第七十六話 コンタミネーション
緑がかった青の変わり織りのベストに白いシャツ、大きなエメラルドの宝石飾りのついたタイという、普段は絶対に着ないような気どった格好をしたレオは、窮屈な襟元を指で広げながら、研究棟の脇にある石だたみの道を早足で歩いていた。
(……ったく、俺にはこういう服は似合わねぇっての)
エレノアにうるさく言われて、一応ダンスパーティ用の礼装に着飾ってはいるものの、坊ちゃん育ちのエリアスやヨハンと違ってとてもじゃないが所作が上品とはいえない自分には、こんな見た目のひらひらきらきらした服は動きにくくて仕方なかった。
(ちくしょう、早くいつものローブに着替えてぇんだけど……!)
今すぐにでも脱ぎ捨てたい思いで、レオはエレノアたち教授陣の研究棟の裏手に回ると、木の根ででこぼこした小道を脇目もふらずに進んでいく。
鬱蒼とした木々に挟まれたこの知る人ぞ知る裏道は、他の建物とは隔絶された場所に立つ実験棟へと続いている。
実験棟というのは、その名のとおり、いわゆるやばい魔法――一般的に『禁止魔法』と呼ばれる魔法の発動を実験するための隔離された場所だ。
実験棟は、魔力量の多い強烈な魔法をばんばん詠唱実験するため、建物自体に強力な結界魔法が張られてはいるのだが、それでもなにか予期しない暴発が起きたときのために、他の教室に被害が広がらないように一般の棟とは離れた場所にひっそりと建てられているのだ。
そして、明日の魔王城への転移魔法を唱える一室もまた、この実験棟に準備されていた。
満足にあかりのない暗がりの道を、レオは歩き慣れたようにずかずかと進みながら後ろ頭をかく。
(……とりあえず、パーティに行く前に、魔法陣の最終チェックだけ済ませちまわねぇとなあ)
転移魔法の下準備はエレノアたちがしてくれているから、自分はその仕様が問題ないかどうかの確認と、少しだけ自分流に手を加えさせてもらえば、今日のところの仕事は終わりである。
それが終わってしまえば心置きなく今夜のパーティを楽しめるというもので、そのために、レオはひとりさびしく幽霊屋敷のような実験棟に向かっているのだった。
真っ暗闇の木々の小道を抜けると、やや開けた場所に出て、そこに白くのっぺりとした殺風景な建物が建てられていた。
半分森のような奥地に建てられているため、陽射しが入りにくいからか、建物の石壁は変色して陰気な雰囲気を醸し出している。
古い魔術の儀式でも行われていそうなこのいかにもな建物が、『学府』でもっとも最先端の魔法が実験されている重要な拠点なのだった。
(……ここに来んのもひさしぶりだなあ)
実験棟を囲う石壁に造られている重たげな鉄門を、きしむ音を立てて押し開きながら思う。
学生のころはエレノアの実験によくつき合わされたり、自分が月系魔法の禁止魔法――広範囲を攻撃する全体魔法を習得するためによく通ったものだから、このひと気のない不気味さも、変わってねぇなぁ、なんて思えてなんだか懐かしく感じられた。
「……さっさと終わらせて、急いでパーティ会場に行かねぇとな……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、レオはなだらかな石段の先に建つ実験棟を見すえる。
礼装に着替えてからすぐに実験棟に来てしまったものだから、自分はまだ会場に顔を出していない。
だから、あまり遅くなると遅刻がすぎるとエレノアにどやされそうだし、それに――。
(……あいつのドレス姿も、見ておきてぇしなぁ……)
レオは、ふと自分の想い人であるアキのことを思い浮かべて、自分でも気づかないうちにやさしげに頬をゆるめた。
きっと自分は、いざドレス姿の彼女を前にしたら、照れ隠しに馬子にも衣裳だなんだとからかってしまいそうだけれど、きっと、華やかなドレスを着ている彼女の姿にどきりとして目を奪われてしまうと思うのだ。
できれば、そんなかわいらしい彼女を男性としてエスコートするのが、自分だったらよかったんだが――。
(……まあ、あいつには、エリアスがいるもんな)
自嘲気味に笑んで、レオはゆるく首を振る。
アキとエリアスがいつまでも一緒にいて、二人が幸せでいてくれればいい。
自分は二人のことを支える立場でいようと心に決めたのだ。
だから、彼女が自分に、仲間として、友だちとして、飾らない明るい笑顔を向けてくれればそれで充分なのだ。
(……アキの特別な存在になろうなんて、思いあがるわけにはいかねぇんだ)
そう自分へ誓いを立てるようにして思いながら、実験棟の建物に続く白い石段をのぼり始めたときだった。
ふいに建物の細長い両開きの扉が開いて、中からこそこそと周囲をうかがうようにして、ひとりの白いローブを着た男が出てきたのだ。
(…………?)
