第五十七話 動きだす日々
――魔王様、この子です、勇者の生まれた村で唯一の生き残りであった――……。
記憶の彼方のことだろうか。
どこかで見知ったことのある壮年の男が、魔王と呼ばれた緑の髪の男に、腕の中でぐったりと気を失っている幼い少年を差し出そうとしている。
――おそらくこの者は、レナード・ゲインズの子孫であると……。
壮年の男の言葉に、魔王がその赤い瞳をわずかに見開いた。
――なるほど。ならば、私の魔力を与えてこの者の命を助けよう。それで良いか。
ゆったりとした歩調で歩み寄る魔王に、壮年の男は、腕に抱えているまだ年端もいかない少年の頭をそっとなで、頷いた。
全身傷だらけの少年は、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸を繰り返し、今にも命のともしびが消えてしまいそうなほどに衰弱している。
――お頼みします。彼は将来、必ずや我々の力になってくれるはずです。
壮年の男の確信を持った言葉に、魔王は、そうだな、と神妙に頷いた。
そうして魔力の込められた魔王の手が、少年の右肩に触れる――……。
は、と息を呑むようにして目を覚ましたレオは、冷や汗をぐっしょりとかいている自分に驚いてとび起きた。
体の上に掛けられていた上掛けが、突然はね起きたせいでベッドから床へとすべり落ちる。
レオは緩慢な動作で腕を伸ばし、のろのろとそれを拾い上げると、自分がいる場所を確かめようときょろきょろと周囲を見渡した。
視界に映ったのは、クエストに挑む前に自分たちが宿泊していた港町の、のどかな宿屋の風景だった。拍子抜けしてしまうほどに日常的な朝の風景が広がっている。
それを目に入れ、危険は去ったのだ、とそう直感したレオは、体の力を抜いて深々と息を吐きだした。前髪をぐしゃりと握ってうつむくと、さきほど見た夢の内容が脳裏に思い出される。
(……なんだったんだ、今の……)
夢なのだろうが、そう割り切れないほどになにか胸騒ぎを感じさせるものだった。
なんとも奇妙な取り合わせだったが、はたして本当になんの意味もないものだったのだろうか。
魔王と自分に、面識などないはずなのだが……。
(疲れてんのかな、俺……)
事実、ひどい疲労感で全身が鉛のように重く、ベッドから降りるのさえ億劫に感じるほどだった。
頭もぼうっとして冴えがなく、目覚めているはずなのに半分寝ているような感覚だ。
(これが、聖遺物を使った反動なんだろうなあ)
自分もまだまだだな、とレオはひとり肩をすくめる。
とりたてて大きな怪我もなくここにいるということは、おそらく自分たちは、なんとかエリアスを連れ戻して港町に帰ってくることに成功した……と考えていいのだろう。
推測でしか語れないのは、自分の記憶が、古代魔法を発動した時点で途切れているためだった。聖遺物の使用で魔力を使い果たしてしまったせいで、情けなくもそこで昏倒してしまったのだろう。
ふと自分の格好を見下ろせば、普段まとっている黒いローブは脱がされており、いつもその下に着ている袖なしの上着姿をしていた。ここまで運んでくれた仲間の誰かが楽な格好をさせてくれたのだろう。
とりあえず、とレオはだるい体を動かし、ベッド脇に丁寧に並べられていた編み上げのブーツに足をとおして立ち上がった。
(まずは、みんなの無事を確かめねぇとな)
特にエリアスとアキが本当に無事に帰って来られたのか、あの二人の顔が無性に見たかった。
彼らを連れ戻すために自分や仲間たちは死にもの狂いで頑張ったのだから、二人がちゃんとここにいる事実を自分の目で確認したかったのだ。
その思い始めたら心臓が早打ちを始めて、レオは着の身着のままで扉に手をかけ、なかば飛び出す形で部屋を出た。
その途端、聞き間違いようもないほどに聞き慣れた、大切な人の泣き声が耳をついた。
嘆くようなすすり泣きに、ぎょっとしてそちらに顔を向けると、廊下のつき当たりの部屋の前、アキが地べたに座り込んで顔を両膝にうずめて泣いていた。
(アキ……?)
――なにか、あったのか―――……?
