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第五十九話 信頼することされること

 仲間の目を忍び、宿屋の窓からこっそりと部屋を抜けだしたエリアスは、ひとり、港町の波止場の端にあるひと気の少ない埠頭のふちに座り込んで、停泊しているたくさんの帆船を眺めていた。


 幾重にも折り畳まれて林立する白い帆が、目にまぶしいほどに薄青く澄み渡った空に立ち並んでいる。


 そのさまは、通常であれば見ているだけで気分を明るくさせるものなのかもしれない。


 けれど、ひとりで逃げるように部屋を飛び出したエリアスにとっては、その美しい景色を前にしても浮き足立つことはなかった。心ここにあらずで、ぼうっと港の光景を見つめる。


(俺、なにをやっているんだろう、本当に……)


 誰にもなにも告げずに部屋を空っぽにするなど、みんなに迷惑をかけるだけだとわかっているのに。


 これ以上みんなの足を引っ張って、自分はいったい、なにがしたいのか。


 自分自身の行動にすら呆れてしまいながら、エリアスは明るい青の海原から視線をそらし、今度は港を行き交う人びとを遠目で追った。


 船から荷を降ろして忙しく声をかけあう男たちや、これから船旅に出るのか浮き足立った様子で埠頭に立つ人々、獲れたての魚を店先に並べて物売りをしている露店のかしましい風景を見やる。


 いつもまとっているマントや肩当て、手甲などの装備をいっさい身につけず、薄青のラフなシャツ姿に、ふだん肌身離さずに持ち歩いている聖剣すら部屋に置いてきたエリアスは、完全に自分の役目を放棄した無防備な格好だった。


 ……『勇者』以外のものになってみたかったのだ。


 自分が『勇者』でない普通の人間だったら、いったいどんな毎日を送っていたのだろう、と。


(きっと俺は……)


 現実から逃避したかったのかもしれない。……仲間たちを傷つけてしまった、あの出来事から。


 そして――自分が『勇者』であるという、現実から。


 逃げようとしたところで、なにも変わりはしないのに。余計にむなしくなるだけなのに。


 そう思いつめて何度めかのため息をつこうとしたところで、エリアスの視界に、ふと露店の前で鮮魚や果物を買い込んでいる若いカップルの姿が映った。


 彼女と思われる女性が楽しげに籠の中を指差し、目の前に立つ彼氏に笑いかけている。


(楽しそうだなあ……)


 羨みながらぼんやりと彼らを眺めているうちに、不思議と、あの彼女の姿がだんだんとアキに見えてきた。


 そうしているうちに、彼女と向き合っている彼氏がなんだか自分のように思えてきて――エリアスは、彼女たちを見つめながら思いにふけってしまった。


(……もし、俺が『勇者』じゃない普通の男としてこの世界に生まれて、アキもまた……普通にこの世界に生まれた女の子だったら……)


 ――あの二人のように、なにかをきっかけに出会って、仲良くなって、そうして恋に落ちたりできたのだろうか。


 そうしたら、ああやって二人で仲良く買い物をして、並んで帰路に着いて、帰りついた家で今日あった出来事をたくさん話して、そして眠って……、また次の日を彼女と一緒に迎えることができたのだろうか。彼女の作ってくれた朝食を、一緒に食べながら。


(――……幸せ、だっただろうな)


 想像することしかできないが、そういった何気ない日常を何気なく過ごせる毎日は、きっとそこにしかない幸福があったのだと思う。――けれど。


 エリアスは諦めたように首を振り、仲睦まじいカップルから顔をそらした。


 風に乗って空を往くかもめたちを目で追うが、それらはまるで自分の目に映らなかった。


(そんなことは……ありえないことだ)


 そんな夢のような生活は、思い描くだけ無意味なことなのだ。


 『勇者』でなければ、自分は生まれてすら来なかったのだから。


 『勇者』ではない自分になど、存在価値はないのだから。


 それなのに自分は、その使命すらも果たせないで、力を貸してくれた仲間たちを裏切って……。


「本当に俺……なんのために……」


 ――なんのために、生まれてきたのだろう。


 膝の上に置いた両の拳を、ぐっと握りしめる。


 勇者としての役目も果たせない自分など、生まれてきた価値もないのに。


 ひどい虚無感から頭を抱えたエリアスをなぐさめるかのように、港を吹き抜ける潮風がやさしく髪をさらっていく。


(ここにこうしていても、仕方ない……)


