第0話:『神のイタズラ』
高校を卒業して数日後、外出中に強烈な目眩を感じた。
次の瞬間、視界を奪う鮮烈な閃光が空を覆い、同時に鼓膜を突き破るような轟音が鳴り響き、世界から音が消え、最後には何も感じなくなった。
――気づけば私は、知らない光景の中で立っていた。
石造りの街も、多種多様な人種も、空を見上げると見える、幾つも浮かぶ巨大な島も、全てがわからない。
呆然と何が起こったのか考えていると、不意に不可思議な感覚と共に脳内に声が響くように伝わってきた。
《ここはモンスターとダンジョンが存在する世界。新天地での君の目覚しい活躍を期待している。せいぜい頑張ってくれたまえ。特別に住処は用意してやろう》
声の主の発言を信じると、私は異世界に転移したらしい。
見知らぬ異世界で新たに生きなおすことを強制されたのだ。
さっきのイメージは何だったのか。
強烈で鮮明な、終わりを感じさせられた。
声の主は神か悪魔か、まあ世界が変わったところで、私の生き方は変わらない。
幸いにも、サービスでこの世界の一般的な情報が私の脳にインストールされたようで、普通に生活する分には問題ないようである。
それから数か月。
ようやく異世界での暮らしにも慣れ始めた頃。
私はこの世界で迎える成人式に参加する為、このルブランの街で最大の神殿にやってきた。
衣装は楽な格好でいいらしいが、せっかくの成人式なので現代のスーツスタイルである。
異世界といってもダンジョンで様々な衣装が発見されるため、服装のバリエーションにも多様性があるのだ。
目的地は神殿の奥で、そこにある大広場は成人式の時だけ大衆に開かれることになっている。
ルブランの成人式は、人の職業を顕現させる『覚醒の儀』を行う通過儀礼であり、同時に社会でどの階層に属するかを決定づける重大な祭事だった。
成人式会場の大広場に到着すると、最初に目についたのは、太陽の光を反射し輝く巨大な水晶である。
インストールされた知識によると、18歳を過ぎてから儀式の最中に特殊な水晶へ触れると、光を浴びた瞬間に職業が覚醒するらしい。
きっとアレがその水晶なのだろう。
職業は今までに経験した事や本人の素質により決定すると言われているが、稀に職業に限らず、あらゆる異常が発生するときがあり、それらは『神のイタズラ』と言われ、職業・種族・性別・体質から身に着けているアクセサリーや衣装まで変化すると言われている。
私は元々この世界の住人ではないので、何が起こっても不思議じゃないだろう。
「まあ、起きたところで問題はない」
ここルブランは世界でも有数のダンジョン都市、仕事も幾らでもあり、一定の強者であれば優遇される制度も多く存在している。
ハズレ職業と言われている農家や村人などで戦う力を持てず、働く場がなくて村に移る人も多いが、私に言わせれば、皆スキルに頼りすぎている。
技術を身につけ、スキル効率を考えるだけでも十分戦えるはずだ。
この世界は食料事情も安定し、戦争も数十年全く起こっていない、ダンジョンによって平和が築かれている。
重要な資源やアイテムをダンジョンから無限といえるほど入手でき、色んな戦闘職たちがそこで活躍して利権を握った影響か、実力主義的な側面が強くなっているが、私は計画を綿密に練っている為、どのような職業になっても気楽に生きていける程度の見通しができているので、余裕を持っていた。
「神聖な雰囲気が凄いな。流石ダイダロス神殿の神職者は優秀だ」
水晶に近寄り周りを観察すると、儀式の祭事が行われている真っ最中であり、神官や巫女が神聖さを感じる祝詞を唱えているのがわかる。
儀式場の人々の様子は十人十色で、喜び駆け回り、項垂れ泣き崩れている者まで沢山だ。
種族が変わってしまったようで、獣耳や角が生えた人も何人も存在し、姿見に映る自分の姿をみて唖然としていた。
望んだ職業になれた者となれなかった者の対比が激しい。
弱い職業でも工夫次第で活躍する事は難しくないと思うのだが……。
鏡を見て唖然としている者達は、見慣れた自身の姿が変わってどんな気分なんだろうか。
「……今年は神のイタズラが多いのか?」
