろしていた。
「冗談きついぜ……」
魔王城に来れば自分たちの知らなかった多くの事実を知ることになるだろうとは思っていたが、まさかそのひとつが自分に降りかかってくるとは思わなかった。
自分は魔王の魔力を受け継いでいる、だから常人が扱えないような超級の魔法もばんばん連発することができるし、消費した魔力の回復も異常に速いのだと……。
そう説明されれば、納得せざるを得なかった。
たしかに自分はその両方を兼ねそろえていて、自分自身でも不思議に思っていたくらいなのだから……。
(だとしても……)
自分が魔王の兄弟にあたる立場だったなんて、誰が想像できただろうか。
自分はこれから、どう生きていけばいいのだろう。
いままでと同じように、普通の人間として、人間社会で生きていっていいんだろうか――……。
「ああ、やっぱりここにいたんだね、レオ」
「エリアス……」
悶々と考えをめぐらせていたレオが、背中側からかけられた声に振り返ると――そこには、飲み物の入った銀のゴブレットをふたつ持ったエリアスが、遠慮がちにほほ笑んで立っていた。
「よかったら、となりいいかな? 少し、話さないか?」
「ああ……」
生返事で答えたレオに、エリアスは少し苦笑したあと、レオのとなりに腰をおろした。そうして、持っていたゴブレットのうちのひとつをレオに差しだす。
「どうぞ。はちみつ酒だよ。レオ、甘いの好きだろう?」
「ああ、ありがとな」
笑ってそれを受けとって、一口飲んだあと、レオはエリアスと並んで夜空を見上げた。
魔王から聞かされた、自分が魔王の魔力を受け継ぐことになった経緯の顛末は、自分がじっちゃんと山奥で暮らすようになるよりももっと前――忘れていた記憶の部分――に隠されていた。
自分の幼少期は、予想もつかないくらいあまりにも突飛で……悲しい過去だったのだ。
忘れていたほうが幸せだったのではないかと思えるくらいに……。
そして、驚いたことに自分の幼少期には当時のエリアスも関わっていたのだ。
それは嘘のような真実の出来事で――。
これから少しだけ、当時の自分とエリアスの過去を、魔王から聞いた話を基に思い出せた範囲で語らせてもらいたいと思う。
自分が生まれたのは、地図にも載っていないような大陸の山あいにある小さな村で、自分はその村の村長の孫だった、らしい。
そしてその村は、エリアスが生まれた村でもあった。
そう、自分たちは……ふたりとも記憶を失っていただけで、正真正銘の幼なじみだったんだ――……。
* * *
※レオの回想
――約二十年近く前。
山間部の高地に、深い森に身を隠すようにひっそりとある小さな村に生まれた俺は、元気で活発な手に負えないようなわんぱく小僧だった。
当時の俺はまだ物心ついたばかりで、唯一の関心ごとといえば、おとなりの家で暮らす年の近い男友達とあっちこっち散策にいって遊ぶことだった。
それは今日も例に違わずで、自分の家の屋根裏部屋で窓から差しこむ朝日で目を覚ました俺は、布団をはねのけると、はしご段を駆け降りて階下にいる母親に声をかけた。
「おはよう、母ちゃん! 腹へったー! 今日の朝めしなに?」
古びた木製の台所で、石かまどの上でシューシューと白い湯気を立てている鉄鍋を見ていた俺の母親が、あきれた顏で腰に両手を当てて振り返る。
「おはよう、レオ。あんた、毎朝毎朝腹へった、しか言うことがないわけ? 少しは早く起きて母さんを手伝ったらどうなの」
まったくこの子は、とぼやきながら、駆け寄った俺の頭を母さんが笑顔で小突く。
これが、幼少期の俺の日常の光景だった。
このころの俺は、この村の村長をしているじいちゃんと母親の三人暮らしで、父親は高名な魔法使いでどこかの偉い学者だったらしいが、研究分野の探求の旅と称して長い旅に出て行ったっきり、帰らぬ人となっていた。
