第七十四話 偶然と必然
「……そんな、まさか……嘘だろう……」
ルイスは、手もとに広げていた『創世記』の写本の文章を目で追って、顔を青ざめさせていた。
ここは『王国』の城内にある王宮図書館――。
見上げれば首が痛いほどに天井高い館内は、その壁を取り巻くようにびっしりと本棚が敷きつめられていて、そこには『王国』が誇る何万冊もの蔵書が取りそろえられている。
館内の端にある書見台に腰かけて、ひたすらに『創世記』を翻訳していたルイスは、そこに書かれていたまさかの史実に言葉を失っていた。
(……なんということだ……。なぜ、いままで誰もこの事実を知らなかったのだ……)
そこまで考えて、ルイスは、いや、と自分の考えを否定するように首をふった。
――皆、知らなかったのではない。
『創世記』を一任で管理していた『神殿』によって、事実が隠ぺいされていたのだ。
ここには、彼らにとってひどく都合の悪いことが書かれているのだから……。
ルイスは、今まで読み進めた『創世記』の内容を整理しながら頭に考えを巡らせる。
そもそも『創世記』を記したのは創世暦時代に革命家として活躍した『神殿』の創始者イヴァン・クラレンスではなく、エドクレスという名の男らしい。
このエドクレスという男――初めて見る名前なのだが、『創世記』によれば、どうやらこの世界を生み出した神……いわゆる、創造主という存在であるようなのだ。
創造主などという者がいたこと自体、にわかに信じられないことなのだが……この創造主を名のるエドクレスが、空や海、動植物などを生みだしてこの世界を構築し、我々が創造エネルギーと呼んでいる活力をこの世界の原動力と定め、その創造エネルギーを世界に循環させる心臓部を担う者として太陽の女神と月の女神を造りだしたというのだ。
なんとも雲をつかむような話なのだが、『創世記』はこの世界の史実が書かれている聖書といわれていて、その内容は聖なる神の言葉で事実に基づいて書かれている、とされている。
そうということは、『創世記』の内容を疑うことは神への冒涜にも等しいため、たとえすぐには信じがたい内容が書かれていたとしても、すべて真実であると信じて読むしかないのだが――……。
『創世記』の内容としては、まず、この本の第一章で創造主エドクレスが世界を創造した発端の物語が書かれていて、第二章で創世暦時代のイヴァン・クラレンスとレナード・ゲインズが起こしたとされる大規模な争いついてが書かれている。
イヴァンとレナードが争ったなど初めて知った史実なのだが、さらに、第三章でイヴァンたちの争いを原因として月の女神の力が失われる事態を招き、世界の創造エネルギーとそれを循環させる力が大きく損なわれた、と書かれているのだ。
ここまで読んだだけでも驚くことばかりで自分の目を疑いたくなるのだが、『創世記』にはまだ続きがあり、その失われた月の女神の力を補填するために、太陽の女神が急きょ勇者と魔王という創造エネルギーをその魂にもった人造人間を造りだし、彼らを地上に送り込むことによって、彼らのどちらかの命が尽きることで月の女神の力を補うこととした――といった顛末が書かれているのだ。
太陽の女神は世界の心臓部を担っているけれども、この世界に直接干渉することができないため、月の女神の喪失によって減退してしまった創造エネルギーを自分の力で補填することができず、勇者と魔王という生命体を通して干渉することにしたらしい。
(……つまり、勇者と魔王は、エドクレスがこの世界をつくった当初は存在しなかったということか)
彼らは本来は必要のない存在だったけれど、イヴァンとレナードの抗争が原因で月の女神の力が失われてしまったから、それを代用するために造られたのだ。
月の女神の喪失がなければ、あのエリアスはこの世に存在しなかったのだと思うと――それもまた、なんともやるせない気持ちになる。
では、月の女神の力を奪うほどだったイヴァンとレナードの争いとは、いったいどんなおおごとだったのだろうか……。
イヴァン・クラレンスは『神殿』の創始者だ。
『神殿』が創世記の内容をひた隠しにしたがるのは、イヴァンがなにか大きな過ちをおかしてしまったからなのではないだろうか。
この世界の心臓部である女神を傷つけてしまうような、なにかを――。
ルイスは、羽根ペンを置いて頬杖をつく。
(……なんの因果か、月の女神の力の補填のために生まれてきたエリアスと、その原因を作ったと思われるイヴァンの末裔であるヨハン、レナードの末裔であるレオ、あの三人は偶然集まったのではなく、密接な関係で結ばれているのかもしれないな……)
それを思えば、月の女神の力を発現してみせた勇者の片腕のアキ――彼女が片腕としてこの世界にやってきたのも、おそらくたしかな意味があってのことなのかもしれない。
そもそも、この世界から失われたとされる月の女神の力を、どうして異世界人であるアキが所持しているのだ。