背中から心臓にかけて一気に冷えるような思いがして、レオは体のだるさなど瞬時に忘れ去り、足がもつれるほどの勢いで彼女に駆け寄った。
「アキ、どうした! なにかあったのか!」
「レオ……?」
驚いて顔を上げた彼女は、レオの姿を見て、泣きはらしていた赤い目をさらに大きく見開いた。慌てて立ち上がろうとして床に片手をつく。
「レオ! 体、もう動いて大丈夫なの!?」
アキが立ち上がるよりも早く、レオは彼女の傍らに屈み込んだ。
彼女の言葉に手早く首を横に振る。
「俺のことはいい! そんなことよりも、こんなとこで泣いてなにがあったんだよ。ここってあいつの部屋か?」
なんとなく感じる室内の気配から、ここがエリアスに宛がわれた部屋だという察しがつく。
「なにかあったんなら、俺が見て――」
「――いいの!」
立ち上がろうとして後ろを向き、扉を振り仰いだレオの服の裾を、アキが瞬間的に強く引き寄せた。
その勢いに不意をつかれたレオは、うわ、とよろけて尻もちをつきそうになる。
「アキ、いきなりなにすんだよ! 危ないじゃねぇか!」
恨めしそうに後方のアキを振り向いたレオは、彼女の表情を見てわずかに目を見開いた。
彼女は、レオの服をぎゅっと両手でつかんだまま、それにすがりつくように額を寄せて小さく震えていたのだ。
「レオ、ごめん……! エリアスのことは、今はっ……」
アキは、言葉を濁して、ごめん、とだけ何度も繰り返す。
レオはいぶかしげに眉を寄せて、顔を伏せているアキを背中ごしに見つめた。
(なにか訳ありか……?)
レオはアキに向き直り、彼女の震えている肩に両手を置く。
「おいアキ、どうしたんだよ? もしかして、あいつとなにかあったのか――」
みなまで言い終わる前に、レオははっとして口をつぐんだ。
自分の言葉を聞いたアキが、歯を食いしばったまま突然ぽろぽろと泣き出したのだ。
彼女の頬を伝ってそのまま膝元に落ちる涙を見て、レオは、彼女が自分の質問に対して肯定の返事をしたのだと判断した。
(……よくわかんねぇけど、とりあえず、今はエリアスに会ってほしくねえってことだよな?)
んー……、と思案するようにレオはがしがしと後ろ頭をかく。
察するに、一足早く彼女がエリアスの様子を見に行ったときに、彼女が部屋を飛び出して泣いてしまうほどのなにかが起こったということなのだろう。
なにがあったのかはわからないが、彼女が大泣きをしていたとはいえ慌てふためいてはいないところをみると、エリアスに緊急を要する事態は起こっていないと考えていいのだろう。
だとしたら、泣きながら必死に止めるアキを振りきってまで、自分がわざわざエリアスの顔を見にいく必要はないのかもしれない。
そう結論づけたレオは、ひとまず目の前でぼろぼろに傷ついている彼女を優先することに決めた。
片手を伸ばして、彼女の頭にぽんと手を乗せる。
「――まあよくわからないが、とりあえずおまえの気持ちはわかった」
漠然とした言葉になったが、レオが思いとどまったことでアキは安心したらしく、赤く腫れたまぶたを上げて、ありがとう、と告げた。
レオは短く息を吐いてから、おもむろに彼女の手首をつかむ。女性らしい、思ったよりも細い手首に一瞬戸惑いながらも、それをぐいと引っ張って彼女を立ち上がらせた。
アキがなにかを言おうとするよりも早く、レオは彼女の手を引いて歩き出す。
「アキ、とりあえずおまえ、ちょっとこっち来い。なにがあったのか、話聞かせてもらいたいからな」
レオは、顏だけ振り返って後方のアキに告げる。
戸惑った様子の彼女にかまわず、レオはずんずんと自分の部屋に向かって足を進めた。
ひと目のないそこでなら、彼女もエリアスとの出来事を話しやすいと思ったのだ。
アキは小さく頷き、なにも言わずに自分に腕を引かれるままに後ろをついてくる。
その姿をちらと目だけを動かして確かめてから、レオは前方に顔を戻してひそかにため息をついた。
――ったく、なにがあったか知んねぇけど、アキのこと泣かすんじゃねぇよ、エリアス。
