第40話「舞いては果てに」
◆ユウゼイ◆
なにかがおかしい。
一進一退の攻防が十分におよび、ユウゼイは次第にその思いを強くさせていた。
この間、増槽ふたつを宮子に破壊され、非効率な燃焼と無理な運動は過剰な燃料と転換材の消耗をユウゼイに強いた。
十二本用意した増槽も残るは僅か二本。
だが、それだけの結果も与えている。
噴射口より吐き出される炎熱は、着実に宮子の負担として蓄積していた。
直接の炎を真衣で防ごうと、遮りきれぬ熱が肉体を侵す。先の接触で浴びせた一太刀は、ついに装衣を貫き生身の人体に損傷を与えたのだ。
ようやく掴んだ勝機。だというのに、ユウゼイの胸中を満たすのは焦燥感ばかり。
宮子の動きが鈍いのも、真衣の強度が緩いのも、ほかになにか理由が……。
そんなユウゼイの思考を、危急を知らせる無声通信が吹き散らす。
『ユウ、不味いことになったわ。稜江の等級AAと交戦状態にあったはずのカーラ等級AAと、バックアップが遭遇した。荒木とルキアスで凌いではいるけれど――』
平時の言葉遣いに指揮官としての顔が混じっていた。それだけに危急の状況が伝わる。
宮子から距離を取ったユウゼイが墨色の床を焼き着地する。
『ほかの等級AAの組も同様のことが起きているかもしれない、か』
一瞬の思考の切り替え。
本当に厄介なのは、バックアップが等級AAと遭遇したことではない。そうと思われていた状況が、真実はまったく別の形を持っていたこと。
久遠研究室は情報戦において、カーラに完全な敗北を喫していたのだ。
すぐさま早苗のもとへと飛んで行きたい。
しかし、眼前の怪物がそれを許しはしないだろう。
『矮小で惰弱な罹患者が、身の丈に合わない野心を抱えて、最後はどうなるのかしらね』
宮子が愉快げに嗤う。
だがそれは、ユウゼイだけに向けられたものではないのだろう。
『和葉も今、文字通り命を賭してもがいてる。這い蹲っても諦めないで、無様にみっともなく。その果てにあの子は一体なにを見るのかしら。死はあの子になにを与えてくれるのかしら。惨めね……そんなもの、願望が生み出した幻想に過ぎないというのに。……でも、だからこそ気になるじゃない? あの子は死を前になにを思うのだろう、って』
先の言葉の続き。
きっと宮子の行動原理。いや、宮子そのものなのだろう。
そして恐らくは――。
『下品な女だ。臭くてたまらないな』
『お互い様ね』
『汚物同士、出会うべくして出会ったか。うれしくもない運命だ』
『あなたにも期待しているのよ。這いずりまわるのは得意でしょう?』
この展開こそが宮子の思い描いた筋書きなのだ。
銷魂の深淵で踊って見せろと。
『ふふふ、ねえ。わたしのために哭いてくれる?』
強大な力に呑まれた哀れな罹患者。由衣と出会う前の永山にも、似たところがあった。
まったく、余計なことまで思い出させてくれる。
『最後まで好きになれない女だったよ、おまえは』
理灯から送られてくるバックアップの戦況を一瞥。思考を戦いに引き戻すと、ユウゼイは強く床を蹴る。
噴射の光輝を尾に、宮子へと肉薄。
増槽の大部分を排し、質量を半減させたその動きは軽い。質量比を増大させた尾部が大きく振れ、より鋭角的な軌道を可能にする。
『あら残念。わたしは存外気に入っていたのだけれど』
横薙ぎの刃をほぼ水平に掲げたミスリルの柄に滑らせ、宮子は身を沈ませ潜るように回避する。
運動の制限された体勢にある宮子へ噴炎を向ける。吹き上がる黒壁がこれを遮り、直後崩壊する真衣へ、身体を捻っての尾部による薙ぎ払い。
だがそれは寸でのところで断念を余儀なくされる。
進路上に待ち構える黒杭を避けるため、尾部の運動方向を変化。垂直方向に軌道を修正。迫る墨色を噴炎で払い無力化し、再度宮子へと刃を向ける。
