第30話:代償の解消と新たな門出
冒険者ギルド併設の酒場。
昨日の朝に知ったが、そこでは身近に感じる朝食も提供されていた。
なのでエリンと朝食を一緒に食べる。
ハニートーストとスクランブルエッグ、飲み物はミルクというシンプルな食事であったが、満足感があった。
コルンの村の朝食は意外と現代の食事事情と変わりがない。
種類は少ないが、これなら村で暮らすとしても、不満を感じることはあまりないだろう。
声帯を損傷したエリンも、ハニートーストを普通に食べて、ホットミルクを飲んでいる。
「エリンも食事はできて良かったですね。声帯の損傷は辛いと思いますが、メシュブランカに行って早く治療しましょう」
エリンはコップを胸の上で両手に持ちながら、笑顔でコクコクと頷いた。
彼女の口元にミルクが付いて、白いヒゲになっていることに気づく。
「……エリン。ちょっと動かないで下さいね」
そう言って口元を布で拭くために近づいた。
小首を傾げ不思議そうにするエリンが可愛らしい。
これで四十二歳なのだから、この世界は不思議だ。
話せない代わりに分かりやすいジェスチャーを取り入れたエリンの仕草は童女めいて見えた。
優しく口元を拭うと、にぱっと嬉しそうにしている。
最近得られなかった癒しをエリンで補充しているような気分だった。
ルブランでも可愛らしい子供たちがいたので、懐かしい気持ちになる。
――だが実際にはルブランを出てから、まだ四日ほど経っただけ。色んな事が起こり過ぎて、あまりにも濃い数日間だったからそう感じたのだろう。
成人式の『ジョブ覚醒の儀』で女性になり、夜に三人組に襲われ、夜通しでウルフと戦いながらコルンに向かった。ゴブリンから村人を助け、オンジに絡まれ、ゴブリンの集落を発見し、ヴァルターとエリンに出会い、翌日にマザーゴブリンとゴブリンヒーローも討伐。
――そして今がその次の日の朝。
思い返すと中々ハードな数日間だった。
自身が無事なのはある意味奇跡かもしれない。
「……もう少しで出発する時間ですね」
空き時間に細々とした用事は済ませている。
討伐報酬を受け取り、冒険者ランクもゴールドになった。
アリシアと話し合って、今日一緒に出発することになり、行商に同行する手筈も整えてもらった。
コルンを出発するまで残り二時間。
それまでに残った問題を片付ける必要があった。
「……そろそろヴァルターの所に行きましょう。エリンも一緒にきてもらえますか?」
食事が終わったばかりのエリンに、先延ばしにしていた問題を解決するため同行を願う。
「…………」
エリンも真剣な表情を作り、重々しく頷いた。
――――――――――――
ヴァルターが休んでいる部屋の前までやってきた。
「……ヴァルター、起きてますか?」
声を掛けてからノックをして返事を待つ。
ゴソゴソと動いている音は聞こえる。
しかし返事は返ってこなかった。
エリンと視線を合わせ、所見を述べる。
「……多分ヴァルターは、どうにもならない状況に困っています。助けが必要でしょう」
「……」
エリンは頷いて同意を示した後、ドアをゆっくりと開け始めた。
――ギィ、と音が鳴る。
隙間から二人で覗き込むと、ヴァルターは気づいた様子もなく、左手で頭を抱えながら俯いて、何やらぶつぶつと呟いている。
「ハァ……ハァ……どうする……」
「エリンに頼むしか……うぅ……」
「だがっ……怪我をしていると……くぅっ……」
「……ハァッ……ハァッ……恥を忍んでっ……シズルにお願いするしか……! このままでは……クッ……!!」
……思っていた様子と少し違った。
夢精に嘆いているのかと思えば、焦った様子で何事か口走っている。
昨夜より体調が悪化したのか、呼吸が荒く息苦しそうだった。
朝眠っている時は体調が安定しているように見えたが、一時的なものだったのかもしれない。
エリンが先に部屋に入っていく。
私も続いて入室し、挨拶した。
「おはようございます。……大丈夫ですか? ヴァルター」
焦燥を浮かべた目で私たちを見て、ヴァルターは辛そうに、懇願するように叫んだ。
「……ハアッ……ハアッ……すまないっ! ……ヌイてくれないかっ!!」
――――――――――――
