第六十六話 勇者の守り人
その夜は、念願かなって仲間のみんなが宿屋に勢ぞろいすることができて、それはそれは盛大な打上げ会が開催された。
宿屋の一階を貸しきって開かれたそれは、ロビーの真ん中にある木製のテーブルの上に、陶器のお皿が乗りきらないほどに並べ立てられて、そのどれもにいい匂いのする料理が山のように盛られていた。
みんなと並んで食卓についたアキが、試しに手前にあったお料理の蓋をいくつかとってみると――ひとつにはふわりとやさしい香りのするミルクシチューが、ひとつには魚がオイルとバターで焼かれたものが、ひとつにはバターが練り込んであるやわらかなパンが盛られていた。
――す、すごい……。
これ、全部エリアスとサトクリフが作ったんだろうか。
隣の席に座っているエリアスを見上げると、白いシャツに黒いズボンというラフな格好をした彼は、ローストされたお肉を銀の食器で上品に切り分けているところだった。
か、かっこいいなあ……。
そういうなにげない所作ひとつとっても素敵だと思ってしまうんだから、自分もたいがいエリアスのことが好きなんだと思う。
その彼はというと、こちらの視線にはまったく気づいていない様子で、向かいに座っているレオやヨハンとにぎやかに雑談していた。
なにを話しているのか、三人とも身振り手振りを入れながら楽しそうに笑っている。
アキは、そんな彼らを見守りながらこっそりと微笑んだ。
本当に、みんながまたこうやってそろうことができてよかったなあとしみじみ思う。
エリアスに別れを告げられたあのときは、もうこのまま二度と彼と会えなくなったらどうしよう、彼がひとりでどこか手の届かないところに行ってしまったらどうしようと思いつめて、子どもみたいに泣くことしかできなかったけれど。
アキは、ふいにあのときの悲しさと心細さを思いだして、今は隣にちゃんとエリアスがいてくれることを確かめたくて、テーブルの下でそっと手を伸ばして彼のシャツの裾を握った。
服がひっぱられたことに気づいたのか、エリアスが、なに、とやさしく言わんばかりにこちらの顔を覗きこむ。
「アキ、どうかした? なにか食べたいものはある? 俺がとろうか?」
手の届かないところにある料理をとってほしいとねだったように思ったのか、エリアスがいつものおだやかな笑顔で聞いてくる。
まったく、いつもどおり鈍感なんだもんなあ。
とエリアスの足を踏みたくなったけれど、そんないつもの彼がそばにいてくれることが嬉しくて、愛しくて、アキはその気持ちが伝わるように、なにも答えずにエリアスの肩口に軽く体を軽くぶつけた。
そうして、打上げはわきあいあいと進んで、お料理もだいぶ減ってきたころ――。
エリアスが、みんなの顔を見渡してあらたまった様子で口を開いた。
「あの、俺、みんなに謝らないといけないことがあるんだけれど……」
緊張した面持ちで視線を伏せ気味に言い始めたエリアスに、みんなが食事の手を止めて彼に顔を向けた。
たぶん、みんなきっと、これからエリアスがなにを言おうとしているのか心の中ではわかっているんだろうと思う。
みんな、彼が今回独りよがりな行動をしてしまった事情を知っていて、それでもこうして、彼が自分たちのところに戻ってくるのを辛抱強く待っていてくれたのだから。
だからみんな、今回のエリアスのことはもうとっくの昔に許していて、おそらくエリアス自身もそのことを承知しているのだと思うけれど、きっと彼は、きちんとみんなの前で謝ることで自分にけじめをつけたかったのかもしれない。
エリアスは小さく息を吸い込むと、みんなに向かって深く頭を下げた。
「今回のこと、本当に、勝手ばかりをして申し訳ありませんでした……!」
みんなが黙ってエリアスの謝罪に耳をかたむける中、彼が顔を上げる。
「……俺、あの遺跡のクエストで、自分の感情を抑えることができなくなって、そのせいで俺の力が暴走してしまって……。それで、俺を止めようとしてくれたみんなのことを、傷つけてしまった。今まで勇者としてひとりで強がってきた俺にとって、そんな俺の近くにいてくれるみんなはとても大切な人たちだったから……、だから、もうこれ以上、みんなのそばにいるわけにはいかないと思ったんだ」
とつとつと静かに語るエリアスの声が、なんとも胸に痛かった。
エリアスがどれだけ悩んでつらい選択をしたのかが、伝わってくるようだったから。
話を聞いているみんなも、どこか唇をかみしめるような表情で手もとに視線を落としていた。