レオは足を止めて、いぶかしげにその男を見上げる。
こんな時間に実験棟から出てくるなんて、いったい、何者だ……?
レオがどこか警戒気味に身を固くしていると、入り口の階段に足をかけた男がこちらに気づき、見るからにびくりと肩を跳ねあげた。
「あっ……! あの、こ、こんばんは……」
いかにも取り繕った笑顔であいさつをして石段を降りてくる男に、レオは表情を引き締めて対峙する。いつでも抜き放てるように、上着の裾に隠して下げている聖短剣の柄に手をかけて男に問いかけた。
「……こんばんは。疑うようで悪いんだが、こんな時間に実験棟になにか用事でもあったのか? ここは明日俺たちが使うもんで、関係者以外は出入り禁止になっていたはずなんだが……。あんたは何者だ?」
探るように低く鋭い声で問いかけると、男はキツネ目を細めてへらへらと笑った。
「ああ、君は――噂に聞くレオ・ゲインズ君ですね。僕は、今年から『学府』に採用された新米教職員です。明日の転移魔法の下準備のお手伝いをさせていたただいたので、自分が担当した部分に間違いがないか最終確認に来ていたんです。貴方も確認に来てくれたのですか?」
新米教職員……?
まだ年若い男の、病的とも思えるほどに白い顏を見返す。
たしかに見たことのない顏だが、そのまま鵜呑みにして信じてもいいものか……。
(……まあ、あとでエレノアに確認すればいいか)
早く魔法陣のチェックを終わらせないとパーティに遅れちまう、という考えが頭の片隅にあった自分は、ここでこの男を尋問している時間が惜しかった。
それに、この場で男を問いつめたとしても、『学府』にひさしぶりに帰ってきた自分には、男の話の信憑性をすぐに確かめる術がないと思ったのだ。
(まあいい、とりあえず後回しだ)
気が急いていた自分は、そう結論づけると、その男にあまり注意を払うことなく、男の質問にうなずいてみせた。
「ああ、そういうことか。俺も魔法陣の確認に来ただけなんで、さっさと終わらせてパーティに出るつもりだ。あんたもこのあとはパーティに出るのか?」
「ええ、もちろんです。それでは、会場でお待ちしております」
白いローブの男は好意的にほほ笑むと、お疲れさまです、と頭を下げて去っていった。
(パーティに出る、か……)
公の場に顔を出せるということは、エレノアたちもあの男のことを知っているわけだから、そんなに疑うような人物ではなさそうか……?
