第0話:[神の悪戯]
「…………」
気づけば見知らぬ光景の中で呆然と立っていた。
石造りの街並に多種多様な人種、そして空に浮かぶ幾つもの島――そのどれもが現実にはありえない光景だ。
視界から得た情報に混乱しながらも思考を巡らせていると、突然脳へ直接響くような声が聞こえてきた。
《このヴァナルガンドは、魔物とダンジョンが存在する世界だ。地球から召喚されたお前達がどう足掻こうと、所詮は見世物にすぎない。――だが、丁度いい退屈凌ぎくらいにはなるだろう。白神静流、お前には多少の知識と住処を与える。せいぜい滑稽に生きてみせろ。どうせ、過酷な運命を越えることはできないのだから》
不吉な台詞を最後に、不思議な声は聞こえなくなった。
声の主による話を信じると、異世界に召喚されたことになる。まるで漫画やアニメのような状況だ。
『お前達』という発言からすると、他に召喚された人たちがいるようにも思うけれど、周囲を注意深く見渡しても、その様な者たちは見当たらなかった。
……もしかすると召喚された時間や場所は違うのかもしれない。
それに、見世物に退屈凌ぎといった言葉から、声の主は碌な存在ではないだろう。神か悪魔か、あるいはそれらに準ずる存在と仮定すると、人間への配慮は最低限の可能性がある。
――推測を重ねていると、ズキンと刺すような鋭い頭痛と共に、知らない筈の知識が脳裏に思い浮かぶ。
それは、この世界ヴァナルガンドの常識や現在地であるルブランの街に用意された、私の住処に関する情報だった。
脳へインプットされたばかりの情報によると、神々や悪魔など、超常の者たちがこの世界には存在していて、いろいろと重要な役割を担っているらしい。やはり、声の主もそういった存在だったのだろう。
それと嬉しいことに、私の住処は一軒家で、今日から問題なく住めるようだ。
異世界召喚という理不尽な状況ではあるが、住居まで用意されているのはありがたい。取り敢えず、当面の生活に大きな支障はないと安堵の息を吐いた。しかし、ふと声の主が最後に残した不吉な言葉が脳裏をよぎった。
――過酷な運命とは何だろうか。
運命論者でもないが、超常的な存在が残した言葉は無視できない。
深刻に思い詰めるつもりはないけれど、少し心に留めておこう。
どうせ元の世界に希望はなかった。
この世界、ヴァナルガンドで生きていけるのであれば、それも良いだろう。
――――――――――――
異世界召喚から、はや数ヶ月が経過した頃。
様々な困難を乗り越え、ようやくこの世界に馴染み始めた私は、ルブランの街で一番大きな神殿に来ていた。
街で過ごすうちに自然と見慣れたが、豪華絢爛でありながらも静謐な雰囲気を醸し出す神殿は、非現実的な印象を覚えさせる。
知人の話では、今日執り行われる成人式は、人に職業を与える『ジョブ覚醒の儀』を中心とした重要な通過儀礼であり、同時に社会での所属を位置づける重要な祭事なので、ルブランの街全域から、今年成人を迎える男女が集まるという。
私も今年で十八歳。成人式に参加する権利があるので、数ヶ月ぶりに味わう人混みに四苦八苦すると分かっていながらも、渋々とやってきたのだった。
昼を過ぎた時間帯、日頃あまり人が集まらない神殿内だが、儀式が始まって数時間が経った今でも、周りは賑やかな様子を見せている。
特徴的な民族衣装に身を包んだエルフや獣人といった種族が、神殿内を当然のように歩いている光景は非現実的だけれど、最近は慣れてきて、注視してしまうことも減ってきた。
成人式といえば着物やスーツというイメージがある。しかし文化の違いか、普段着から露出狂のような格好まで、幅広い姿の人たちが集まっている。
儀式の会場内では、きっと奇抜で華やかな衣装の人たちがさらに沢山いるだろう。
私は気を引き締める為にもスーツを選んだが、これなら普段着でも良かったかもしれない。
皆が向かうのは神殿の奥にある大広場で、普段は侵入禁止のエリアなのだが、重要な祭事に使われる際は、大衆へ開かれることになっているらしい。
目的地へ近づくほどに人口密度が高くなり、人混みに揉まれるので面倒な気持ちが強くなる。だけど、お金に余裕がない事情もあり、高い金額を払わずに職業覚醒する為には仕方ないと諦めるのだった。
大広場に到着して最初に目についたのは青い空で、次に大勢の群衆、最後に太陽の光を反射して輝く巨大な水晶。
