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第39話「戯れこそ」

◆ユウゼイ◆


 環京には縦に貫く循環機構が存在する。その調整用の縦坑のひとつへとユウゼイは向かっていた。

 間もなく到達する電磁パルスの影響圏。そこ臨む特異性はユウゼイを愕然とさせた。


 あらゆる面という面が、火傷を負ったように水疱を生じ、無数の裂け目からはどろりとした粘性の液体を垂れ流していた。極めつけは、人体を構成する雑多な器官が無造作にオブジェのごとく転がっている有様。

 まるで巨大な生物の腹の中を思わせる光景を、ユウゼイはよく知っている。

 それは電磁パルスなどでは在り得ない。蝕災のもたらす非科学的領域、虚数変位に取り込まれたその痕跡だった。


 死体らしい死体はおろか、人為的な造形ひとつ見つけられない。

 隔壁すら消えうせた環京で、空間図が不都合なく機能することのおぞましさは、えも言われれぬものがある。

 導き出される結論。人の意思の介在に奥歯を噛み締めたユウゼイは、知覚域に突如として生じた黒色の隔壁に背筋を凍らせた。


 慌てて推進器の噴射方向を反転させ減速。同時に高度を落とし床面に四肢を張る。

 同化による強制的な制動。しかし最大効率の燃焼により得られた速力はそれだけで終わらない。

 身体を押し潰そうとする増槽の慣性力を、真衣を総動員して抑え込む。

 立ち上がるユウゼイの足もとに、内容量の減じた増槽が二本、重低音を響かせ転がった。


『まるでヤマアラシね』

『……おまえがいるべきはここではないだろう、カーラの等級AA』


 ユウゼイのはるか後方に、忽然と姿を現したサンクチュアリ。

 極低出力で吐き出される焔に、手にした短槍が鈍く光を湛え、その身とともに影を描く。

 否。それは墨色の真衣。


『わたしがどこにいるべきかは、わたしが決めるのよ。あなたに指図される謂れもないでしょう?』


 ゴーグルの下で薄く微笑むサンクチュアリのさらに後方で、吹き上がる黒の奔流が瞬きの間で通路を埋め尽くした。

 進退窮まるとは、今まさにユウゼイの置かれた状況を言うのだろう。


『おまえの大事なお人形が、大観衆の面前で一世一代の悲劇を演じている』


 ゆっくりと振り返る。

 対話のためではない。そんなこと、双方が承知している。


 ユウゼイの動きに合わせ、あたりに漂い始めた靄が薄れる。推進器から吹き出す熱量に、気体真衣が活性を失い崩壊を始めたのだ。

 だが、その熱の暴力はユウゼイ自身の真衣をも蝕む。

 噴射口(ノズル)周辺を覆う真衣、宮子からの侵食に抗するべく展開されたそれは、耐熱作用の高い真衣転換材を用いているにもかかわらず、その一瞬一瞬で崩壊を続けている。

 戦いに許された時間は少ない。それは取り巻く状況の如何によらないのだ。


 距離を取っての正対。

 しかし、ユウゼイには宮子の笑みが深まるのに気づけた。


『分からないわ。その舞台を今から滅茶苦茶にしようとする男が、どういう了見でそんなことを口にするのかしら』


 噴炎が針状に輝きを増す。

 瞬時に時速八百キロメートルを叩き出す死の加速が、刹那の内に宮子を間合いに収める。

 三トンの質量を乗せた銀の烈風。動甲冑すらたやすく両断するすれ違いざまの抜刀は、あろうことかその細腕に握られた短槍に()なされた。


 生身であれば腕ごと引き千切られていただろう。それを成し得たのは、宮子が薄く全身に装衣を施しているからにほかならない。

 装衣に使用している真衣総量は、標準的な等級Aの五分の一に満たない。それで同等以上の動きをしてみせるのだから等級AAは化け物だ。


 しかし宮子とて衝撃すべてを無力化できたわけではなかった。

 軌道をずらされユウゼイが体勢を立て直すわずかな隙、本来なら打ち込まれるであろう必死の一撃は、その身を捕らえるにはあまりにもゆる過ぎた。