 そう思うのに、居場所を見失った自分には、帰る場所など、行く場所などないように思えて――途方に暮れていたエリアスの背後から、ふいに、よく聞き慣れたぶっきらぼうな声が投げられた。


「―――おい」


 はっとして、抱えていた頭から手を離して振り向くと、そこには自分と同じようなラフな服装をしたレオが腰に片手を当てて立っていた。


 エリアスはレオを認めるなり、気まずそうに眉を下げる。


「レオ……」


「ったく、探したぜ。聖剣も持たねぇでなにやってんだよ」


 眉根を寄せて困り顔で言いながら、レオが遠慮のない足取りで歩み寄ってくる。


 あまりにも気落ちしていたせいで、やって来た彼の気配にも気づけていなかったらしい。


 聖剣について触れておきながらも、レオもわざわざ持ってきてくれたわけではないようで、手ぶらでエリアスの隣に腰かけると、埠頭の端から足をぶらぶらと投げだして両腕を後ろに突いて背を反らした。


 海のきらめきにまぶしそうに目を細めながら、レオは水平線を見やる。


「へええ、いい眺めだなあ。そういや、この町には何度も立ち寄ってっけど、のんびり港で過ごしたことはなかったよな」


 レオの横顔をちらりと見てから、エリアスも陽光を受けて光を散らす海原を眺めた。


「そう……だね。いつも結構、せわしかったから。少し休んだらすぐにまた原野へ魔物を倒しに出かけたり、船に飛び乗って次の町へ移動したり……。なかなか、この町でゆっくりすることはなかったよね」


 ぽつりと答えて、エリアスは視線だけを流して隣のレオの様子をうかがった。


 彼は、怒っているふうでも不機嫌そうにしているふうでもなく、かすかに口角を持ち上げながら、ただこちらの言葉を聞いてくれているようだった。


 二人はそれ以上言葉を交わすことなく、隣同士で座ったまま波止場の喧騒を遠くに聞く。


 レオを見ていて思いだすのは、自分の運命を大きく変えてしまったあの遺跡で、自分を止めようとして戦いを挑んできた彼の背中を容赦なく切り裂いた……あの瞬間だった。


 思い返せば、あのときの彼は、こちらに大きな怪我を負わせまいとしてわざと致命傷を外すような戦い方をしていた。だから、攻撃に切れがなく防戦に力が寄ってしまっていたのだ。


 逆に、自我を失って理性のコントロールができていなかった自分の斬撃には、相手を思いやるような遠慮はなかった。その残虐さがレオを追いつめ、彼に深い傷を負わせてしまったのだ。


 そのときの自分の感情をはっきりと覚えてはいないが、完全にレオが仲間という認識を失っていたから、下手をしたら彼の命を奪う気……であったかもしれない。


 あのとき間一髪でヨハンとアキが駆けつけてくれていなかったら、自分は、地に倒れ伏したレオに止めを刺していたかもしれないのだ。


 もしそんなことになっていたら……それを思うだけで、腹の底から恐怖がこみ上げてくるようだった。


 エリアスは、小刻みに震える両の手のひらを持ち上げ、まるで自分のものではないように見つめる。


(……レオに、仲間たちに、謝らないと)


