第4話:特別講師
アルドの家で「掃除」と「草むしり」という名の地獄のような基礎修行が始まって、数ヶ月。
カイルとリナの体つきは、見違えるほどに変わっていた。
実践的な筋肉がつき始め、全身の魔力が淀みなく循環している。
今や、薪割りの一振りで裏山の巨岩を粉砕するほどの実力を、彼らは「当たり前」の基礎として身につけていた。
「アルドお兄さん。……あのさ、そろそろ『戦い方』を教えてほしいんだ」
朝の拭き掃除を終えたカイルが、息一つ乱さずアルドに願い出た。
アルドは、使い込まれた手斧を研ぎながら、うーんと唸る。
「戦い方、か。俺が教えられるのは、あくまで『作業』の延長なんだよね。薪を割るように斬るとか、水を汲むように魔力を練るとか……。対人戦や魔法の細かい術式となると、専門家の方がいいかもしれないな」
アルドは自分が強い自覚はあるが、それは「生活の知恵」の極致だと思っている。
本格的な武術や魔法理論については、より適任がいると考えていた。
そこへ、いつものように豪勢なバスケットを抱えたミラが姿を現した。
「ミラさん、ちょうどいいところに。この子たちに実践的な武術や魔法を教えてくれる、良い知り合いはいませんか? ミラさんのお城なら、優秀な方がたくさんいそうですし」
ミラの肩がびくりと跳ねる。
(ワタクシのお城……。ええ、確かに世界最高峰の『四天王』がおりますわ。ですが、彼らをここに連れてきたら、アルド様に正体がバレてしまうのでは……?)
しかし、敬愛するアルドの頼み。
そして、カイルたちの真剣な瞳を無視することはできなかった。
ミラは少し考え込み、コホンと咳払いをする。
「……そうですわね。ワタクシの家の……その、執事や護衛の中に、少しは腕の立つ者がおりますわ。彼らも暇を持て余しておりますし、アルド様のお役に立てるなら喜んで馳せ参じるでしょう」
「本当ですか? それは助かります」
「ええ。明日、まずは一人……魔法に詳しい者を連れて参りますわ」
翌日。
ミラに連れられて村に現れたのは、灰色の髪を完璧に整え、隙のない燕尾服に身を包んだ知的な男だった。
名を、ゼクス。
魔王軍四天王の一角であり、別名を『深淵の参謀』。
彼は大陸全土の魔法体系を網羅し、一日に数万の数式を同時演算する、魔導の生けるコンピュータとも呼ぶべき天才である。
その冷徹な知略と、都市一つを焦土に変える広域殲滅魔法によって、かつては数多の国々を絶望の淵に叩き落としてきた。
本来、辺境の村になど現れるはずのない「歴史上の怪物」。
だが今の彼は、ミラから「辺境伯家の執事」として振る舞うよう厳命され、屈辱に唇を噛んでいた。
((この私……魔王軍 筆頭軍師たるゼクスが、人間の子供の家庭教師だと? ミラ様も何を考えていらっしゃるのか……))
不遜な考えと共に、ゼクスはアルドを一瞥する。
その瞬間、ゼクスの思考が完全にフリーズした。
「初めまして。アルドです。遠いところありがとうございます、ゼクスさん」
差し出されたアルドの「手」。
ゼクスは、その手が内包する「物理的な密度」と「宇宙のような膨大な魔力量」に、全身の毛が逆立つほどの戦慄を覚えた。
((……ッ!? バ、バカな、演算が……計算が合わない! 呼吸一つ、瞬き一つに、世界の理を書き換えるほどの高密度な魔力循環が組み込まれている……!? これほどの人間が存在するのか!))
ゼクスは、アルドという存在を脳内で「人間」から「歩く戦略級兵器」へと瞬時に再分類した。
彼にとっての「強さ」とは、複雑な数式の果てにあるものだった。
だが、目の前の青年は、数式そのものを超越した「根源」のように見えた。
「……お初にお目にかかります。アイゼンベルク家の執事、ゼクスと申します。アルド殿のご期待に応えられるよう、微力を尽くしましょう」
ゼクスは、気づけば深々と頭を下げていた。もはや屈辱など一欠片もなかった。
ただ、目の前の未知なる強者への、生物としての本能的な敬畏だけがあった。
「カイル、リナ。今日から魔法はゼクスさんに教わって。俺も一緒に、勉強させてもらおうかな」
「「……は、はい! よろしくお願いします!」」
こうして、魔王軍随一の頭脳による、世界で最も贅沢な「家庭教師」が始まった。
しかしゼクスは、すぐに思い知ることになる。
自分が教える側ではなく、アルドという「異常」から学ばされる側であるということを。
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