 床面から伸びる無数の杭はユウゼイの速力に一歩およばず、噴炎に焼かれ生まれた次の瞬間には崩壊を始めていった。


『所詮俺も舞台上の駒。誰かさんの用意した筋書きをなぞるだけの木偶に過ぎない。俺はおまえに借りを返しに来たんだ。おまえにも、返してもらいたいものだな』


 接触の直後より減速を開始したユウゼイは、噴炎で黒化した床面を焼き払い着地。進行方向を捻じ曲げ二の足で踏み切る。

 閃光がユウゼイを疾風に変える。しかし、続く二の太刀も宮子の身体を捉えることはできなかった。


『素直なことね。悪いとは言わないわ。でもそれは、とてもとても退屈なことだとは思わない?』


 時間と思考の圧縮された世界に、宮子の言葉が刺さる。


『なに……?』

『結末の分かりきった物語に、価値なんてないのよ』

『まさか……。それはカーラの利に反する行いだ。和葉は大逆人として歴史に記録され、カーラの名は地に落ちる。それを理解して言っているのか、宮子』


 五度の衝突を経て、ユウゼイは継続から断続に燃焼法を切り替える。

 コンマ一秒に満たぬ最大効率での燃焼。繰り返される噴炎の煌きが、宙に鋭角の軌跡を描く。

 幾度も銀光が翻り、推進器の爆音にも劣らぬ金属音が閉鎖空間に木霊する。


 やはり、決定打にはおよばない。


『わたしはシャマシャナ構成員(カーラ)であって、その信奉者(アンガ)ではないのよ。総代カーラ・ミトラエイユは叛意に等しいその矛盾を知っていてわたしを飼っている。なら、なにも憚ることなんてないじゃない?』


 最小限の挙動で攻撃を受け流す宮子に、ユウゼイは推進器の噴射方向を捻る。

 加速のためではない。そのノズルの向く先は至近の宮子。


『理解に苦しむな。カーラの流儀というわけでもない。なら、そうまでして成そうとするおまえの目的はなんだ?』


 三千度に達する業火が無形の槍となって放たれる。

 当初から警戒していたのだろう。宮子の反応は早かった。

 地を蹴りその射線上から身を投げ出すのと同時、形成速度を重視した薄い黒板が彼我の空間に立ち並ぶ。


 十層の真衣壁は焔を受け砂のごとく崩れ去る。

 その先には膝をつく宮子。装衣への影響は微々たるものだが、確実にダメージは与えている。

 等級AAのなかでも上位に位置する怪物を相手取り、得られた初めての優位。しかしその好機を前に、ユウゼイは宮子からはるか離れた地面に着地した。

 熱量に比例する暴力的な推力が、三トンもの質量をその位置まで弾き飛ばしたのだ。


『目的? 目的なんてそんなもの、求めてどうするというの。所詮は戯れでしかないわ』


 剥落した真衣を再構成し宮子は悠然と立ち上がる。

 口もとまでもが真衣で覆われているが、ユウゼイはその裏に喜悦の笑みを見ていた。


『あなたと(おんな)じ。こうすることでわたしは満たされるのよ。あなたなら、分かるでしょう。山崎を手にかけたとき、もう迷いはなかったのよね?』

『そうかよ』


 嬲る意思が多分に混ぜ込まれたレスに、ユウゼイも嗤いを込めて返す。

 誤りを正してやるつもりはなかった。

 それに、嘲笑の半分は自身を向いている。


『なら、俺も俺の思うままにやらせてもらう』


 和葉と共に在ると思われた宮子はここにいる。時間は限られているが気負うことはない。

 ユウゼイは組織(チーム)なのだ。理灯からのオペレートは、バックアップの遂行状況が当初の予測通りであることを伝えている。

 蝕災級(カテゴリA)を相手に戦車一個小隊とは絶望的な戦力だが、早苗の調律がそれを補うだろう。

 それに、その方が都合がよいこともある。


 真衣の内で口もとを歪めると、ユウゼイは刀を構え再び焔を点した。



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