 尻込みしている場合ではない。


 謝って取り返しのつくことではないけれど、自分には、そうすることくらいしかできないのだ。


 それに、おそらくレオは、気落ちしている自分を心配してここまで探しに来てくれたのだ。


 それだけでも彼は自分に言いたいことがたくさんあるだろうに、責めることもなく、こちらが話しだすのを辛抱強く待ってくれている。


 自分は、親友の無骨なやさしさにいつも救われていた。


 そして、それに応えられない勇気のない自分が、とても情けなかった。


 ――これ以上、大切な親友に迷惑をかけるわけにはいかない。


 エリアスはそう奮い立つと、手もとの拳をぐっと握り、一度深呼吸をしてからレオに向き直った。


「あの、レオ……」


 緊張しているせいか、言葉がつまって声がかすれた。


 話し始めたエリアスに気づき、レオはなにも言わずにこちらに顔を向ける。


 喉が急激にからからに乾くのを感じながら、エリアスは一心にレオを見つめた。


「あ、あの、い、いろいろ、俺、馬鹿なことばかりして、ごめっ……」


 そこまで言って頭を下げようとした途端、レオに目にも留まらぬ速さでぽかんと頭を叩かれた。


 まさか頭をはたかれるとは思わなかったエリアスは、目を白黒させてレオを凝視する。


「い、痛っ! レオ、いきなりなにす――」


「――謝ることするな!」


 突然怒鳴られて、エリアスは体を縮めた。


 反射的にまた謝ろうとしたエリアスをさえぎるように、レオが身を乗りだしてこちらをびしっと指差す。


「おまえが俺たちに迷惑をかけたなんてなあ、そんなわかりきったことはもういいんだよ! おまえが反省してることは、みんなもうよくわかってんだ。誰もそんなこと怒ってねぇから安心しろ」


 エリアスを励ますように、レオはふっとやさしく微笑む。


「だから、それを気にしていつまでもうじうじ落ち込んでんじゃねぇよ」


 そのほうがよっぽど俺らにとって迷惑なんだからな、と言い添えて、レオはいたずらな光を瞳に宿し、もう一度エリアスの頭を小突いた。


 エリアスは、呆然としながら、叩かれた部分を手で押さえてレオを見返す。


 ――彼は、そして仲間のみんなは、自分を許してくれるというのだろうか。


 こんなふがいない自分を。


 信じてついてきてくれた仲間たちを、裏切るような真似をしてしまった自分のことを。


 それを知った途端、今まで張りつめていた緊張が波のように引いていき、エリアスは全身からへなへなと力が抜けていくのを感じた。


 仲間のやさしさとあたたかさに、ぎゅうと胸が熱くなる。


 取り返しのつかないことをしてしまった。それはわかっていたけれど、本当のところ、自分は許されたかったのかもしれない。仲間たちのいるこの場所から、去りたくなかったのかもしれない。


 頑なになっていたけれど、きっとそれが、自分の本心だったのだ。


 それに気づいたエリアスは、一度深く長く息を吐きだし、背筋をぴんと伸ばして姿勢を正した。レオに向き直ると、誠心誠意謝ろうと頭を下げる。


「レオ! あ、ありがっ……」


 言い終わらないうちに、涙のしずくがひざの上に続けてこぼれ落ちた。


 びっくりして、エリアスはあわてて袖で乱暴に目もとをぬぐう。


 人前で泣くことなど絶対にしないと誓っていたのに、アキの前でも、レオの前でも、自分は泣き顔を見せてばかりだ。堪え性がなくなってしまったのだろうか。


(……違う、これが、本来の俺なんだ……)


 いままで強情を張って強がっていただけで、本当は、こんなにも弱い……。


 言葉につまるエリアスを前に、レオはたじろいだ様子で後ろ頭をかいてから、エリアスが泣き顔を見られるのは嫌だろうと判断してさりげなく海原へ視線を戻した。呟くようにぽつりと言う。


「……まあ、そう泣くなよ。なんか、おまえが泣いたとこ初めて見た気がするぜ。ヨハンじゃねぇけど、ほんっと、いい傾向だよな。これもアキのおかげか」


 やさしく微笑むように言ってから、こちらを見ないままにレオが続ける。


「――……なあ、アキ、泣いてたぜ」


 おまえは知ってると思うけどよ、と付け加えるレオに、エリアスはなにも言えずにうつむいた。


 自分の言動が彼女を泣かせてしまったこと、そして彼女が自分の部屋の外で耐えるように泣いていたことは、扉ごしに彼女の泣き声が聞こえていたので、わかっていた。


 わかっていて、自分は彼女をそのまま放るような真似をしたのだ。


 これで別れようと、自分のことをひどい男だと嫌ってほしいと、そう思っていたから。


 そのあと、レオがアキのところに駆けつけてくれたのが彼らの声でわかって――これでいいのだと、これでよかったのだと、そう思った。そう自分を納得させようと努めたのだ。


(彼女のことを……諦められると思ったから)