「とりあえず、そのへんに適当に座ってもらえるか」
アキを自分の部屋に招き入れたレオは、部屋の中央に置かれているテーブルと椅子を目で示した。
とぼとぼとおぼつかない足取りで部屋に入ってきたアキは、それに頷いて、手近にあった椅子に浅く腰かける。
レオは、アキの真向いに座ることがなんとなく気後れして、自分がさきほどまで寝ていたベッドの上に無造作に座り込んだ。
彼女と適度に距離が離れていたほうが、エリアスとなにがあったのか、何気ない調子で聞きやすいと思ったのだ。
レオは足を前に投げ出して、両ひじを後ろに伸ばして体を反らし、ぼんやりと天井を見上げながらアキに問いかける。
「……で、エリアスとなにがあったんだ? あいつになにかひどいことでも言われたのか」
今回のことで意気消沈しているであろうエリアスが、彼の様子を見にいったアキに対して、甘えて八つ当たりでもしたのではないかと予想していた。
エリアスがアキに好意を持っているのは明白だ。だから、好きな女性の優しさに甘えて、うっかりひどいことを言って傷つけたりしたのではないかと思ったのだ。
アキは揺れる瞳でレオを見つめたあと、すぐに沈んだ表情でうつむいてしまった。
なにか話しだすかと思って辛抱強く待ってみたが、彼女は口をつぐんだまま、視線をじっと膝の上の拳に落としたまま動かない。
レオは、アキの気落ちしている横顔を眺めて、がしがしと後ろ頭をかいた。
(……こりゃ、少し落ちつかねぇと無理かもなあ)
エリアスの部屋の前に座り込んで大泣きするほどのことがあったのだ、彼女にとってそうやすやすと口にできる問題ではないのかもしれない。
レオは、ふー、と長く息を吐いてから、膝を叩いて立ち上がる。
「まあ、気が乗ったら話してくれりゃいいよ。……そうだな、とりあえずなにか飲むか? 下で頼んできてやるよ」
この宿屋は、二階はすべて客室に宛がわれているのだが、一階はロビーと一緒に簡易なレストランが併設されている。
そこでなにか甘いものでも頼んで、それを飲みながら話せば少しはアキの気も晴れるかもしれない。
「いいよ、悪いよ」と遠慮がちに言うアキに、「俺も甘いもんでも飲んで魔力回復してぇから」と理由をつけて納得させてから、レオはアキを部屋に残して廊下に出た。
ぱたり、と背中で寄りかかるようにして扉を閉めてから、なんとはなしにエリアスの部屋の方向へ視線を向ける。
しんと静まり返った場内は、まったく人の気配を感じさせない。
エリアスの部屋を見つめながら、レオはため息まじりに思う。
(……エリアス、おまえ、聞こえてたんだろ?)
彼の部屋の前で、耐えきれずにうずくまってしまったアキの悲痛な泣き声を。
自分が泣かせてしまったとわかっていながら、部屋の中に閉じこもって聞こえないふりをしていたのだろうか。なにかの衝動を抑えるように強く唇を噛みしめて、アキのすすり泣きが止むのをじっと耐えていたのだろうか。
どんな理由があったにせよ、彼女に好意を持っている自分にとっては、彼女のことを泣かせる男はたとえ親友であっても許せそうになかった。――いや、親友だからなおさらなのかもしれない。
(なんのために、俺が身を引いたと思ってんだよ)
二人が相思相愛で、二人に幸せになってほしかったから、自分はアキのことを諦めようと思っていたのだ。――それなのに。
(……こんなことじゃ、おまえにアキのことは任せらんねぇよ、エリアス)
部屋の中にいるであろうエリアスに、心の中で伝えるつもりで思い描きながら、レオは一階へと続く階段を下りるのだった。
一階のロビーへ降りたレオを出迎えたのは、彼のふさいだ気分を追いやるほど賑やかな仲間たちの姿だった。
大きな円形のダイニングテーブルを囲んで雑談していた仲間たちは、下りてきたレオに気づくなり、いっせいにこちらを見て顔をほころばせた。
その中で紅一点の赤髪の女性――ミーナが勢いよく椅子を立ち上がり、片手を上げてぶんぶんとそれを振ってくる。
「あ、レオ――――! 気がついたのね! 体調は? 平気?」
レオもまた、いたずらに、に、と唇を持ち上げて片手を上げてみせる。