間髪を置かず繰り返される衝突。
死を誘う銀光の合間から、千切れ飛んだ墨色が宙を舞う。それは五指を備えた棒状の物体。
宮子の右腕であった。
宮子の一瞬の停滞に差し込まれた決定的な一撃。等級AAと等級A+の戦いは、等級A+に軍配が上がった――かに思えた。
ユウゼイが最大推力で宮子から距離を取る。
それは猟犬の本能と呼ぶべきものであった。
離脱の際の噴炎が宮子を焼くかに見えたが、床面から噴出す膨大な黒に遮られる。
そんな宮子の周囲とは打って変わり、この場を支配していた一面の黒が急速にその色を失ってゆく。
なにが起きたのか。その疑問の答えをユウゼイはその身を以って知ることとなる。
突如として内より膨れ上がった真衣の干渉圧。
宮子に注意の向いていたユウゼイはその突発的な事態に対処が遅れ、わずかに真衣の統制を乱した。ユウゼイの同定強度からすれば半症すら引き起こさない些細な乱れ。
だがこの時のユウゼイは、己の肉体以外をその一部として運用していた。
推進器に生じた蝕変が、装置に備わった均衡を一瞬の内に崩壊させた。
両の推進器が爆発し、ユウゼイは尾部による姿勢制御も儘ならず床に叩きつけられる。
咄嗟に機械部分を破棄し真衣で全身を厚く覆ったが、その衝撃はユウゼイの想像を絶するものであった。
朦朧とする意識に『連鎖』『逆流』の単語が浮かぶ。
真衣の出所は調律により結ばれた早苗にあったのだ。
宮子の異変。そして直後に早苗に生じた異常。
両者に共通してこんな事態を招きそうなものなどひとつしかない。
『早苗、今すぐ和葉との調律を切れ!』
応答はない。だが調律は生きている。
軽い半症を引き起こしてはいるが、蝕変には至っていない。
だからユウゼイは繰り返し早苗を呼び続けた。
『……兄さん、ごめんなさい。和葉さんが呼んでます。でも、ここじゃダメだから』
返ってきたのは熱に浮かされたような断片的で取り留めのないレス。
そのことは声を聞けたという安堵以上の不安を駆り立てる。
『なにを言っている? おい、早苗!』
『私、行きます』
そのひと言を最後に通信が切断される。
接続の拒否。それはいまだかつて、早苗がユウゼイに見せたことのない反応だった。
しかし調律とそこからうかがえる感情の断片は、ユウゼイを拒んではいない。
掴み切れぬ状況にユウゼイは苛立った。
『理灯っ! バックアップの状況を。早苗はどうしている!』
『聞きたいのはこっちよ。サナがあたしの観測機から消えた。偵察に飛ばしていた蟲も直前にまとめて消失するし。荒木もルキアスもサナのことを把握できていない。厄介なことになったわね』
理灯にすら手に終えないとなると、ユウゼイに残された手段は少ない。
幸いにも早苗の所在は掴める。ならば、向かうしかないだろう。
損傷した真衣を再構築。痛覚の大部分を数値化するとともに電子ドラッグで麻痺させ、ユウゼイは立ち上がる。
そうでもしなければ動けなかった。
全身の骨という骨に大小の皹が入り、内臓のあちらこちらで出血が見られた。重度の負傷のみ、真衣化させて塞いだ。
この際、半症がどうとは言っていられない。
『あーもう、どうなって……ちっ、この糞忙しい時に。ユウゼイ、海鳥の雛が巣を発った。磯臭い海坊主どもが三十分で降ってくるぞ』
『稜江の等級AAは全滅したか、役立たずが』
そのとき。墨色に染まった塚の上、焦るユウゼイの知覚域で動くものがあった。
『早苗にはこの状況で勝手に動かれても困る。あんたには悪いけど脳潜入してでも止めさせてもらうわ』
ユウゼイに異議をはさむ余裕もない。
『なっ、あたしの仕掛けたバックドアが潰されている? 稜江ですら気づけない代物だっていうのに。ユウゼイとの接続を切ったのもあたしの脳潜入を予期してのことか。優秀すぎるのも考えものだな……』
