第七十五話 一番綺麗な君
日が傾き、夕焼けの茜色の空がだんだんと夜を迎えて紫色に変わりゆくころ――。
エレノアの研究室で、彼女が用意してくれた落ちついた青色の豪奢なドレスに身を包んだアキは、姿見の鏡に映った自分の姿を見て今にも逃げだしたくなっていた。
(こ、こんな素敵なドレス、似合うわけないっ……!)
青ざめながら、化粧台に手をついてがっくりと肩を落とす。
エレノアに借りたドレスは襟ぐりを開いて鎖骨を見せるデザインで、ふくらみのあるスカートにふんだんに使われた白のレースがドレスの青い生地を華やかに彩っている。胸もとには淡い水色の布で作った大きなリボンが揺れていて、スカートには光沢のある貝で作られたスパンコールが、星屑を散らしたようにいくつも縫いつけられていた。
ドレスだけでもとても豪華なのに、いつもはなんの工夫もなく下ろしている髪も、学府お抱えの理髪師によってひとつに結い上げられて、そこにドレスに似合いの百合の花が髪飾りとして挿されている。
さらに、エレノアが貸してくれた青い石のペンダントとイヤリングが、アキが動くたびにきらきらと美しい輝きを放っていた。
自分には分不相応なほどきらびやかな格好に、アキは鏡の中の自分を見るたびにどんどんと青ざめていく。
「……エ、エレノアさん、あの、こんなにいろいろお借りできません……!」
蚊の鳴くような声で言いながら、アキは姿見に映った自分を後ろから眺めているエレノアを振り返る。
内心では、一回でいいからこの世界のドレスとか着てみたいな……という憧れがあったから、嬉しい気持ちもあるのだけれど、それよりも汚したりなくしたりしたらどうしよう、という心配のほうが先に立ってしまった。
震えながら言うアキに、エレノアがその場でにこやかに笑んでみせる。
「あら、そんなこと気にしなくていいのよぉ。よく似合っているわ。わたしが持っていてもそんなに頻繁に使うわけではないし、こういうときにアキちゃんみたいなかわいらしい女の子に着てもらえたほうが、ドレスも宝石も喜ぶわぁ」
うふふ、と上品に笑んで、エレノアがアキに歩み寄って、その肩にそっと手を添える。
「アキちゃん、今まできっと戦いばかりで大変だったでしょう? きっと、あなたはこれからも何度も何度も厳しい戦いをくぐり抜けていかなければならないと思うの。だから、今日みたいな日だけでも思いっきり着飾って楽しんでもらおうと思ったの。わたしにできるのは、このくらいのことだけだから」
わたしの応援の気持ちだと思って受け取ってもらえたらうれしいわぁ、とエレノアが目を細めてほほ笑む。
エレノアさんって、いい人だなあ。
彼女は聡い人だから、きっと、自分やエリアスたちがそれぞれにせっぱ詰まった状況で戦っていることを察してくれているのかもしれない。
(……エレノアさんの言うとおり、今日は、おいしいお料理をたくさん食べて楽しんで、明日からの英気を養ったほうがいいのかもしれない)
明日魔王城へ向かったら、きっと、しばらくは厳しい旅が続くだろうから。
アキはそう割りきると、今日をめいいっぱい楽しもうと心に決めて、エレノアに満面で笑いかけた。
「エレノアさん、ありがとうございます! それじゃあ、今日のパーティ、ドレス姿はちょっと恥ずかしいんですけど、いつもの戦いのことを一時だけ忘れて楽しませてもらいますね!」
「ええ、ぜひそうしてもらえると嬉しいわぁ。――それじゃあ、そろそろエスコート役の王子様がいらっしゃるころだと思うから、わたしは退散するわねぇ」
またパーティで会いましょう、とエレノアは楽しげに手を振って部屋を後にする。
(――エスコート役の、王子様……!)