「おー、なんとかな。おまえらのおかげで命拾いしたぜ」
おそらく、古代魔法発動後に気を失ってしまった自分を助けてくれたのは彼らなのだろう。
ありがとな、とお礼を言いながらミーナたちに歩み寄れば、まっかせなさい、と彼女がどん、と自分の胸を叩いてみせた。
場内には、ミーナ、ルイス、それから魔族のサトクリフ、そして、あいかわらず神経質そうに背筋をぴんと伸ばして座っているヨハンの姿があった。彼は、いつも重たそうに着ている純白のローブは身につけておらず、ラフなハイネック姿をしている。なかなかヨハンの部屋着を見る機会はないので、物珍しくも見えた。
レオは、一番手前に座っていたヨハンの背中側に立って、上から彼を覗き込む。
「よぉヨハン。おまえも無事に生還できたみたいでよかったぜ」
「貴方もあいかわらず頑丈なようでよかったです。……まあ、さすがに今回ばかりは自分でもよく切り抜けたと思いますよ」
肩をすくめて言ってから、ヨハンは、ふ、とやわらかく笑む。
「こうして無事に帰って来られたのも、みなさんがいてくれたおかげでしょうね」
心から感謝しているのか、ヨハンがやさしく目を細めていう。
不意にそんな顔をされて度胆を抜かれていると、そんなヨハンの背中を、近くに立っていたミーナが遠慮なくどついた。
「やだっ、ヨハンってばいつになくしおらしい!」
「ちょっとっ、痛いんですけど!」
あまりの勢いにテーブルに顔をぶつけそうになったヨハンが、ひどいな、と笑みを浮かべながら憤慨している。
ミーナを挟んでヨハンとは反対側に腰かけていたルイスが、腕を伸ばしてミーナの腰のベルトを引っ張り寄せる。
「ミーナ、おとなしくしなさい。どうして君はそう落ち着きがないんだ」
「なによ! あんたなんか年齢のわりに老け込みすぎでしょ!」
「落ちついていて物腰柔らかだと言ってほしいのだが」
「よくそういう台詞自分で言えるわねっ」
「はいはい二人とも―――! 痴話げんかはよそでやってください暑苦しいだけなんで」
ルイスとミーナの終わりのないかけ合いに、サトクリフが立ち上がって両手を広げながら制止に入っている。
(なんか、こいつらすげー仲良くなってんな……)
自分が二階でぐーすか寝ている間に、ずいぶんと打ち解けたものだ。
(エリアスにも見せてやりてぇな)
――おまえの周りには、こんなにも良い仲間たちが集まっているのだと。
だから、ひとりで抱え込む必要なんかなく、安心して仲間に頼っていいのだと。
仲間たちが楽しげに笑っている様子を目を細めて見守っていると、ふとサトクリフがその輪から抜けてレオの前にやって来た。きょとんとするレオに構わず、サトクリフはおもむろに勢いよく頭を下げる。
「――レオ様、このたびは、オレの身勝手な行いで貴方様の大切な方たちを命の危険にさらしてしまい、大変、申し訳ございませんでしたっ……」
まるでレオに殴られることを覚悟しているふうで、サトクリフは頭を垂れたまま微動だにしない。
仲間たちもサトクリフの振る舞いに気づいで、どこか気遣うような表情でこちらに注目している。
レオは首の後ろに手を当てて考えるしぐさをしてから、頭を下ろしたままのサトクリフの両肩に勢いよく手を置いた。驚いて顔をはね上げる彼に、レオは、に、といたずら坊主のように笑ってみせる。
「まあ、今回のことはおまえの行動がきっかけで起きちまったことかもしれねぇが、それはもういいんだよ。そのあと、おまえが必死に俺たちに力を貸してくれたのはわかってるしな」
自分だけではない、仲間たちの誰もがサトクリフと分け隔てなく接しているところをみると、みな彼のことを許して、そして仲間として迎え入れているのだろう。
それを今さら、もう済んでしまったことの怒りを蒸し返して彼を糾弾する気にはなれなかった。自分の行いに対する誠意が、サトクリフから感じられたからだ。
「だから、もうそれは言いっこなしにしようぜ。おまえがそれじゃ気が済まねぇってんなら、エリアスの代わりに一発殴ってもいいけどな」