どうにも腑に落ちない予感もするけれど、なにぶん時間がない。
レオは自分の考えを打ち消すように首を振ると、踵を返して、実験棟の両開きの扉を押し開いて中に足を踏み入れるのだった。
実験棟の入り口の扉をくぐって玄関ホールを抜けると、天井の高い広間がレオの目の前に開けた。実験棟はこの広間一室しかない造りで、古びた石畳が床一面に広がっていて、四方を囲う壁もまた石壁でできている殺風景なものだ。
部屋には調度品のひとつも置かれていないので、ここは、強力な魔法を試すためだけの用途で造られた石の箱、といった建物だった。
パッと見、目には見えないが、この建物全体に強力な結界魔法が張られている。禁止魔法をばんばんぶっ放してもけっして破られることがないように、学府の教授陣や、神殿の名うての神官たちの数十人がかりで仕上げた結界だった。
寒々しいほどに真っ暗闇の、耳を圧迫するような静けさの広間に足を踏み入れたレオは、軽く空中で指を振ってごく簡単な光の魔法を放った。すると、広間の天井高い場所に設置されているランプが次々と灯って、場内はさっきとはうって変わって煌々とした橙色のあかりで満たされる。
「さて、さっさと終わらせちまうかな……」
ランプのあたたかな光に照らされた床には、その端から端までを埋め尽くすように、赤字でびっしりと魔法陣が描かれている。ここまで異常なほどの大きさだと、ある種異様というか、不気味ささえ感じさせた。
魔王城は、自分たちの暮らしている大陸とは隔たった孤島にあるらしく、そこまでの長距離を一気に転移しなければならないから、それだけの威力を出すために、魔法陣の大きさもその内に描かれている構築式の精巧さも尋常ではないのだ。
レオは地面に膝をついてしげしげとその構築式を見ながら、問題なく式が組まれていることを確認する。
(さすがはエレノア、丁寧に描いてあるな……)
普段のあのがさつさとはうって変わった緻密さで構築式が描き込まれている。
研究者というものは、自分の興味のある専門分野には異様なこだわりをみせるが、それ以外はエレノアみたいに無頓着な感じになってしまうのだろうか……。
俺も人のこと言えねぇかも、とレオは肩をすくめながら、魔法陣の中に描かれている文字列をひとつひとつ目で追っていく。
さきほどすれ違ったローブの男が、もしかしたら文字列になにかよくない改変を加えたのでは……と危惧していたんだが、どうやらその心配もなさそうだ。
そうしてレオが床を這いながら魔法陣を確認していると、おもむろに、ぎいい、と軋む音を立てて広間の扉が開かれた。
集中して確認していたレオは、突然の来訪者に驚いてはっと顔を上げる。
「誰―――」
「ああ、やっぱりここにいましたか」
扉から顔を覗かせたのはヨハンで、彼はレオの姿を確かめて肩をすくめたように言ったあと、つかつかと遠慮なく広間に足を踏み入れて歩み寄ってきた。
「パーティ会場に貴方の姿が見えなかったもので、貴方の魔力をたどって探していたんです。レオのことですから、おそらくひとりでさびしく転移魔法の確認を行っていると思ったので。それで、首尾はどうです? 明日は問題なくいきそうですか」
ひとりでさびしく、は余計だろ、と目を据わらせて言い返そうとしたレオは、お疲れさまです、と軽くほほ笑むヨハンの格好を見て思わずぽかんとしてしまった。
「お、お、おまえ、それ、その格好っ……!」
レオは、笑っちゃいけないとは思いつつも、ついこらえきれなくて口もとを押さえながら腹を抱えて笑いだす。
「おまえっ、その格好、ぜんっぜん似合ってねぇじゃねぇかっ! なんだよそれ! なんつーか、幼い少年が背伸びして礼装を着てみました……みたいなそこはかとない恥ずかしさを感じるな……!」
笑いをこらえようとするとそれがまた逆効果で、ぶふっ、と派手に吹きだしてしまう。
傍らにって魔法陣を覗き込むヨハンの格好は、やさしい水色に金色の縁取りのあるこじゃれた上着を着ていて、ヨハンの銀髪や色白の容姿に似合っているといえばそうなのだが、どうにも顔立ちが童顔なので、礼装を着ているというよりは着られている、といった感じに子どもっぽく見えてしまうのだ。
なんでそうなっちまうかな、と悪いとは思いつつも笑い転げていると、それに憤慨したヨハンが羞恥から顔を赤くして声を荒げた。
「貴方も大概失礼な人ですね! というか、その言葉そのままお返ししますよ! 貴方だって、そんな上品な格好、全然似合っていませんが!」
うぐっ……!
