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慌てて口を閉じ、見ると一組の男女が店に入ってくるところだった。年の頃はクルーロルと同じくらい、年配で金のありそうな――もとい品のある雰囲気。
見覚えはないから初来店の客だろうが、よく接客しておいて損はなさそうだ。
彼らのもとへ向かおうと足を踏み出したとき、腕を強い力で掴まれた。見ると先ほどまであれほど元気に性癖を主張していたソアランが、なぜか青い顔をしている。
「ちょ、ちょっと待てスプートニク」
「話は終わりだ。お前なんぞと一緒に死地へ向かう予定はないんでね」
「いや、そうじゃなくて――」
「しつこいぞ、俺は仕事だ。――いらっしゃいませお客様ー」
商品を眺めあれこれ話している夫婦へと、とっておきの猫撫で声と作り笑いで歩み寄る。二人の意識がスプートニクへ向けられるが、その表情に嫌悪は見当たらない。
これはいける、と話を続ける。
「失礼いたします旦那様、奥様。何かお探しの品でもございますでしょうか? 私は店主のスプートニクと申しま――」
「ああ!」
「あなたが!」
しかし。
挨拶の途中で予期せぬ反応をされて、スプートニクは鼻白んだ。夫妻はスプートニクをまじまじと見て、嬉しそうに頬を緩める。
「うふふ、お話はかねがね伺っております。とても腕の良い宝石商さんだそうで」
「……身に余るお言葉でございます。当店のお客様がお知り合いに?」
探りの意味を込めて尋ねると、夫は「ええ、そうですね」と頷いたが、妻の方は違った。彼女は夫の肩をぽんと叩き、
「嫌だ、ダニエル。彼らを『この店の客』だなんて呼んでしまったら、店主さんに申し訳がないわ。だって彼らが店主さんに齎すものと言えば、トラブルばかりだもの。――ねえ?」
にこりと微笑んだその目を追って、スプートニクは振り返る。
すると。
――起立したソアランが、深く腰を折っていた。
「ご無沙汰しております、アンゼリカ様、ダニエル様……!」
そして彼が口にした、その名は。
ユキの、ソアランの、彼らの思い出の中に。何度も聞いたその名前は。
「うふふ。楽にしてちょうだい、ソアラン」
「君も元気そうで何よりだ」
二人はかつての娘の婚約者の振る舞いに、ほのぼのと笑い。
のち、揃ってスプートニクを見た。
「初めまして、スプートニクさん。魔法使いアンゼリカと申します」
楚々とした品のある笑い方は、クリューには似ても似つかなかったけれど。
窓から吹き込む風に揺れる柔らかい栗色の髪は、鳶色の瞳は。
紛れもなく、同じものだった。
「こちらは夫のダニエル。――娘たちがいつもお世話になっております」
「あ、ご、ご丁寧に、どうも……」
突然の訪問にろくな言葉の出せないスプートニクへ、夫妻は揃って頭を下げた。
本日はどのようなご用件で。渇いた口で、そう尋ねようとして――聞くまでもないことだとスプートニクは思い直した。許可もなく長いこと預かっていた従業員、その両親が二人揃って雇い主の前に現れたということがどういうことなのか、想像できないわけがなかった。
「いや、……あの」
クリューを助けたこと、雇ったこと、世話をしていたこと、今までの養育費に関すること。話すことはいくらでもあろうに、なぜだかどのようにも言葉が出せない。喉が詰まる。
しかし魔法使いアンゼリカはスプートニクの動揺など気にせず、装飾品のディスプレイに指を添えながら話を続けた。
「クリューのこと、どうお礼を申し上げたらいいか。……いえ、本当ならばあの子が見つかったという報せを聞いたあのとき、私自身がすぐにでも馳せ参じねばなりませんでした。ご無礼をお許しくださいませ」
「いえ……」
答えにこそ迷いながらも、思考は動いた。スプートニクは、クリューが連れ去られた当時、発見された当時の魔法使いたちの状況へ実際に立ち会ったわけではない。ただ、想像することはできる。きっとアンゼリカ自身、その一報が届いたとき、娘のところに飛んでいきたかった。しかし、それはできなかったのだろう。彼女もまた、匿われるべき人間だったから。
周りが許さなかった。――だから、その『体質』を持たず、かつスプートニクと魔法使い側双方の事情に詳しく、かつ魔法使いらに気取られることなく行動でき、さらにスプートニクたちを守れるほどに強い、ユキがその役目を果たしたのだ。
そしてそれを思うと同時、別のことを思い出した。
「その……」
「はい」
「クーが……いえ、クリューさんが、近い将来、宝石を吐かなくなると」
