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A.

 目を覚ますと同時に体に衝撃が走る。


「グハァッ......」


 思わずうめき声をあげて倒れるマコト。


「口答えするんじゃねえ!さっさと売ってこいって言ってんだよ!」


 よろめきながら顔をあげると、頭のハゲかかったオヤジがマコトに向かって肩を怒らせながら近づいてくるところだった。胸ぐらをつかまれたマコトの体が宙に浮かぶ。


(は!?俺の身長はこんな簡単に持ち上げられるほど小さくはないはずだが)


 マコトの疑問はすぐに晴れる。彼を掴み上げているオヤジ越しに鏡が目に入ったのだ。彼と鏡を通して目があったのは、華奢な幼い女の子だった。


 どういうことだ!?とパニックになりかけるも、その焦りも急速に冷める。理解した。無理やり理解させられた。



 自分はこの小さい女の子に転生してしまったのだ。



 頭の中では理性が意味がわからないと叫び声をあげていたが、本能あるいは魂が『そういうこと』として納得していた。この場合の納得は諦めと言い換えた方が良いかもしれない。


 現状思うところはいろいろあるが、とりあえず下ろしてもらわなければ呼吸ができない。苦しい。マコトは妙に冷静な頭でそう考える。


「は、放して、ください」


 その声は自分自身の口から出たとは思えないほどあまりにかぼそく、頼りなかった。


「放して欲しかったら口答えするな。黙ってマッチでも売って稼いでこい。酒が足りねえんだよお!」


 マコトを乱暴に突き放したオヤジはダミ声をあげる。息が酒臭い。完全に酔っ払っているようだ。一方、突き放されたマコトの体は強かに地面に打ちつけられた。痛い。涙をにじませるマコトに追い打ちをかけるようにカゴと多数のマッチが投げつけられた。


「全部売るまで帰ってくるなよ!もし帰ってきたらお仕置きだからなあ!」


 そんな言葉とともに、マコトは家の外に蹴り出された。遅れて、マッチの入ったカゴと、靴が投げ出される。


「クッソ、いてえ」


 さっき殴られた腹や、けられた尻、打ちつけた背中だけでなく全身が痛かった。意識がマコトのものになる前から長時間暴行を受けていたのかもしれない。


 風が吹き抜けると途端に寒さで体が震える。あたりを見渡すと白い世界。雪が積もっていた。手を頭にやると、濡れる掌。雪は、しんしんと降り続けていた。


 マコトはぶかぶかの靴を履き、散らばったマッチを拾い集めかごを持って立ち上がる。


「あのハゲオヤジに難癖をつけられたら面倒だ。早く移動しよう」


 最後に振り返って家を見る。今にも潰れそうなボロボロの掘建小屋であったが、この寒空の下外気にさらされているよりかは幾分マシに思えた。








「あの、マッチはいりませんか〜?」


 か細い声をあげながら、マコトは考える。手に持ったマッチでいっぱいのカゴや意識を失う前の状況を鑑みるに、自分は童話『マッチ売りの少女』の主人公である女の子と同じような状況に置かれているらしい。


 あの緑色の自称神が自分をここに送ったというのだろうか。真偽はわからないが、本当に自分がマッチ売りの少女になってしまったのだとしたら。


 だとしたら、自分に待ち受けているものは何か。卒論作成のためにその童話を繰り返し読んでいたマコトにははっきりと分かる。それはすなわち、『死』だ。


「なんとかして、そんな悲劇は回避しないと......!」


 寒さで赤いとも青いともつかない色となった足をさすりながらマコトは言う。彼が履いていた靴は、不注意で脱げた時に運悪く飛び込んできた馬車にさらわれてしまったのだ。


 そういえば、原作ではその靴は少女の母親のものだったらしい。はっきりとは書かれていなかったが少女にとっては母の形見だったのかもしれない。


「ごめんな......」


 マコトは誰へともなしにつぶやいた。自然と零れ落ちたつぶやきだった。


 自分と言う存在がこの少女の意識を上書きしているのだとしたら、この少女の意識は消えてしまったのだろうか。この少女の記憶はどこへ行ってしまったのだろうか。そこにはきっと母親との楽しい思い出もあったはずなのに。


 マコトは今までの人生でおよそ他者を顧みたことはなかった。他者は自分が成功するための道具に過ぎないから。そして、自分の成功は当たり前だから。


 自分が謝りの言葉を口にしたことが信じられず、思わず辺りを見渡す。誰かに聞かれていないかと恥ずかしくなったのだ。



 だが、少女の方を見ている人間など誰1人としていなかった。




 寒さと空腹に耐えながら歩き続けて数時間が経った。マッチは一向に売れる気配がない。街行く人々は彼女の声に反応するどころかマコトには目もくれず、その眼前を通り過ぎていくばかりだった。


 確か、原作では少女がマッチを売りに出かけていたのは大晦日、年の瀬であったはずだ。人々は道端のかわいそうな少女に気がつかないほど、あるいは気がついても無視してしまえるほど忙しいのだろうか。


 自分はどうであったか、マコトは考える。自分なら、道端に可哀想な人が居たとして手を差し伸べただろうか。


 考えるまでもないか。自嘲気味に笑って首を横に振る。答えはもちろん否だ。自分が、例えば今目の前を通った恰幅の良いおじさんだったとしても。同じようにこちらに目を向けることすらしなかっただろう。


 誰だって自分の事情で精一杯で、他人に構う余裕なんてない。


 今までは自分が他人の悲劇を見過ごす側であった。しかし、いざ自分が見過ごされる側に回ると、


(冗談じゃない!)