エレノアが言い残していったその言葉に、アキは急激に緊張がこみ上げて、どきどきと早鐘を打ち始める心臓に手を当てた。
じつはこのパーティ、男女二人組でパートナーを組み、男性がドレスアップした女性を部屋まで迎えに来て、そして男性のエスコートでパーティ会場まで行く、という決まりがあるのだ。
例年、学府の学生たちはパーティのお相手探しで盛り上がるらしく、これをきっかけにカップルができることも少なくないらしい。
そして自分はというと、恋人であるエリアスにエスコート役をお願いした……のだけれど、勇者様にエスコートしてもらうなんて、ちょっと贅沢をしすぎたんじゃないかと、今更ながらに怯えているのだ。
しかも、この、ドレスを着ているというよりはドレスに着られているという馬子にも衣裳ともいえないような格好を、ドレスを着せてくれたエレノアを除いて、一番最初にエリアスにお見せするというのは――。
(……ちょっと、ハードルが高すぎた気がする……)
エリアス、なんて言うかなあ……なんて肩を落としてため息をついたところで、噂をすればなんとやらで、とんとん、と軽く研究室の扉がノックされた。
「――アキ、俺だけれど。迎えにきたんだけれど、準備はできた?」
扉ごしにくぐもって聞こえてきたのは、たしかにエリアスの声で――彼を廊下で待たせるわけにはいかないとアキは腹をくくると、ドレスの裾を持ち上げて部屋の扉の前に行き、そっとそれを押し開いた。
(わ、わ――――っ!)
その途端に目に飛び込んできたエリアスの姿に、アキは思わず卒倒しそうになった。
エリアスは、いつもは無造作に散らしている金の髪を少し櫛をとおして整えていて、夜空のような濃紺の上着を羽織り、その下に上品なレースのついた真っ白なシャツを着ていた。襟元に巻いたタイには宝石がいくつも縫いつけられていて、エリアスの面立ちをより一層きらめかせている。
灰色の細身のズボンが彼のすらりとした長身を引き立てていて、その上から銀のバックルのついた膝丈ブーツを履いていた。
ただでさえエリアスは度胆を抜かれるほどの美男子であるのに、さらにその彼がきちんと着飾って正装した姿を見て――アキは、その王子然とした輝きに口もとを手で覆ったまま顔を赤くすることしかできなかった。
「エ、エリアス、あの、あのっ……」
どうしよう、緊張して言葉が出てこない……!
エリアスがかっこよすぎて、アキは彼を直視できなくて顔を伏せる。そのままエリアスがなにか声をかけてくれるのを待っていると、彼もまた、なぜかそこに立ち尽くしたままなにも言葉を発しない。
(エリアス、どうしたんだろう……?)
アキはこの無言の緊張に耐えきれなくなって、そっと、目の前のエリアスを上目づかいで見上げる。
「あの、エリアス……?」
そこではたと気づいた。
エリアスもまた心なしか赤い顏をしたまま、惚けたようにこちらを凝視していたのだ。
アキの問いかけに、エリアスははっとしたように肩を跳ねあげて、気恥ずかしそうに視線をそらした。
「あ、ご、ごめん! 君が、その、あまりにも綺麗だったから、驚いた、というかっ……」
赤い顏のまま慌てふためいた様子で、エリアスがしどろもどろに言う。
(き、綺麗って、私がっ……!?)
そんなわけないっ、とアキはぶんぶんと髪飾りが吹き飛びそうなほどに首を振る。
「エ、エリアスはそのっ、どきどきしちゃうくらいかっこいいんですけど、私は本当に、こんな綺麗なドレス着せてもらうの、はじめてで……! 全然似合わなくて、ほんと、どうしたらいいのかっ……」
美しいドレスに追いついていない貧相な自分が、いまのきらびやかなエリアスの隣に並ぶのだと思うといたたまれないっ……!
