第三十六話 駆け付けた仲間
「ラスト一体! ――これでもくらいなさいっ!」
ミーナは軽やかに跳躍し、最後の一匹となった魚人の首をかき切った。
ルイスの月系魔法の効果によって鈍足になっていた魚人は、かわす間もなく首を断ち切られ、鮮血をふきだして地に倒れ伏す。
ミーナは小さな切り傷だらけの自分の全身を一瞥してから、ナイフの血のりを打ち払って、後ろ腰にしまい込んだ。
「ふう……。これでなんとか全部片づいたかしら」
多少の手傷は負ったけれど、自分もルイスも冒険者として相当な経験を積んでいるため、たいした傷も負わずに数体の魚人を全滅させることができた。
吟遊詩人であるルイスと盗賊の自分という、攻撃力に特化した戦士系の職業なしでの戦いぶりとしては快挙だろう。
(――それにしても……)
ミーナはとことこと歩いて通路の端まで行き、上からそろっと側溝をのぞき込んでみる。
底なしのような深く暗い穴が、自分のいる通路から側壁までぽっかりと続いていて、そこから地下の冷気が湿った空気となって上がってきている。地下は、おそらくここよりもずっと寒いのだろう。
ミーナは目尻を落として、その場で深く息を吐きだした。
(エリアスもアキも、無事だといいんだけれど……)
自分がこのクエストに二人を誘ってしまったばかりに、命の危険にさらすような目に遭わせることになってしまった。特にアキは冒険者になったばかりで、クエストは今回が初めてだと言っていた。おそらく魔物との戦闘だって数回しか経験がないはずだ。
なのに、魔物に後ろから不意打ちされるような怖い思いをさせてしまうなんて――……。
ミーナは白くなるほどに唇をかむ。
自分にとって、アキは初めてできた冒険者の女友達だった。自分はなまじレベルが高いため、単独でクエストに挑んだほうが効率がいいこともあり、よほどのことがなければ他の冒険者とパーティを組まなかったのだ。
(だから、アキともっと仲良くなりたいって、彼女のこと大切にしようって思ってたのに……)
自分の力不足を痛感して、ミーナはぐしゃりと前髪をかき上げる。
自分は、もっと強くならなければいけないのだ。
自分ひとりではなく、パーティを組んだ仲間のこともしっかりと守れるくらいに。
(……全然駄目ね、あたし……)
――大切な友だちも、守れないなんて。
側溝を見つめたまま思いつめていると、自身の武器である弦楽器を背負い直したルイスが、気づかうような表情で隣に並んだ。
「ミーナ、君の気持ちもわかるが、アキにはあのエリアスがついているんだ。天下の勇者殿が一緒にいるのだから、おそらく二人とも無事でいるはずだ。心配することはない」
「……ええ、そうね」
つぶやくように同意しながらも、心配する気持ちは抑えきれなかった。
胸のあたりできゅっと拳を握っていると、それを横目に見たルイスは、なんと声をかけたらいいものかと悩むような仕草をしてから、ミーナの背中を軽く叩いた。
「経験の多い君ならわかっていると思うが、ここは道幅が狭い。また複数の魔物に襲われては、今度こそ私たちだけでは太刀打ちできないかもしれないぞ。早めにここから移動するべきだ」
「わかっているわ」
ルイスのことが小うるさく感じてしまってぶっきらぼうに返答すれば、彼が肩を竦めた。
「君はあっけらかんとしているように見えて強情だな。気の強い女性は嫌いではないが、いつまでも後悔して立ち止まっているような後ろ向きな女性は私のタイプではない」
「ちょ……!」
不意打ちで心外な言葉をかけられて、ミーナはルイスを睨みつけた。
「あのねぇ、あんたの女性の好みなんて聞いてないわよっ! どうしてそういう方向へ話を持っていくのよ!」
鼻息を荒くして詰め寄れば、ルイスが不意打ちのようにふっとやわらかくほほ笑んだ。
「……よかった、やっといつもの君に戻ったようだな」
――え……?
