第32話 アクシラ視点(後編)、わたくしの未来の旦那さま
ラスタール領エド村にきてからそれなりの時が経ち、気づけばわたくしも随分と素直な感情がだせるようになってきました。
「わぁ~~とってもお似合いですよぉ~かわぃいい~~♪」
わたくしの部屋で元気な声をだしているのは、ブラン様のお付きメイドであるリナ。
現在この領主館に2人いるメイドのひとり。
もう一人のメイドであるロネは、今日はブラン様についています。
わたくしの提案で、リナとロネには交互に担当をかえるようにしてもらいました。
いまは2人のメイドですが、村が発展していけば館のメイドも増えます。となれば将来的なメイド長候補となるのはリナとロネ。
彼女たちにはブラン様とわたくし含めて、館全体の事を知ってもらわないとなりません。
だからこそ、交代制にした方がいいと考えたのです。
ブラン様は快くわたくしの提案を受け入れてくださりました。
今日のわたくしのメイドはリナ。
そんな彼女が選んだ服に袖を通して、鏡のまえに立ってみる。
か、かわいい……のでしょうか。
「そ、そうですね。たまにはこういった服もいいかもしれません」
「あ、アクシラ様、わらった~~♪」
リナはとても元気で良く笑う子です。
人と仲良くなるのが上手で、わたくしにはない特技なのですが……
「ブラン様ぁ~~アクシラ様がかわいいですぅ~こっちきて見てくださ……んぶっ!」
「待ちなさいリナ。ブラン様は忙しいのです」
駆け出しそうになったリナのメイド服の袖をグッと捕まえる。
まったくこの子は……わたくしの容姿などをブラン様に見せてどうすると言うのですか。
それに。
そんな理由でブラン様をお呼びするなんて……恥ずかしすぎます……
リナの袖を離すと、テヘへと笑いながらも素早くわたくしの身支度を進めてくれます。
ちゃんとメリハリを心得ています。この子はそういうコミュケーションが得意なんでしょう。
にしても、先ほどはとっさに袖を掴んでしまいました。
少し前ならこのような行為はできなかったけど、なんだがこの子だとやれてしまいます。
ふふ……。
なんだか不思議な気分です。
公爵令嬢としての振る舞いや学園内の作法に縛られていた頃は、こんな生活は想像もできませんでした。
それが、なんだか無性に楽しいのです。
学園にいた頃には一度だって感じたことのない、胸の奥がじんわりと満たされるような優しい気持ち。
それを少しずつ噛みしめながら、わたくしのエド村での生活はゆっくりと進んでいった。
◇◇◇
そんな穏やかで愛おしい日々を切り裂くように、ラスタールに春が訪れました。
恐ろしいワイバーンの襲撃です。
戦況はまたたく間に敵味方が入り乱れる大乱戦となり、前線で怪我人が続出していると聞いたわたくしは、じっとしていられず負傷者のみなさんの応急処置のために前線へと走りました。
「つべこべ言わずに、大人しく戻るんだ!!」
あの時、ブラン様があんなに激しい怒鳴り声をあげられたのをわたくしは初めて見ました。
もちろん、約束を破っているのはわたくし。
戦闘開始前に教会配置を命じられたのに、前線に出てきてしまった。
でも……
いつも温厚な彼が余裕のない感情を剥き出しにして、わたくしの両肩を強く掴んで叫んだあの声。
あの声に含まれていたのは。
理屈や身分ではなく……ただ純粋にわたくしの身を案じ、わたくしという存在を死なせたくないと、心の底から大事にしてくれている。
それはわたくしの勝手な思い込みで、都合の良い想像でしかないのかもしれません。
ですがあの怒鳴り声を聞いた瞬間、わたくしの心は氷魔法の冷気すら吹き飛ばすほどに暖かく満たされたのです。
そんな時に、ひときわ禍々しい鳴き声が空から聞こえてきました。
ひときわ巨大なワイバーンが、負傷者たちの避難している教会へと猛烈な速度で急降下しているのです。
激戦の最中であり、周囲の兵たちは他の敵への対応で完全に手一杯。誰もあの怪物を止めることはできません。
教会の扉の向こうには戦う力のない老人や子供たち、そして傷ついた村の人たちがたくさんいます。
ブラン様の村が、みんなの村が……わたくしに生きる希望をくれたこの大切な場所が、今まさに踏み荒らされようとしている。
気づいた時には、わたくしは無意識のうちに両手を天に掲げ身体の奥底から魔力を練り上げ、詠唱を始めていました。
絶対に守る……
それだけが、わたくしの頭の中にあった唯一の確固たる決意でした。
あの日のお母様の時のように、恐怖で竦んでいる暇など一秒もありません。
わたくしが全力で詠唱した魔法。
それは氷属性の上級魔法「凍結広範囲防壁」。
長らく使っていなかったせいか、あるいは重い心の蓋を無理やりこじ開けたせいか、身体中の血管から魔力がキリキリと絞り取られていくような、凄まじい激痛と疲労感が襲いかかります。
また暴走したらどうするの?
