113. 翡翠と薫のベッドタイムトーク
夕食は、西の砦の料理人・慧さんが作ってくれたごはんを皆でおいしくいただいた。慧さんは角刈りみたいに髪をすっきりと刈っていて、清潔な白いエプロンをつけている。
「おいくつなんですか?」
私が聞くと、
「俺は十八。さっき翡翠さまに聞いたんだけど、玲さまは十七なんだろ? 年が近いと思ってたんだ」
と言ってにこやかに笑う。
「私、明後日十七になるんです」
私が言ったら、そうなのかと笑って、食後に、明日の朝と思ってたけど、と言いながらフルーツをおまけしてくれた。慧さんのさばさばした感じは、翡翠がここに潜んでいたときも、色んな場面で助かっただろうなあと思わせた。私はなんだかとても好感度が高いなと思いながら、彼の話を聞いていた。
そんなこんなで夜になり、私の精神状態も安定してきて、皆におやすみを言って部屋のベッドでくつろいでいたら、廊下からノックの音がした。
「だれ?」
扉を開くと、そこには寝間着の浴衣姿の翡翠が、枕を持って立っていた。昼間は結い上げている長い髪を下ろして薄桃色の浴衣姿。なんだかいつもの上品な威厳は影を潜めて、親しみやすい雰囲気だ。
「翡翠? どうしたの?」
「あのね、薫。……今夜、薫の隣で寝てもいい?」
照れたみたいに瞳を伏せた翡翠は、とてもかわいかった。
私はすごくうれしくなって、思わずキャーと叫んでぴょんと飛び跳ねる。
「うれしい! うれしい! もちろん一緒に寝よう!」
「薫、そんなに跳ねたら傷が痛くない?」
「大丈夫! 皆のおかげで傷跡も消えたし、痛くなくなったよ!」
私が笑ってそう言うと、翡翠はほっとしたように息をついた。
「よかった。玲の傷は浅くて、もう痛みも熱もないみたいだから、薫と手をつないで寝たら、癒しの光が自然に流れて補強できると思って」
翡翠の言葉に私は驚いて真顔になる。
「でも、ずっと流してたら翡翠は疲れるんじゃないの?」
「眠っているときは、なんというか……それほど意識的には流れないの。だから、寝る前にしばらく意図的に流して、その後は手をつないで寝たら……ちょっとした補助的な感じになるから」
「じゃあ、翡翠がきつかったりしないなら、お願いしようかな」
私が言うと、翡翠はうれしそうににっこり笑った。
◇
翡翠は言った通りにしばらく光を私の傷があった場所に流してくれて、私は何かパワーがチャージされているような仄かな熱を感じていた。そしてベッドに並んで座って、窓越しに月明かりを感じながら、とりとめもない話をした。
「翡翠、風狼の王を浄化してくれて、ほんとにありがとう。私、操られて玲を傷つけるなんて、全然だめだったけど、皆のおかげで少し持ち直してきたよ……」
思い出すと涙が浮かんでしまう。玲を傷つけたという事実は、今までの人生の中でも最悪なレベルのことだった。ここに来て、前に速水が操られて私を傷つけた後の速水の怯えようが、身をもって理解できたほどだった。
すると翡翠は、やさしく私の手をとって笑う。
「薫は、前に西羅を救ってくれたときも、今回も、すごくがんばってるのよ。自分の弱い部分なんて、そうそう向き合えないわよね。でも、皆がいて、薫がいて、それができたから今ここに座ってるの」
私は、翡翠に弱いところなんて無い気がして、そっと聞いている。
「でも、翡翠には弱みなんてないよね?」
翡翠はくすくすと笑った。
「私の弱みは、西羅」
「かっこいいー……」
思わず呟いた私を、翡翠は真顔で見つめる。
「薫だって、そうでしょう?」
「私の弱みは西羅じゃないよ」
「そうじゃなくて。……薫が玲をとても大切に思っているから、今回、薫もめちゃくちゃ傷ついたんでしょう?」
言われて、頷く。
それは本当にそうだったから。
「それに、薫、つらいと思うけれど、玲のこと、気をつけてあげてね。
私の治癒の力は万能じゃないし……薫がそうだったみたいに、呪いが絡んだ傷は、後で悪化することもあるから。それに……」
翡翠、何か迷うように言葉を切った。私が首を傾げて翡翠の言葉を待っていると、彼女は一度頷いて、続けた。
