第六十五話 隠者の弟子
扉をノックしてみたはいいけれど、室内からは誰の声も返ってこなかった。
レオ、寝てるのかな……。
彼を起こしてしまわないように、アキはおそるおそる部屋の扉を引いて中を覗き込んでみた。室内は、奥側にある窓から昼下がりの日射しが差し込み、天井や柱、床の木材をやわらかく照らしだしている。
その窓の手前に、こんもりと上掛けが盛り上がった寝台が置かれていた。おそらくレオが寝ているのだろう。
アキは、床がぎしぎし音を立てないように細心の注意を払いながら、忍び足で寝台に近寄っていった。すると、無地の簡素な布団を顎の辺りまで引き上げて、布団にすっぽり埋もれるような体勢で寝ているレオの姿が見えてくる。
……よかった、よく寝ているみたいだ。
ほっとして、近くにあったサイドテーブルに紅茶のセットの乗った銀の盆を置いた。
エリアスのときみたいに、部屋に来てみたらもぬけの殻だったらどうしようかと思ったけれど、レオはエリアスと違って、いい子で休んでくれていたらしい。
アキは、壁際に置いてあった椅子を寝台の脇まで持ってきて、その上に静かに腰かけた。
彼の規則正しい寝息を聞きながら、さきほどのルイスの言葉を思いだす。
『アキ、レオは何者なのだ。彼は本当に、人間……なのか?』
レオが何者かなんて、そんなこと、考えたこともなかった。
彼は、エリアスと一緒に最初に出会った仲間で、ちょっと口が悪いけれど頼れる兄のようなやさしさがあって、頭の回転が速くて誰よりも魔法が得意で、そして、自分のことを好きだと言ってくれた人――。
自分にとって、レオはかけがえのない、なくてはならない人だ。
そして、自分だけじゃなく、エリアスにとってもヨハンにとっても、みんなにとって彼は縁の下の力持ちのような存在だと思うのだ。
上手く言えないけれど、レオがレオとしてそこにいてくれるのが当たり前だったからか、彼がどんな生い立ちで何者かなんて、考えたことがなかった。
学府の魔法学校を首席で卒業してエリアスの仲間になったという彼は、それまで、いったいどんな日々を過ごしてきたのだろう――。
「……アキ、か?」
そのとき、レオが紫色の双眸をゆっくりと開いた。眠たそうにしながら、焦点の合わないぼんやりした視点でこちらを見つめている。どうやら起こしてしまったらしい。
アキはちょっと身を乗りだすと、ぼうっとしているレオを覗き込んだ。
「おはよう、レオ。体調はどう?」
たずねると、彼は、どこか嬉しそうにへらりと笑った。
「ああ、まあまあだな。寝起きにおまえの顔を見られたのは悪くねぇな」
「はいはい。そういう台詞が言えるなら大丈夫そうですね」
照れ隠しにつっけんどんに言い返して、アキはレオの額に手を乗せた。
とくに熱くは感じない。熱はなさそうだ。
レオの表情を見ても、あの全体魔法を放ったときには心配になるくらい真っ青な顔をしていたけれど、今はだいぶ血色が良くなっている。回復に向かっていそうだから、このままゆっくり休んでもらえれば大丈夫かもしれない。
ほっと息をはいて椅子に腰かけると、レオがごろりと寝返りをうってこちらを見た。
「アキ、アスたちは? どうしてる?」
「えっと――」
アキは、みんなの様子を思いだすように顎に人差し指を当てる。
「エリアスとサトクリフは、今晩みんなで祝賀会をやるんだって言って、下ではりきって料理を作っていて、ヨハンはまだ教会に報告に行ってから戻って来てなくて、ミーナとルイスは原野の見回りに出てるよ」
「原野の見回り……ああ、魔物の活動に異常が出てないか調べてんのか」
「そう。冒険者のみんなでチームを組んで、手分けして調べてくれてるみたい」
