騎士団団長レニー・レイヴンの言い訳-その①
「――エルディーテが失踪、ですか……」
騎士団の執務室で宰相のグラウスから告げられた言葉に、帝国騎士団団長のレニー・レイヴンは狼狽えていた。
休暇を許可していた部下の女騎士が一人、行方不明になったからだ。
王女サフィアの殺害事件の調書を取り纏めていた最中の報告で、それは不吉なものを感じさせた。
彼女は王女と親しい間柄であった。
その事をレニーは概ね理解していたために、真っ先に思い浮かんだのは、自責に駆られて姿を消したという線だ。
しかしエルディーテの父でもあるユーク・グラウスは至極冷静に言った。
「息子も所在不明です。私兵を使って二人を探すので、エルディーテについては休暇の延長申請をしていただければ」
呑気に休暇の延長などと言われ、レニーは前のめりに問いかける。
「手がかりはあるのですか?」
「えぇ、エルディーテから置手紙が一通ありましたので」
「そこにはなんと?」
「冥界へ行ってくる、とのみ。迷惑をかけますが頼みます」
エルディーテらしい。
手紙というには短すぎる無駄な装飾が一切ない、通達と呼ぶ方が相応しい一文が残っていたという。
ユークは、娘は何か考えがあるのだろうと言った。
冥界と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、地上と冥界を繋ぐ扉の存在だ。
エルディーテはそこに居るのだろうか。
確信は持てないが、手紙があるのだからおそらくそうなのだろう。
彼女は嘘をつかない。
きっと冥界へ行くという不穏な書置きはさぞかしユークも心配しているに違いない。
――これは好機だ。
ユークが自分を訪ねたのは娘の所属が騎士団であるが故と心得ているが、内密の話と告げられ感極まっていた。
どうにかこれをきっかけに以前と変わらぬ扱いを受けたい。
「分かりました。私の方で手続きをしましょう。こちらからも捜索隊を出しましょうか?」
「いや、身内の事なので結構。休暇の件は無理を言いますが、娘の帰る場所を残しておきたいので手間をかけます」
形式的に断られレニーの心はいとも簡単に萎れてしまう。
立場上いつも使われる敬語や、”レイヴン団長殿”といった他人行儀な呼びかけは何年経っても堪える。
かつてユークとレニーは師弟関係にあり、以前はもっと気安い間柄だった。
呼ばれるたびに当時と比較してしまう。
今やユークから話しかけられるのは事務的な会話のみ。
――どうすればあの頃に戻れる?私は間違ったことをしていないのに、何故分かってくれないんだ。
レニーにとってユークは神格化された特別な存在。
傾倒し、崇拝していると言っても過言でない。
「グラウス宰相」
レニーは縋るように呼び止めた。
「……以前から何度か打診していた婚姻の件です。……もしも私がエルディーテを探し出せたら婚姻を認めていただきたい」
今や破綻した師弟関係だが、しかしレニーは諦めきれていなかった。
ユークにとってレニーは忌むべき存在となっているだろうが、それは誤解なのだ。
そう釈明したいと常々考えていたがこれまで機会がなかった。
最近になって部下であるエルディーテを使って繋がりを持とうと思いつき、何度も婚約の打診を送り続けたが断られ今に至る。
しかし失踪した娘を連れ帰ってみせればきっと頷くに違いない。
そう考えての発言だったが、しかしレニーの言葉に立ち止まったユークの視線は冷えていた。
「……問題はやはり私の年齢でしょうか」
確信を避けて問う。
レニーは独身を貫き、昨年五十を過ぎたところだ。
エルディーテとは二回りは離れている。
ユークは静かに首を振った。
その仕草に安堵した。よかった、やはりユークは素晴らしい。
彼は年齢を理由に相手を弾くような人間ではない。
歳は離れているが自分は三男とはいえ実家の家格は公爵家、そしてレニー自身は騎士団団長という地位にいる。
なによりエルディーテは致命的にも、見える部分に火傷痕が残る傷物令嬢のため、とっくに婚期を逃していたので選べる立場でない。
様々なことを鑑みれば悪い話でないのだ。
だとすれば、やはりあのことが問題なのだろう。
「レイヴン団長殿。エルディーテは騎士ですよ」
ユークは冷えた視線を瞬いて消すと、口元に笑みを浮かべ答えた。
その口ぶりをそのまま受け取るなら、ユークは娘を一生騎士のまま生きさせるつもりなのだろうか。
エルディーテに婚約の打診がいかないよう目につくものは排除してきたが、そもそもユーク自身が娘の婚姻に積極的でないのかもしれない。
レニーの算段では、エルディーテを通じてユークの身内になり、関係を修復するつもりだったが彼は頑なだった。
「しかし……」
「それに君の愚行は鮮明に覚えています。娘が望むなら別ですが、私としては縁戚になるつもりはありません」
初めて試みた対面での打診は、はっきりと断られてしまった。
そしてユークは去ってゆく。
――やはりあれが原因なのだ。もう無理なのか?
