第六十七話 夜のバルコニーにて
その夜は、宿屋のご主人の厚意でひとり一部屋を借りられることになって、アキたちはそれぞれの寝室で休めることになっていた。
アキは、ミーナに貸してもらった丈の長い寝間着に着替えて、部屋の壁際に寄せられた木製のベッドに横たわりながら、ぼうっと天井の木目を眺めていた。
エリアスが戻って来てくれて、魔族のサトクリフも仲間になってくれて、これでいよいよ自分たちは魔王城へ向かうことになるのだ。
きっとそこには、忽然と姿を消してしまったナコもいてくれるだろうし、彼女をこの宿屋から連れ去ったと思われる魔王ケルディスもいるはずだ。
そして、魔王に会えば、自分とナコに秘められている月の女神様の力と、エリアスに秘められている太陽の女神様の力の理由を、創世記の内容とともに教えてもらえることになるんだろう。
そうしてこの世界の成り立ちを知ることができれば、きっと、今は謎に包まれている多くのことがまるで数珠つなぎのようにわかってくるはずだ。
それで、すべてが判明して、自分たちが成すべきことがわかって、それをやり終えたら――自分は、ナコと一緒に元の世界に戻ることになるんだろうか。
そうしたらまた、いつもの日常に帰ることになるんだろうか。
エリアスたちと出会う前に送っていた、なんの変哲もない普通のOLだったあの毎日に。
……本当に、それでいいのかな。
そうなってしまったら、もう、みんなとは……エリアスとは、会えなくなってしまうのかな。
だって、勇者の片腕のお役御免になったら、自分には、この世界にいる理由がなくなってしまうのだから。
そう思うとずきりと胸が痛んで、アキは気をまぎらわせるように、なにを見るわけでもなく天井を仰いだ。
そうしたら自分は、大切なみんなや、大好きなエリアスと引き離されてしまうのだろうか。そうして、もう二度と、会えないんだろうか……。
(そんなのは……)
――そんなのは、いやだ。
いつまでもこの旅が続けばいいのに。終わりなんてこなければいいのに。
そんな不届きなことを思い始めてしまって、アキは首を左右に振った。そうして、飛び起きるようにして上体を起こす。
きっと、夜だから少し気持ちが弱くなっているのかもしれない。
だから、余計なことを考えてしまうのだ……。
今日は、エリアスと喧嘩をしたり、結界修復のために全力で戦ったりで、体が疲れているせいもあるのだろう。
「……少し、外の空気でも吸ってこよう」
高揚している気分を落ち着かせようと、アキは寝台から降りて、やわらかな月光の射す窓辺へと歩み寄った。
草花模様の描かれている可愛らしいカーテンを開けると、遠目に、暗く沈んだ海と、水平線を隔てて星々のきらめく深い青の夜空が広がっていた。
窓の外には手すりのあるバルコニーがある。
あそこに出て少し夜風にあたったら、気持ちいいかもしれない。
アキはそう決めこむと、掛け金をはずして両開きの窓を開けて、そっと夜空の下へと躍り出た。
途端、規則正しい海鳴りの音が耳に入ってきた。
潮風がそっと髪をさらい、同時に潮の匂いを運んでくる。
「すっごいなあ……」
穏やかな夜の景色に見とれながら、んーっとなんとなく伸びをして、手すりの近くまで足を進めた。
手すりに手を乗せて身を乗りだし、左右の景色を見渡せば、港町の広場のほうは橙色の街灯の光が煌々ときらめいていた。
もしかして、夜市でもやっているのだろうか。
中央広場は露店がたくさん並んでいたから、夜も昼間のように賑やかなのだろう。
女神様の結界を修復することで、そんな町の人びとの毎日が守れたのだと思うと、みんなでがんばってよかったなあとしみじみ思う。
とはいっても、自分の活躍なんて微々たるもので、一番は、ドラゴンをすさまじい一撃で切り伏せたエリアスや、うごめく魔物たちを花火みたいな魔法で一掃したレオ、女神の結界を鮮やかに修復したヨハンの力あってこそだ。
――やっぱりエリアスたちってすごいなあ……。
自分ごときが追いつけるような人たちではないから当然なのだが、それでも、今回のことをとおして、彼らと自分の実力の違いを思い知らされるのだった。
(……私、いつになったらみんなみたいに強く戦えるようになるのかなあ……)
自分の中にある月の女神様の力をもっと引き出せるようになれば、違ってくると思うんだけど。
手すりに頬杖をついて小さく息をはいたそのとき、頭上からひどく聞き覚えのある声が降ってきた。
「アキ、眠れないの?」
――へ?
アキはびっくりして、声が降ってきたと思われる頭上を見上げる。
そうして見上げた先、ちょうど宿屋の屋根にあたるところから、エリアスがひょいと顔を覗かせていた。
「エ、エリアス?」
なんでそんなところに?
