第19話「果てなき野心」
◆ユウゼイ◆
「稜江にはこのまま退場してもらおうかと思ってる」
他人が聞けば妄言と取られかねない理灯のひと言に、ユウゼイは口もとに薄く笑みを形作る。大きく出たなと思う。だが冗談だとは欠片も思わなかった。
恐らくはここ八束からではない。サーフェナイリスというゲーム盤からの退場。
この女は初めから草野に降りかかる火の粉、そのもとを断つために、あえてこの八束への島流しを呑んだのだ。
「デブリーフィングのあれは本気だったわけか。それで、できるのか?」
「今回の、というよりも最初のガトウ・サーフェニクス社襲撃の一件。これはサーフェナイリス事業で四峯に敗北した稜江の、挽回のための手段の過激化が遠因と考えられるわ」
理灯の答えは、問いのひとつ先を行くものだった。ユウゼイの問いも、確認と先を促すという意味合いが強い。肯定は前提。目的を口にした時点で、筋道は立っているに違いないのだ。
「それは以前聞いたな。新人類主義者の運動活発化を招いたんだったか」
「結果から見ればそうなんだけど、ことはそんなに簡単じゃないのよね。あたしたちが八束に押し込まれた経緯は分かっている?」
「八束でカーラの等級AAが複数確認されたから、だろう?」
「そう。稜江が草野の防疫局を抱きこんで、あたしたちを八束に派遣させた。まあ連中からしてみれば、厄介者を押しつけたつもりでいるんだろうけど。八束で死んでくれれば万々歳。っと話がそれたわね」
防疫局間の増派計画と言えば聞こえはいいが、その実、稜江のために集められた駒だ。
ガトウ社の一件で防疫局派に加担していなければ、ユウゼイも今ごろ、カーラとの戦闘の最前線に立たされていたかもしれない。現状そうなっていないあたり、理灯の采配は的確だったと言えよう。
理灯とユウゼイの八束入りが大きくずれたのも、あるいはカーラの動きに合わせる意図があったのではと疑いたくもなる。
「問題は、等級AAを複数動員させるだけの資金がどこから出たのか」
「犯行声明をだした過激派があったが、等級AAひとりですらもて余す規模の組織だった。ダミーって線もカーラの契約形態から言ってありえない。つまりはブラフ、焚きつけた奴がいると考えるのが妥当だ」
「あら、資料ちゃんと読んでたのね」
「馬鹿にしてんのか?」
この程度の裏読みはユウゼイにもできる。できるようになった。
理灯は共犯者だ。信用もしている。が、敵にならない保証もない。ユウゼイには理灯と対等に渡りあえるだけの戦略眼が必要だった。理灯の能力を認めるからこそ、ユウゼイにとっては脅威足り得るのだ。
「うそうそ、冗談だって。そんなに怒っちゃいやん。これあげるから機嫌なおして」
首輪型の拡張端末から有機端子を引きだし、理灯は繋げと眼で促す。有線ということはすなわち、それだけ重要度の高い情報ということだ。
椅子から理灯の隣へ場所を移すと、受けとった端子を自身の有機端子に接続。送付されたデータを電視野に展開し眼を通していく。
『あたしたちが八束入りする数日前から、各企業内で粛清があったのよ。内々に処理されているんで、外にはまったくもれ聞こえてこないけど』
八束への影響評価第三位のモリノ、第四位シンセン、第六位教団、第八位ライムタック・メディカル・テクノロジー|《LMT》、第九位マスラオソフト――それぞれで殺害された社員の名簿が、背後関係含めた個人情報とともにまとめられていた。
目ぼしい企業で記載にないのは、第二位のジオテク……は利権が異なるので除外するとして、第七位のササキ工業と第十位のツクバネ・アルケリアルくらいなもの。
『このタイミングで粛清とはまた臭いな。殺されたのは稜江の内通者。殺ったのはカーラ、か。上手くやるもんだ。カーラのひとり勝ちだな』
少なく見積もって、半数がカーラに乗る。
今日日、粛清なんて日常的におこなわれるものだ。内通者を蔓延らせることは企業の沽券に関わる。当然情報漏洩は社の命運をも左右する。諜報部門をもたず経済戦争に勝てはしない。潜られる方が悪い。見つかる方が悪い。
ゆえに企業は粛清への関与を否定できない。否定することはすなわち、稜江への恭順を意味するのだから。
中堅の企業であれば、稜江との連携に舵をきるのもまた選択のひとつであろう。だが国内第五位のシンセン、第六位のモリノにその道は選べない。新人類主義の最大派閥である教団にも、稜江と相容れる道はない。そして沈黙もまた、稜江との軋轢を深めることに繋がる。
「日和見を決め込んでいた連中には、いい薬になったでしょうね」
黙したところで状況が悪化するのならと。そう考える企業は多いだろう。