思ってもいなかった反応にぽかんとしてしまうと、ルイスがその綺麗な口もとを持ち上げて、目を細めて笑む。
「うじうじしているのは君らしくないぞ。それに、このまま先に進めばエリアスたちと合流できるかもしれないだろう? そんなことに考えが及ばない君ではあるまい。こんなところに立ち止まっていないで、元気をだして先に進むべきだと思わないか」
笑顔を浮かべながら軽く首をかしげるルイスに、ミーナは弾かれたように赤くなる。
まったく、いつも道化みたいにおどけているくせに、こういうときだけ突然やさしくしないでほしいと思う。貴族出身のルイスは、庶民出の自分など相手にしてはくれないだろうから……。
それなのに、こんなふうに自分が弱っているときに励ましてもらえたら――。
(誤解しちゃいそうに、なるじゃない……)
もしかしてルイスは、自分のことを少しは気にかけてくれているのかも、っと……。
その短慮を振りきるように、ミーナはわざとらしく溜息を吐くふりをして、ルイスからついと視線をそらした。
「ば、ばかじゃないの。あたしは別に、いつも通りよっ……」
ミーナの強がりなどお見通しであるように、ルイスはくっくっと軽く笑う。
「そうか。では、君が弱気に見えたのは私の勘違いだったようだな」
「な――」
なに言ってるのよ、言い返そうとしたミーナの口もとに、ルイスがそれをさえぎるように人差し指を当てた。
「君がアキやエリアスのことを大事に思っているのは、私もよくわかっているよ。――いち冒険者である我々が、勇者とその片腕である彼らと出会えたのは、女神に導かれたなんらかの運命なのかもしれないな。だから私たちは、力の限り彼らを守ろう。彼らが背負っているものは、誰が背負うにも大きすぎる、世界の命運なのだから」
とつとつと語るルイスに、ミーナは同意するように深くうなずいた。
自分の持つ力なんて微々たるものだけれど、アキたちが誰かの助けを必要としているときは、必ず駆けつけて一番の味方でいたいと思う。
エリアスやアキが背負っている使命を、仲間として一緒に背負えるくらいに強くなりたいと思うのだ。
(……二人とも、あたしの大切な友だちだから)
決意をあらためたミーナの頭に、ルイスが励ますようにぽんと手を乗せた。
やめてよ、と照れ隠しに彼の手を振り払おうとしたそのとき――彼のおだやかだった表情が、血の気が引いたように一気に凍りついた。
「ルイス……?」
どうしたの、怪訝な顔でルイスの顔を見上げると、彼はなにも答えずに道の先を見すえる。
「――遅かったか。ミーナ、新手だ」
「え……?」
ルイスにならって一本道の先にすばやく視線を向けると、そこには、先程と同じ半魚人が十体、前方から獲物を追いつめるようにじりじりと差し迫ってきていた。こんなところで話し込んでいたから、魔物の格好の的になってしまったのだろう。
――あたしのせいだわ……!
お腹の底が冷える思いがして、ひ、と喉の奥が鳴る。冷たい汗が頬を伝った。
「ルイス、あたしのせいで、ごめんなさいっ……!」
ミーナは強張った表情で魔物から視線を外さないまま、傍らのルイスの袖口を握る。
普段のコンディションならば、半魚人の十体程度、ルイスと二人で片づけられたかもしれない。けれど、今の自分たちはさきほどの戦闘でいくらか負傷していて、疲労もしている。傷の治癒魔法の使える『神官』の冒険者もいないので、回復する手立てがないのだ。
エリアスもアキもいない今、自分たちだけで、あの数の魚人を相手にできるのだろうか――。
ミーナは後ろ腰からすばやくナイフを引き抜いて、眼前に構えた。冷や汗で汗ばんだ手の中で、ナイフがずるりとすべりそうになり、慌てて握り直す。
――どうする。どうやって切り抜ける。
「ミーナ」
頬から汗をひとつ落としたルイスが、ミーナに視線を向けずに、少しずつ距離を詰めてくる半魚人を睨みすえた。そうして、小さく口を開く。
「私が月系魔法であの半魚人を足止めしよう。その間に、君は来た道を戻って逃げ――」
「そ、そんなことできるわけないじゃないっ!」
ルイスの言葉をさえぎるように、ミーナはちぎれんばかりに首を振って叫ぶ。
「あんたを置いて、あたしだけ逃げられるわけないでしょうっ!」
――馬鹿言わないでよっ……!
感情的に叫んだ最後の言葉は、涙がにじんで言葉にならなかった。
仲間を置いて自分だけ逃げられるわけがない。ルイスを置いていけるわけがない。彼は大切な仲間なのだから。
(ううん、それだけじゃない……)
きっと自分は、少しずつ彼に仲間以上の感情を抱き始めているのだと思う。彼の懐の広さと落ちついた人柄に惹かれ始めているのだ。絶対にこんな変わり者ごめんだと思っていたから、なんとなく癪だけれど。
ミーナは覚悟を決めるように、ナイフを握る手にぐっと力を込める。
こうなってしまったのは、いつまでも悩んでこの場にとどまっていた自分の責任だ。ルイスは、こうなることを予想して、新手の魔物が現れる前に先に進もうと提言してくれていたのだから。
(だからあたしが……)
ミーナは臨戦態勢で腰をかがめる。そうして、前方から迫りくる魔物たちに挑むような目を向けた。
(だからあたしが、ルイスのことも、自分のことも、全部守ってみせるわ……!)