やあ、と言わんばかりに屋根からこちらを見下ろして手を振っている彼は、夜の月あかりを受けて、もともと金色の髪をいまは冴えた銀色のように照りかえしている。
エリアスは、ぽかんと口を開けているアキを見下ろしながら、その端正な顔でどこかいたずらげに笑んでみせた。
「こんばんは」
「あ、こんばんは――じゃなくてねっ!」
アキはつっこむ代わりに、手すりを軽くとんとんと叩いてみせる。
「どうしてそんなところにいるの! 危ないから降りてきてください!」
もう、と頬を膨らませてみせると、彼はすっとぼけた表情で言う。
「べつに俺にとっては危なくはないけれど」
「そ、そうかもしれないけど……、でも、私が見ていてひやひやするから降りてきて! 今すぐ!」
なんでそうマイペースなのかなあ、と頭を抱えながら、アキは彼を急かすように何度か手すりを叩いてみせる。
すると彼は、どこかおかしそうに笑いながら、ひらりと屋根から舞い降りてアキのいるバルコニーに着地した。
――本当にエリアスって身軽だなあ……。
見ていてうらやましいくらい。
あいかわらず彼は薄手のシャツにズボンといった緩やかな格好をしていて、対して自分も寝る前だったから寝間着を着ているので、こんな時間に夜空の下で会ってしまったのもあって、なんだかふいにどきどきしてしまう。
月光を受けて立つ彼の横顔を見ているうちに、自然と、彼のちょっとはだけ気味のシャツの胸もとに目がいってしまって、アキは慌てて反対側に顔をそらした。
お、落ちつけ、落ちつけ……。
というか、なんでエリアスは女の自分よりもこう、色気があるのか。
エリアスにはわからないように肩を落としていると、彼は手すりに背を預けながら前髪を少しかきあげる。
「……なんだか今日はいろいろあったから、目が冴えて寝つけなくてね。だから、少し夜気にあたってから休もうと思ったんだ」
エリアスは、いたずらが見つかった子どものような笑顔をこちらに向ける。
――あらら、もしかしてどきどきしていたのは私だけだったみたい……?
そう思うと、どこかおもしろくなかったアキは、目をすえて不機嫌そうに答えてみせる。
「ふうん。エリアスは、ちょっと夜気にあたるだけでも屋根に上らないと気がすまないほどお転婆なんですか」
まったくもう、とぐいと腰に手を当てて言えば、エリアスがくつくつと喉の奥で笑った。
「ごめん、ごめん、きみを驚かすつもりじゃなかったんだよ。屋根に出て星をたくさん眺めたかったのもあるけれど、一番は、きみが起きてこないかなと思って様子をうかがってたんだ」
――へ?
「なんで私……?」
首をかしげると、彼は少し決まり悪そうにして後ろ頭をかいてみせた。
「……きみに、ちゃんと謝りたかったんだ。昼間、俺はきみにひどいことを言ってしまったから」
……それは、別れよう、と言われたあのときのことだろうか。
たしかに、あのときは涙が止まらないくらい悲しかったけれど……。
でも、こうして無事に仲直りできたことだし、それに、あのことがあったからこそ自分たちはよりいっそう仲良くなれた気もするから、もう気にしていないんだけど……。
それを伝えようと、アキはエリアスを見上げてゆるく首をふってみせた。
「ううん、もうそのことは気にしていないし、むしろ、私のほうこそエリアスに謝らなくちゃ。今回の発端は私がエリアスの足を引っ張っちゃったことから始まって、恋人としてちゃんとあなたを支えられなかったことが原因なんだから。だから、エリアスは悪くない」
苦笑して、少しだけ肩をすくめる。
本当に、もっと強くならなきゃなあとあらためて思う。
勇者様の恋人として、ふさわしい人物でいられるように。
アキは、気遣うようにこちらを見ている彼と向き合うと、大きく息を吸い込んで勢いよく頭を下げた。
「だから、私のほうこそごめんなさい! 私、心の中では、もうエリアスはこんな私のことなんてきらいになっちゃっただろうなって、勝手に思ってたんだけど――」
そこまで言って、アキは顔を上げると、照れ笑いの笑顔をエリアスに向けた。
「また私のところに戻ってきてくれて本当にありがとう! エリアス、大好きで――」
それをみなまで言い終わらないうちに、ぐい、とエリアスに強く腕を引かれたアキは、気づけば彼の大きな胸の中に抱き込まれていた。
彼の胸に顔を押しつけられて、なにが起こったのかと目を見開くアキにかまわず、彼はこちらの背中に腕を回してぎゅっと力強く抱きしめる。
「わっ、えっと、エリアス?」
「――俺のほうこそ」
アキを逃がさないように強く抱き込みながら、エリアスが耳もとで振り絞るように言う。
「俺のほうこそ、アキが、俺のことなんてきらいになってしまったと……そう、思って、ずっと怖かったんだ。俺は、きみにきらわれてもおかしくないことをしたんだから」
「エリアス……」
エリアスの肩がわずかばかり震えていて、アキは彼の背中に手を回すと、しがみつくようにそっと抱きしめ返した。
エリアスもまた、自分にきらわれたのではないかと不安に思ってくれていたことは、うれしかった。それは、逆を返せば、彼も変わらずに好きでいてくれているということだから。
お互いにきらわれたのではないかと、自分から離れていってしまうのではないかと恐れていたなんて、なんだか似た者同士でおかしかった。
ぎゅうと抱きしめあっていると、お互いの体温が伝わってきて、夜気に触れていてもとてもあたたかく感じる。
彼はそのあたたかさにほっと安心したのか、抱きしめる腕を少しだけゆるめた。
そうして至近距離で向き合うと、自分の額をアキのそれに押し当てる。
「だからアキ、お願いだ。……どうか、俺のことを」
そこで言葉を切って、エリアスはわがままをお願いするようにほほ笑んでみせた。
「――俺のことを、この先もずっと、好きでいてください」