頑なな態度を取られる度に、ある男を思い出す。
歯がゆい感情が身体から溢れ拳を振り上げ机を叩いた。
インクが溢れ、紙に染み込んでゆく。
混濁とした黒を睨みつけながらレニーは荒い息を吐き出した。
――何もかもオルディスのせいだ。結局、あれがユークにとっての一番なのだ。
王宮内の騎士塔で一番広い執務室を得ようとも、ユークはレニーを認めてはくれない。
かつて帝国騎士団に所属していたオルディスをレニーが排除したことを愚行と言って、未だに根に持っている。
どうして分かって貰えないのだろうか。
完璧な自分達の師弟関係に、あれは不要な存在だった。
だから始末した。それだけなのに。
――――レニーが、ユーク・グラウスという人物に出会ったのは七歳の頃だ。
当時のレニーは線が細く、ひ弱で、木陰で本を読んでいるような子供だった。
ちなみに本が好きだから読んでいたわけではない。
そうするしか他にやることがなかったから、読んでいただけだ。
レニーが女であれば壁の花とでも笑われていただろう。そういう位置づけだ。
三大公爵家に生まれれば将来を約束されたも同然、などと他人からは羨まれがちだが、そんなことはなかった。
レニーは望まれた存在ではなく、特に母親には「次は女だと占い師が言ったから産んだのに」と言われ続け、肩身の狭い思いをしていたのだ。
両親曰く、レイヴン公爵家は完璧な貴族であらねばならないらしい。
後継のための長男、スペアとなる次男、そして三人目は、国随一の深層の令嬢に育て王家に輿入れさせる。
それが公爵夫妻の理想だったのだ。
そのために占い師を呼び、王妃の懐妊に合わせて母は妊娠した。
だが産まれたのはレニーだ。
男が産まれたことに理想が汚されたと母は泣き、父は母に同情した。
兄達も妹が欲しかったと何かにつけて言ってくる。
性別などレニーにはどうしようもない事なのに、たったそれだけの事を何かにつけて持ち出され、母でなくレニーが悪いと皆が指をさすのだ。
そんな家族が嫌で、いつも逃げるようにして本を読んでいた。
そんなレニーを見つけてくれたのがユークだ。
七歳年上の彼は随分と大人のように見えて、そして実際に彼の頭の中はレニーの知る大人よりも大人だった。
「面白そうなものを読んでるな」
初めて声をかけてきたユークは、レニーが手にしていた図鑑に興味を持っていた。
その日、家族に連れられてきた競馬の催しを抜け出して、近くの木陰でレニーは『毒と薬草』と表題を打つ図鑑をなんの気なしに読んでいたところ、勝手に覗き込まれたのだ。
「あちらは観なくて良いのですか?」
以前に一度だけ挨拶したことが会ったので、グラウス家の人間だということは一目で分かったが、あえて挨拶はせずぶっきらぼうに訊ねるとユークは爽やかに笑った。
「いい。どの馬が勝つかだいたい分かるからな。つまらないだろ」
「……どうして?」
「ん?」
「なぜ分かると言い切れるのですか?」
当然のように言うのでその物言いが気に食わず問うと、ユークは双眸を瞬いたあと腕を組み答えた。
「あぁ……馬の体調と土壌、そしてこれまでの名声から判断すればだいたい当たる」
「ご冗談を。大法螺は嫌われますよ」
兄のように。とレニーは内心付け足して口端を上げた。
レニーの兄達は能力が追いついてない事に対してよく虚勢を張る。
しかしユークは胸の前で組んでいた腕を解くとレニーの手を取り引き上げたのだ。
「だったら実際に見せてやろう。ついて来い」
次のレースに出る馬が囲われている場所まで無理やり引っ張られ、ユークはレニーに問う。
「君はどれが勝つと思う?」
「……分かりません。でも血統のいい馬は強いと父が……」
賭け事が好きで、今も馬券を握りしめているだろう父の顔を思い浮かべる。
ただし父が勝った試しはほとんどない。
片手に数える程度なので、適当に返事をしたが自信はなかった。
「血統か、それも一つの判断材料だな。例えばあの真っ黒な馬がそうだ。ここにいる中で一番血統がいい」
「ではあれが勝つのですか?」
「いや。ここに連れられるまでの旅で疲れが出ているようだ。他より毛並みに艶がない。逆にあの左手の馬は一番体力がありそうだ。しかし優勝はしないだろう。あれは気性が荒いからな」
