第20話:新たなる門出
南の大陸に降り注いだ黄金の雨が、大地に万緑をもたらしてから数日。
王都の港には、アイゼンベルク家の豪華客船が停泊し、出航の時を待っていた。
桟橋には王太子を筆頭に、南の国の要人、そして救われた民衆たちが、英雄たちの門出を祝うべく雲霞のごとく詰めかけている。
「……本当に行くのか。リナ殿」
王太子は、名残惜しそうにリナの手を握っていた。
その視線は、昨日までの「聖女」への崇拝ではなく、一人の愛しい少女を見つめる男のものだった。
「うん。……お兄さんと離れるのは、まだ寂しいから。……でも、王子様が言ったこと、忘れないよ。……私の村に、薪を割りに来てくれるって約束」
リナは、王太子の頬にそっと触れ、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「その時は、お兄さんに負けないくらい美味しいスープを、私が作ってあげるね」
その光景を、船の甲板から「龍の眼」で凝視している影があった。
「……ミラさん。……やっぱり、今からでも王太子様をお掃除してきてもいいかな? 薪を割りに来るなんて、下心が透けて見えるというか……」
アルドが、正装のまま物騒な独り言を漏らす。
その背後には、再び黄金の翼が薄らと展開されようとしていた。
「あ、アルド様! 落ち着いてくださいまし! ……よろしいですか、あれは『愛』という名の貴い誓いですのよ! それを無粋にお掃除してはなりませんわ!」
ミラが必死にアルドの腕にしがみつき、それを止める。
だが、その内心は別の意味で大荒れだった。
「(……っ! 羨ましい……羨ましいですわリナさん! ワタクシも、ワタクシもあんな風にアルド様に『独占』されたい……っ! でも、こうしてアルド様の腕を掴んでいるだけで、ワタクシの心臓はもう、ユグドラシルの震動よりも激しく……っ!)」
ミラの頬はこれ以上ないほど朱に染まり、アルドの逞しい二の腕の感触に、頭の中が「かっこいい……」の一色で埋め尽くされていく。
「……ふふ。ミラ様、顔が近すぎますよ。……それとアルド殿。……これ以上魔力を漏らさないでください。船が浮いてしまいます」
ベラドンナが微笑を浮かべながら、相変わらずの二人を温かく、そして少し呆れたように見守る。
「……計算によれば、船の出航まであと三分。……カイル殿、シオン殿。……準備は?」
ゼクスが眼鏡を光らせ、背後の二人に声をかけた。
「おう! いつでもいけるぜ! ……なぁ、シオン先生。俺、この旅で分かったんだ。……俺、もっと強くなる。お兄さんの背中を、いつか胸を張って守れるくらいにさ!」
カイルの腰には、あの覚醒を経て、今やカイルの一部となった『黒曜』が鈍い光を放っている。
「……良い心がけです、カイル。某も、師匠のあの『龍神』の如き高みを目指し、より一層の精進を誓いましょう。……愛だの恋だのに浮ついている暇など、我ら剣士にはありませんからな」
シオンは、アルドを見つめて頬を染めるミラを横目に、背筋をピンと伸ばして答えた。
彼女にとってアルドは、絶対的な剣の神。
その崇拝の心は、この旅を通じてダイヤモンドよりも硬いものへと昇華していた。
そんなシオンの発言にカイルは……
「お、ぉぅ……」
と、少し落ち込んでいた。
――ボーーーッ!!
汽笛が鳴り響く。
アルドは、リナが王太子に最後の手を振ってタラップを駆け上がってくるのを確認すると、優しく彼女の頭を撫でた。
「……お帰り、リナ。……さあ、俺たちの家に帰ろうか」
「うん! お兄さん!」
船がゆっくりと岸壁を離れる。
見送る群衆の中に、ゴルドが豪快に手を振っているのが見えた。
彼は南の王宮の再建を手伝うため、しばらくこちらに残るのだという。
「ガハハ! アルド殿、ミラ様! 次に会う時は、二人の『おめでたい報せ』を期待してるぜぇ!」
その言葉を聞いた瞬間、ミラの顔がボンッ!と音を立てるように赤くなった。
「……っ! ……な、ななな、何を言っていますの、あの筋肉ダルマは……っ! ワ、ワタクシとアルド様は……その、そういう関係では……(モゴモゴ)」
恥ずかしさのあまり、再びアルドの胸元に顔を埋めてモゴモゴし始めるミラ。
アルドはそんな彼女を、慈しむような目で見つめ、その肩にそっと手を回した。
「……ミラさん。……俺を、あんな素敵な場所に連れて行ってくれて、ありがとうございました。……また、お家で美味しいご飯を作りますね。……僕と、リナと、カイル。……そして、ミラさんのために」
「……っ!! ……ふぇぇ……あるどさまぁ……(もう、一生付いていきますわ……っ!)」
船は、黄金の光を帯びた海原を、北の故郷へと向かって進んでいく。
南の大陸を救った伝説は、今ここに完結した。
しかし、最強の兄と、恋する魔王令嬢、そして騒がしい家族たちの物語は、まだ始まったばかり。
北のログハウスの暖炉に、再び温かな火が灯るその時まで。
アルドの「普通」で「最強」な日常は、どこまでも続いていく。
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