 レオは、人としても、男としても、自分よりもはるかに優れているから。


 エリアスの心中には気づいていない様子で、レオは水平線を見やったまま続ける。


「というか、おまえ、あいつと恋人同士だったんだな。いつかはそうなるんじゃねぇかと思ってたが、いいきっかけがあったらしいな」


 アキから聞いたぜ、と屈託なく笑うレオに、エリアスはなにも答えず、顔を上げて微笑みを返した。


 レオは明言こそしないが、おそらく、彼もアキに好意を持っているのだろう。


 恋愛ごとに疎い自分でも、同じ男としての直感がそう思わせていた。彼の言動の端々から、彼女を大切に想っているであろうことが伝わってくるのだ。


 だから、自分が彼女を傷つけてしまったことをうやむやにするわけにはいかなかった。同じ女性を好きになった男として、彼に真摯に向き合わなければならないと思った。


 エリアスは深呼吸をすると、膝を抱えて座り直し、その上に腕を組んでから顎を乗せた。体勢を丸くすることで、これから本音を話すことのつらさから、無意識に心を守ろうとしたのかもしれない。


「俺は……」


 かもめの鳴き交わす声が、ずっと聞こえていたはずなのに今はやけに大きく聞こえる。


 その鳴き声に埋もれてしまいそうなほど小さな声で、エリアスは自分の気持ちを吐露し始める。


「俺は、女性として、彼女のことを……好きになって、しまって……」


 まるで、自分の罪を告白するような心持ちだった。


 レオは、あいづちを打つこともなく先をうながすこともなく、無言でこちらの話に耳を傾けてくれている。


「彼女が……アキが、ほしいと思ったんだ。……自分のものに、したいって」


 言っていてほとほと自分の欲望のしたたかさが恥ずかしくなってくる。


 けれど、誰かにこんな人間臭い自分の気持ちを聞いてもらうのは初めてだったからか、恥ずかしさよりも、自分の今の気持ちを聞いてもらいたいという衝動のほうが勝った。


 隣にいるのが、誰よりも腹を割って話せる親友のレオだったからかもしれない。


 エリアスは、飾ることのない本音を伝えようと、胸の奥を吐きだすように言う。


「……けれど、それが間違いだったんだと思う。彼女のことになると、感情のコントロールができなくて……俺が持っていたらしい女神の力を……――暴走させてしまった」


 自分は太陽の女神によって造り出された存在なのだから、その強大な力が自分の中に眠っていてもなんらおかしくはないのかもしれない。


 思えば、『勇者』としての超人的な身体能力も、太陽の女神の力が宿っているからこそ発揮できるものなのかもしれなかった。


 それに気づいていれば、不用意に、理性が消し飛ぶほど感情を昂らせることにもなかったかもしれないのに――。


 なにも知らなかった無知な自分が、くやしかった。


「そのせいで、絶対俺が守るんだって思っていた人たちを、みんな、俺のせいで傷つけて……」


 自分の繰り出した斬撃のせいで、ミーナとルイスが岩山の瓦礫に埋もれた瞬間を思いだす。続いて、ひとりで果敢に立ち向かってきたサトクリフやレオを、容赦なく切り裂いた瞬間を思いだす。


 暴走する自分をどうすることもできなかったときの胸のつぶれるような気持ちを思いだして、エリアスは耐えるようにひざ頭に額を押しつけた。くぐもった声で言う。


「……『勇者』として失格だと思ったんだ。そうしたらもう、自分が何者なのかもわからなくなって……」


 なにか声をかけようとするレオをさえぎるように、エリアスはひざに伏せていた顏をうつむかせる。


「いろいろなことが、不安になって……」


 地面を見ながら胸の痛みを吐きだすように言うと、喉がつまって声がふるえた。


 ――自分は女神に造られた道具。


 その事実に耐えるために、今までずっと心の支えとしていた生きる意味をなくした自分は、これからどうすればいいのか、進むべき道を見失ってしまったのだ。


 けれども、どんなに逃げだしたくなったところで、『勇者』の使命からは逃れられない。


 『勇者』は自分だけに課せられた役割で、誰かに代わってもらうことなどできないのだから。


 英雄という一見きらびやかな立場に覆い隠された檻の中で、自分は生まれてから死ぬまでもがいていくしかないのだ。


(だから……)