エリアスは、少し間を置いてから、気持ちを整理するようにして言葉を続ける。
「俺は、近くにいる人ほど傷つけてしまう。大切だと、守りたいと思っている人たちほど危険な目に遭わせてしまうんだ。それが、勇者の背負うものに課せられたものならば……、俺は、この先なにが起きようとも、ひとりでいようと思った。そうすれば、誰も傷つけないし、自分も傷つかずにすむと思ったんだ」
ぎゅっと、アキは膝の上に置いた両手を拳に握った。
エリアスは、小さいころからずっと立派な勇者になるために必死に生きてきて、その中でやっと勇者の責任を一緒に背負ってくれる仲間と出会ったのだ。けれども今回、その大切な人たちを自分の手で傷つけるようなことをしてしまった。
だから、これ以上仲間を勇者の使命や責任に巻き込むわけにはいかないと思って、みんなを自分から遠ざけることで守ろうとしたのかもしれない。
けれどそれは、エリアスが一番恐れていた孤独になることになってしまうわけで……。
それでも彼は、そうすることでなにもかもを守ろうと決断したのだろう。
それがどんなにつらくて悲しいことだったか、想像するだけで身を切られるようで――アキは、エリアスをそこまで追い込んでしまった不甲斐ない自分が情けなくてしかたなかった。
彼を孤独から守らなければならなかったのは、恋人として一番近くにいた自分だったはずなのに……。
唇を噛みしめるアキの隣で、エリアスが静かに顔を伏せる。
「……だから俺は、みんなには黙って、ひとりで魔王城に行こうと思ったんだ。魔王が勇者との和解を望んでいるのなら、俺ひとりが行けば、なんとかなるだろうと思って……。なんの根拠もない自信でそう思って、無鉄砲に魔王城に行こうとしていたんだ。それで魔王とひとりで戦うことになって、仮に俺の命が尽きたとしても、そうすることでこの世界は救われるんだから、それでよかったんだと、考えようと、思って……」
つっかえつっかえに言うエリアスの台詞が、胸につまるようだった。
エリアスは、勇者として魔王と戦って、この世界を守らなければならない。そう定められて生まれてきたけれど、その世界は自分の命が絶たれることでも守ることができるのだ。
この世界の人たちから華々しく英雄と謳われながらも、そのいっぽうで死ぬこともまた望まれているなんて、いったいどんなに苦しいことだろう。
けれども、誰もそれを代わって背負うことはできないのだ。
勇者として生まれたかぎり、エリアスはその宿命から逃れることはできない。
だから彼は、今にも崩れてしまいそうな精神状態の中で、立派な勇者であろうと自分を奮い立たせることで、歯を食いしばって今日まで生きてきたのだ。
それがエリアスの生きる意味であって、逆にいえばそれ以外は彼にはなくて、彼はそのためだけに女神に造られたのだから……。
勇者って、たったひとりでなんて大変なことを成し遂げなければならないんだろう。
エリアスにかける言葉もなくみんなが黙り込む中、一番冷静な表情で聞いていたヨハンが、少し憤然とした様子で軽くテーブルを叩いた。
「……まったく、勇者と魔王の勝ち抜き戦というこの世界のシステムが問題なのだと思います。女神は二人を我が子のように産んでおきながら、道具のように使うのですから」
怒りを押し殺したように言うヨハンに、エリアス本人はびっくりして目を瞬かせて、アキたちもまたぽかんとヨハンのことを見つめた。
まさかヨハンが、そんな感情的なことを言うなんて思わなかった。普段の彼は、なにごとも冷静に受け止めて声を荒げることなんてなかったから。
一様に驚いているみんなにかまわず、ヨハンは真剣な表情で続ける。
「僕は、エリアスのことが、友人として、その、とても好きなので、エリアスを守りたいし、ずっと生きていってほしいと思っているんです。ですから、エリアスが勝手に死に急ぐような真似をするのは許せません。だから僕は、エリアスが勝手なことをしないように、これからも仲間として最後まで見張るつもりです」
照れているのか、軽く咳払いをしながらヨハンが早口でまくしたてる。
それはつまり、裏を返せば、なにがあっても自分はエリアスについていくから覚悟をしてくださいという意思表示なのだろう。
なんだか、あまのじゃくな言い方がいかにもヨハンらしくて、アキはついつい小さくふきだしてしまった。
みんなも同じように感じたのか、緊張の糸が切れたかのように表情をゆるめて、それぞれに口もとを押さえてくすくすと笑い始める。
