第七十九話 試されるとき
「いよいよ、だな……」
魔王城の最上階に据えつけられた魔王の間。
その脇に造られている、石細工の円柱の立ち並ぶバルコニーにたたずんだ魔王は、ひとり、ここから遠く離れた地で起ころうとしている物事に意識を向けていた。
ナコを通して勇者たちに託した、魔王城への転移魔法を可能にする手鏡――それが、勇者の魔法使い……レオ・ゲインズによって今まさに発動されようとしている。
それが成功した暁には、いよいよ、勇者と魔王が対面するときがくるのだ。
(本来ならば、そこで魔王が勇者によって倒されるのだが――)
第二十七代目の勇者と魔王が生まれ、アキとナコの姉妹がその片腕に選ばれた今代は、歴代のように悠長に創造エネルギーの補填をしている場合ではなかった。
アキとナコに宿るこの世界の破壊をもくろむ月の女神の猛攻――それを、勇者勢と魔王勢で協力し、阻止しなければならないのだから。
(かならず、成功させなければ……)
月の女神の魔の手から、自分の大切な人――ナコを、守るために……。
様子をうかがうように、自分の魔王の玉座にぐったりともたれかかっているナコを振り返ったそのときだった。
「ケルちゃん……?」
彼女がうっすらと目を開いて体を起こそうとしたので、魔王は黒いマントをひるがえして彼女のもとに歩み寄る。
「ナコ、無理をするな。まだ本調子ではないだろう」
「うん……でも、このまま自分の体を月の女神様のいいようにされて、ケルちゃんやエリアス様、お姉ちゃんたちに迷惑をかけるわけにはいかないから……」
そう言ってナコは弱々しく笑ってみせるが、その顏は青白い。
彼女は、自身の中に月の女神の力だけではなくその魂――人格までも宿ってしまったことと、月の女神が創世暦時代のいさかいの恨みから、この世界の存在そのものを消し去ってしまおうとしていることを知っていた。
だから、自分がなんとしても月の女神の人格を抑え込まなければと、ひとりで気負っているのだ。
以前、彼女の人格が月の女神の人格におし負けて、月の女神のそれが彼女の体を乗っ取ったことがあり、そのときに対峙したヨハン・クラレンスに大怪我を負わせてしまったことを彼女はとても後悔して恐れているのだろう。
二度とあのようなことが起きないようにと、彼女はそう心に誓っているのだ。
けれど、ナコの潜在意識のうちにひそんでいる……ある意味、二重人格ともいえる月の女神の存在を、ナコ自身で完全に制御することは難しいのではないだろうか……。
(……むしろ、月の女神の人格が、いずれ本来のナコの人格を表に出てこられないように圧力をかけるのではないかと、そちらのほうが気がかりなのだ……)
魔王のもつ太陽の女神の力をこめた指輪を彼女に身につけさせることで、相反する力でもって月の女神の人格が浮上してくるのを抑制してはいるが、それだってあのときのようにいつ打ち破られるかわからない。
ナコを守るためにも、早めに月の女神と決着をつけなければいけないのかもしれない。
「ケルちゃん……?」
思案にふけって黙り込んだ魔王を心配するように、ナコがこちらを覗き込む。
魔王は、彼女を安心させるために形のいい唇でふっと笑ってみせた。
「まあ、そう案ずるな。もうすぐおまえの姉や勇者がここにやってくる。そうなれば、いよいよ私たちの反撃開始だからな。それまでは、ゆっくりと体を休めて英気を養っておくといい」
手を伸ばして彼女の頭にぽんと触れると、彼女がうれしそうにほほ笑んだ。
「うん……! ありがとう、ケルちゃ――」
「魔王サマっ! ジェント・サトクリフ、ただいま戻りましたーっと!」
ナコの台詞をさえぎって能天気な声が響いたかと思うと、突如として中空の空間が割れて、そこから黒に赤いふちどりのある丈の長いマントをなびかせたサトクリフが軽やかに降り立った。
ナコの頭に手を置いたままの体勢でいる魔王と、それを受けている彼女の姿をまじまじと見るなり、間が悪そうに後ろ頭をかく。
「あらら、すいませんねェ、お邪魔しちまったみたいで! ――ナコ嬢、はい、お土産!」
形だけ謝っているがさして気にした様子もなく、サトクリフはナコの足もとにうやうやしくひざまずくと、マントの内側からかわいらしい小袋に包まれた菓子を取りだした。
「近くの町で名産だった、砂糖漬けのナッツを練り込んだ焼き菓子だそうです。ナコ嬢に少しでもお元気になってもらいたいと思いましてねェ、買ってまいりました!」
どうぞ、と両手で捧げ持つサトクリフに、ナコはうれしそうに身を乗りだす。