俺が物心つくまえから父親はいなかったから、俺にとっては父親の存在なんて大して関心もなかったんだが、俺は父親似で黒髪で青い目をしている――ということだけは知っていた。
そう、俺は本来、いまのような紫色の目じゃなく、青い目だったはずなのだ。
どうしていまは紫色なのか、どうしてそのことを忘れていたのかわからないが、ともかく、俺はじいちゃんと母親と三人でつつましく暮らしながら、将来はじいちゃんの後を継いで村の村長になるべくのびのびと育てられていた。
母親がよそってくれたじゃがいものスープに黒パンの朝ごはんを食べ終わった俺は、ごちそうさまを言ってすぐに立ちあがった。
「母ちゃん、これからエリアスんとこ遊びに行ってきてもいい? 今日は、近くの小川でふたりで釣りしようって約束してんだ!」
にしし、と笑って母親とじいちゃんを見やると、ふたりは顔を見合わせてから、やさしくほほ笑んでうなずいた。
「いいよ。あんたは本当にエリアスくんと仲良しだねえ。この村には子どもが少ないからね、いいお友だちができてよかったねえ」
「気をつけていってくるんじゃぞ。エリアスくんと、シェリーによろしく言っておくれ」
「はーい! いってきます!」
俺は母親とじいちゃんに手を振ると、外出用に少しの食べ物の入った皮袋と、水の入った水筒を持って家を飛びだした。
エリアスとは――いわずと知れた今代の勇者エリアス・リーランドのことなんだが、俺は記憶を失っていたおかげで今の今まですっかり忘れていたが、エリアスは俺と同じ村に生まれて、そして俺のおとなりの家に住んでいた。
当時の幼かった俺は、エリアスが伝承に謳われる『勇者』だとは知らなかったが、それは俺には知らされていなかっただけで、母親もじいちゃんも、村のみんなが知っている周知の事実だったらしい。
というのも、エリアスには父親がいなかったから――そう、俺のようにいなくなってしまったのではなく、エリアスには本当に父親というものが存在しなかったのだ。
今だからこそわかるんだが、エリアスは処女懐胎という神秘的な方法でこの世に生を受けていた。
処女懐胎というのは、若い女性が男女の交わりなく、女神の恩恵によって胎内に子どもを宿すことをいう。
エリアスの母親――シェリー・リーランドは、創世の女神のお告げを受けて、乙女のまま、『勇者』として生きる宿命を背負った男の子を身ごもったのだ。
それを裏づけるように、シェリーさんは薄茶色の髪に焦げ茶色の瞳をしているのにも関わらず、エリアスは見たこともないほどに黄金に輝く髪と、透きとおった緑色の目をしていて、神のうつし身かと思うほどに端正な容姿をしていた。
この世の人とは思えないほど浮世離れしたエリアスは、いま思えばたしかに俺たち普通の人間とはどこか違った存在だった。けれど、村の人たちはエリアスを特別扱いすることもなく普通の村の子どものひとりとして接していたし、俺にとっても同じ村で暮らす数少ない男友達のひとりで、一番仲の良い幼なじみだったんだ。
俺はいつものように、木陰にある舗装されていない土くれの道を走り抜けて、木材と灰色の石を積み上げてできたエリアスの家へと駆けこんでいく。
「エリアース! エリアス! 遊ぼうぜ!」
木製の扉に備えつけられている呼び鈴をカランカランと豪快に鳴らすと、中から階段を駆け降りてくる音が聞こえて、扉を開いてエリアスが顔を覗かせた。
簡素な麻のシャツにズボン姿のエリアスだったけれど、大きな緑色の目に金の髪は、やはりどこか普通の村人ではない、妖精じみた雰囲気がある。
そのエリアスが、俺を目に入れるなり綺麗な顔をほころばせた。
「レオ、おはよう! 今日は裏の森に釣りに行くんだったよね? 俺、今日こそはレオより多く釣ってみせるよ」