冗談交じりに言ってみれば、サトクリフはレオの言葉に目を潤ませながらも、律儀に片方の頬を差し出した。
「ど、どーぞ……! 一発といわず、何発でも殴ってやってください!」
「おいおい、おまえも大概真面目な性格だな。――じゃあ、なんだ、殴る代わりに、これからエリアスとアキの力になってやってくんねぇか」
交換条件、とばかりにレオが苦笑しながら提案すれば、サトクリフはぱちぱちと目を瞬いた。レオは、自分が突拍子もないことを言っている恥ずかしさに頬をかきながら続ける。
「まあ、魔族が勇者に力を貸すって、そりゃ前代未聞かもしんねぇけどさ。けど、正直、魔族が味方……とまではいかないにしても、ひとりでも勇者の敵に回らなくなったら、俺たちにとってはだいぶ楽なわけよ。エリアスと魔王が、今後全面的に戦うことになるかはわかんねぇけどさ」
身体能力にも魔力にも秀でる魔族は、勇者一行にとって魔王と同等に脅威となる存在なのだ。その魔族がひとりでもこちらに好意的になってくれるならば、だいぶ戦況は楽になる。
頼むぜ、と気さくに笑んでサトクリフの腕を叩くと、彼は感極まった様子で瞳を揺らした。
「は、はい……! 勇者殿のため、アキの姐御のため、そしてレオ様やみんなのために、オレにできることがあればなんでもお申しつけください!」
そうして大きく息を吸うと、ふたたびがばりと盛大に頭を下げる。
「許してくださって、ありがとうございます……!」
どこまでも律儀なサトクリフに、逆にこちらが焦ってまごついてしまう。頭を下げたサトクリフごしに、そんな自分たちの様子をあたたかく見守っている仲間たちと目が合った。
サトクリフによって多くの問題が起きたことは事実だが、それ以上に、きっと彼は今後エリアスの強い味方になってくれるだろうと思う。これもまた、なににも代えがたい出会いだったのだろう。
レオはサトクリフの肩を叩いて笑いかけてから、仲間たちが囲んでいるダイニングテーブルに歩み寄った。
「――で、おまえらはみんなで仲良くなにしてたんだよ?」
ただくっちゃべってただけなのか、と聞けば、手前に座っていたヨハンが首を振った。そうして、テーブルに置かれているものを見るように、レオを目でうながす。
レオが訝しげに後ろ腰に手を当ててテーブルを覗き込むと、そこには、臙脂色の分厚い本が無造作に開かれて置かれていた。年季が入っているのか、ところどころ黒ずんだり破けたりしている。
レオは目を見開いた。それは、まさか――。
息を呑んだレオの心中を察したのか、ヨハンが頷く。
「貴方の思うとおり、これが、この世界の真実の成り立ちについて記されている『創世記』の写本です。みんなでこれを読み始めようとしていたところだったのですが――まさか、写本が存在するとは思いませんでした。『神殿』にある原本だけではなかったんですね」
(写本……。アキが言ってたやつか)
洞窟で彼女から聞いた話を思い出す。サトクリフは、エリアスにこの写本を渡すために魔王の命令で動いていたと。
サトクリフがレオの隣に並ぶ。
「まあ、なにせ『神殿』にバレねェように魔族が隠し守ってきた秘蔵の書だからなァ。ちなみに、原本を書いたのがイヴァン・クラレンスで、この写本を書いたのがレナード・ゲインズなんだぜ」
サトクリフの言葉に応えるように、ルイスが『創世記』の一番後ろの頁をめくってみせる。すると、たしかにそこにはレナードのサインが走り書きされていた。下手くそな文字が、どことなく自分を想起させる。
(俺の、ご先祖さまなんだよな……)
創世暦時代に活躍した革命家のひとりであり、女神の聖遺物の使い手でもあり、そしてヨハンの先祖であったというイヴァン・クラレンスの親友だったという人物――。
いったい彼は、創世暦時代にどんな偉業を成し遂げたのだろう。
どうして彼の情報はイヴァン・クラレンスほど世に知られていないのだろう。
そして、その末裔だという自分には、いったいなにが、できるのだろう――……。
のどから手が出るほどに渇望していた『創世記』を前に、レオはみんなが注目する中で手を伸ばしかけたが、ふるふると首を振ってその手をひっこめた。