言い返されてレオは言葉につまる。
それを言われちまうと、返す言葉もねぇっつーか……!
「う、うるっせぇな! だいたい、俺はパーティだの記念式典だの正式な場に出席するときは、いつもこんななよなよした礼装じゃなくて魔法使いの正装で出席してんだよ! だからこんな貴族やら資産家やらがダンスでもするような格好は着慣れてねぇの!」
「だったら言わせてもらいますが、僕だって普段の式典のときは神官の正装で出席しているんです! ですから、こんなひらひらした上着に細身のズボンの格好なんて、正直めったに着る機会はないんですよ! まったく、貴方に笑い者にされるなんて非常に不本意です。だいたい、こういう貴族的な礼装が似合うのはエリアスだけなんですよ」
お互いにまくしたてるように言いあって、そして同時にげんなりと肩を落として深々とため息を吐く。
ああやっぱり、ヨハンも職業柄、正式な場では神官の正装で出席してんだな……。
自分も、なにか公式な場に出なければいけないときは、魔法使いの正装――光沢のある黒いローブに金糸の模様のついたもの――を身につけて出ることが多いから、ヨハンもそれと似たようなものなんだろう。
気を取り直すようにヨハンがひとつ咳払いをして、こちらの手もとに視線を落とした。
「ところで、レオはなんの確認をしているんです? 構築式の間違いでも見ているんですか?」
「まあ、それもあるが……一番は、構築式の固定力を高めておきたくてな」
「固定力、ですか……。万が一、妨害が入ったときのためにですか」
勘のいいヨハンは、すぐにこちらの意図を理解したのか、声を低くして言った。
そうだ、とうなずいて返して、レオは魔法陣にそっと指先で触れる。
「……明日、転移魔法を発動したときに、もしその最中に敵対勢力に外部から干渉されたら、構築式の固定力が貧弱だと魔法陣が簡単に散逸しちまうだろ。それだけは、なんとしても避けたくてな」
構築式が崩されて魔方陣が散開してしまうと、魔法自体が発動できなくなってしまうのだ。
魔法使いが魔法を発動したときに、別の魔法使いが外部から魔法で干渉して、魔方陣を散逸させて魔法の発動を妨害することを、汚染する、という意味で自分たちはコンタミネーションと呼んでいる。
そのコンタミネーションをものともしないような、固定力の強い構築式を組める者が腕のいい魔法使いということなのだ。
レオの言葉を聞いて、ヨハンは少し悲しげに眉をひそめた。
「その敵対勢力というのは……『神殿』のことですか」
「……まあな。勇者と魔王が手を組むことを良しとしていないのは、『創世記』の内容を秘匿として伏せて、勇者を手中に収めて魔王を悪として退治させてきた『神殿』だけだろ。『王国』も『学府』も、創世記についてはまったく不知なんだからな」
魔法陣に視線を落としたまま言って、レオは言葉を続ける。
「だから、明日の転移魔法を妨害してくるとしたら『神殿』の連中の他にはいないだろうな。俺は、そいつらのコンタミからこの転移魔法を守んなきゃいけねぇ。天才魔法使いレオ様の腕の見せどころってとこだな」
「ひさしぶりに聞きましたよ、貴方のその自称」
ふふ、とヨハンが小さく笑って、レオはいたずら気に唇を持ちあげてにやりと笑った。
だから自分は、転移魔法の最終確認にきたとはいっても、どちらかというと、確認というよりは固定力を高めるために構築式を書き足しにきたのだ。
『学府』と『神殿』はお互いに不可侵であるから、『神殿』が表立って学府に干渉してくることはないだろうが、『神殿』の連中はどういう手を使って妨害してくるかわからない。警戒しておくにおこしたことはないのだ。
「……明日、何事もなければいいのですが……」
『神殿』の強行を止められないことをふがいなく思っているのか、ヨハンが唇をかみしめる。
レオは、そんな彼を横目で見やってから、明日なにごとも起こらなければいいと願って、同意するようにうなずいた。
「……そうだな」