カーラに組することで、後の秩序の構築に関わることができるのであれば、現状に留まる意味もない。稜江が勝利者となろうものなら、組しなかったとして排斥に動くことは容易に想像できるからだ。
驚嘆すべきはカーラの情報収集能力と、絶妙な平衡感覚。そしてそれを躊躇なく実行する狂気か。
理灯の目論見の裏側、その端緒は知れた。
八束に大きな変革が訪れようとしている。粛清はその先触れだ。
カーラは八束に群がる貪欲な獣たちに、稜江という餌をしめして見せた。滞った川の淀みに、新たな流れが引き込まれたのだ。それは留まることをゆるさず、決断を強要する。
流れのただなかにいる彼らに、果たしてそこまで見えているのかは分からない。
いずれにせよ、カーラが戦線の拡大を望んでいることだけは確からしい。
「カーラは本気で稜江相手に戦争を始める気か……なら何故カーラは出し惜しみをしている。長期戦になれば不利なのはカーラの方だろう、目的はなんだ?」
なればこそ疑問も生じる。
理灯が前置きをしたのもこのためと思われた。新人類主義者の運動活発化は、あくまでも兵を動かす口実だ。
「あたしもここ数日それを探っていたんだけど、これがもうさっぱり。カーラの防壁は次元が違うわあれ」
「電脳の魔女を自称しておいて情けない」
「あれはなんというか、そういうものじゃないというか。まあ、あんたに話しても分からないだろうしいいわもう。でよ、想像することはできるじゃない。たとえば長期化そのもの、というより戦闘行動そのものが目的だとしたら?」
真っ先に思い浮かべたのは自分たちのことだ。
損失は信用の喪失を招く。それは巡り巡って草野への影響力の後退として現れるだろう。
そう。何も、依頼主は八束のうちに在る必要はないのだ。
「外部の組織か。ない、とは言い切れないな。四峯、伊隅、朝霞このあたりが可能性としては高いか。さりとて大海特区を押さえている四峯、蟇目特区を押さえている朝霞が危険を冒すとも思えない」
「あくまで可能性だけどね。そっち方面からも調べてるから、もう少し待ちなさい。あたしとしては、軍が絡んできそうな四峯や朝霞でないことを願うばかりだわ」
大枠は決まっているが、決定打はいまだそろわず。時間が必要なようだ。
宮子との取引で猶予が幾許か残されていることは分かったが、具体的なものは不明である。気は急くが、こればかりは仕方がない。下手を打てば潰されるのは自分たちの方なのだ。
それに、用意周到な女である。最低限の成果を得るだけなら、今すぐにでも行動に移せるのだろう。
「分かった。そっちは任せる。俺の方はどうする、宮子相手の観測は」
「状況が変化したときに最も戦う可能性が高い等級AAは宮子ちゃんだから、今のままでいいわ」
バランサーというわけだ。
必要に応じて企業間の利害を取りもち、落としどころを見つける。必要とあらばカーラとの衝突も辞さない。重要なのはタイミングになる。カーラとぶつかることは構わない。が、敵対だけは避けねばならなかった。
とは言え、基本方針はカーラのサポートだ。ユウゼイとしては気に食わないが、贅沢を言える立場でもない。
「それとも宮子ちゃんをうちに口説いてくれる?」
なに言ってんだこの女は。
あまりに脈絡のない提案に、さしものユウゼイも思考の切り替えが追いついていなかった。
「データで見るかぎり可愛らしい子じゃない。宮子ちゃんがこちらについてくれれば、八束での工作なんて放りだしても、それだけで十分おつりがくるわ!」
「汚染物爆弾を抱くくらいなら俺はおりるぞ」
「あたしにはユウちゃんが言うほど悪い子には見えないけどなー」
相手をするのも面倒なので、無視することにした。
話題を変えるついでに疑問をひとつ消化する。
「この話、そこまで伏せるようなものだったのか?」
重要度の高い機密を取り扱ってはいたが、逆に言ってしまえばそれだけだ。
いぶかしむユウゼイに教師然とした声で理灯が答える。
「情報は知るものが増えれば、それだけ外にもれる危険が増えるのよ。ユウにだってそれくらい分かるでしょう?」
共犯者。信用。そういう簡単な問題でもないのだろう。
「あたしたちは規模からすれば稜江やカーラの足もとにもおよばない弱小、塵芥よね。そんなあたしたちが影響力を保っていられるのは情報を上手く利用しているから。なにも知らないあんたが勝手に動いてしまうのと、知っているあんたが勝手に動くのでは、ひとつの事象の結果が同じだったとしても意味がまるで違ってしまう」
知ることで自分の行動を変えられる。それはつまり、知ることで自分の行動は変わってしまうということでもある。求めるものの違いが、結果のその先を左右する。