過去のトラウマが耳元で不気味に囁いてきます。
ですがわたくしはその弱気な考えをグッと心の奥底へと抑え込みました。
いまのわたくしなら、できると。
結果として―――
魔法は無事発動し、完璧な氷のドームが凶悪なワイバーンから教会とみんなの命を守り切ることができました。
使えた……
ずっとずっと出来なかったのに。
自身の命の危機が迫っても出来なかったのに。
その理由はもうわかっています。
「アクシラ様、本当にありがとうございました!」
「あの魔法のおかげで、おらたちの大切な家族が助かったんだべ!」
「すごい魔法でした! まるで氷の女神様みたいだった!」
戦いが終わった後、動けるようになった村人たちがわたくしの元へ次々とやってきては、涙を流しながら口々に感謝の言葉を述べてくださいました。
身分に対するへつらいでも、才能に対するお世辞でもない、心の底からの純粋な「ありがとう」という温かい言葉。
他人の感謝の言葉が冷え切っていたわたくしの心を優しく溶かし、これほどまでに暖かくしてくれるものなのだと、生まれて初めて知りました。
ずっとわたくしを縛り続けて暗い奈落の底に閉じ込めていた呪わしい氷魔法が、今この場所でみなさんの命を救う役に立った。
ブラン様のおかげで……少しずつ、自分のこの魔法のことをもう一度好きになれそうな予感がしています。
「よくやったな、アクシラ。教会も、みんなの命も助かったぞ」
ひょこひょこと歩いてきたブラン様からそう言ってもらえて瞬間―――
わたくしの胸の鼓動はトクトクと跳ね上がりました。
はい……!
今日一番の、世界で何よりも欲しかった最高の褒め言葉を、最ももらいたい方から頂くことができました。
自身が今までやりたくてもやれなかったこと。それをこのラスタール領でなら、ブラン様の隣でなら実現できる。
わたくしはこの方のそばにいたい。
これから先も、ずっと、ずっと。
「シュルト、ガンチ、セバロ、よくやってくれた。お前たちの働きは賞賛に値するぞ」
「とんでもねぇでさぁ~、領主様の作ってくれた88ミリがなけりゃ今頃大惨事でさぁ」
「そうそう、俺の剣もあれだけ振るっても刃こぼれひとつしてねぇ」
「ふむ、やはりブラン様は物を作る天才かと」
シュルトさんにガンチさん、そしてセバロが楽しそうにブラン様と話しています。
ふふ、物を作る天才ですか……
村の人々はブラン様のことをそう呼び、称賛しています。もちろんそれは事実でしょう。
けれど、わたくしにとってのブラン様はそれ以上に人を笑顔にする天才なのだと思います。
だって学園で全てを失い魔法を呪い、生きる気力すら無くしてどん底にいたこのわたくしでさえも、こんなに幸せな気持ちで心からの笑顔にしてしまわれたのですから。
そんな愛おしいブラン様を見つめて内心微笑んでいると、彼は少し照れくさそうに頭を掻きながらわたくしの傍に来て、とんでもないことを口にしました。
「……ああ、それと俺との婚約の件は、もう気にしなくていいからな。アクシラ、君は自由だ」
ピシッ……
優しく微笑んでいたはずのわたくしの額に、なぜか青筋が少しばかり浮かんだような気がいたします。
てか浮かんでますね、これ。
「……お嬢様」、と後ろでセバロが小さく息を呑む気配がします。
自由だ、ですって?
気にしなくていい、ですって?
なにを言ってるのですか?
―――気にするに決まっているではございませんか!
もう自分の心がブラン様に対して何を感じ、何を求めているのか。わたくしはハッキリと分かっているのです。
好きです。心の底から、あなたを愛しています。
あまりにも恥ずかしすぎて、口に出せば顔から火を噴いて倒れてしまいそうですので、今はまだ誰にも聞こえない心の声だけにしておいてあげます。
そのかわりに……
わたくしは自分の顔が耳の根元まで真っ赤になっていくのを隠すように、ブラン様の広くて温かい胸元へと思い切りぎゅっと顔をうずめました。
ブラン様が突然のわたくしの行為に狼狽しているのが伝わってきて、胸の奥がくすぐったくなります。
ですがやめてあげません。
覚悟してくださいね、ブラン様。
絶対に、何があっても逃がしませんから。
わたくしの最愛の旦那さま。
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