天の下が生き物は未熟で、ラーメン様は偉い
「なんだよ、それは」
「わかってるよ」
次の部屋でネズミ君は待っていた。
おかしな台詞だったということは重々承知だが、咄嗟にそんなことしか言えなかった。いや、どれだけ熟考に熟考を重ねても、ああいうことしか言えなかっただろう。
すんはここに残り、僕らは次のエリアに進む。決して交わらないものなのだ。ならばどうして出会ってしまうのだろう。心を掻き毟られるためだけに意味がある。それゆえ悪魔と呼ばれるのだろうか。
「早く出ましょうよ、こんなとこ。あの子をしばく気にはなれないわ」
「うん」
複雑な感情を単純な言葉で隠した鉄子だったが、それは隠しても隠し切れないものだった。
そうだ、これは単純な問題なのだ。だが、ちょっと単純過ぎて、僕の頭では付いていけないのかもしれなかった。
僕らは沈んだ足取りで、また闇の壁を何枚も越えていった。
「もうちょっと、ねこでんねんの袋、置いてこれば良かったですぅ」
隣を歩いていた妙子が、悔やんだように言った。普段は一列に行軍するが、なんとなく固まって歩いていた。
「やめとけよ、あれで良かったんだ。野良猫にエサはやっちゃ駄目っていうだろ」
いつものようにツンツンしているようで、ネズミ君の声にも力がない。
「あの子はオトモダチ・モンスターなのかしらね」
鉄子が言った。
「いや、違うだろう。サキュバスとして未熟なだけだ」
と、盗賊が答えた。ならば立派なサキュバスにおなりという僕の言葉は正しかったのか。立派なサキュバスに襲われたなら、僕らはモンスターを憎むだけだ。お金を盗られたことに憤り、復讐心に燃える。それが正しい。正しさしかない。
僕らはいつも正しさの側に立たなくてはならない。それが人類というものだ。でも今までの僕の人生はどうだったのか。正しさの側に立てなかったから、こんなところにいて、異世界を目指しているんじゃないだろうか。だとしたら、少しくらい正しくないことをしたって良かったのではないか。でも、それすら僕は出来る状況になかった。
すんはきっと正しいことをしようとしたのだ。それがサキュバスの本性に反することであったとしても。そしてそのことでより一層、僕の心は掻き毟られてしまった。
結局どちらも未熟だった。すんは未熟なサキュバスで、僕らも未熟な冒険者だ。どちらかが成熟していれば、こんなに悩むことはなかった。成熟しなくてはいけない。ネズミ君を襲ったしゑお姉さまのように、どこぞの変態イケメンのように。それはとてもすっきりしていて、全く正しい。
でも、ずっと未熟なままでいてはいけないのだろうか。僕らは未熟だからこそ、ここにいるのではないか。未熟だからこそ、ここで邂逅し、ここで別れる。未熟だからこそ、生きている、この世界で。
未熟な者たちが住む未熟な世界は、僕が思っていたより未熟に広がっているようだ。深く深く、下の方へと。
僕は今まで自分が一番下にいると思っていた。同級生には勇者なんて名前の子はいなかったし、電気もガスも水道も通っていない、鶏小屋に住んでいるような子もいなかった。
こっちに来てからも、中学校のスクールバッグを使い続けているのは僕だけだし、小麦粉団子を食べる人もいない。
一番下の下の下。それで間違いないはずだったけど。
僕の下にも世界は無限に繋がっていて、僕だって無数の網の目の一つに過ぎないのだ。それを何と言ったっけ。諸法無我?
やがて両側にあった普通の石壁が、左側だけになった。左に壁を置いて進み、僕らはダークゾーンを出た。
左側にはまだ開けていない扉があったが、何も言わなくても僕らの意志は同じだった。世界を深く潜るのは、また今度。
「そ、そうだっ。帰ったら、ラ、ラーメン食べましょうよ。私、お金出しますからっ」
「そんなことしてもらわなくてもいいよ」
「いえ、奢らせてくださいっ」
それ以上、断ることもできなかった。別に、妙子を責める気持ちもないし、償いを求めようとも思っていない。
ただ、こう見えて妙子は一度言い出したら引かないところがある。だからというわけではないけれど、誰もが断り切れるほど、心がしっかりしていないようで、なんとなく流されてしまった。けど、そうするのが一番正しいような気もした。それは善とか悪とか、正義とか不公平とかいう小さな話ではなく、生命としてそうするのが。
「よしゃっ、今日は濃いーの食べるぞ!」
「そうね、お言葉に甘えちゃおう」
「そ、そうですよっ。せっかくラーメンフェアやってるんですからっ」
そうだ、そうだ。ここは妙子に甘えてしまおう。彼女がお金を持っているからではなく、友人として。
僕らは再びダークゾーンに入り、左手に壁を見て北上した。やはりお金を持っていないと現れないのか、サキュバスに襲われることもなかった。
「あ〜、待ちに待ったラーメンだなぁ〜」
塩辛い湯気が僕らのテーブルを包み、ネズミ君の出っ歯を白く曇らせた。
目の前には、全国各地のご当地ラーメンが、目映いばかりのその姿を降臨させている。
「さっすがはノブさん、どこの高校の学食にこんなことが起こりうるってよ。間違いなく、ラーメン様のこんな姿を拝めるのは、この学園だけだぜ?お前ら、よく感謝していただけよ。あ〜有難や、有難や」
ネズミ君は手を合わせてナマンダブ、ナマンダブと唱えた。ここにラーメン教の爆誕である。
「感謝するのは、妙ちゃんにでしょ」
と、鉄子。テーブルには、北北海道代表の旭川ラーメンに始まり、仙台辛味噌(宮城)、佐野(栃木)、横浜家系(神奈川)、天理(奈良)、和歌山(和歌山)、鳥取牛骨(鳥取)、そして熊本(熊本)と、まるで高校野球の準々決勝のような、計八杯もの丼鉢が並んでいた。鉄子が一人で五杯食べるのではなく、みんなで分けっこしようということである。
「い、いえっ、いつもお世話になってますからっ」
と、妙子。僕としたら、これで彼女の罪悪感が消えてくれるならそれでいい。
「ミャ〜ン」
ゲンちゃんはさっき食べたというのに、またねこでんねんをもらっていた。今夜は豚骨味。ラーメンは別腹である。
「いっただっきま〜す!」
お祈りが終わったと見えて、ネズミ君が横浜家系ラーメンを自分の器に取り分ける。彼が食事の前にきちんと手を合わせたことなど今までなかったのだから、ラーメン教に入信したことで魂が向上したと言える。
「さあ、食べるわよ。牛骨ちゃん、いらっしゃ〜い」
「私、熊本行きますぅ」
僕も佐野ラーメンを取り分けた。琥珀色のスープを、乾いた体と湿った心に流し込む。
「あちっ」
慌ててコップの水を飲んだ。
「まだ熱いから気をつけなよ」
ネズミ君の有用な情報は、いつもタイミングを間違えている。
結局、最初に舌を火傷してしまい、何を食べても、どんな味だかよくわからなかった。
そうでなくても、いろんなスープが混ざり合って、よくわからなかったと思う。
でも、お腹いっぱいになったし、とにかくおいしかった。最後にみんなで、ラーメン様に手を合わせた。




