第7話:寄生する神
賢者の石を覆っていた黒い泥が、アルドの指先に触れた瞬間に沸騰した。
それは意志を持つ生き物のように蠢き、台座から溢れ出すと、聖域の空間そのものを侵食し始める。
天井から滴り落ちる黒い雫が、地面に触れるたびにジュウジュウと不気味な音を立てて石床を溶かしていった。
「……マスター、下がって! そいつは、これまでの魔物とは次元が違う!」
シオンが鋭い叫び声を上げ、アルドの前に割って入る。彼女の愛刀『薄墨』が、邪悪な気配に反応して激しく鳴動していた。
黒い泥は一点に集まり、やがて巨大な、それでいて実体の定まらない異形の姿へと膨れ上がった。
それは、かつて西の龍皇を蝕んだ邪神の「核」そのもの。
龍皇という器を失った後、より膨大なエネルギーを求めて世界樹の根へと流れ込み、力を蓄えていたのだ。
『……ク、クク……。龍の……因子を持つ者よ……』
聖域全体を揺るがすような、直接脳に響く不快な声。
邪神は、自らの触手の一部をカイルとリナ、そしてシオンの方へと蛇のように伸ばした。
『……お前が……大事にしている……この矮小な……「餌」共から……順番に喰らってやろう……』
「カイル! リナ!シオンさん!」
アルドの声が響くのと同時に、邪神の触手が爆速で三人に襲いかかった。
「させないよ! はああぁぁ!」
カイルが『黒曜』を振るい、迫る触手を切り裂こうとする。しかし、切り裂いたはずの闇は即座に癒着し、逆にカイルの剣を絡め取った。
「な、何だこれ、抜けない……!? 剣の魔力が、吸い取られていく……!」
「カイル!」
リナが加護の光を放とうとするが、邪神の放つ圧倒的な「負の魔力」が、彼女の祈りを物理的に押し潰す。
「……っ、聖なる光が……届かない……!?」
三人が邪神の触手に包囲され、絶体絶命の危機に陥る。
それを見た邪神は、勝ち誇ったようにその「口」を歪めた。
『……絶望しろ……。お前が守ろうとする……全てを……私の苗床にしてやろう……』
その時。
聖域の温度が、一瞬にして凍りつくような極寒へと変わった。
「……おまえ、今、なんて言った?」
アルドの声は、驚くほど静かだった。
しかし、その足元から広がる気配は、もはや「村人」のそれではない。
アルドがゆっくりと一歩踏み出すたびに、邪神が展開していた「闇の領域」が、ガラスが割れるような音を立てて粉砕されていく。
「……リナと、カイルを……俺の家族を『餌』って言ったのか?」
アルドが顔を上げた。
その瞳の中、普段は穏やかな茶色の瞳の奥に、黄金色の「縦に裂けた瞳孔」が、陽炎のように揺らめいて現れる。
「……おまえみたいなのは、塵一つ残さず『消去』しなきゃダメだ」
アルドが右手を邪神に向かって突き出す。
ただそれだけの動作で、聖域を埋め尽くしていた邪神の触手が、悲鳴のような音を立てて弾け飛んだ。
「あ、動ける! お兄さん!?」
自由になったカイルがアルドを見る。
だが、そこに立っていたのは、カイルの知っている「優しいお兄さん」でありながら、同時に、宇宙の深淵そのものを背負ったような、恐ろしくも神々しい「何か」だった。
『……ガ、ガァァ!? バカな……この……圧倒的な……否定の力……貴様……何者だ……!!』
「……俺? 俺はただの、リナとカイルのお兄さんだよ」
アルドの全身から、眩いばかりの、しかし決して熱くはない黄金のオーラが溢れ出す。
それは、龍皇すら覗くことのできなかったアルドの「深淵」が、愛する家族を傷つけようとした不届き者への怒りによって、その蓋を開いた瞬間だった。
地上では、王都を包む結界が、地下からの衝撃波を受けて激しく軋んでいた。
「くっ……!? 何ですか、この途方もないエネルギーは! 計算式が、一瞬でオーバーフローしただと!?」
ゼクスが悲鳴のような声を上げ、魔法陣を必死に維持する。
「ガハハ! おいおい、こりゃあ、アルド殿だな!……怒らせちゃいけない人を、あの馬鹿な神様は怒らせちまったみたいだぜ!」
ゴルドが震える手で地面を掴む。
武人の本能が、地下で「究極の捕食者」が目覚めたことを告げていた。
「……これがあの方の、真の力……。まさに、天変地異だわ……」
ベラドンナが、恐怖よりも法悦に近い表情で、地下への入り口を見つめる。
ミラだけは、一人静かに空を見上げていた。
「……アルド様。……どうぞ、存分におやりなさいまし。……その後の『後始末』は、ワタクシたちが責任を持って済ませますわ」
地下深奥。
龍の因子が沸騰し、アルドの「龍神覚醒」への秒読みが始まる。
南の大陸を揺るがす戦いは、いよいよ神域の領域へと突入していった。
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