第12話:ランク昇格と嫁入りの勧め
太陽が西に傾きかけ、影が少し伸び始める頃、村へ帰り着いた。
村中を歩くと、村人たちの視線が妙に熱を帯びているのが分かる。それが好意によるものか欲望によるものか、判断はつかない。
周囲の様子は気になったが、足を止めることなく冒険者ギルドへ向かう。
そして、その扉を静かに押し開けた。
ギルド一階はこれまでで一番賑わっており、コルンに冒険者がこれだけ大勢いたことに驚く。
「――あっ、シズルさん!」
カウンターの奥で帳簿をまとめていたアリシアが、ぱっと顔を上げてこちらへ駆け寄る。
あの出来事もあって心配してくれていたのか、その瞳にはほっとした色が浮かんでいた。
……今も思い出すと身が竦むので、トラウマになっているのかもしれない。
けれど男に気をつけて過ごす事と強くなること以外に、今は対策のしようがない……。
――信頼できる仲間が欲しい。
いつまでこんな日々を過ごせばいいのか。
オンジに襲われた時、私はかなり油断していた。
ウルフを殺したことで命源を吸収し、かなり強くなった。体も全快して、冒険者登録が完了する間際だったので、意識がそっちに向き、酔っ払いなど無視するのが当たり前だと、オンジに背を向けた。
オンジが武器を持っていなかった。もし襲われても撃退する自信があった。言い訳は幾らでも思い浮かぶが、それでもあのような目に遭ってしまうのであれば、それらの考えは全て間違いだったのだろう……。
アリシアが近くまで来た為、簡単に報告する。
「調査を終わらせてきました」
「……流石ですね。それで……どうでした?」
「危険な状況になりつつあります。ギルド長へ報告したいのですが……」
「……なるほど、わかりました」
アリシアはすぐに表情を引き締め、うなずく。
その反応に、心の中で仕事ができる女性だと感心した。
「じゃあ、一緒にギルド長室へ行きましょう。ギルド長はゴブリンの問題に最近頭を悩ませていたので、きっと喜んでくれますよ」
「はい、……そうだと嬉しいです」
一緒に二階へ続く階段を上がっていく。
廊下を歩きながら、アリシアが私の顔をのぞき込んだ。
「……顔色は悪くないですね。無理してませんか?」
「大丈夫ですよ。男に触られない限りは」
「やっぱり女性は大変ですよね。無理やりはやっぱり怖いです……」
その意味がよくわかるので頷き返した。
「あんなに怖いとは思わなかったです……」
そんなやり取りの間に、ギルド長室の重厚な扉が近づいてきた。
アリシアは軽く息を整え、静流に笑みを向けた。
「ここがギルド長室です。調査完了の報告をしましょう!」
ギルド長室の扉をノックし、アリシアと共に中へ入る。
執務机の椅子に腰掛けていたラゴウギルド長は、相変わらずの豪放磊落な笑みを浮かべてこちらを迎えた。
「おお、戻ってきたか!速かったじゃねえか!」
彼は勢いよく立ち上がり、声を弾ませる。
「で、どうだった! 異常繁殖の原因は掴めたか?」
私は一歩進み出て、口を開いた。
「村から2時間ほどの距離に、ゴブリンたちの拠点がありました。まるで集落のようで、数百規模の群れが生息していると考えています」
その瞬間、ラゴウの顔から笑みが消える。
しばし沈黙した後、深く息を吐き、腕を組んだ。
「……そうか。ちと厄介だな」
先ほどまでの快活さとは裏腹に、低い声で答えた。
「下手に手を出すと犠牲が出る。冒険者を無闇に突っ込ませるわけにはいかん」
本題がまだなので補足しよう。
「異常繁殖の原因ですが、ゴブリンたちはオークを主食としているようです。落とし穴に誘導し、一方的に殺害している光景を目撃しました」
ラゴウは眉間にしわを寄せ、重いため息を吐いた。
状況の悪さに溜め息を吐く気持ちはわからないでもない。
村の戦力が弱すぎるので、援軍を呼ぶまで持ち堪えるのが現実的な手段だ。
「拠点の位置は把握しています。ですが攻めるのなら現有戦力では厳しいでしょう。対応には外部の戦力が必要です」
アリシアも頷き、ギルド長へと視線を向けた。
「ギルド長……この街を守るために、早めの判断が必要かと」
ラゴウは重々しく椅子へ腰を下ろし、机に肘をついて天井を仰いだ。
「……ひと晩、考えさせてくれ」
その声音には、街を背負う者の責任と苦悩がにじんでいた。
重苦しい空気に包まれたギルド長室を後にし、静流とアリシアは並んで廊下を歩いた。
階段を降りる間、二人とも言葉を交わさず、先ほどの報告の重さをそれぞれ胸に抱えたままだった。
受付に戻ると、見知らぬギルド嬢が笑顔で迎える。
「アリシアちゃんおかえり」
「ケニーちゃん、この人はシズルさんだよ。依頼の達成報告があるから、照合をお願い」