「どうだかな。だいたいおまえ、鈍くさいからいっつも魚に逃げられてんだろ。魚が竿に掛かったら、ぼーっとしてないですぐ釣り上げろよ」
「それは、わかっているんだけれど……」
むう、と膨れてみせるエリアスの肩を、俺は笑いながら軽く叩く。
エリアスは俺よりふたつ年上だったが、俺よりもよっぽど鈍くさくて、どこか抜けていて、俺のほうが兄貴分みたいな風を吹かせていた。
世間知らずのエリアスは、俺が世話を焼いてやらないと、なにをやるにしても要領を得なかったり、失敗ばかりしていたんだ。
そんなエリアスを、仕方ねぇな、って言いながら前に立って連れ回すのが、このころの俺の日課だった。
「あら、レオくん、いらっしゃい。エリアスのことをよろしくね」
優しい声音がして、奥の台所からエリアスの母親――シェリーさんが歩み寄ってきた。
淡い茶色のやわらかい髪を片側でひとつに結わえていて、やさしそうな眼差しに細身で上品な雰囲気のシェリーさんは、俺にとって憧れのお母さんといった感じの人だった。
自分の母親が気の強い活発なタイプで、シェリーさんとは正反対だったから、余計にそう感じたのかもしれない。
けれど、当時はさして疑問に思っていなかったが――エリアスとシェリーさんは、親子とは思えないほどにまったく似ていなかった。
養子にもらったのだ、と聞いたら納得してしまいそうなほどに……。
とはいっても、シェリーさんが処女懐胎でエリアスを授かったなんてこと、当のエリアス本人も俺も知らなかったから、俺たちは彼女が誰か想い人と結ばれてエリアスが生まれたのだということを疑ってはいなかった。
シェリーさん本人も、エリアスに話すべきときがくるまでは、本人に言う必要はないと考えていたのかもしれない。
シェリーさんは俺たちの真横までやってくると、抱えていたふたつの皮袋をエリアスと俺にそれぞれ手渡した。
「ほら、今日のお弁当を作っておいたから、お腹が空いたらふたりで仲良く食べなさいね。パンとチーズと干し肉、それから乾果を入れておいたから」
「ありがとうございます、シェリーさん!」
「ありがとう、母さん!」
お礼を言って皮袋を受けとった俺の目の前で、エリアスも母親に向ける無邪気な笑顔を浮かべている。
いま思えば、このころのエリアスは、普通の子どもと変わらないように表情豊かで、笑ったり怒ったりしていたのに――いつの間に、あんなに自分の心を隠して能面のように笑う大人になってしまったんだろう……。
そうしてシェリーさんに手を振って出発した俺たちは、村のすぐ裏に流れる小川まで足を伸ばしていた。
ふたりで鼻唄を歌いながら、頭上の枝葉のあいだから光が散らしたように差しこむ風景のなか、枯れ葉で踏み固められた木陰の山道を登り、足もとの岩場を慣れたように軽々と飛び越えていくと、やがて空が開けた場所に出た。
そこには、周囲の山々からの清水が流れ込む小川が広がっていた。
流れは速いが深さはなく、水も透きとおっていて、岩と岩の窪みに溜まっている流れの緩やかなところには、魚が何匹も泳いでいるのが見てとれる。
「お、今日も大量に釣れそうだな! エリアス、このへんにしようぜ!」
「うん!」
うなずくエリアスを連れて、俺たちは川べりにあるひと際大きな石にふたり並んで座り込む。
そうして背負っていた自作の釣り竿を構えて、竿の先にエサをつけて、さあそれを水面に下ろそうとした――そのときだった。
ひや、と、なんだかわからないけれど、背中にぞっと鳥肌が立つような気配を感じて、俺は思わずエリアスを見やった。
それはエリアスも同じだったようで、エリアスは表情を強張らせると、息をひそめている俺と視線を合わせる。
――何かが、いる……っ!?