 マコトは苛ついていた。他人に手を差し伸べてもらわなければ生きていけない自分に。自分を見捨てる心無い人々に。



 そしてーー今までたくさんの人を見捨てて来た自分に。





 いくらイラついていたとしても、これからは人に優しくしようと心構えを変えたとしても、売れないものは売れない。マッチは減ることがないまま、時間だけが無為に過ぎていく。


「さ、寒い......。体の先の感覚が薄れてきた......」


 これは本格的にまずい、何か手を考えないと。マコトは恥も外聞も捨て、自分の目の前を通った紳士然とした初老の男の前に飛び出す。


「あの、マッチ買ってください!」


 だが、チラリとマコトを一瞥した男は無言で彼を避けるようにして歩いていく。


「お願いします!買ってもらわないと家に帰れないんです!」


 後がないマコトは男にすがりつくようにしてマッチ箱を差し出した。だが、それでも。男は迷惑そうな顔をするばかりで取り合おうとしない。


「な、どうして!」


「君、邪魔だよ」


 男が初めて口にした言葉は、明確な拒絶だった。マコトはショックでマッチを取り落とす。男は心底嫌そうな顔をしたまま、肩を落とす彼女には構わず歩き去って行った。


 とぼとぼと元いた道の端へと戻ったマコトは、ようやく理解する。この新年を前にして浮かれた気分の人々の前では、自分は異物でしかないことを。


 いったい誰が楽しい気分を害してまで薄汚れた自分のような存在に手を差し伸べると言うのか。


 拒絶されたのは悲しくて悔しいが、自分が彼らと同じ存在であったことを考えると自分には怒る資格さえないように思える。


 このまま家に帰ってしまおうか。マコトは弱気になって考える。だが、それはできない。家に帰ってもきっとあのアル中ハゲオヤジに殴り殺されてしまう。


 マッチを抱えてもはや惰性で歩いていると、二つの家が街の角の一角をなしていた。そのうち片方が前にせり出している。疲れ切っていたマコトはそこに座って小さくなる。長い金色の髪が首のまわりに美しくかかるが、彼にそんなことを気にしている余裕はなかった。引き寄せた小さな足は体にぴったりとくっついたが、だんだんと寒くなっていくばかり。


 家の窓から漂ってくるのは鵞鳥を焼いている美味しそうな香り。ああ、羨ましい。自分も食べたい。温まりたい。これほどまでに何かを願ったことは人生で初めてだった。これまで彼の人生に失敗の文字はなかったのだから。


 マコトの小さな両手はもう動かすのも辛いくらいかじかんでいた。ああ、カゴの中からマッチを取り出して壁にこすりつけて指を温めることができればどれだけ安心できるか!だが、マコトはどうにか自制しようとする。もしそれを初めてしまえば、原作通りの未来が待ち受ける。つまり完全なる死亡フラグであることは彼にもわかっていた。


 しかし、寒さで震えるマコトの体は彼のいうことを聞かずに一本のマッチを取り出す。


<シュッ>


 マッチの輝きは暖かく、素晴らしい光だった。まるで大きなストーブの前で温まっているよう。だが、その感覚もすぐに消え失せる。残ったのは、手の中に燃え尽きたマッチのみ。


「ああ、これはもう、だめだ」


 自嘲気味に呟きながら、マコトは次のマッチを擦る。光の中に見えたのは、美味しそうな鵞鳥。彼の口に入る寸前で消えた。


 次のマッチが見せたのは、最高に大きなクリスマスツリー。とても煌びやかな飾り付けがしてある。マコトにクリスマスへの憧れなんてなかったはずなので、これは少女が望んだものなのか。あるいは、彼の深層意識が望んだものだったのかもしれない。



 誰かと一緒に過ごす、大切な日というものを。



 あかりに触れようと手を伸ばしたところでツリーは消える。その光の辿った道を見上げると、流星。


「あはは、流れ星は誰かが亡くなった時の印なんだったか......」


『マッチ売りの少女』では、この言葉は少女の祖母が言ったらしい。少女が最期に祖母と会うことができたら良いのにな、とマコトは思う。


 少女の意識を奪ってしまったのが自分なら、せめて死の恐怖くらいは自分が引き受けよう。


「俺が死んだ時はとびきり綺麗な流れ星を降らせてくれよな」


 と言うマコトの笑みに力はない。果たして彼の魂はどこへいくのか。彼は再びマッチをすると、カゴの中に投げ入れる。一際大きな炎が上がった。その中に見えたのは一体誰だったのか、マコトは驚いたような顔をした後、笑って言う。



「なんだか久しぶりな気がするな。俺も連れて行ってくれよ。もう寒いも痛いのも、嫌なんだ。悲劇はもう、たくさんだ」







 夜明けの冷え込む頃、あの街角にはかわいそうな少女、あるいは青年が座っていた。薔薇のように頬を赤くし、口もとには微笑みを浮かべ、 壁にもたれて古い一年の最後の夜に凍え死んでいた。 その子は売り物のマッチの燃えかすとともに、体を硬直させてそこに座っていた。


「人の家の前で死ぬなんて、なんて非常識な子なのかしら!」


 上品な格好をした女の人は言う。周りの人間も口々にそれに同意した。




 少女、あるいは青年が微笑みながら新しい一年の最初の日を迎え、固まっている理由を考えた人は、誰一人としていなかった。



結末は、変わらない。

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