「ありがとぉ、サトクリフ! 早く元気になれるように、わたし、がんばるね!」
「なんと健気な……!」
大仰に片手を口に当てて目をうるませるサトクリフに、魔王は短く嘆息して目を向ける。
「……それでサトクリフ、『神殿』側の動きについて調べはついたのだろうな?」
「ええ、ええ、もちろんですとも魔王サマ! どうやらあの連中、やっぱりレオ様の転移魔法を妨害するようですぜ。『学府』の新米教師として、ひとり息のかかった神官を間者としてまぎれこませているようで……」
「ふん、やはりそのようなことだろうと思った」
レオ・ゲインズが『学府』へ入り、手鏡を使って魔王城への転移を試みるとなれば、それを阻止するために『神殿』が手をまわすことなど容易に想像できることだった。
念のため、『神殿』に神官として長らくしのび込んでいるサトクリフに調査を頼んでいたのだが、やはり確実にその動きはあるらしい。
「魔王サマ、どうします? オレ、レオ様たちの助太刀に向かいましょうか?」
立ち上がって提案するサトクリフに、魔王はゆるく首を振った。
「不要だ。『神殿』の間者程度の雑兵に妨害されるようでは、勇者側の力もたいしたことはないということだろう。そうならば、彼らの協力を得る必要などない」
ふん、と言いきってみせれば、サトクリフがなにがおかしいのか大きくふきだして笑いはじめた。
「そんなこと言っちゃって、魔王サマ、本当はレオ様と勇者殿のことが心配でしかたないくせに―――って、おわあっ!」
「うるさいぞサトクリフ! げらげら笑ってないでさっさと『神殿』の監視に戻れ」
腹をかかえて笑っているサトクリフを、ちょっとした魔法弾を飛ばして黙らせる。
それを軽々とかわしたサトクリフの後方で、魔法弾が被弾したガーゴイルの銅像が粉々に粉砕されて飛び散った。
それを冷や汗とともに振り返ったサトクリフが、わざとらしく足を踏み鳴らして言う。
「あっぶねェ――! 魔王サマ、そうやってすぐに器物損壊するのやめてもらえますか! 魔族だって湯水のように予算があるわけじゃないんですからねッ!」
まったく粗忽者でやんなっちゃう、などとふざけたことをぼやきながら、サトクリフがぷりぷり怒った様子で両手を腰にあてた。
「まったく、今日という今日は言ってやりますが、魔王サマはオレの扱いがぞんざいなんですッ! だいたいですね、勇者殿の力を顕現させにいったあのときはオレ様マジで死にかけたんですからねッ? 勇者殿のアキちゃん大好きっぷりは、もうなんつーか、この世界よりもアキちゃんのほうが大切なんじゃねェのってほど過剰で……!」
思いだすだけでもあの豹変ぶりはおそろしかった、とサトクリフが身震いしている横で、ナコが目を輝かせる。
「そっかぁ! お姉ちゃん、エリアス様にすごく大切にしてもらってるんだね!」
「いやナコ嬢、オレが言いたかったのはそこじゃなくて、いかにオレ様が危ない目にあったかっていう――」
ごちゃごちゃと言っているサトクリフを押しのけて、魔王は椅子に腰かけているナコの前に進みでると、彼女の手をそっとすくうようにとった。
「ナコ、私だっておまえのことを、その……、この世界のどんな万物よりも大切に想っているぞ。おまえの姉を想う勇者に負けないくらいな」
「万物ッ……!」
なんとも魔王サマらしい表現、とまたふきだしそうになっているサトクリフを、もう一度魔法弾を飛ばして黙らせていると、そんなこちらのやりとりには気がまわらない様子でナコが心配げに口を開く。
「……ねえケルちゃん、お姉ちゃんたち、大丈夫かなあ……」
さきほどのサトクリフと自分の会話を聞いていて、これから転移魔法を使う勇者たちのことが気がかりになったのだろう。
魔王は目もとをほころばせてナコに笑いかけてから、立ち上がって魔王城から見える夕暮れどきの空に視線を向けた。
「――心配するな。おまえの姉も勇者も、そしてその仲間たちも、多くの困難を乗りこえてきた立派な者たちだろう。信じて待っていれば必ずここへやってくるはずだ。私たちは、彼らを出迎える準備をしておこうではないか」
ひとまず魔王城の大掃除から手をつけなければならないな、と唇を持ち上げて笑えば、ナコが楽しそうに声をたてて笑った。
――待っているぞ、勇者。
魔王は、遠い地で今まさにここへ向かおうとしているエリアスたちをすかし見ようとでもするように、赤い目を細めて遠くを見やる。
――『勇者』と『魔王』の因縁の戦い、必ず決着をつけてみせる……!