 だから、どうしたらみんなに償うことができるのか、そして、これ以上みんなをこの枷に巻き込まないようにできるのか、必死に考えた。


 そうして、思いついた結論が――。


「もう、ここに居るべきじゃないって……みんなをこれ以上傷つけるなら、俺が離れることで守ろうって、思ったんだ。アキのことも……好きだけれど、もう、一緒にはいられないって……」


 自分は、大切だと思う人ほど傷つけていく。


 そばにいてくれる人ほど、守れないのだ。


 特にアキのことは、愛する女性として誰よりも特別にできるかと思っていたのに――『勇者』の運命にさらさずに済ませることは、できなかった。


 だから、自分の脅威にもっとも狙われるのは……危険なのは、自分にとってもっとも特別な存在である彼女なのだ。


 自分といたせいで、彼女にこれ以上なにかあったらと思うと――それだけは、耐えられそうになかった。


 エリアスはそこでやっと顔を上げ、なにか言いたげな面持ちをしているレオを見やり、覚悟を決めて言う。


「レオ、だから俺、これから先はひとりで魔王城に―――」


 エリアスがそこまで言ったところで、目の前のレオから頭の血管がぶちんと切れる音が聞こえた……ような気がした。


 悪寒を感じて本能的に後ずさるエリアスを逃がさんばかりに、レオが両手を振り上げて石畳の床を思いっきり叩きつける。


「うるせええええええええっ!」


(―――――っ!?)


 港中に響き渡るのではないかというレオの怒声に、エリアスは冷や汗を垂らして固まった。


 ――これは、あきらかに、レオを限界まで怒らせたのではないだろうか。


 息をつく暇もないほどにレオがまくし立てる。


「さっきから聞いてりゃあ、ぐだぐだぐだぐだ悩みやがって、おまえのそばにいりゃあ命の危険と隣り合わせってことくらい、俺らはわかってんだよ! わかってて一緒にいんだよ! おまえは俺らのことをなんだと思ってんだよ!」


 エリアスを小さな子どものように叱り飛ばして、レオは肩で息をする。


 エリアスは首をすくめながらも、レオが必死に気持ちを伝えようとしてくれているのがわかって、顔を上げて彼の目を一心に見つめ返した。


 彼の言葉に向き合わなければと思った。


 真摯に受け止めて、今の自分から変わりたいと思った。


 こんな情けない自分を叱ってくれるのは、ほかでもない、そばにいてくれる彼ら仲間だけなのだから。


(俺は、もしかしたら……)


 彼らに遠慮して身を引くことばかりを考えて、それが逆に、彼らの気持ちを踏みにじっていたのかもしれない。彼らの厚意に対して、とても失礼なことをしていたのかもしれない。


 彼らと離れて自分ひとりでやっていけるなんて、そんなはずが、ないのに。


(俺は、独りよがりだったんだ……)


 自分の身勝手な強がりで、大切な仲間たちの気持ちを裏切って、今度こそ自分は、大きなあやまちを犯そうとしていたのかもしれない。


 そのことにやっと気づいた自分に追い打ちをかけるように、レオが、びしっとこちらを指差した。


「おまえなあ、さっき自分に近しい人ほど傷つけるっつってたが、そんなの誰だって一緒なんだよ。俺だってそうだよ」


 おまえとか、ヨハンとか、アキとか、俺だってそばにいてくれる人には特に迷惑かけてんだよ、とレオが言い募る。


 はっとしたエリアスの両肩をつかんで、レオは説得するように声を張りあげた。


「――それがなんだ! そんなことで遠慮するな! それよりも、おまえの本当の気持ちはどうなんだよ!?」


「え……?」


 目をしばたたかせるエリアスに、レオは今にも噛みつかんばかりの勢いで言う。


「だから、おまえはなにを望んでんだよ!」


 ――俺の、望み……?