意外だったのか、レオの不可解な行動に真っ先にヨハンが首を傾げる。
「どうしたんですか。あれほど読みたいと言っていたのに」
目を瞬かせるヨハンに、レオは、あー……、と口ごもりながら後ろ頭をかいてみせる。
「……それがさ、今、どうにもそれどころじゃねぇ事態でな」
「なにかあったのか?」
深刻そうに問いかけるルイスに、レオは視線を伏せる。
「ああ。実はいま、俺の部屋にアキが来てるんだけどな」
「へ?」
なにかを勘違いしたのか素っ頓狂な声を上げるミーナに、レオは慌てて顔の前で両手を振って弁解する。
「違うっ、誤解すんなよ、べつになにか男女の……そういう変なことがあるわけじゃねぇんだ。なんか、アキのやつが、どうにもエリアスとなにかあったみたいでな。俺が部屋から出たときに、あいつ、エリアスの部屋の前で泣いてたんだよ」
え、といっせいに心配げな表情を浮かべる仲間たちを見渡して、レオは思案するように顎に手を当てた。
「まあ、俺もまだ詳しい事情は聞いてねぇから、なにがあったかはわかんねぇんだけどな。大方、エリアスがアキにひどいことでも言ったんじゃねぇかなって思ってんだが……。だから、とりあえずアキから話を聞こうと思って、俺の部屋に来てもらったんだよ」
仲間たちはお互いの顔を見合わせ、そしてミーナがみんなを代表するようにおずおずという。
「そう……。じゃあ、とりあえずエリアスは無事に目を覚ましたってことなのね。それはよかったんだけど――……そのぶんだと、エリアスがアキになにかやらかしちゃった感じなのね」
「……まあ、あれだけのことがあった後だからな。いくらエリアスとはいえ、気が動転しているのだろう。すべてが今までどおり、何事もなく済むということは、ないのだろうな」
ルイスの静かな声音に、みんなが一様に息を吐きながら視線を落とした。
沈黙に包まれる場内の空気を破ったのは、意外にも今までずっと黙り込んでいたヨハンだった。
「まったく、世話が焼けますねえ、エリアスは」
言葉とは裏腹に明るい声で言って、ヨハンはいたずらに笑む。
「どうせまた、こんなことになったのは自分のせいだと、勝手にひとりで責任を感じて落ち込んでいるんでしょう。彼は昔からそうでしたからね」
『神殿』でエリアスと過ごしてきた幼少期を思い出しているのか、ヨハンは懐かしそうに目を細めた。思い出を語るように続ける。
「まあ、エリアスの自責の念が人一倍強いのは、彼が『勇者』として完璧であろうとするからです。彼は、自分の存在価値がそこにしかないと思っていますから……」
エリアスのそういった側面に思い当たるふしがあったのか、みんな申し合わせたように気を落とす。ヨハンは短く息を吐いた。
「……けれど、彼もひとりの人間なのですから、常に完璧であることなどほぼ不可能なんです。だからこそ勇者を支える仲間が――僕たちがいるのだと、今回のことで、あの強情っぱりなエリアスも気づいてくださるといいのですが」
最後におどけるように言って、ヨハンは小さく笑った。その明るく無造作な口ぶりが、場内の辛気臭さを打ち払うようだった。
たとえ『勇者』といえども、今回のように、己の力だけではどうしようもない問題に直面することもある。
そんなときは、自分ですべてを解決しようとせず、周りの仲間を信じて頼り、助けてもらえばいいのだ。
自分の力が及ばないところは、それができる仲間に補ってもらえばいい。エリアスにはそういった意識が必要なのだろう。
(ある意味エリアスは、『勇者』としてのプライドがすげー高いのかもしれねぇな……)
完璧で立派な、世界中の模範となるような人物であるよう、固執しているのかもしれない。
そうでもしないと、彼は自分の生きる意味を保つことができないのだ。
ヨハンが小さく肩をすくめた。
「そんな感じで、エリアスは他人にいっさい弱みを見せようとしないんです。ですが今回、めずらしく他人に――アキに対して八つ当たりでもしたようですね。僕はいい傾向だと思います。まあ、彼女は『勇者の片腕』であり勇者の秘書なのですから、それくらいの面倒は見てもらって当然ですよ。業務範囲内です」