塚を下り歩み来る宮子は、ゴーグルを失っていた。
だが光源もない真闇のただなかで、その瞳はユウゼイを真っ直ぐすえている。
『あら、そんなに慌ててどこへ行こうというのかしら?』
露になった目もとには、嘲弄の笑みが色濃く象られていた。
肘の先で途切れた右腕はそのままだが、血は流れていない。ユウゼイと同じく傷口を真衣化し塞いだのだろう。
カーラの情報網に軍の動きが乗らぬわけもあるまい。
知っていてなお、宮子はユウゼイの行く手を妨げようというのだ。
しかし、馬鹿正直に相手をする必要もない。宮子の手を離れた今ならば、隔壁もたやすく抜くことができる。
ユウゼイの装衣であれば宮子を振り切ることなど造作もないのだ。
『待ち合わせの約束をしていてね。もうすぐ先方が到着しちまう。おまえと遊んでやる暇はないんだ。悪いな』
後方への跳躍。宙で身体を捻り着地と同時に二歩目を踏み出す、が――。
『世の中そう上手くいくと思う?』
そのわずかな時間でそびえる隔壁は墨色にぬれそぼっていた。
ユウゼイの心が研ぎ澄まされた殺意に凍てつく。
我欲のためであればあらゆる犠牲を厭わない。それはユウゼイと宮子に共通する下劣な性質だ。
ゆえにそれと正面から向き合う宮子に、ユウゼイは共感を覚えた。
しかし、決定的に異なる部分があった。宮子はあえて犠牲を求めるのだ。相容れるわけがない。
『……理灯』
ひと言。レスで共犯者に呼びかける。
『許可する。講じ得るあらゆる手段を以って脅威を排除しろ』
早苗と向き合えたのは、己の下劣さを認めることができたから。そういう意味では宮子には感謝をしてもいいだろう。
ならばせめて、止めることで義理を果たそう。
『ああ、いくさ。それが不条理だ』
瞬間、ユウゼイの身体――神経系を除くすべて――が真衣に呑まれた。
換衣により、人体という枷を外された一歩が地を噛む。静止状態からの急激な加速は、見る者にその姿が掻き消えたかのような錯覚を与える。
時速にして六百キロメートル超。横合いからの強襲に宮子が反応してみせたのは、ユウゼイ同様全方位知覚を有しているからだろう。
ユウゼイはこれまでの戦闘から予測された変性部位目掛け、横一文字に切り払う。
一瞬避ける素振りを見せた宮子は、しかし垂直にした短槍をその軌道に割り込ませた。
甲高い音が鳴り響き、隻腕では殺しきれなかった衝撃に宮子の身体が泳ぐ。
宮子の瞳に屈辱が過り、唇が悔しさを引き結んだ。
もとより殺しきれる衝撃ではなかった。無理にその体勢を維持しようとすれば、獲物は弾き飛ばされただろう。さりとて避けることも適わない。だから宮子はあえてその衝撃に身を任せるつもりでいたのだ。
それをユウゼイは寸前に刃を引き軽い接触に留めた。それはすなわち二の太刀を見据えていたということ。
ユウゼイは、足裏で黒化した床面を削り強引に同化することで慣性を捻じ伏せ、頭上で刀身を旋回、袈裟懸けに振り下ろす。
ミスリルの刃は右の大腿部から入り左の膝下を抜けた。
終始、宮子の真衣はユウゼイの真衣を侵すことはなかった。
今も和葉の調律を維持する宮子には、それだけの精度を出せなかったのであろう。
地に伏す宮子の装衣をよく観察すれば、所々に半症すら見受けられる。
『事がすむまでそこで寝てろ』
ユウゼイに宮子を殺す意思はない。殺せないとも言う。
宮子は恐らく和葉にとっての最終安全装置だ。失われれば爆発的に蝕災化が進む。
そうなれば調律を維持したままの早苗の身も危うい。
『口惜しいけれど、これはこれで愉しかったわ。ふふ。まあ、足掻いて見せることね』
心の底からと思わせる軽やかな笑みを背に、ユウゼイは奔り出す。
目指すははるか下層。
早苗の向かう先に、和葉はいる筈だ。




