彼女とのデート
「……ただいま」
今日は妻を送ってマチルダさんは先に帰っていた。僕が一人で家に帰ると、そこには。
「あなた……」
妻が、いつもとは全く違う表情で、立っていた。
泣いている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。疑ったりして……」
「いいんだ。こんな人里に何度もドラゴンが出るなんて、本当に珍しいことだ。実際に見るまで信じられないのも無理はないよ」
「私、貴方があの警備兵の副隊長の女性……マチルダさんと浮気してるって決めつけてた。とんでもない誤解だったのね。貴方はたった一人、村を守るために戦っていたっていうのに」
うん、ここまで謝られるとうしろめたくなってくる。
僕が浮気をしているのは事実だからだ。
「私、こんな性格だし、料理も下手でオシャレもできない、戦うしか能の無い女よ。でも貴方と一緒にいたくて、ドラゴン退治のパートナーになった。貴方に背中を任せてもらえているのが私の誇りだったの」
妻が、弱々しい顔を見せた。こんな顔は冒険者を引退してから見せるようになった顔だ。
「だから私、貴方に告白された時は本当に嬉しかった。貴方に女として意識されてないって思ってたから。でもメリーができて……不安だったの。戦えなくなった私は、もう貴方の隣にいられなくなるんじゃないかって」
……。
「だから焦ってたのね、きっと」
ミリーは微笑んだ。
「帰り道に聞いたわ。マチルダさん、警備隊の隊長さんとお付き合いしてて、結婚なさるんですって。今は互いに職務で一緒の現場に立っているけれど、やがて自分が現場を離れたら彼とすれ違いが生まれるんじゃないかって不安だと話していたわ。それで似た関係の私達のこと、気にしていたんですって」
僕はつとめて優しい笑顔を浮かべた。
「ミリー……。君は、僕にとってかけがえのない、最愛の家族だよ。昔の君は共に戦った戦友だった。そして今の君は温かい、何の不安もない、平和の象徴なんだ。僕にとってはね」
「まあ……」
ミリーは頬を赤らめた。
嘘じゃない。
嘘偽り無くそう思っている。
今の妻は、平和の象徴だ。
平和とは、退屈なものかもしれない。
それは確かに、何のときめきもないものかもしれない。
僕に刺激をくれるのは、もう彼女じゃないのかもしれない。
だとしても、妻が僕にとって大事な存在であるのは変わらない。
*
「それでは、私はここで待っています」
マチルダさんはいつものように、僕をこの「待ち合わせ場所」の少し手前まで送ってくれる。もう何度目になるだろう。
「先帰っててもいいよ。というか、次からは僕一人で来てもいいけど」
「そ、そういうわけにはいきません。本来なら警備隊の仕事なのに私達が不甲斐ないばかりに対処をお願いしてしまっているのです。せめて出現予測地点までの送迎くらいはさせていただかなくては、面目もありません」
思わず吹き出す。
「出現予測地点……ね。予測も何も、毎回同じ場所じゃない」
「そうですけど……」
そりゃそうだと思う。「彼女」がこの待ち合わせ場所を間違えるわけがない。
「不思議ですよね。あのドラゴン、何を狙って何度も下りてくるのでしょう。このあたりに何かあるわけでもないのに……。子供を守っているとかだったらわかりますけど」
「子供か。確かにメスだしね」
「え、メスなんですか?」
マチルダさんはオスだと思っていたのだろうか。
それに、何を狙って、だって?
決まってるじゃないか。「彼女」は僕に会いに来てくれているだけだ。
そんなこと、マチルダさんにわかってもらえるとも思わなかったけど。
「そう、じゃあ撃退できたら戻ってくるから」
僕は一人、馬を降りてデート場所に向かう。
やがて。彼女の足音が聞こえる。
唸り声。それが合図。
僕の剣と彼女の牙が火花を散らす。彼女が僕の足を切り裂こうと爪を走らせるのを、僕は軽く飛んで躱し、彼女の翼に取り付いてその根元に剣先を突き刺す。
彼女は痛みに震えもしない。彼女は僕が躱すのをわかっていたし、僕も彼女に致命傷を与えないのをわかっていた。
ダンスを踊るように高速で彼女の周りを回る。彼女も楽々ついてくる。時折牙で僕のマントを破ったり僕の腕に切り傷を創ったり、じゃれついてくる。
可愛い。本当に可愛い。
彼女は手を抜かない。僕も手を抜かない。それでも、彼女が僕に致命傷を与えることがないのは、彼女の優しさなのかもしれない。僕は彼女と違って傷がすぐには治らないし、大きな傷は深刻な致命傷になってしまう。人間だからだ。彼女はドラゴン特有の回復力で今の翼の傷だって三日後には塞がっているだろう。彼女の傷が癒えたら、次のデートができる。僕が人間という脆い生き物であることを申し訳なく思う。
こんな気持はいつ以来だろうか。
妻を意識し始めた頃の気持ちだ。
彼女に振り向いてもらいたい。彼女に全力で攻撃ってもらいたい。僕の全力を受け止めてもらいたい。二人でいつまでも闘り続けたい。
僕は彼女に夢中だった。
夢のような数時間が過ぎた。あっという間だった。僕も彼女も徐々に疲れが出て、動きが鈍ってきたのがわかる。
彼女が動きを止めた。その見開いていた目を少し閉じた。
今日のデートはお開き。
そう言っているのがわかる。
うん。そうだね。
続きはまた今度。楽しみはとっておこう。
僕は、彼女のその大きな口に近づいた。閉じられた口のその先端に、そっと、やさしく。
キスをした。
いつものように。
さよなら……いや、「また会おう」の合図だ。
彼女はくるりと後ろを向いた。山のほうへと帰っていく。
「次はいつ会えるのかな?」
呟くようにかけた僕の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、彼女は去っていった。ザクッザクッと薄く積もった雪を踏み鳴らしながら。
僕は鼻の頭をかきながら彼女を見送った。