第1話 国を救うため、少女は己の命を対価に捧ぐ
人里離れた山頂にある神代神社の境内は、深い雪と静寂に包まれている。
だが、その静寂は決して穏やかなものではなかった。
山の麓を埋め尽く軍勢の篝火が、夜空を不気味な赤に染めている。
明日になれば、この神域も、生き残った村人たちも、全てが欲深い権力者の火に焼かれ、蹂躙されるだろう。
「……誰でもいい。誰でもいいから……」
雪穂は、石畳の上に座り込んでいた。
白装束は薄汚れ、寒さと空腹で小さな身体は絶え間なく震えている。
だが、その瞳だけは強い決意を宿して、闇を射抜いていた。
彼女の前には、父の遺品である一振りの短刀と、石畳に描かれた歪な紋様。
儀式を完遂すれば、雪穂の魂はこの世界から消え失せる。
昼間、ひもじさに泣く姉の背中を見た。
自分の食事を村の子供に分け与え、力なく笑う母の手を握った。
彼女たちが生き残れるのなら、自分の命など、安い対価だと思った。
「……お願い。みんなを、お姉ちゃんを……助けて……」
雪穂は震える手で短刀を握りしめた。
刃の冷たさが指先に伝わる。
彼女は一度だけ、遠い麓でうごめく軍勢を睨みつけると、迷わずにその刃を己の喉元へと突き立てた。
「――っ」
声にならない叫びが、夜の闇に吸い込まれていく。
鮮血が石畳の紋様を赤く染め上げると同時に、視界が強烈な光に焼き尽くされた。
身体の感覚が、急速に遠のいていく。
氷のような冷たさが消え、心地よい浮遊感と、どこか懐かしい「甘い香り」に包まれるのを感じながら、雪穂の意識は深い闇へと沈んでいった。
◇
金曜の夜。
アパートの薄暗い部屋で、俺はパソコンの画面を睨みながら溜息を吐いた。
今日も今日とて仕事をサボり、外回りと称して漫喫で時間を潰してからの直帰。
当然、営業報告書に書くべき成果など1文字もありはしない。
月曜日の朝、どんな顔をして出社し、上司に詰められるかを想像するだけで、胃のあたりが焼けるようにズキズキする。
……だが。
そんな不透明で救いようのない未来の苦痛など、今の俺にはどうでもいいことだ。
1ミリも関係ないと言い切ってもいい。
なぜなら、俺には「彼女」がいるからだ。
「よしよし……今回のユキナちゃんも、最高に『紅蓮』してるな……」
画面の中で舞うのは、スマホゲーム『戦国乙女☆プリンセス』──通称『戦プリ』の最推しキャラ、真田幸村担当のユキナ(11歳)だ。
このゲームの特長は、フォトスナップと称し、定期的に各キャラクターの画像詰め合わせを配信してくれることだ(有料)。
おかげで、推しキャラクターを全力で愛でることができる。
先日リリースされた、ユキナちゃんの新作フォトスナップ『紅蓮の絆・信濃路の追憶』。
幼い少女が真っ赤な六文銭の陣羽織を羽織り、凛とした表情で槍を構える姿は、まさに芸術だ。
彼女の姿を五感で味わうため、俺は早速明日から、ロケ地巡りの旅へ出る計画を立てている。
俺の聖地巡礼は、単に痕跡を辿るような生易しいものではない。
ユキナちゃんという存在をより深く、細胞レベルで解釈するための「徹底的な理解」への旅だ。
地域の博物館巡りは序の口。
図書館にこもって一次資料を漁り、難解な古記録やマニアックな郷土史を読み解く。
彼女が駆け抜けたであろう当時の地形を今の地図から逆算し、最適な布陣を空想する。
そんな学問的かつ実践的な追求こそが、彼女への正しい「誠実さ」だと俺は信じている。
そんな活動に没頭し、山奥の古戦場や城跡を巡り続けた結果、俺のアウトドアスキルはもはやプロの領域に達してしまった。
宿代すらガチャとフォトスナップに突っ込んできたおかげで、キャンプや車中泊はもはや日常だ。
……もっとも、客観的に見れば、中年の独身男が画面の中の11歳の少女に熱狂している姿は「事案」の一歩手前。
近所に「あの部屋の住人はロリコンだ」などとバレたら、社会的な死が待っている。
だからこそ、俺は完璧に「普通の独身男性」を擬態しているのだ。
その擬態があまりに完璧すぎて、このアパートの住人どころか、世界中の誰一人として俺の現状に興味を持っていない。
そんな、誰にも興味を持たれていない俺は――今日で38歳になった。
通知一つ来ないスマホの真っ暗な画面に、無精髭の生えた冴えない男の顔が反射している。
このまま「完璧な擬態」を続けて、そのまま誰にも知られず消えていくのかと思うと、さすがに胃の底から冷たいものがせり上がってくる。
――これじゃ、ダメなことはわかっている。
俺は財布を掴むと、擬態用の「くたびれた安物のジャケット」を羽織り、コンビニへと向かうことにした。
せめて、自分へのご褒美にコンビニで一番高いショートケーキでも買ってやろう。
余計、ダメなような気がしないでもないが……。