「ルイス!」
ミーナは、隣の彼を仰ぎ見る。
「あたし、少しでも勝てる見込みがあるなら戦うわ! お願いっ、一緒に戦いましょう!」
どちらかがどちらかを逃がすために、囮になるのではなく。
こんなところで負けるわけには、命を落とすわけにはいかない。
――だってあたしたちは、誇り高い勇者エリアスの仲間なのだから……!
一度深く息を吐きだして、ミーナが地を蹴って半魚人たちに突っ込んでいこうとしたその瞬間だった。
空間を切り裂くように、後方から鋭い男声が飛ぶ。
「――伏せろ!」
「え――……?」
その有無を言わせぬ迫力に、ミーナがほうけて後ろを振り向こうとしたそのとき、ルイスが彼女を強引にひったくって地に転がった。ミーナは、ルイスの体で守られながら、地面に倒れ伏す。
間髪入れず、男声が聞こえた方向から強力な月系魔法を示す光がわき起こった。
目のくらむような光量。
光の強さは月系魔法の難度によって変わり、威力の高い魔法ほど発する光の量も増えるのだ。ということは――……。
(あの強い光、おそらく相当な上級クラスの月系魔法……!)
ルイスの下敷きになって地面に伏せた状態で、ミーナは光の発生源に目を凝らす。
直視できないほどにまばゆい光の奔流の中央で、黒髪の見知らぬ男が前方に向けて長い腕を伸ばしていた。そうして、男は寸分の狂いもない指の動きで、複雑な魔法陣を描き出していく。
「――暗やみを照らす箒星、幾重にも疾れ」
男の口から発せられたその呪文を聞くなり、自分の上に覆いかぶさるルイスが息を呑む気配がした。
「まさか……最上位魔法か……? 使える者は、ごく少数しかいないはず……!」
ルイスの驚愕を体現するかのように、男は最上位魔法にふさわしい光の洪水に包まれながらも、どこか余裕に口角を持ち上げているように見えた。
そうして、朗々とした声音で、呪文の最後の言葉を高らかに発する。
「――息を吐く暇もないほどに、駆け抜けろ! ――さあ、行ったれやっ!」
呪文を切り結んだと同時に、男が目の前に浮かんだ複数の魔法陣をかき消すように腕を振るった。途端、無数の光線が半魚人めがけて疾走していく。すさまじい轟音。それとともに、光線は半魚人を焼き切るように串刺しにする。
閃光のような光がやがて収まって、いまだ床に伏した状態でミーナがおそるおそる目を開けてみると――そこには、光の槍に射抜かれた半魚人の遺骸が、消し炭のように点々と残されているだけだった。
(……まさか、たったの一撃で……全部、倒したの……?)
先に立ち上がったルイスに腕を引き上げられて、ミーナはぽかんと口を開けたまま立ち上がる。
彼は、誰なのだろう。自分たちを助けてくれたようだけれど、顏に見覚えはない……ような気がした。あれだけの強力な魔法を放てるのだから、そうとうな手練れの魔法使いなのだと思うけれど……。
黒髪の男は、体をほぐすようにぐるぐると肩を回してから、呆然とたたずんでいるミーナとルイスのもとへとゆったりと歩み寄ってきた。
知的さをただよわせる紫の切れ長の瞳に、見事なほどに黒い髪。すらりと背も高く、男前だ。思わず見惚れてしまっていると、男は、人好きのするやんちゃな笑顔を浮かべて、片手をあげた。
「よぉ、間一髪だったな。怪我はねぇか」
「あ、えっと……」
あまりにも気さくに話しかけられて、気が張っていた自分は面食らってしまってろくにお礼を言えないでいると、隣にいたルイスが一歩前に進みでた。
「ああ。おかげさまで命拾いさせていただいたよ。――高名な魔法使いとお見受けしたが、名前を聞いても?」
ルイスが、口角を持ち上げて黒髪の男にたずねる。含んだようにほほ笑んでいるところを見ると、もしかしたら、ルイスは男の正体にある程度予想がついているのかもしれない。
ルイスの問いかけを受けて、黒髪の男は気前良く唇を持ち上げた。
「俺の名前はレオ・ゲインズ。ちっと人を探してんだけど、おまえら知らねぇか?」