「考えすぎと思ってるけど、一応、教えておくね。
私の治癒の力や、玲の舞の力は、他者を癒す力で、自分への使用は禁忌とされているの」
「自分に使ったら駄目なんだ」
翡翠、頷く。
「玲の力と私の力は少し質が違って、玲は舞うことで扇を使って、観る人全体の生命力を底上げできるの。私はさっき薫にしたみたいに、個人に対してそれができる。そして舞の力も、治癒の力も、自分に使うことはだめだとされていて。
……自分に使うと、傷は治るけれど、風脈っていう……この国の風の流れを乱す、と巻物にはあるんだけれど、反動で玲が通り道を使って日本を往復するときに受けるような傷を、体内に負ってしまうと言われているの。
通り道は違う時空の国に行くような能力だから、あれほどひどい傷にはならないらしいけど……それで、自分に使うことは禁忌とされていて」
どきどきしながら、私は頷いた。
「……わかった。前に夏野や滝も言ってたけど、玲って、自分よりも他の人を優先しちゃうところがあるんだよね。私が無理させちゃった時が今までに何回もあって。だから、気をつけておくね」
そう言うと、翡翠はいたずらっぽく笑った。
「でも薫が無理させちゃったなんて思う必要はあまりないのよ。あれは玲が好きでやってることだから」
「好きでやってること?」
翡翠はおかしそうにくすくす笑う。
「薫と玲、すごく似てるところがあるの」
「どのあたりが?」
「相手のことばかり考えてるの」
「玲も?」
翡翠は笑って。月の光に照らされた翡翠は神々しくて、月の女神みたいだった。
「だから玲も、薫が怪我をしたり、今回みたいな呪いの関係で何かあったら、薫と同じようにつらく感じると思うの」
「私、ずっと、玲の舞を見て以来、今まで以上にがんばらなきゃって思ってて」
「どうして?」
翡翠、目を丸くする。
「だって、めちゃくちゃ綺麗だった……」
祝宴の夜の玲の舞は、月光に照らされた翡翠に少し似ていた。星空が落ちてくるような幻想。それを喚起させる玲の手の動きや足裁き。郁兄の舞を見慣れている私ですら、この世のものとは思えなかった。もしかしたら玲自身が夕方言った、呪いに対する玲の怒りがその美しさに拍車をかけているのだとしても。
怖かったんだ。
そして、どこかで釣り合わないんじゃないかとも、思ってたんだ。だから余計に、怖い夢を見ていることは玲に言えなかった。
「あまりにも綺麗だったから、追いつけないような気がして、弱いところ見せられないって思ってたみたい。今わかった……」
私が涙目になっているのを見て、翡翠は言った。
「玲の舞は特別よね。あれは神官の特殊能力に、玲の子供の頃からの孤独や優しさや、心のきらめきみたいなものが加わったすばらしい宝石みたいなものだと私も思う。でも、薫もちがう宝石の原石みたいだと、私は思ってる」
驚いて翡翠を見つめる私の前髪を、彼女はそっと撫でた。お姉ちゃんみたいだと思って、私は安心している。
「大丈夫よ、薫。お互いの横に他のひとがいるのが思い浮かばないくらい似合ってると私は思うわ」
そしてその言葉は、月光と言うより、あたたかい太陽みたいに、心の奥の不安を溶かした。
そうか。私は私なりに進んで行くしかないんだと心から思えたことだった。
うんうん頷いて、私は言った。
「ありがとう、翡翠。私、玲のこと、ちゃんと見てるね。もし、私が再発したり、玲に呪いの影響が出たりした時は、すぐ連絡するからまた助けてもらえる?」
翡翠、優しく微笑む。
「もちろんよ、薫。人知を超えたものには特に、皆で力を合わせなきゃね」
そろそろ寝ようかと、二人並んでベッドに横になったとき、思い付いたように翡翠が言った。
「……そうね、薫、闇の力を飼い慣らすって思っておくことも大事かも」
私はびっくりして翡翠を見つめて、思わず吹き出した。
「そんなことできないよ~」
共存と考えてはいたけれど、飼い慣らすというのは想定外のことだった。その時はできないと言ったけれど、その翡翠の一言が私の奥に気概として刻まれていたなんて、この時の私は夢にも思っていなかったんだ。




