119. 馬車の中、玲の場合
引き続き玲視点です。
西の砦から翡翠宮に帰る馬車の中で、窓の外を眺めながら、俺の身体に入った微かな呪いの鎖みたいなものが少しずつ、微量の毒みたいに身体中にまわっていくのを感じていた。
徐々に身体が重くなる。
翡翠宮に着いたら治療室に直行して、医師の朱鷺子に薬湯をもらって……その程度で回復できるか?
『通り道の負荷』で、日本から戻るときに俺は体内に裂傷を負い、吐血したのは一月末。この四ヶ月、あらゆる手をつくしてもらい、ほぼ回復していたが……どれくらいそれに影響するかも、不明瞭だった。
薬湯を飲んだ後、動けそうなら神殿に行って、通り道の負荷に加えて呪いを喰らったっていう前例がないか調べてみるか。まあ、それほど深い傷ではなかったから、明日の薫の誕生日が終わってからでもいいか?
状況次第だな……。
ぼんやり思考をめぐらせていたら、目の前に座っていた薫の声がふいに聞こえた。
「……玲、お願いがあります」
俺も気楽に喋るほどの余裕がなかったから、沈黙に耐えられなかったのかなと思って少し笑う。
「なに急に……おまえがお願いって珍しいな。何?」
「となりに座ってもいい?」
そっと言ってくる薫に、頷いて窓際に席をつめる。
「どうぞ」
薫は黙って俺の隣に座った。いつになく大人しい感じが、彼女が受けた心の傷が深いことを表わすようで、でも、そのしおらしさが妙にかわいいとも思ってしまう。
「それだけ?」
「いえ、まだあります」
「……なんで敬語なんだ?」
まだ俺の怪我のことを気にしていて、敬語なのかもしれないなと、俺は少し笑う。
すると、薫は俺の肩をぐいっと自分に引き寄せた。数日前、父さんの家に向かうとき、弱った薫に俺がそうしたみたいに。
「具合が悪いのはわかっています。着くまで私によりかかって! 休んで!
なんなら、膝に頭を乗せてください!」
「新しいやり方だな」
俺がなんだかほっとして少し笑うと、薫は涙目になって呟いた。やっぱり気にしてるんだな、これは。
「だって、玲、顔色悪い……」
「そこで泣くなよ……泣かないでくれ。頼むから」
「だって。私のせいなんだもん。でも、私は決めたから! 玲に釣り合わないとかもう思わない! 私はもうちょっと自信持って、もっとがんばるから!」
「は?」
俺は驚いて、顔を上げて薫を覗き込むように見る。なんだそれ。
「釣り合わないって何の話?」
「玲の舞が! あまりにも綺麗だったから!」
聞いて、俺は、ああ……と頷いた。それは仕方ないな。神殿に預けられた後、日々の練習と、もともとの神官の血、おそらく多少の才能と俺の内心の怒りや、この国や周囲、いなくなった人たちに対する愛情や、あらゆる優しさや厳しさ、その総てが何層にも積み重なって舞の動きになっている。
俺の舞は星空だとか形容されるが、そうかもしれないなと思う。
星というのは、爆発してしまって今は無い恒星の光が地上に届いていると、幼い頃に父さんが言っていた。今はいない母、戦で亡くなった人々、去って行った父の背中や、生け贄になった先祖たち……その総てに思いを馳せて、俺は舞っているのだから。
「まあ、あれは特殊技能だから……おまえの世界の歌舞伎とか、ああいう感じのさ」
俺の言葉に薫は少し笑った。その笑顔を見てほっとして、俺も口の端がほころぶ。そうそう、その顔が見たいんだ。いつも笑っててくれ、頼むから。
「薫もきれいだぜ?」
するりとそう言うと真っ赤になった。かわいすぎるな。俺は少し安心したせいか急な睡魔に襲われ、あくびをして、続けた。
「それに、それ以上がんばらなくていい。俺の方がおまえに追いつけない……」
いっつもがんばってるんだ。どんなに、翡翠宮に住めよとか、補助しようとしても必死で自力で立とうとしてる。それがわかるから、できることはなんでもしてやりたいんだ。なのに結果的に、いちばん薫が傷つくことになってしまって、呪いというものに対する怒りが振り切れてるんだ。
ただ、今は薫の優しさに甘えていたいというのも……まだ大人になりきれてない俺の一部分が、彼女を過剰に当てにしている感じも、していた。考えるのも限界だな……急な睡魔に負けて、俺は呟いた。
「あ~……じゃあ、お言葉に甘えます」
そっと薫の膝に頭を乗せると、ふわりと石鹸みたいな香りがした。あまりの心地よさに俺は目を閉じる。
「気持ちいい……」
ああ、でも、これだけは言っとかなきゃな、安心させなきゃと思って、翡翠と一緒に調べた風狼の傷を炎に転換して攻撃に使えた先人の話を薫に教え、俺は安らいだ気持ちで微睡む。
父さんや神殿にも炎のことを確認する必要がある……そして、薫がまたがんばりすぎて、炎を使いすぎて生命を削るなんてことが無いように気をつけねえと……。
やること満載だ。俺の身体にどれくらい呪いの影響が出てくるかわからねえから、夏野の協力も欲しい。そんなことを考えながら眠りに落ちようとしていたら、薫が俺の冷えた指先をそっと握ったことがわかった。
あったかい……。
こんなことになって、呪いというものに対する怒りは最大値を超えてるけど、いつもいつでも、俺は薫に助けられてるんだ。
おまえのためなら何でもしてやるというくらいには。