以前から忌避していた行為ほどではなかったが、状況から仕方ないとはいえ、ヴァルターの性欲を解消するため、手伝ってしまった。
しかし、聞くところによると【狂戦士】のスキル【欲望を糧に】の代償による性欲の肥大であり、女性との身体的な行為による発散でなければ、一時的に落ち着くだけらしい。
代償の解消は急務で、下手をすれば命にも関わると言われたら、多少は妥協して我慢するしかないだろう。
途中でアリシアが来て、誤解を解くのに時間が掛かったが、時間も押してきていたので、皆身ぎれいにしてからラゴウやキヨワン村長に別れの挨拶を済ませ、待ち合わせ場所に急いだ。
行商のキントに礼を述べながら、私達は馬車の荷台に乗り込んだ。ヴァルターは先に荷台まで運んでもらっていたので、タオルケットを被って横になっている。
馬車の車輪が小石を弾き、乾いた音を響かせながらゆっくりと進み始めた。
「すみません、キントさん。思っていたより支度に時間がかかり、遅くなりました」
待ち合わせ時間ギリギリに駆け込んだので、私は再度、頭を下げ謝罪した。
乗り込む際に謝ったが、お願いして乗せてもらうのにそれでは悪いと思ったのだ。
「……いやいや全然良いんですよ。時間ピッタリ来てくれたんですから、僕から文句なんてありません」
その流れで、キントと雑談を交わす。
彼は背が低く目の細いぽっちゃりした四十代の男性で、整った容姿ではないが結婚しているらしい。
お喋りな人で、今向かっているメシュブランカの情報も教えてくれた。
――白き都メシュブランカ。
私が事前に知っていたのはそう呼ばれる理由と、ルブランの街以上にダンジョンを有する街で、アインス連合国で一番発展しているという事のみ。
もしかしたらメシュブランカに行く予定だったヴァルターとエリンなら、もっと詳しいのかもしれない。
「僕もずっと暮らしたいくらい便利で文明的な街なんですけどね。ジョブが【行商人】では、流石に働きに出ろと追い出されるんですよ。スキルが【重量軽減】【広域化】【算術】では戦えませんから」
スキルが三つもあるなら、かなり優秀な人なのだろう。
それでも、ジョブ次第では戦えないと諦めるのか。
【重量軽減】なら武具を軽くしたり、敵を軽くして吹き飛ばすといった使い方も可能だろう。
【広域化】のスキルも、【重量軽減】の範囲を広げるだけでも、移動速度上昇や疲労軽減にも役立つ。
スキル自体は使う人の工夫でどこまでも強くなるが、分かりやすく強い戦闘系のジョブやスキルに頼る人が多い弊害なのか、スキルを工夫して使う人は少ない。
私からすると勿体なく感じるが、戦闘職業持ちであってもあっけなく死んでいく世界で、非戦闘職となれば、二の足を踏むのも当然だとは理解している。
暫くキントと雑談していたけれど、仲間の様子が気になったので確認する。
ヴァルターは私も含めこの場の女性三人にとても恥ずかしい所を見られた。なので気まずいのだろう、視線が合うと頬を赤らめて目を逸らす。
少しの移動くらいなら左腕だけでできるようで、体調が戻った後、自分で服を着るなど、身の回りのこともある程度できていた。
それでもやはり不便なのか、時折眉に皺を寄せ、唸っている。
エリンとアリシアは聞き手と話し手という形で女性同士の交流を深めており、アリシアが【ペットマイスター】としてどう過ごしたいかを語っていた。
二人もヴァルターの痴態を一緒に見たはずなのに、全く気にした様子もない。
この世界は性行為に対してオープン気味なので、女性も耐性がついているのだろうなと一人で納得する。
――女性の身体になってから、判断の基準がわずかに変わってきている気がした。
男性としての思考が、段々と女性としての思考に移り変わっていく。
そんな予感がするが、それに嫌悪を抱くことさえない。
理性では多少の焦りを感じるが、感情の方は既に受け入れている。
なるようにしかならない。行き先を憂いても、進んでいくしかないのだろう。
馬車の振動が心地よく、遠ざかる村を見つめながら、緊張が解けていくのを感じた。
メシュブランカまで二日の旅程だ。
ゆっくりと仲間達と互いの理解を深めよう。
馬車の旅は長い。
この先は一体何処に辿り着くのだろうか。
――静かな揺れに身を委ね、目を閉じた。
一章の改稿が終了しました。