「気性が荒いと駄目なのですか?」
「これまでの戦歴からして呼吸が乱れがちで苛つきやすい傾向がある。呼吸が荒いとペースが乱れるだろう?駆けるリズムが安定している馬の方が最終的にはいいよ」
観衆から離れた場所で二人。
柵を覗き、食い入るように馬を見るユークの横顔を見て、変な人だとレニーは思った。
しかしそんなレニーの訝し気な視線など気に留めずユークは持論を展開する。
「しかし前日の雨で少し土がぬかるんでいるからな。こういう場合は脚が強い方が有利だろうな……とまぁ、様々な条件を鑑みた上で私が選ぶのは……あの班目模様だな」
最終的にユークの選んだ馬は、次のレースに見事勝利した。
彼の推論は驚くことに当たったのだ。
変な人だが、すごい。初めてまともに会話して得た印象はすごいの一言に尽きた。
次に話したのは、それから数か月後の狩りだ。
レニーは体力もないから足手まといになるだろうと兄二人に揶揄されたが、体裁を気にする父は兄弟全員参加を義務付けたため参加せざるを得なくなり行った先での出来事だ。
その狩は公爵家の集まりで、グラウス家の人間であるユークも参加していた。
兄達は気性が荒く繊細さに欠けるため、本で読んだ動物の生態を参考に土の状態や落ちている糞を見て獲物がどこに居るか見当を立てていたレニーを馬鹿にしてきたのを、ユークは庇ってくれた。
「君は賢いんだから、もっと前に出るべきだ。兄達に遠慮する必要はないよ」
狩場でのユークは頼もしく、そしてレニーを一度も軽んじることはなかった。
「やはり君は本を読んでいるだけのことはあるな!さすがはレニーだ」
ただ何となく読んでいたものが役に立ち、そして評価された。
その瞬間、胸に熱いものをが流れてきた。
恋ではない。
しかしそれに似た温かさがあった。
敬愛だ。
ユークはそれから狩がある度にレニーを傍に置き、そして狩猟のコツや締め方など様々なことを教えてくれた。
可愛がってもらっているのだと自覚し、そしてその様子に意外にもレニーの父が酷く喜んだ。
「グラウス家に評価いただけるとは、やったではないか」
父曰く、グラウス家は嫌いだがグラウス家の実力主義は貴族らも一目置いているため、彼らに認められるということはすなわち名実ともに成し得ていると考えられるらしい。
一種の勲章のようなものだという。
ユークに気に入られたことでレニーの家での待遇も改善した。
三男は将来的に希望がある。
今後利益となる存在になるだろうと持て囃されるようになったのだ。
それから一層、レニーはユークを兄のように慕うようになった。
実の兄よりももっと身近で何でも話せた。
金勘定に煩く、子供を駒のように扱う両親と違い、ユークは温かい。
家族よりも心の距離が近い相手だと一方的に思うようになった。
派閥の違うグラウス家とレイヴン家は仲は良くないが、むしろそれがレニーの心を駆り立てた。
この人が兄だったら良かったのにと何度考えたことだろう。
レニーは導き手としてユークに心酔し始めたのだ。
十歳になる頃には、ユークを師匠と呼んで慕った。
勉強や剣術は家庭教師から学んだが、人生の哲学や、形式にとらわれない雑学的なものはユークから学んだ。
そんな風にかわいがってもらえるのは自分だけだと思っていた。
だからこそ、ある日突然、ユークが一歳年下のオルディスを紹介してきた時はレニーの世界が大きく揺れた。
――なんだこいつは。男爵家?貴族の紛い物じゃないか。どうしてユーク様と一緒に?
次々に疑問が溢れ、そして次に言われた発言に衝撃を受けた。
「仲良くしてやってくれ。二人は年が近いし、オルディスはレニーと同じぐらい賢いからね。きっと話が合うよ」
話し相手などユークだけで十分だというのに、自分の扱いが面倒になったのだろうか。
オルディスはユークに似て爽やかで気のいい奴だと直ぐに分かったが、それが返って鼻についた。
嫌いでしかたがなかった。
なんせオルディスの周りには人が集まる。男爵家のくせに。
父はグラウス家に認められれば名実ともに優秀だと言った。
ではオルディスもユークに認められた存在として社交界で有名になるのか?
