↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山の上のマンション 〜うさぎの管理人と、ひとり暮らしの瞳さん〜  作者: まーサンタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/19

第19話


朝の光が、ゆっくりと山の斜面を照らしていた。


十五階の窓から見える景色も、少しずつ明るくなっている。


瞳はいつものようにカーテンを開け、しばらく外を眺めてから、お茶を淹れた。


今日は特に予定があるわけではない。


それでも、少し外の空気を吸いたくなった。


小さなバッグを手に取り、部屋を出る。


エレベーターに乗り、一階へ向かった。


扉が開く。


エントランスには、まだ朝の静けさが残っていた。


そのときだった。


入口の近くに、一人の住人が立っている。


黒い羽根。


大きな丸い目。


梟の尾形さんだった。


普段なら、この時間には眠っているはずの人だ。


「おはようございます、尾形さん」


「……あ、おはようございます」


尾形さんは少し驚いたように振り返った。


「今日はお休みですか?」


「はい。夜勤が……休みなので。今日は、少し出かけようかと」


そう言ってから、尾形さんは少し黙った。


昼間に外へ出ること自体、本人にとっては少し新鮮なのだろう。


瞳が微笑む。


「昼間の街は、尾形さんには少し珍しいかもしれませんね」


「そうですね……。いつも寝ている時間なので」


そんな話をしていると、エレベーターが再び開いた。


出てきたのは、若い女性だった。


人間の飯田さんの奥さん、美和さん。


瞳とは何度か顔を合わせている。


「おはようございます、瞳さん」


「おはようございます、美和さん」


美和は軽く会釈をしてから、尾形のほうを見る。


そして、少しだけ首を傾げた。


尾形も同じように美和を見る。


二人の間に、ほんの少しだけ沈黙が流れた。


尾形は何か言おうとした。


けれど、言葉がすぐには出てこない。


瞳は、その様子を見て微笑んだ。


「そういえば、お二人はまだお会いしたことがありませんでしたね」


「あ……はい」


尾形が小さくうなずく。


「こちら、梟の尾形さんです。夜勤のお仕事をされているので、普段は昼間にお会いすることがほとんどないんですよ」


「そうなんですね」


美和が笑顔を向ける。


「初めまして。飯田美和です」


「……尾形です。よろしくお願いします」


尾形は少し緊張したように頭を下げた。


「よろしくお願いします」


美和も頭を下げる。


それで会話が終わってしまいそうになった。


尾形は人見知りをする。


瞳には、それがなんとなく分かっていた。


そこで、少しだけ二人の間を取り持つように言った。


「尾形さんは、ご両親思いで、とても優しい方なんですよ」


「え……」


尾形の丸い目が少し大きくなる。


「瞳さん……」


「本当のことですもの」


「いや……その……」


尾形は言葉を探すように口を動かした。


そして、少し照れたように視線を逸らす。


羽根のあたりまで、なんとなく恥ずかしそうに見えた。


美和はそんな尾形を見て、ふっと笑った。


「素敵ですね」


「……ありがとうございます」


今度の返事は、先ほどより少しだけ柔らかかった。


「私も、両親とはよく連絡を取ります」


美和がそう言うと、尾形も顔を上げた。


「そうなんですか」


「はい。遠くに住んでいるので、電話することが多くて」


「……それは、大切ですね」


「はい」


短い会話だった。


けれど、さっきまでのぎこちなさは少し薄れていた。


瞳は二人を眺めながら、静かに微笑んだ。


「こうして昼間に会えるのも、珍しいですね」


「そうですね」


美和が答える。


尾形も小さくうなずいた。


「僕も……こういう時間にマンションの人と話すのは、あまりないので」


「夜勤のお仕事だと、生活の時間が違いますものね」


「はい」


尾形は少し考えてから続けた。


「でも、夜のマンションも……結構、いいですよ」


「夜のマンション?」


美和が興味を示す。


「はい。静かですけど、誰かが帰ってきたり、エレベーターが動いたりして……。ちゃんと、みんな生活しているんだなって思います」


瞳はその言葉を聞いて、少し嬉しくなった。


昼間のマンションを知っている人と、夜のマンションを知っている人。


同じ場所でも、見えている景色は少し違う。


「なるほど」


美和がうなずいた。


「昼間とは、また違うんですね」


「はい」


尾形はそう答えてから、少しだけ笑った。


「でも……朝のマンションも、思ったより賑やかですね」


「今日は特に、ですね」


瞳が笑う。


「尾形さんが珍しく昼間にいるから、余計にそう感じるのかもしれませんよ」


「そうかもしれません」


尾形はまた少し照れたように目を伏せた。


しばらくして、三人はそれぞれ別の方向へ向かうことになった。


「では、私は買い物に行ってきます」


瞳が言う。


「はい。お気をつけて」


尾形が答える。


「瞳さんも、いってらっしゃい」


美和も笑顔で言った。


「ありがとうございます。お二人も、よい一日を」


そう言って、瞳はマンションを出た。


朝の風が、頬を撫でていく。


いつもの道を歩きながら、さっきの二人の姿を思い出す。


尾形さんは、昼間にいると少し新鮮に見える。


そして美和さんは、初対面の相手にも自然に笑顔を向ける。


人には、それぞれの時間がある。


昼に働く人。


夜に働く人。


家で過ごす人。


外へ出る人。


同じマンションに住んでいても、見ている景色は少しずつ違う。


けれど、こうして偶然出会えば、その時間が少しだけ重なる。


買い物を終えた瞳がマンションへ戻ると、エントランスの前に管理人のうさぎさんがいた。


「お帰りなさい、瞳さん」


「ただいま、いなばさん」


「今日は少し暖かくなりましたね」


「ええ。朝、珍しい方に会いましたよ」


「珍しい方?」


「尾形さんです」


「ああ」


いなばさんは納得したようにうなずいた。


「昼間に尾形さんがいらっしゃるのは、確かに珍しいですね」


「美和さんとも初めてお会いしたんですよ」


「それはよかったですね」


瞳は少し笑った。


「尾形さん、少し緊張していましたけれど」


「そうでしょうね」


「でも、とても優しい方だということを、美和さんにもお伝えしておきました」


「それは……尾形さん、照れていたでしょうね」


「ええ」


二人は顔を見合わせて笑った。


いなばさんが、瞳の買い物袋に目を向ける。


「お持ちしましょうか?」


「大丈夫ですよ」


瞳はいつものように笑った。


「今日は私が持って帰ります」


「そうですか」


「いなばさんこそ、少し休んでくださいね」


「……善処します」


その返事に、瞳は小さく笑った。


夕方。


十五階の部屋に戻った瞳は、お茶を淹れた。


窓の外には、山の向こうへ沈みかける光が見える。


昼間、珍しく出会った尾形さん。


初めて話した美和さん。


そして、いつものように働いているいなばさん。


それぞれ違う時間を過ごしている。


それでも、同じ建物の中で暮らしている。


瞳は湯気の向こうの景色を眺めた。


昼の人も、夜の人も。


家にいる人も、出かける人も。


今日もどこかで、それぞれの一日を過ごしている。


「今日も、いろいろな時間がありましたね」


そう呟いて、瞳はゆっくりとお茶を口にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。