それは先日、ヴィーアルトン市の病院で、スプートニクとクリューに向けてユキが漏らしたことだった。
ユキは驚く二人へ、特に重要なことであるという風でもなく、ただ「時間制限があるんだよ」と簡単な説明しかしてくれなかった。「いずれどこかで教えてあげるから、今は体を治しなさいな」と言って。「クリューちゃんも、今できることをたくさん楽しみなさい」と。
上手い具合にはぐらかされたのはすぐにわかったが、そこで問い詰めるわけにもいかなかった。クリュー本人があまりにも、不安そうな顔をしていたからだ。
かつて、クリューを散々傷つける原因となり、彼女自身も「いらない」と泣いた『体質』。それがなくなると突然に宣言された彼女は、世辞にも喜んでいるようには見えなかった。
だからスプートニクも、そのときは「ま、そうだな」と、ユキの言ったことが些事であるかのように答えるしかなかった。入院していられる今のうちに、院内の看護師を口説いて回らないとな――などと吹いたら、ようやくクリューはいつものようにぷんぷん怒り出した。そうしてうやむやに終わらせたのだ。そうするしかなかったとも言える。
……しかし、今は。
アンゼリカを見る。彼女は瞼を落として、また開いた。肯定の返事のようだった。
「私の血筋の者は、生まれながらにして鉱石症という『体質』を持っております。ただ、吐き出す宝石は年を追うごとに減り、年齢にして十五から……遅くとも、二十になる頃でしょうか。その頃には、宝石を作り出す『体質』は、体から消えてなくなります」
「普通の魔法使いになる、と?」
「いえ。私たちの体は、宝石を作り出すという行為のため、大量の魔力を生成し、消費します。その副作用とでも言いましょうか、今の私の体はもう、自身の生命を健全に維持する程度の量しか、魔力を作り出すことができません」
彼女は鞄から杖を出すと、胸の前で構えた。そして、
「炎を」
呪文を唱える。
ぽふ、と白い煙が現れたものの、すぐ虚空に混じって消えた。
「あ、出ましたね。今日は調子がいいです」
むふんと胸を張る姿は、当然ながらクリューによく似ている。
浮かべるしたり顔もよく似ていたので、
「店内は禁煙なんだけどな」
「あっ、す、すみません」
表情を曇らせてやりたくてそんなことを告げると、思った通り動揺した。
両腕を大きく振って空気を循環させ、慌てて先の失態をなかったことにしようとする。アンゼリカは、きょろきょろ視線を動かして隠滅が完了したことを確認。
のち、誤魔化すように咳払いをした。
「ともかく。……今の私は、普通の人間と同じようなものです。クリューも遠くない未来、『体質』をなくし、私と同じ『魔法を使えぬ魔法使い』になるでしょう。あの子の産む子が、『体質』を受け継ぐかどうか……それはまだ、わかりませんが」
「あれが、確実にそういう子を産むとは言い切れない?」
「これまでの例からすればそうなるでしょうが、確かなことは言えません。魔法とは、魔法使いとは、解明されていないことも多くある力であり、不安定な存在です」
「現に、私たちの『長女』の生みの親は、ごく一般的な魔法使いでした」
アンゼリカの言葉を補足するように、ダニエルが語る。
彼らの長女。ファンション。ユキ。――規格外の魔法使い。
ダニエルの視線を追って振り返ると、ソアランが居心地の悪そうな顔でカウンターの椅子に座っていた。首を竦め、背を丸めて、小さくなっている。彼は魔法使いであり、スプートニクの知らないユキの時代を知っているから、思うことはいろいろあるのだろう。
しかし。同じようなことをきっと、彼らもスプートニクに思っている。クリューという子供が彼らのもとを離れ、今日のように成長するまで、保護者として後見人として、店主として彼女を見てきた、スプートニクという人に。
「スプートニクさん。宝石を吐き出さないあの子は、あなたにとって、利用価値がないとお考えですか」
「まさか」
否定の言葉は、自分でも驚くほどにあっさりと口から出た。
「クーは……そりゃ、失敗もしますし、何考えてるのかわからんところもあります。でも、従業員としてよく働いてくれます。いないと店を回すのはそこそこ大変です。だから……まァ、なんだ」
たとえ彼らが今日、クリューを魔法使いの世界へ連れ戻すため、現れたのだとしても。
事実が揺らぐことはない。
「うちの店には、必要な人員だと思います」
「そう」
スプートニクの回答に。
二人は顔を見合わせると、嬉しそうに笑った。
「じゃ、帰りましょうか。ダニエル」
「そうだね。アンゼリカ」
「え」
二人があまりにあっさりと言ったものだから、スプートニクは面食らった。