儀式はとっくに始まっているので、あとはこの巨大な水晶へ触れると職業を覚醒させることができる。
ジョブは基本的に本人の経験や素質により決定するが、一万人に一人という低確率で“神の悪戯”と呼ばれる異常が起り、ジョブ・種族・性別・体質・身に着けているアクセサリーや衣装まで変化することもあるらしい。
私は異世界から召喚された。テンプレを疑えば、神の悪戯が起こる可能性も無視できない。だが、最終的には心配してもどうにもならないと結論付けた。
ルブランは世界でも有数のダンジョン都市である。各勢力による小競り合いが頻繁に起こり、実力主義や弱肉強食といった面も目立つけれど、仕事は探せば幾らでもあり、一定以上の強者であるなら救済される制度もある。
もしハズレジョブの村人や農家になったとしても、技術を磨きスキル効率を工夫するだけで十分に戦えると判断したこと。保険として、既に体術スキルを習得したことも落ち着いている理由になるだろうか。
水晶に近寄りながら周りを観察する。儀式場の様子は十人十色で、家族や友人と抱き合って喜んでいる者たちから、駆け回って大声で叫んでいる者。項垂れて泣き崩れている者から冷静に結果を受け入れている者と、まるで合格発表日のような騒ぎである。
神の悪戯で種族が変化したと思われる者たちもいて、会場に備え付けられた姿見で、自分の姿を何度も確認していた。エルフなのに獣耳や角、翼が生えている場合もあり、当人たちは笑い事ではなさそうだ。
――自身の見慣れた姿が変化するとはどんな気持ちなのか。
「……今年は神の悪戯が多いのかもしれないですね」
神の悪戯の発生確率は一万分の一とかなり低い。そこかしこで発生しているのは異常である。一般的には祝福とされているので禍事ではないが、あの様子では喜びとは程遠いだろう。
憐憫の混じった視線を神の悪戯の被害者たちに向けながら、多少の覚悟をして、水晶へと触れた。
――瞬間、眩しく妖しい光が私を包み込む。
強烈な眩暈がして平衡感覚が狂い、その場で膝をつく。
全身を貫く衝撃と痛みがこの身を襲った。骨が軋み、筋肉が縮み、皮膚が震える。胸の奥で脈打つ鼓動は激しく揺れ、声にならない吐息が細く高く苦しげに漏れ出す。
――突如、光が消え、激痛も同時に途絶えた。
前後不覚の状態から、意識と感覚が正常に戻るまで少し時間がかかった。
床に手を着いて転倒は免れたが、動悸が激しく息苦しい。
暫く何度も深い呼吸を繰り返して気分は落ち着いたが、妙に胸元に圧迫感と重さを感じた。
軽く身を起こし、違和感を確かめるように胸元へと手をやる。
――ふにゅ。
するとそこには、大きく柔らかな膨らみがあった。
脳が理解を拒んでいるのか、意味がわからず、疑問が浮かんだ。
「……これは?」
さらに追い打ちをかけるように、自分の喉から発声された声が耳に届く。……どこか艶やかで、か細い声だった。
まさかと思い、近くの姿見へ駆け寄る。
準備を万全に整えて臨んだ、ジョブ覚醒の儀。
たとえハズレジョブに覚醒しようと、種族が変わろうと、自分なら対処できると考えていた。
だが、一つだけ、考えることすら避けていた可能性がある。
その可能性を知ったときから、思考の端に浮かべるだけで不安が膨らみ、想像することさえ拒んできた。
否定したい思いのまま、姿見を覗き込む。
――そこに映っていたのは、誰もが振り向くような絶世の美少女だった。
光を溶かし込んだような銀白の髪が、腰どころか膝近くまで流れている。長い睫毛に縁取られた瞳は、磨かれたルビーのように緋い。
小さく整った顔には、男だった頃の面影などほとんど残っていなかった。
視線を下げる。
豊かに膨らんだ胸。そこから急激に絞られた腰。丸みを帯びた臀部と、すらりと伸びた脚。
鏡に映っているのは、理想化された女性そのものだった。
だが、その少女が自分であるという事実だけは、どうしても現実味を伴わない。
「…………………………っ!?」
止まっていた思考が動き始める。
ハッとして周りを見ると、驚愕や好奇、そして欲望を隠そうともしない視線が、数え切れないほど突き刺さった。
悪寒や恐怖を感じ、視線から逃げるように神殿から脱出する。
慌てて帰宅している最中も危機感は募り続け、思わず内心で毒づく。
(不味い、不味すぎる! 何だこの姿は!?)
