第13話:世界樹の悲鳴
オレンジ色の温かな光が、凍てついた過去の幻影を完全に溶かし去った。
深層迷宮『アビス』の空気は、一時的にアルドの「家」のような安らぎを取り戻したかに見えた。
しかし、それを最も許容できない存在が、深淵の底で猛り狂っていた。
『……オォォォ……オォォォォォッ!! 忌々しい……人の身でありながら、我が領域を……我が絶望を焼き払うだと……!?』
迷宮全体が、地震のような激しい震動に見舞われる。
壁面を覆う世界樹の根が、苦しげに軋み、悲鳴のような音を上げた。
邪神は、もはや精神攻撃ではこの一行を止められないと悟ったのだ。
「……お兄さん、木が……世界樹が泣いてる!」
リナが壁に手を当て、顔を青ざめさせる。
彼女の聖女としての共感能力が、世界樹が今、内側から食い破られようとしている痛みを感じ取っていた。
「……なりふり構わなくなったね。自分自身を世界樹の神経系に完全に融け込ませて、木そのものを自分の『肉体』に作り替えようとしてるんだ」
アルドの瞳が、再び鋭く細まる。
「そんなことをしたら、世界樹は……!」
シオンが驚愕に目を見開く。
「……ああ。邪神が完全な体を手に入れる代わりに、世界樹は内側から腐り落ちる。……そうなれば、この南の大陸の生命力は枯れ果て、砂漠に変わってしまうだろうね」
アルドの言葉を裏付けるように、通路の先から、黒い粘液を滴らせた「根」が、巨大な触手となって襲いかかってきた。
それはもはや迷宮の地形そのものが、一行を排除しようとする巨大な意志の塊だった。
「来るよ! カイル、リナを守って!」
「分かってる! はあああぁぁぁッ!!」
カイルが『黒曜』を振るい、迫りくる黒い根を切り払う。
先ほどの覚醒により、剣にはまだオレンジ色の残光が宿っており、触れた闇を容赦なく焼き切っていく。
しかし、数は無限だ。
迷宮全体が敵となった今、四方を絶望的な包囲網が埋め尽くしていく。
「マスター、ここは某が! お先へ!」
シオンが『薄墨』を抜き、凄まじい速度の剣風で周囲の触手を細切れにしていく。
だが、その隙間を縫って、さらに太い根が天井からアルドを目掛けて突き降ろされた。
「……ごめんね、少し痛いかもしれないけど。後でちゃんと治してあげるから」
アルドは迫る根を避けることもせず、ただそっと手を添えた。
瞬間、アルドの掌から「深淵」の力が逆流するように流れ込む。
攻撃しようとしていた根は、その圧倒的な存在感に「恐怖」したかのように、シュルシュルと萎縮して退いていった。
「……あいつ、一番奥の『心臓部』に立てこもるつもりだ。そこを叩かない限り、この大地の悲鳴は止まらない」
地上では、事態の深刻化を察知したミラが、決死の表情で指揮を執っていた。
「ゼクス! 地下の魔力供給が逆流していますわ! 邪神が世界樹の命を吸い上げています!」
「……理解しています。……ですが、このままでは結界が持ちません。……ミラ様、提案があります」
ゼクスが冷徹に、しかしどこか必死さを孕んだ声で告げる。
「……我ら四天王とミラ様の魔力を、一時的に全てアルド殿へ転送します。……彼なら、その膨大なエネルギーを制御し、世界樹を傷つけずに邪神だけを『切除』できるはずです」
「……ワタクシたちの魔力を、アルド様に? ……そんなことをすれば、ワタクシたちは……」
「死にはしません。……ただ、しばらくの間、魔力が空っぽの『アイゼンベルク辺境伯令嬢(ただの綺麗な女の子)』に戻るだけですよ」
ベラドンナが、自嘲気味に、けれど覚悟を決めた笑みを浮かべる。
「……いいでしょう。アルド様が、あの子たちを連れて無事に帰ってこられるのなら、魔力など安いものですわ!」
ミラが力強く魔石を握りしめる。
地上で、四天王たちとミラの全魔力が光の柱となって立ち昇る。
地下では、アルドがその「家族の想い」を背中に感じながら、邪神が待つ最下層――『生命の核』へと走り出した。
「……待ってて。今、全部綺麗にしてあげるからね」
アルドの背中が、かつてなく大きく見えた。
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