「俺、の……」


 思いがけないことを聞かれてぽかんとしていると、しびれを切らしたレオがエリアスの肩を上下に激しく揺さぶった。


「そうだよ! 『勇者』の立場がどうのこうのよりも、そこが一番大事だろ! おまえが、アキのことを男として守る自信がねぇからよそへやるっつーんなら、俺がもらうからな! おまえはそれで本当にいいんだな!?」


 宣戦布告とばかりに言われ、エリアスは、なぜだか自分の内側からふつふつと闘志が湧いてくるのを感じた。


 アキが誰かに取られてしまう。自分以外の男のところに行ってしまう。


 彼女が他の男の腕の中で笑っているのを想像した瞬間――必死に装っていた感情が、堰を切ったようにあふれ出したのだ。


「い……いやだ!」


 気がついたら、本音そのままにレオに言い返していた。


 レオがなにか言うよりも早くに言葉を叩き込む。


「アキは、誰にも渡したくない! 彼女は俺の、俺のっ……」


 次の言葉を言おうとして、喉がつまって声がふるえる。


 ――勇気を出せ、俺!


 欲しいものは欲しいと言わなければ、手に入らない。


 体面を気にして、自分の気持ちをないがしろにしては駄目なのだ。


 それでは、今までの自分となにも変わることはできない。


 エリアスとしての素直な感情を、欲望を、口にしていいのだ。


 仲間にだけはそれが許される。レオはきっと、それを望んでくれているのだから。


「――彼女は……、俺のものだから……!」


 言いきった瞬間、目まいがするほどにどっと体の力が抜けた。


 極度に緊張していたのか、頬が紅潮して肩で息をしてしまう。


 自分の素直な欲望をそのまま口に出すことに、こんなに慣れていないとは思わなかった。


 わがままを言うということを今までいかに我慢していたのか、初めて体感するようだった。


 自分の宣言を聞いたレオとのあいだに、一瞬無言の間が生まれて、こちらの威勢がしおしおと萎えてきたそのとき、レオがいたずら坊主が笑うように満面でうれしそうな顔をした。


「よぉーしっ、よく言った! それでこそ俺も正々堂々と勝負できるってもんだ! おまえがまだうだうだ言うようだったら、そろそろ海に突き落として頭冷やしてこいって言ってやろうと思ってたからな」


 冗談まじりに言って、レオはエリアスの頭をわしゃわしゃとなでつける。


 なにするんだよ、と笑いながら抗議すると、レオは「うるせぇ」と応じながらさらに力を入れてこちらの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。


 エリアスがレオに反撃しようと手を伸ばすとひょいと軽く避けられて、今度はレオが伸ばしてきた手を自分がかわすと、いつのまにか軽い取っ組み合いのようになって、自分は気づけば声をたてて笑っていた。


 楽しかった。うれしかった。


 落ち込んでいれば励ましてくれる。


 困っていれば助けてくれる。


 自分は、ひとりではない、ひとりで『勇者』としてがんばらなくてもいいのだ。


 そう思った途端、ずっと背負っていた重苦しいなにかから解き放たれて、暗かった世界に突然光が満ちあふれたような気がした。


 それと同時に気づくのだ。


 自分はずっと、仲間に守られていたのだと。


 アキが隣で笑っていてくれることに、どれだけ救われていたのかと。


 そんなことにも気づけないで、自分はみんなの気持ちをないがしろにして、またひとりになろうとしていたのだ。


 本当はさびしいくせに、ひとりでは心細くて仕方ないくせに。


 そんな子どもじみていた自分が急に恥ずかしくなって、エリアスは、隣で声をあげて笑っているレオを意味もなくどついた。


 不意打ちにをくらって、「この野郎」とおかしそうに反撃してくるレオの拳を止めながら、エリアスはいたずらが成功した子どものように歯を見せて笑いかける。


 そうやって親友と押し合ってさわぎながら、最初の頃よりもずっと晴れやかに見える青空を仰いだ。


(みんながいてくれれば、大丈夫)


 ――きっと俺は、もっともっと、がんばっていける。

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