まあ、皆良く似合っていると思うので、そのまま強く生きて欲しい。
憐憫の視線を周りに送りながら水晶に手を伸ばし触れると、瞬間眩しい光が私の身体を包み込む。
強烈な眩暈がして、視界が歪み、呼吸が乱れ、立っていられずその場で膝を付く。
天地の行方が知れず、衝撃が身体の全方位から貫くようで、まるで身体の全ての要素がゆっくりと再構成されていくように感じた。
――過去に、よく似た体験をした気もするが、思い出せない。
意識がハッキリとしてくると、自身の状況をまず確認した。
何とか倒れずに済んだようだ、動悸が激しいので深呼吸で気持ちを落ち着かせる。
暫くして呼吸も落ち着き、ホッとして胸元に手を当てる――。
むにゅ
――そこには柔らかな膨らみがあった。
「何だこれは?」
混乱し脳内に疑問符が飛び交う。
よく見ると服装も着ていたスーツとは違っている。
急いで近くにあった姿見に駆け寄る。
楽観視していた職業の覚醒の儀、メインは職業を得ることであり、種族等の変化はあっても、自身であれば問題なく受け入れるであろうと、軽く考えていた。
しかし、その楽観は大きな間違いであったのだと気づいた。
鏡に映るのは、かつての自分ではない。
腰まで届く輝くような銀髪に長いまつ毛、ルビーを連想させるような輝く緋い瞳。
男の理想を体現させたグラマラスでスレンダーという矛盾を含んだ奇跡の肢体。
サイズあっていない衣服を着て息を乱す姿は、妖しい色気を発して、あらゆる男女を魅了するだろう。
そこにいたのは――誰もが息を呑み興奮させる絶世の美少女だった。
「…………………………はっ!」
止まっていた思考が動き出し、ハッとして周りを見ると、見える範囲の注目を集めていた。
欲望に満ちた視線が数え切れないほど突き刺さる。
逃げるように成人式会場を去った。
帰っている最中も常に視線を浴び続け、危機感が募る。
不味いことになった……、それに何だこの格好は!
内心激しく悪態を吐く。
スーツは黒衣に変わっているが、下に着ていた衣類はそのままで、シャツはボタンが弾け飛んでおり大きな胸が広く露出している。
腰も細くなって尻が丸みを帯びた影響か、ベルトが仕事をせず、ズボンがズレ落ちそうで、押さえていなければ脱げてしまいそうだ。
それに履いていた革靴のサイズも足に合わなくなって、細心の注意で走る必要があった。
――できるだけ急いだ結果、無事に家までたどり着くことができた。
しっかりと戸締まりをして施錠の確認をした瞬間、息が切れて座り込んでしまう。
「これは予想外だったな……」
全ての予定が狂ってしまった。
今の姿では、望んでいた暮らしとはほど遠い未来を迎えることになるだろう。
戦争が起こらず、食料も問題もない。
衣食住も充足していて、不自由のない実力主義の社会。
だが、ダンジョンやモンスターが存在することで、生存率というところではむしろ低い。
そのような世界で求められるのは何か。
……それは子作りである。
減る以上に増えなければ人口が保てず、人は滅ぶことになる。
そのような事情を背景に、この世界では強者が弱者を囲う権利を与えられるということがままあるのだ。
それを都合の良いように受け取って、弱者女性を無理矢理襲う者たちも結構な人数存在する。
しかも暗黙のルールとして、弱い者が犠牲になることは仕方ないと見逃されている状況が当たり前になって久しい。
一人で過ごしている女性は特に標的になりやすいだろう。
それに、異世界に来てからの知り合いとの関係が、女体化してリセットされたといってもいい状況。
このままでは私もその標的となるのは間違いない。
知り合いに助けを求める事もできず、守ってくれる者がいない私が自由に生きたければ、早急に強くなることが先決だ。
元々の予定でも、冒険者となり上を目指す生き方を選ぶつもりだった。
だがそれは、ゆっくりと確実に、堅実に強くなるプランだった。
だというのに、今や緊急性が段違いに跳ね上がった。
このまま何も対策を取らなければ、すぐに捕まり、無理やり孕まされるなど取り返しのつかない事態に陥るだろう。