やっぱりひとりでこっそり会場に行こうかなあ、なんて考え始めたところで、目の前のエリアスにぐいと肩をつかまれた。
びっくりして顔をあげると、エリアスが気持ちを伝えようとしてか、必死な表情でアキにつめよる。
「そんなことはないよ! 君はとても綺麗だ。俺以外の男の誰にも見せたくないくらいに」
アキの肩に添えた手に少しだけ力を込めて、エリアスがはっきりと言いきる。
なんだか彼の持っている独占欲みたいなものを感じてしまって、アキはどきりと心臓がとびはねてしまう。
ど、どうしよう……!
恥ずかしくてうつむくアキの頬に、エリアスがそっと手をそえて上を向かせる。
間近で見下ろしてくる彼の緑色の瞳に気持ちを吸い込まれてしまいそうで、アキは惚けたように彼の美しい顔を見つめ返すことしかできなかった。
「……アキ、ひとつお願いがあるんだけれど」
かすれたようにつぶやく彼に、アキは目をまたたく。
「……なに?」
「――君のエスコート役に選ばれた男の特権で、一番綺麗な君を、もらいたいんだ」
どういう意味――と聞きかえす余裕もなく、エリアスにぐいと腰を引き寄せられたと思うと、強引に唇を奪われるようにして強く口づけられていた。
「……んっ……、エリアス、待っ……」
そのまま体を押されて、どん、と壁に背中があたったと思うと、少しだけ顔を離して、角度を変えてさらに強く唇を合わせられる。
息ができないくらい、苦しいけれど――彼からせつないくらいの愛情が伝わってくるようで、体の奥が熱くなるくらい、嬉しかった。
アキは彼の愛情に応えるように、自分を求めてくれる彼の背中に腕を伸ばして、しがみつくように力を込める。
そうして、お互いに求めあってやっとのことで唇を離して向きあうと――、ぼうっとする思考の中で、至近距離にいるエリアスが、この世界でもっとも美しい顔立ちで光が灯ったようにほほ笑んだ。
「――アキ、愛しているよ。俺は、この先なにがあっても、君を守り抜いてみせるから」
それは、これから魔王城へ行って真の敵と戦うためのたしかなエリアスの覚悟で――アキはそれに応えるように、真剣な表情でうなずいてみせた。
「私も、エリアスのことを、誰よりも愛してる。だから私も、なにがあってもエリアスのことを守ってみせる」
エリアスのことを守る、その気持ちは彼と出会ったころから変わっていない。
はじめて『王国』で彼と出会って、彼が勇者の使命を背負って張りつめたように生きていた姿を見た、あのときから――。
決意をこめて言いきると、エリアスは、ありがとう、とかすれた声でやさしくつぶやいて、軽やかな仕草でアキの足もとにひざまずいた。
「エリアス……?」
急にどうしたの、とびっくりして目を丸くすると、エリアスは膝をついたままアキの右手をそっと取って、手の甲に軽く口づける。そうして、アキの手を口もとに添えたまま頭を垂れた。
「今宵、貴女の手を取れる栄誉を私にくださったこと、感謝いたします」
それはきっと、男性が女性をエスコートするときの挨拶の言葉なのだと思うけれど――まるで騎士のようなエリアスのしぐさに、アキはなにも言えずに赤くなることしかできなかった。
エリアスは涼やかに立ち上がると、惚けたまま突っ立っているアキに片腕を差しだす。
「さあ、お手をどうぞ、お嬢様」
お、お、お、お嬢様……!
全然そんな柄じゃないから恥ずかしくなってしまうのだけれど、もうここまできたら後には引けないので、少しでもエリアスにつりあうパートナーであろうとアキは胸を張る。
ぎこちない仕草でエリアスの腕に手をとおすと、彼がこちらを見下ろして幸せそうに笑んでくれた。
(エリアス、嬉しそう……!)
その笑顔を見ただけで、なんだか心がじんわりとあたたかくなってくる。
それと同時に、いままで感じていた緊張がどこかに吹き飛んでいくようだった。
(よーし、今日は思いっきり楽しませてもらおう!)
そう自分を奮い立たせながらアキはエリアスに笑い返すと、彼と寄り添って歩きながら、パーティ会場のホールを目指すのだった。