このころ、父親からはユークと懇意にしておけとしつこく言われており、レニーの気持ちとは関係なく命令してくることにうんざりしていたが、オルディスという脅威が現れ、尖っていた心は砂のように崩れていく。
――ユークがオルディスを可愛がれば、また冷遇される日がくるのか?
そんな不安が過ったからだ。
やっと自分を知ってくれた人が現れ、周囲も認めてくれるようになったというのにだ。
「レニー。オルディスと不仲のようだが、あまりあいつを気にするな。君は君の得意なことをしなさい」
ユークは自分と同じく武官よりも文官として大臣を目指せと助言してくれたが、レニーはオルディスが騎士を目指すというのを知って一年待ち、自分も騎士団に入団することにした。
どうせ違う分野に居たとしても気にくわないのだから、同じ土俵で徹底的に叩きのめしてやる。
その意気込みがあったのだ。
しかし、久しぶりに会ったオルディスは以前にも増して佇まいがユークに似ていた。
余計に腹は立った。
そして取り巻きにしてやると言えば興味なさげに断ってくる。
入団試験に使う剣に細工を施したが、あまり効果はなかった。
レニーが思ったほどオルディスは恥をかかなかったのだ。
どうやら暫くみないうちに随分と剣の腕を上げていたようだ。
入団後、オルディスは剣筋が良いと褒められたり、戦術の教義では上官から一目おかれる存在だった。
レニー自身もそこそこ自信はあったが、まさに目の上のたんこぶだ。
常に彼は正しく、本人が呼ばずとも人に囲まれる気質を持ち、年上にかわいがられる。
そうやってユークも誑かしたのだろう。
レニーにとって唯一の師匠であり崇拝すべき存在であったのに。
――横取りされた。
だから地道に嫌がらせを続け、隊内で孤立するよう仕向け、そして婚約者を取り上げた。
婚約者の女は始めはオルディスを信じようとしていたが、それなりに時間をかけて垂らし込めば幼馴染などといった関係は容易く壊すことが出来た。
それでもなお、オルディスは未だに毅然と振る舞う。
レニーはそれが気にくわなかった。
自分がこれだけ必死だというのに、オルディスは抜いては生える雑草の如くしぶとく青々と繁っている。
そこで秘密裏に賊を雇い、オルディスの護衛任務を邪魔することにしたのだ。
しかしオルディスは賊を華麗に捕縛し英雄として祭り上げられた。
だが、そうなった場合の次の手は予め考えてあった。
地位と価格、そして金を利用すれば大抵の事は思い通りになる。
そうしてレニーはオルディスを遂に仕留め挙げることが出来たのだ。
――これでもう邪魔者はいない。
そう考えていたが……数か月後、ユークに呼び出され告げられる。
「君はもう私の弟子じゃない。もう師匠などと呼ばないでくれ」
突き放すように冷たい声で言われたのだ。
ユークはオルディス追放の一件を独自に調べ上げたといって、レニーが仕掛けたものだと証明する材料を揃えていた。
「レニー……オルディスに何をしたか、そして私にどんな決断をさせたか……その重さを君は分かっているのか?これを公表するつもりはないが、君は自分の立場を軽くみすぎだ……今後はよく考えなさい」
最後に言われたこの言葉以降、ユークはもう”レニー”と気安く呼ぶことはなかった。
――あぁ、オルディスさえ居なければ……。
嫌な顔を思い出し、レニーは瞼を閉じる。
走馬灯のようにこれまでの日々が駆け巡り、そして遠くなった存在に後悔する。
しかしふと、思いついたのだ。
ユークは言った。”娘が望むならまだしも”と。
エルディーテが望むなら婚姻出来るのではないかと。
むしろエルディーテに取り持ってもらえばいい。
幸い隊内での扱いは悪いものではない。
今までそういう対象とみられていなかっただろうが、もしも彼女の後を追い、説得し連れ戻す過程で、自分のものに出来れば……。
ユークもきっと認めるのではないだろうか。
それに気づくと光を見出したかの如く心が晴れ渡ってゆく。
なぜ今までそうしなかったのだろうか。
「冥界、といったか……すぐに調べなければな」
レニーは独り言ち、そして汚れてしまった調書を隅に置くと立ち上がったのだった。