ルイスはその一隊のリーダーを任されてるみたいだよ、と付け加えると、レオがくやしそうに唸った。
「なるほどなあ。俺も、体が本調子だったら手伝いに行きたかったぜ。こんな寝てばっかりいたら体がなまっちまうよ」
「なに言ってんの。レオは、たまには体がなまるくらい休んだほうがいいんですよ。――あ、そういえばエリアスが淹れてくれた紅茶があるんだけど、飲む?」
「お、飲む飲む」
レオは上体を起こすと、両足を床に下ろして寝台の端に腰かけた。アキは立ち上がって、サイドテーブルに置いてあった紅茶の入ったカップを取ると、それを両手で彼に差しだす。
「どうぞ」
「ありがとよ。たぶんエリアスのことだから、蜂蜜とか砂糖とかふんだんにぶち込んでんだろうなあ。あいつの淹れてくれる紅茶って、くっそ甘いんだよな」
言葉とは裏腹に、レオは嬉しそうに笑って紅茶を口に運んでいる。
レオが甘党だというのは周知の事実だから、エリアスは毎回それを踏まえて、レオが少しでも元気が出るように激甘の紅茶を淹れてくれるのだろう。そんなエリアスの優しさが、レオはきっととても嬉しいのだ。二人は本当に仲良しだから。
アキは、紅茶を飲んでほっとしているレオの様子を、じっと眺める。
この機会に、聞いてみてもいいのだろうか。レオの生い立ちのこと……。
どんなところで生まれて、どんな子ども時代を送って、そしてどんな青少年時代を送ってエリアスの仲間になったのかを。
それを知って、どうなるわけでもないんだけど……。
どうしても気になってしまうのだ。
ルイスが言っていた、レオは本当に人間なのか、というあの言葉が。
レオは、彼を見つめたまま黙り込んでいるアキを不思議に思ったのか、首を傾げる。
「アキ、どうしたんだ? なにか考えごとか?」
――う、鋭い……。
聡いレオの前では、取り繕っても無駄なのだろう。きっと、なんでもない、と言ったところで、怪しまれて結局なにを考えていたのかを言うことになりそうだ。
そう結論づけたアキは、ごまかすことをやめて、ここにはレオと自分しかいないし良いタイミングかもしれないと腹を据えることにした。
一度深呼吸をすると、遊びではなく真剣に聞いているんだということが伝わるように、レオをまっすぐに見つめる。
「レオ、ずっと聞きたいと思ってたんだけど……」
アキのただならぬ雰囲気に気づいたのか、レオも表情を引き締めてこちらの言葉を待っている。アキは、レオの切れ長の紫の瞳を見返しながら、単刀直入に聞いた。
「レオって、今までどんな生い立ちを送ってきたんですか? どんなところで生まれて、どんな生活をしてきたのか、ちょっと、気になって……」
エリアスやヨハンが、幼少期から『神殿』の神学校で学んでいたということは、たしかアーノルドやヨハンから聞いていたけれど、レオが『学府』の魔法学校に進学する前の幼少期のことは聞いたことがなかった。
レオは、どう答えたらいいものか決めかねている様子で、ばつが悪そうに後ろ頭をかいた。
「……まあ、べつに隠してたわけじゃねぇんだが、俺、あんまり自分のことをおまえに話してなかったよな。……悪かった」
「う、ううん! 謝ってもらうつもりじゃなくて……! 私こそ、立ち入ったことを聞いちゃってごめんなさい。言いたくなかったら、全然、大丈夫だからっ」
レオの様子を見るに、やはりあまり人に話したいことではなかったのだろう。
好奇心だけで彼のプライベートに踏み込んでしまったことが申し訳なくて、アキは萎縮して頭を下げた。
レオが、手に持っていたカップを、かちゃりと卓上に置く音がする。
「いや、話すぶんには全然構わねぇんだけど、正直に言えば、話せることがほとんどねぇんだよな」
――え?