***
いつも身にまとっている黒いローブをひるがえしたレオは、凛と顔を上げて、たくさんの人たちが待つ実験棟の広間へと足を踏みだした。
そこには、エレノアを筆頭として、『学府』の学生たちが広間の壁際に沿うように大勢集まっていて、その人垣がぽっかりと開けた部屋の中央には、おだやかにほほ笑んで立つエリアスと、そのかたわらに緊張した面持ちのアキ、彼女と反対側にいつものすました顏をしたヨハンがたたずんでいる。
見慣れたいつもの仲間たちの光景――俺の居場所だ。
エリアスたちの足もとには、エレノアたち教員が精魂を込めて作り上げ、昨日ヨハンと自分で細部までチェックを済ませた転移魔法陣が描かれている。
自分たちはこれから、エレノアや学生たちが見守ってくれている中で転移魔法を発動し、魔王城へと旅立つことになっている。
勇者が魔王城へと挑む――その歴史的ともいえる瞬間を多くの学生たちに記憶に残してもらうため、そして、万が一『神殿』側からなんらかの妨害が入ったときに外野から力を貸してもらうために、広間を埋め尽くすほどの大人数に集まってもらっているのだ。
なにも起こらずにスムーズに転移できるのが一番なんだが――おそらく、そう簡単にはいかないだろう。
そう考えていると、例の……昨夜ここへ来る途中に出会った『学府』の新米教師を名のる男がレオの目に入った。
男性教師はレオと目線があうと、応援しています、とでも言いたげにほほ笑む。
自分はどうもあの存在に胸騒ぎがするのだが、とりたててあやしい動きや目立った発言はないから、こちらから退場を願うような防衛策を講じることは難しそうだ。
とはいえ、要注意人物として警戒しておいたほうがよさそうだな……。
レオはその男性新米教師に軽く会釈をしてから、前方にいる仲間たちに歩み寄る。
エリアスはいつもながらに目もとをほころばせて笑っているが、そのぶん、エリアスの隣でどこか青ざめてかちんこちんになっているアキに目がいった。
彼女は、両手の拳を握って小刻みにぶるぶるふるえながら、やってきたレオを見上げる。
「が、がんばってね、レオ……! 私、なにもできないけど、レオの足だけは引っ張らないように気をつけるから……!」
がんばって、とあきらかに強張った顏で言うアキに、レオは思わずふきだしてしまう。
アキ、おまえ、緊張しすぎ……!