ヨハンの言葉が言い当て妙で、レオは思わず、ふは、とお腹を抱えて吹きだした。
「業務範囲内、たしかにな! ほんっと、エリアスもアキも、あいつらって目を離すとすぐこれだからな。俺らがいなきゃ駄目なんだよな」
「そういうことです。自分たちだけでなんでもできると思っているのは当人たちだけなんですよ」
「おまえは人のこと言えないだろ!」
即座にヨハンにつっこみを入れると、ヨハンがぎくりと固まると同時に、仲間たちがどっと笑いだした。
ヨハンだって、自分たち勇者パーティと『神殿』との確執に挟まれながら、誰にも相談せずに自分ですべての問題をなんとかしようとしているのだ。他人に迷惑をかけたくない、だから自分で全部解決してしまおうと躍起になるのは、だれしもにある一面なのかもしれない。
ヨハンはきまり悪そうな顔で咳払いをしてから、話を変えた。
「――とにかく、『創世記』や今後のことはこちらで決めておきますので、レオはエリアスとアキのことを頼みます。こういうことは、貴方が一番上手くやってくださると思いますので」
そうレオに告げてから、ヨハンは『創世記』をルイスに渡し、ルイスが「引き受けた」と二つ返事で頷いている。
その様子を見るに、ルイスがこの中でもっとも古代語に精通しているのだろう。知識人が身近にいてくれるというのは助かる。
レオはレストランのカウンターに足を向けると、奥にいる宿屋の亭主に声をかけ、紅茶に蜂蜜を溶かし込んだ飲み物を二つ注文した。
甘い飲み物は女性に人気の飲み物だ、きっとアキも気に入るだろう。
そこまで考えて、レオは、ふとこの場にナコの姿がないことに気がついた。自分がエリアスたちを探しにクエストに出かけたとき、彼女はここでヨハンと留守番していたはずなのだが……。
レオは、飲み物が二つ乗ったトレーを抱えながら、ヨハンに体を向ける。
「おいヨハン、ナコのやつはどこ行ったんだ? また食材の買い出しにでも行ってんのか?」
アキに似て行動派の彼女のことだから、ぼろぼろになって帰ってきた姉を支えるために、あれやこれやと買いそろえるために町に出ているのだろうか。
ヨハンはサトクリフと顔を見合わせたあと、ゆるく首を振った。
「……いえ、彼女は少し……事情がありまして、魔王と一緒に先に魔王城に帰っています。僕が立ち会いましたので、無事であることは間違いないんですが……」
レオが訝しげな顔をすると、サトクリフがひょいと口を挟んだ。
「オレ、これから一足先に魔王城に帰りますんでナコ嬢の様子を見て来ますよ、レオ様。彼女の事情については、魔王様から直接聞いてもらったほうがいいと思いますんで」
魔王から、ということは、ここで軽く話せるような内容ではないのかもしれない。
そう判断したレオは、それ以上追及せずにサトクリフとヨハンに頷いてみせた。
「わかった。ナコが無事なら俺はそれで構わねぇからな。アキにそう伝えておくわ。じゃ、俺はちょっくらアキを励ましに行ってくるかねぇ」
そのあとエリアスからも話を聞いて、精神的にまいっているであろう彼を叱咤激励しなければならないだろう。
まったく骨が折れるぜ、とレオは苦笑いを浮かべる。
世界中から勇者様と崇められ、世界の命運を背負って立つ英雄も、素顔はただの悩める少年なのだ。間違ったことを考えているのなら、ぞんぶんに叱ってやらなければならないだろう。
(それができるのは、仲間である俺たちだけなんだからな)
決意をして二階への階段を上りかけたレオの背中に、ミーナが声をかける。
「頼んだわよ、レオ!」
レオは振り向かずに、トレーを持ったまま器用に片手だけを上げた。
「おー、なんとかやってみるわ。なにかあったら相談にのってくれ」
言って、レオは仲間たちの視線を背中に受けながらロビーをあとにする。
仲間たちは、去っていくレオの姿に、まるで戦場におもむく戦士を見送るように声援の眼差しを向けるのだった。