だが、とユウゼイは思う。
知らねば早苗を危険に晒すことになるかもしれないのだ。自分はそれを看過できるのか。できるはずがない。どうせ後悔をするのなら――。
「そんな顔しないの。あたしにはあたしの専門があって、あんたにはあんたの専門がある。あんたが死ねばあたしの未来も潰えるのよ。それはあの子も同じでしょう?」
「だが俺は――」
息せき切って否定しようとするユウゼイを、理灯がやんわりと止めた。
「伝えるべきときが来れば伝えるわよ。どうしても、というのなら今回みたいに教えてあげないでもないし。次はあんたもちゃんと分かったうえで来れるでしょう?」
「最初からそう言え」
「表面的なこと言ったところで、理解しても納得なんてできないじゃない」
「それで実際に問題が起きたらどうすんだ」
「全部ひっくるめてお勉強。そんときはあたしがなんとかしてあげるわよ。方々に手回ししてるのはそういうときのことも考えてのことなんだから」
理灯は年長者らしい余裕を見せる。
こんなときばかり大人の顔か。ユウゼイは居心地の悪さに顔をしかめる。求めているのは馴れ合いではない。どうせ互いの間にあるのは、今という状況が生んだ利害の一致だ。
見据える理灯の眼差しが養父と重なり、思わず視線をそらす。
「まー、ユウちゃんにも相応の責任は取ってもらうことになると思うけどね。うふふ、なにしてもらおうかしらねえ」
そしてすぐこれだ。一体その腹のうちでなにを考えていることやら。
「はいはい、そうだな大変だな」
――糞が。
釈然としない苛立ち。胸中でもらした悪態も、不快感を拭うには足りない。
「理灯、先生が緊急時の長距離移動用にって馬鹿な理由で作った、小型飛行外装あったろ。こっちにもってきておいてくれないか」
「確かに専門があるとは言ったけど……ユウちゃん、本気?」
「ああ。やれることはすべて試しておくさ」
呆れたような「そう」のひと言。
「……後まわしになっちゃったけど、はいこれ、プレゼント」
繋いだままの端子から送信可否。許可。
「和葉の半症真衣の成分解析か」
送られてきたのは和葉の外衣半症頻度、症状、発生状況のまとめられた資料。着目すべきは半症飛沫による侵蝕真衣サンプルの分析結果だ。
半症由来の飛沫真衣の成分解析がおこなわれるのは、基本的に初の半症のときにかぎられる。これは解析すべきサンプル数が膨大で、すべてのサンプルを解析にまわす余力がないからである。しかしこの資料にはふたつ目の欄が追加されていた。
入院したてのひとつ目の結果に対し、ふたつ目は二日前のもの。
そしてさらにもうひとつ。教練で用いられた宮子の真衣サンプルの解析結果が添付されていた。両者の情報の緻密性からこれらが理灯の手による解析だと分かる。
「おい、これって」
ひとつ目の結果とふたつ目の結果に大きな差は見られない。年数経過で片付けられるレベルの誤差。しかしそこに宮子の解析結果を加えると、わずかに共通する癖が見えてくる。
通常、解析結果に対しそんな目線からの分析をおこなうことはない。成分傾向から錬金学上の適性を把握し、個人の資質を図る基準として用いられるものなのだ。類似性はあくまでこの傾向の近似。
「宮子ちゃんも調律できるみたいね」
「そんなところだろうと思っていたよ」
度数九九・〇〇以上の外衣型。できないと考える方がどうかしてる。問題があるとすれば、カーラが調律を知っているという点だろう。
調律、カーラがなんと呼称しているかは不明だが、恐らくやっていることは同じだ。有機生体電脳を意識層まで接続することで、ある人物の真衣を、それ以外の人物が制御する技術。いや、そもそも技術と言っていいのかも定かではない。そんな曖昧な行為。
初回の接続には変性部位との直接が必要だったりと細々した条件がさらに追加されるのだが、このあたりは考えても無駄であろう。
永山が由依にほどこし、そういうことができる、ということだけが分かっている。そしてそれが万能ではないことも。
由依の最期は蝕害だったのだから。
「驚かないのね。まあ、気持ちは分かるけど」
「よかったのか?」
先の言葉が思い出される。
「あの子たちと仲良くしておくことは、別に悪いことじゃないわ」
含んだような物言い。冗談めかした口調はどこへ行ったのやら。
これ以上話をしていると調子が狂ってしまいそうだった。
端子を首からはずしそれを理灯へと返す。
立ちあがったユウゼイに「適当にがんばんなさい」と、よく分からない理灯の励まし。疑問は口にせず、ユウゼイは軽く手を振りそれに応えると、妙な疲労感を抱え部屋を後にした。