「おまえなあ、なんで俺より緊張してんだよ! 顔引きつってんぞ!」
手を伸ばしてアキの片頬を引っ張れば、図星だったのか、彼女が一気に真っ赤になる。
「そ、そんなこといったって、レオの緊張を思うと、私も心臓のばくばくが止まらないんです……! あああ、レオ、がんばってとしか言えないんですけどがんばって……!」
「はいはい、ありがとな」
ぽんぽん、とアキの頭を軽くなでる。
彼女が親身になって自分のことを思ってくれているのがうれしかった。
さっき控室で情けなくも緊張しているところを見せてしまったから、彼女なりに気づかってくれているのだろう。
アキにかっこいいとこ見せるためにもがんばんねぇとなぁ、なんて内心で笑みながら、レオはかたわらのエリアスに向き直る。
エリアスは深いきらめくような緑色の目でこちらをまっすぐに見つめると、握手、とばかりに片手を差しだした。
「レオ、駆けだしの勇者だった俺を、ここまで導いてくれてありがとう。勇者の魔法使いがほかでもない君だったから、俺はここまでくることができたんだ。どうかこれからも、俺に力を貸してほしい、いや――俺についてきてほしい」
なんの前触れもなく面と向かって真摯に言われて、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
こういう台詞を恥ずかしげもなく言えるところが、こいつの美点でもあり、天然といわれるところでもあるんだよなあ。
レオは照れているのをごまかすように、エリアスの肩をばんっと力いっぱい叩いた。
「なんだよそれ、口説いてんのか? ったく、そんなことあらためて言われなくても、おまえに邪魔だって言われても、俺は最後までおまえについていくよ。おまえの旅を見届けるのが、勇者の魔法使い――ってよりは、おまえの親友の務めだろ」
ああこんなこと言わせんなよ恥ずかしい、とぼそぼそ言いながら後ろ頭をかけば、真面目な顔をしていたエリアスが、こちらがさらに照れるほどうれしそうに満面でほほ笑んだ。
「ありがとう、レオ。俺、レオのこと大好きだよ」
「―――は、はあ? お、おまえなあ、そういうことを誰彼構わずいうな、この人たらし!」
「人たらし……?」
きょとんとして首をかしげてみせるエリアスに、レオは深々とため息をはく。
こうやってエリアスは、どんどんと頼もしい仲間たちを増やしていくのだろう。
勇者は誰よりも美しい容姿と強い力を持って生まれてくるが、そのぶん孤独で、傷つきやすくて弱い面もある――だからこそ、誰もが彼に手を差し伸べて力を貸さずにはいられないのかもしれない。
――勇者ってのは、そういう人物がなるようにできてんのかもしれねぇな……。
多くの仲間が、彼を慕い、彼のために集まるように。
「レオ、そろそろ始めましょう。――みなさん、下がってください」
ヨハンが周囲の学生たちに声を投げかけると、彼らがなるべく壁際に沿うようにはけて、レオたちの周囲を大きくあける。
――さあ、いよいよだ。
落ちつけ、俺。かならずできる。
俺は勇者の魔法使い――この世界で最強の魔法の使い手なのだから。
深呼吸をして顔を上げると、エリアスと、アキと、ヨハンがそれぞれに力強く笑んでうなずいた。
レオはそんな三人にうなずきかえすと、ナコからあずかった手鏡をアキに差しだす。
「アキ、詠唱のあいだ、こいつはおまえが持っててくれ。おまえが持っているのが一番いいと思うんだ。もう一度妹に会えるように、強く念じててくれ」
手鏡を受けとって、その柄を両手でぎゅっと握ったアキは、レオを見返して神妙な面持ちでうなずいた。
「はい……!」
レオは満足げにアキに笑んでみせると、黒いローブを払いのけるように両手を広げる。
レオの詠唱の気配に呼応して、足もとの魔法陣から光の奔流があふれはじめた。
「エリアス、アキ、ヨハン! ――行くぞ、魔王城へ!」
レオは、いよいよ転移魔法の発動を前にして固唾を呑んでいるエリアスたちに、自分に言い聞かせるようなつもりで声をかける。
(かならず……)
――かならず俺が、おまえらを魔王城に連れていってやるからな……!
いつもお読みくださりありがとうございます!
今回の本文内にある魔王の台詞「『勇者』と『魔王』の因縁の戦い、必ず決着をつけてみせる……!」は、comicoで掲載中のベストチャレンジマンガで、可苗キユ先生が魔王に言わせてくださった台詞を踏襲しておりますので、よろしければマンガもあわせてご覧いただけたらうれしいです。
→http://www.comico.jp/challenge/detail.nhn?titleNo=9535&articleNo=7