やがて場内はみんなの笑い声に包まれて、心外そうに顔を赤らめたヨハンは、みんなの笑いが止まないのを見て諦めたように肩をすくめた。
一転してなごやかになる場内で、アキはヨハンの言葉を噛みしめる。
本当に、彼の言うとおりだと思う。エリアスの背負っている重たい使命を知って、それを彼と一緒に悲しむんじゃなくて、今回みたいに彼が間違った道を進もうとしてしまったら仲間として叱っていかなければならないと思うのだ。
エリアスはすぐに自分を犠牲にする道をとってしまうから、彼が自分からひとりになってしまわないように彼自身を守っていく必要があるのだろう。
ひとしきり笑ったレオが、ヨハンに同意するように言った。
「いや、まったくヨハンのいうとおりだよな! 大体、エリアスが遺跡クエストで暴走したときも、今回の結界修復のときも、アスだけの力じゃどう考えてもどうにもならなかっただろ。おまえひとりの力なんてたかが知れてんのに、ひとりでなんでもどうにかしちまおうなんて、思い上がりもいいとこなんだよ」
からい言葉とは裏腹に楽しげな笑顔で言って、レオは向かいにいるエリアスの額を拳で軽くつついた。
レオの隣に座っていたルイスが、お酒の入ったゴブレットを傾けながらうなづく。
「まあ、結局のところ、我らが勇者様はひとりにしておくと危なっかしいので、私たちがついていないと駄目というわけだな。エリアスが無茶をしないように、我々はいつまでもしつこくくっついていこうじゃないか。いいだろう、エリアス?」
「それならあたしだって地の果てまでずっと一緒に行くわよ! 邪魔だって言われたってどこまでもついていくんだから!」
ルイスの言葉を継いで身を乗りだすミーナに続いて、今度はサトクリフがにやにやと笑いながら言った。
「勇者殿は仲間から愛されてていいっすねェ。まァ、俺様も勇者殿の度量のおかげで、こうしてこの場に呼んでもらえることができたんだ。このご恩、必ず勇者殿の力になる形でお返ししますぜ」
恭しく頭を下げたサトクリフのあと、アキも大きく息を吸い込んだ。そうして、勇気を振り絞るように声を張りあげる。
「わ、私も! 私も、エリアスにふられても、ついてくるなって言われても、絶対にエリアスについていく! ずっとそばにいて、絶対にエリアスの手を離さない!」
必死で宣言するように言って、アキは勢いのままにエリアスの手を両手で握った。
今度こそ、二度とこの手を離さないようにしたいのだ。
たとえ今回みたいに振りほどかれそうになったとしても、めげずに追いかけていきたい。
と、闘志めらめらで言ってしまったあと、自分の台詞の大胆さに気づいて、アキはじわじわと内側から恥ずかしさがこみ上げてきた。
――や、やってしまったあ……!
隣のエリアスも顔を真っ赤にして、それを隠すように片手で顏を押さえている。逆にそれでますます照れているのが目立っているけれど。
どうしようもなく恥ずかしくなってしまって、慌ててエリアスの手を離そうとしたそのとき、彼がアキの手を逃がすまいとしてぎゅっと包み込むようにつかんだ。
驚いてエリアスの顔を見上げると、彼はアキを見ずにみんなに視線を向けて言う。
「みんな、本当に、こんな俺についてきてくれてありがとう。俺は、誰よりも強い力があれば、誰よりも最強であれば、なにもかもを自分ひとりで守りきれると思ったんだ。けれど、その考えが間違ってたんだってことを、今回自分の力が暴走して、それをみんなに食い止めてもらって、わかったんだ」
そこでエリアスは息を吸って、みんなを見渡した。
「俺には、守りたいものも、守らなければならないものもたくさんある。けれど、それは俺ひとりだけのちっぽけな力じゃ、全然、及ばないんだ。だから、たくさんのものを守るために、みんなの力を俺に貸してほしい。それで、みんなに、俺のことも守ってほしい」
堂々と頼み込むエリアスの姿に、なんだか嬉しさがこみ上げてきて、アキはこらえきれずに涙で目がうるんでしまった。
それは、エリアスが初めて自分の弱さを認めて、仲間の強さに頼って甘えるような言葉だったと思う。今までは勇者として誰よりも強くあろうとした彼が、初めてその強がりをなくしてくれた瞬間だと思ったのだ。
みんながやさしげに微笑んでうなづく中、エリアスはもう一度息を吸いこむと、みんなに向かって深々と頭を下げた。
「だからみんな、これからも、俺のそばにいてください」
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。




