第五幕:夜の逃走
① 学園を抜ける
鐘楼を背に、三人は走る。
足音はできる限り殺す。
王子が低く言う。
「次の巡回は東回廊だ。今は西側が空く」
彼は学園の構造を熟知している。
王族として視察を繰り返してきた知識が、今は逃走のために使われている。
皮肉だ、と一瞬だけ思う。
だが足は止めない。
温室へ。
ガラス張りの建物は月光を反射し、青白く輝いている。
鍵は閉まっている。
王子がためらわずに小窓を押し上げる。
三人は中へ滑り込む。
湿った土の匂い。
夜咲きの花の甘い香り。
リリアナの呼吸が荒い。
「大丈夫?」
レディアナが囁く。
「……ええ」
だがその声はかすれている。
温室を抜け、裏手の石垣へ向かう。
そこは正式な出入口ではない。
ただの境界。
石は古く、ところどころ崩れている。
王子が先に登る。
次にレディアナ。
最後にリリアナ。
スカートが引っかかる。
レディアナが手を伸ばす。
「つかまって」
指先が触れる。
強く握る。
引き上げる。
三人は石垣の外へ降り立つ。
その瞬間——
初めて、学園の敷地“外”に立った。
まだ叫び声はない。
まだ鐘も鳴らない。
追跡は始まっていない。
だが、それは“遅れて来る”。
静かな夜の奥で、必ず。
王子が短く言う。
「今のうちだ」
三人は走り出す。
② 三人の対話(走りながら)
砂利道。
靴音。
息遣い。
月は高い。
リリアナが、前を向いたまま問う。
「私は……逃げるべき人間ですか?」
その声は震えていない。
ただ、確かめるようだった。
王子が即答する。
「今は、守るべき人間だ」
彼の声には迷いがない。
責任を引き受ける者の声。
だがその隣で、レディアナが首を振る。
走りながら。
息を切らしながら。
それでもはっきりと言う。
「いいえ」
二人が彼女を見る。
レディアナの瞳は、月光を映して強く光っている。
「守られる人でも、逃げる人でもない」
一拍。
「選ぶ人間よ」
沈黙が落ちる。
だがそれは不安の沈黙ではない。
理解の沈黙。
王子がわずかに息を吐く。
「……そうだな」
彼も頷く。
「私は守ると決めた。だが、それは君が選ぶ前提だ」
リリアナの胸に、何かが落ちる。
逃げるべきかどうか。
守られるだけの存在かどうか。
違う。
自分は——
「……私は、ここを出ると選びます」
初めて、はっきりと言った。
三人の足並みが揃う。
王族。
元・断罪対象。
物語の外へ押し出された少女。
だが今は、肩を並べて走る。
立場が、初めて横一列になる。
遠くで、鐘が鳴る。
遅れて。
ようやく。
追跡が始まった。
それでも三人は止まらない。
夜はまだ深い。
そして、自由はまだ遠い。
だが確かに——
自分たちの足で、そこへ向かっている。




