第四幕:構図の逆転
⑥ 王子の崩れ
回廊に、風の音だけが残る。
王子は、言葉を探していた。
だが思考が、うまく形を取らない。
叱責は、正義の行為だった。
秩序を守るため。
誤解を解くため。
導くため。
そう信じてきた。
だが今。
その行為が、彼女にとって“報酬”になっている。
「嫌ってください」
その声が、反響する。
叱るほど、見つめることになる。
否定するほど、関心を向けることになる。
自分の行為が。
自分の正しさが。
彼女を強化している。
王子の胸の奥が、ひやりと冷える。
(違う)
(これは、望んだ構図ではない)
彼女は傷ついていない。
守る必要のある存在ではない。
むしろ——
求めている。
否定を。
叱責を。
視線を。
王子の喉が、動かない。
何か言わなければならない。
線を引かなければならない。
だが。
どの言葉も、意味を持たない気がする。
叱れば、彼女は満たされる。
優しくすれば、彼女は物足りなさを覚える。
どちらを選んでも。
彼女は、自分を軸にし続ける。
初めて。
本能的な恐怖が走る。
これは論理ではない。
理屈では止められない。
王子は、無意識に一歩後退する。
距離を取ろうとする。
だが、その動きすら。
彼女の瞳を輝かせる。
「……殿下」
呼びかけは甘くない。
震えているのに、確信を帯びている。
主導権が、移る。
王子は沈黙する。
彼は制度の中心だった。
常に選ぶ側。
判断する側。
だが今。
選択肢は、彼の手にない。
叱るか、叱らないか。
その二択すら、彼女の欲望の内部に取り込まれている。
回廊の柱が、長い影を落とす。
湖面は暗い。
王子は、初めて理解する。
構図が逆転している。
導く者と導かれる者。
守る者と守られる者。
その関係は、もう成立していない。
沈黙。
そしてその沈黙こそが。
彼の崩れを、何より雄弁に物語っていた。