アリシアは私がゴブリンの調査依頼を達成したことをケニーに伝えてくれた。
「じゃあ、冒険者証をください」
静流は無言で冒険者証を差し出した。
ケニーが冒険者証を水晶板に翳すと、淡い鈍色の光が発生する。
それを見て彼女は笑顔になった。
「おめでとうございます!依頼達成にアイアンランクへ昇格です!」
アリシアも喜んで静流の腕をつつく。
「順調に昇格しましたね!今日はお祝いしませんか?」
しかし静流は冒険者証と報酬を受け取り、ランクを確かめながら答えた。
「お祝いですか……。ちょっと難しいですね……」
ギルドでまた変に絡まれたくはない。
お祝いを夜にするのであればオンジのような酔っ払いも増えるかもしれない……。
――想像するだけでゾゾッと背筋が凍るような予感を覚える。
何か気分転換がしたい気分だ。
そういえば、分解である程度は綺麗にしていたので気にならないが、数日ぶりの風呂に入りたい気分である。
しかし、この村の風呂に入るのは何か嫌な予感がする。
――偶に襲われるこの既視感は何なのか……。
「……アリシアさん、何処か水浴び出来るところを知らないですか?」
気分を切り替えるのが目的だから、水浴びでもいい。
「え?水浴びですか?お風呂がありますよ?」
うーん、でも何故か、村で風呂に入ってはいけない予感がする……。
……というか、このまま村に居てはいけない?
自分の内側で警報が鳴り続けているかのような焦燥感が、村に留まるという選択を強く拒絶していた。
「――そういえば、東の森の北の方に湖がありましたね。三十分ほどかかりますけど、そこなら水浴びできますよ?魔物に気をつけてくださいね」
私がお風呂を渋っているからかアリシアが記憶から引っ張り出してくれたみたいだ。
「じゃあ、そこに行ってきますね」
少し心が軽くなった。なにか山場を抜けたようなほっとした感じが身体を巡る。
アリシアに礼を告げてギルドを出ると、私はその足で道具屋へ向かった。
湖で水浴びをするにしても、さすがに手ぶらでは落ち着かない。
石畳を抜け、木造の扉を押し開けると、カランと澄んだ鐘の音が鳴った。
棚には旅道具が所狭しと並び、乾いたハーブの香りが鼻をくすぐる。
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しで?」
店主の中年女性が、柔らかい笑みを浮かべて声をかけてきた。
「……水浴びをしに行こうと思うんです。何か揃えておいた方がいいものはありますか?」
そう尋ねると、店主はぱちりと瞬きして、すぐに棚からいくつか取り出してくれた。
「でしたら、この布タオルと石鹸草ですね。泡立ちはあまりよくありませんが、肌に優しいです。それと髪が長いようですから、櫛も持っていくと便利ですよ」
差し出されたのは、麻布のタオルに、小さな木箱に詰められた乾燥草、そして木製の櫛だった。
「……なるほど。全部いただきます」
私は財布から銅貨を取り出し、代金を支払った。
「はい、確かに」
店主はにこやかに受け取り、丁寧に品を包んで手渡してくる。
「ありがとうございます。それでは」
「……あのね、シズルさん」
礼を言い去ろうとしたところ、店主が神妙に私を呼び、こちらをじっと見つめた。
「……はい?」
その妙に真剣な態度を不思議に思う。
「うちの息子アッシュは……今はメシュブランカで兵士をしてるんですよ。出世はあまりしてなくて、うだつは上がらないんですけどねぇ……でも、あの子は本当に優しくて、いい子なんです」
「……兵士ですか。真面目に務めているのですね」
兵士というのは、華やかではなくとも街を守る大事な仕事。
私はそう思いながら、頷いた。
――でも何故そんな話を?
「ええ、力自慢ってわけでもないんですけど、真面目で。人に頼まれたら断れない性分で……私から見れば、あれ以上の子はいないと思うんですよ」
店主は少し誇らしげに胸を張った後、声を潜める。
「だから……もし良かったら、うちの息子の嫁に来てください」
「…………っ」
唐突な言葉に、喉が詰まる。
耳に届いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
――予想外すぎて、変な動悸が止まらない。
まさか買い物のついでに、嫁入りを勧められるとは思わなかった。
「い、いえ……私はまだ旅を続けなければないけませんので……」
なんとか取り繕い、言葉を返す。
店主は「そうですか……残念ですねぇ」と首を振り、再び柔らかい笑みを浮かべた。
「お気をつけて。湖はきれいですが、日が暮れると魔物も出やすいですからね」
「……ありがとうございます」
礼を言い、包みを受け取る。
万物保管庫に仕舞い込み、急いで店を後にした。