”神の悪戯“により、上半身はスーツが金細工や鎖で装飾が施された黒衣に変化し、ただ羽織っただけになっていた。シャツも走っている間にボタンが殆ど弾け飛んだので、豊満な胸が露出しないように、片腕で隠している。
下半身は腰が細くなり、尻も丸みを帯びた影響で、ベルトが緩んでズボンがずれ落ちかけていた。これも上手く押さえていなければ脱げていただろう。
足も小さくなったのか、革靴の中には大きな隙間ができていたので、細心の注意をはらって走る必要があった。
――可能な限り急いだ結果、無事に家までたどり着く。
いつも通りにドアや窓の戸締まりをして、施錠の最終チェックを終えた瞬間、緊張の糸が切れ、地べたに座り込んだ。
「……こんな事になるなんて」
片手で頭を抱え込むようにして、力なく項垂れる。
――全ての予定が狂ってしまった。
今の姿では、望んでいた暮らしとはほど遠い未来を迎えることになるだろう。
恒久的な平和が続き、衣食住も満たされている、自由な実力主義社会。
しかし、魔物による被害は深刻で、生存率という点ではむしろ低い。
そんな世界で女性に求められる役割は何か。
――それはより多くの子供を産むこと。
減少する以上に人口が増加しなければ、人類はその勢力を保てない。
弱い女性は自由を認められず、強制的に人口維持の役割を政策として押し付けられる。
そういった事情が背景にあるため、男性の強者が女性を法律や契約で縛り従えるケースが頻繁に発生するのだ。
この従えるとは、腹心として扱うことから、愛人や奴隷まで幅広い。法や契約で縛られる為、裏切りや逃亡も現実的でなく、一度縛られると、基本的に自由など存在しない。
それらをさらに都合の良いように解釈し、弱者や女性を無理矢理襲う者たちが蔓延っているのがこの世界の現状だ。ルブランの街中でさえ、何度かそういう場面に遭遇したことがあった。
知人に聞いた話では、恐喝や暴力、拉致監禁などの行為もありふれており、改善の兆しもないという。一人で過ごしているような女性は特に注意が必要らしかった。
このままでは、私自身がその標的となるだろう。
今の私に、頼れる者などいない。
計画は破綻した。強くなることを最優先に、早急に行動しなければ、手遅れになるかもしれない。
元々の予定では、冒険者の高ランクを目指しながらも、堅実に安全重視で成長するプランだった。
しかし緊急性が段違いに跳ね上がった今、何も対策をしないままではすぐに囚われ、取り返しがつかない事態に陥る可能性がある。
男に抱かれるなど、想像したくもない。
即刻行動しなければ、最悪の未来を迎えてしまう。
――ふと、この世界に召喚された直後の事を思い出した。
《このヴァナルガンドは、魔物とダンジョンが存在する世界だ。地球から召喚されたお前達がどう足掻こうと、所詮は見世物にすぎない。――だが、丁度いい退屈凌ぎくらいにはなるだろう。白神静流、お前には多少の知識と住処を与える。せいぜい滑稽に生きてみせろ。どうせ、過酷な運命を越えることはできないのだから》
「過酷な運命って、まさか……」
嫌な予感に手が震え、喉が渇く。
動揺を抑えられず、愕然とするのだった。