「……まあ、要するに俺、幼少期の記憶がすっぽり抜け落ちてんだよ。記憶喪失、とでも言えばいいのかな」
記憶、喪失……。
アキは、思いもかけなかったレオの告白に息を呑む。
明るくて優しい彼からは想像もできないようなことだった。自分の勝手な想像だけれど、彼は、にぎやかでおおらかな家庭でまっすぐに育ってきたようなイメージだったから。
なにも言葉をかけられないアキに、レオは気遣うような笑みを向ける。
「記憶喪失っつっても、そんな大仰なもんじゃなくて、赤ん坊のころのことが思いだせないだけなんだよ。自分がどこで生まれて、両親は誰だったのか、それだけが思いだせねぇんだ。ものごころついたときから、じっちゃんと暮らしてたからな」
「じっちゃん?」
訊き返すと、彼は大好きな人のことを話すかのように、満面の笑みを浮かべた。
「そ、俺の魔法の師匠! 俺が三歳くらいのときに俺の育ての親になってくれて、俺はじっちゃんに拾われてから学府の魔法学校に入るまで、ずっとじっちゃんに魔法の手ほどきを受けてたんだよ」
まるで少年に帰ったかのように嬉しそうに『じっちゃん』のことを話すレオに、アキも自然と微笑む。
レオにとって、じっちゃんは魔法のお師匠さまであると同時に、父親のような存在でもあるのだろう。じっちゃんがいてくれたからこそ、彼はこうして誠実で人に気遣いのできる性格に育ったのかもしれない。『じっちゃん』はきっと人格者なのだ。
と、レオのじっちゃんに尊敬を抱いたところで、彼がとんでもない事実を口にした。
「じっちゃんはすげぇ魔法使いなんだが、どうにも偏屈で、魔法の研究に没頭するあまり俗世に興味を失っちまったんだよな。だから、山奥の森に小屋を建てて隠者みたいな生活をしてたんだよ。だから、俺もその隠者の庵みてぇなとこで、世間の動静にはいっさい触れずに四六時中魔法の修練を積んでだな……」
「な、なるほど、よくわかった、話してくれてありがとう」
アキは、なんでレオが突出して魔法の才能があるのか回答を得た気がして、顔の前に手をつきだして彼の話をさえぎった。これ以上は、レオ少年とじっちゃんの当時の生活環境が心配になりそうなので聞かないことにした。
ともかく、彼が非常に特殊で稀な幼少時代を送っていたということはわかった。
ルイスは、レオは人間ではないようなことを言っていたけれど、子どもの頃から隠者の環境で鍛えられてきたならば、一般家庭で育った魔法使いの子たちに比べれば、異様なほどの実力を発揮するのはおかしくないのではないだろうか。
「……まあそれで、俺が十二歳くらいになったときに学府の魔法学校に進んで、そこで十年間学んで二十二歳で卒業して、で、エリアス率いる勇者パーティに加入したわけだな」
「なるほどねえ」
アキは、とても納得してレオの話に深々とうなづいた。
彼は、生まれた頃の記憶喪失の部分を抜きにすれば、いたって普通……とは言いがたいかもしれないけれど、取り立てて不思議なところのない環境で育ってきたわけだ。
もし機会があれば、レオが尊敬する『じっちゃん』に、一度でいいから会ってみたい気がした。どれだけ癖のある変な人……じゃなく、高名な魔法使いの先生なのだろう。
レオは、これで全部話し終えたとばかりに立ち上がると、ぐぐっと伸びをしてみせた。
「ま、俺の生い立ちなんてそんなもんだから、気にするほどでもねぇよ。まあ、今度はおまえが自分の世界でどうやって育ってきたのか、教えてくれよな」
ぽん、とアキの頭を軽くたたいて彼が笑う。
そういえば、自分こそ、レオたちに自分の生い立ちのことを話していなかったのだ。
こちらの世界のことを話したら、みんな、どんな反応をするのだろう。
アキはそれを想像して楽しくなりながら、レオと連れだって部屋をあとにした。