その刹那、グルルルルル、と得物を狙う獣が喉を鳴らすような唸り声が聞こえて、俺とエリアスは弾かれたように後ろを振り向いた。
「ひっ……!」
目に飛びこんできた光景を見て、俺は思わず恐怖で喉を鳴らした。
そこには、目を血走らせ、食いしばった鋭い牙のある口から唾液を垂らした灰色の狼の魔物が、ざっと見ただけでも五匹以上、俺たちのいる岩場の背後にある森から姿を現したのだ。
「なん、なんでっ、こんなところに魔物が―――……っ!」
俺は緊張でがちがちと歯を鳴らしながら、震える声で言う。
いままで一度たりとも、このあたりで魔物が出たことはなかった。
そうというのも、俺たちの育った村は山奥とはいえ優秀な『魔法使い』が多く、以前に村が魔物に襲撃されそうになったときに、村人みんなで強力な魔法を用いて魔物を一掃したとじいちゃんから聞いていたのだ。
それ以来、魔物はこのあたりをうろつかなくなっていたはずなんだが――……。
「わからない……けれど、もしかしたら……俺のせいかもしれない」
「どういうことだよ……?」
狼の魔物に視線をやったまま神妙に言うエリアスに、俺は首をかしげる。
このときの俺は、エリアスが『勇者』なのだと知らなかったから――。
『勇者』は魔物に狙われるものだと、魔物を呼び寄せてしまうものなのだということがわからなかったのだ。
エリアスもその事情を知っているわけではないのか、戸惑ったふうに首をふった。
「……俺も、よくはわからないんだけれど、母さんが、貴方は特別な運命を背負って生まれてきたのだと、そのせいで魔物を引きつけてしまうから気をつけなさいと言っていたんだ。なにかあれば、自分の身と、そして一緒にいる人を――レオを守りなさいと言っていた。だから俺――」
いままで見たこともないほど大人びた表情でエリアスはそう言うと、腰の皮ベルトに差しこんでいた短剣をすらりと引き抜いた。
「だから俺、レオと自分を守るために戦う。大丈夫、俺、みんなには言ってなかったけれど、ひそかにずっと剣の練習をしてきたんだ。それに俺は、母さんのいうその特別ななにかがあるからか、普通の人よりも、ずっとずっと、強いんだ」
エリアスは俺に向かって力強くほほ笑んでみせると、剣を構えて、岩場を蹴った。
たったそれだけなのに、エリアスは蝶が舞うようにひらりと宙を飛んで、一気に狼たちのいる草むらの目の前に降り立ったのだ。
「すげぇ……」
そのあまりの跳躍力に、俺は無意識にぽつりとつぶやいていた。
そしてはっと我に返ると、俺も岩場を軽快に飛び越えて、エリアスの少し後方へ並ぶ。
腰にくくりつけていた小さな物入れを開けると、そこから日々持ち歩いている魔導書を取りだした。
「エリアス、俺も一緒に戦う! 俺だって、じいちゃんに教わって、少しだけ魔法の練習してたんだ。援護するぜ!」
俺たちの村は、代々優秀な『魔法使い』を排出してきた――そう、魔法の研究者となって探求の旅に出てしまった俺の父親のように。
俺もその血を引いているからか、魔法の上達が早く、なにより魔法を学ぶのが好きだったから日々の修練を怠っていなかったのだ。
それが、こういった形で役に立つとは思わなかったけれど……。
エリアスは俺を少しだけ振り返ると、嬉しそうに笑んだ。
「ありがとう、心強い! それじゃあ、サポートは頼んだよ!」
「おう、任しとけ!」
俺の返事を聞くや否や、エリアスが短剣を構えて地を蹴って、目にも留まらぬ速さで魔物の群れに突っ込んでいく。
その勇敢な姿に圧倒されながらも、俺も魔導書を開いて、当時もっとも得意としていた風の魔法の詠唱を始めた。
そう、これが、俺がはじめてエリアスの『勇者』の力を目にした瞬間だったんだ――……。
エリアスとレオの少年時代です。
レオの回想がもう少しだけ続きます。