「わからない――……」
正直、わからないことだらけで頭がどうにかなりそうだ。
自分はまだ、やっと『創世記』の冒頭部分を訳し終わったところなのだ。
とりあえず全体像だけは把握しておこうと思って目次だけは先に追ったのだが、詳細については本文を読み込まなければわからないのかもしれない。
(しかし、これだけのことを我々のほとんどが知らずにいたとは……)
無自覚というのはおそろしい。『神殿』が裏で世界を掌握している、という噂は、我々が思っている以上に深刻なものであるのかもしれない。
そして、この状況を打破しようとしているのが、今代の魔王ケルディスや、『神殿』の次期教皇候補であるヨハン・クラレンスなのだろう。そこへ、この世界の創世暦時代の人物と関連している、エリアスやレオ、アキが力を貸せば、あるいはこの世界の闇を打ち破れるかもしれない。
(それならば……)
それならば、自分も持てる力の全力で彼らを支援しよう。
我が国が味方につくだけでも、おそらくそれなりの戦力になるはずだ。
(……もしかしたら、私が勇者パーティの吟遊詩人に選ばれたのも、偶然の巡りあわせではなく、大きな意味があるのではないだろうか……)
本来の身分はただの吟遊詩人などではない自分が、エリアスの物語をつむぐ人物として選ばれたのは。
(そうならば、この生まれ持った身分をせいいっぱい利用させてもらおうではないか)
エリアスの役に立てるならば、生まれてこの方、窮屈に感じていたこの身分も喜ばしいものに思えてくる。
ルイスはにやりと口角を持ち上げると、『創世記』から視線を上げ、館内の円柱の陰に忍んでいる人陰に声を投げかける。
「――伝令係、急ぎ兄上に伝えてくれ。ルドヴィークが、極秘で会いたいと申していると」
伝令係の男は、ルイスの伝言を聞き届けると、音もなくその場から消え去った。
(……ふむ。これで少しでも『神殿』に対抗する力となればよいのだが……)
伝令係が去った場所を見つめながら短く息をはきだし、ルイスは『創世記』に視線を戻してその頁をめくる。すると、エドクレスと思わしき肖像画が描かれた挿絵が現れた。
「エリアス……?」
ルイスは、おもわずぽつりとつぶやく。
エドクレスの顔立ちは、エリアスのそれと酷似していた。
だいぶ色落ちしてしまっているが、おそらく髪は金に塗られていて、エリアスと同じくやさしく細められた瞳は、彼と違って赤で塗られていたようだ。
(……もしかしたらエリアスは、太陽の女神によってエドクレスに似せて造られたのではないか……?)
そうだとしたら、太陽の女神は、いったいなにを思ってエリアスをエドクレスに似せたのだろう――。
考え始めるときりがなくなってしまって、思考が脱線し始めていたそのときだった。
「ルーイスっ!」
「――わあっ!」
背中を思いきりどつかれて前につんのめると、音もなく背後にやってきていたらしいミーナが、困ったような顔つきでこちらをにらんでいた。
「ちょっとぉ、こんな時間までがんばりすぎでしょ! 遅いから迎えに来たのよ!」
「こんな時間……?」
はっとして、ルイスは館内にある柱時計に目を向ける。
そういえば、集中しすぎてすっかり時間を忘れていたが――。
いまはいったい何時なのだろう。
館内にある柱時計を見ると、すでに夜の二十二時近くを指している。
今日も朝食を済ませてからすぐに図書館にこもっていたから、軽く十時間以上ぶっ続けで作業していたことになる。
時間を見て現実を思いだしたからか、急に目がしばしばするような気がしてきて、ルイスはどっと疲れを感じて目もとを揉んだ。
「……そういえば疲れたな、眠い……」
「そうでしょうとも! あんたって、集中すると寝食を忘れるタイプよね! そうだと思って、宿屋のおかみさんに頼んで夜食をとっておいてもらったの。キリがいいなら、今日はこのへんで切りあげて宿に戻りましょ!」
ね、と明るく笑ってミーナがルイスの肩を叩く。
自分は本当に彼女の元気や気遣いに助けられているのだな、としみじみと感じる。
ひとりでは抱えきれないような事案も、彼女がかたわらで応援してくれていると思うとがんばれるから不思議だ。
できれば、ずっと私のそばにいてほしいと思っているのだが……。
けれど、なかなかこちらの気持ちに気づいてはくれない彼女を陥落するのは、まだまだ時間がかかりそうだ。
(私がうかうかしている間に、変な男に横からさらわれないといいのだが……)
やきもきしてしまうが、焦っては事を仕損じるという。恋愛の駆け引きは慎重にいかなければ……。
ルイスはそんなことを悶々と考えながら、『創世記』を閉じて革の鞄に大切にしまい込むと、ミーナとともに王宮図書館をあとにする。
――すべての翻訳を終えたとき、私たちは、なにを知って、そしてなにに立ち向かわなければならないことに気づくのだろうか……。




