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ダニアは数日間、ボルシュ商会の料理長からいくつかの料理を教えてもらい、レシピにまとめていた。
「そろそろ外に出てみませんか?」
ザカリーが声を掛けてくれた。
「市場に行きませんか? 食材も見たいでしょうし、他のものもいろいろありますよ。専門店ではなく、市民の生活が分かる市場に行ってみましょう」
「ダニアが行きたいところに行けばいい。俺たちは護衛としてここに来ているのだから、ダニアの気持ちが何より優先されるよ」
「それなら、市場に行ってみたいわ」
「決まりだな。ザカリーも行ってくれるのか?」
「当然です。私とムティアラの二人で通訳をしますよ」
ダニア・ロン・フィルの三人は、着慣れ始めたノトスの衣装に身を包んで外に出た。冬のはずだが、まるで夏のような暑さを感じる。
「ノトスには、クラウデンのような四季がないんです。気温も一年中大体同じで、あるのは雨季と乾季。雨季は毎日夕方になると雨が降ります。クラウデンでいう秋と冬が、ノトスでは雨季なんです」
「だから毎日雨が降っていたのか」
フィルが納得した様子で頷いている。
「ええ。ですから、夕方になる前に戻りましょう」
王都とはいえ、タマリンドの街はあまり大きな街ではないらしい。だから、街中を行くなら歩きの方が効率的だという。
「市場は、同じような店が集まって一つの区画のようになっています。隣の店と比べたり、値段交渉したりすることもできますよ」
「もしかして、値切れるってことですか?」
「ダニア、やる気ね?」
ムティアラがクスクスと笑い出した。
「ボルシュ商会の次期会長が連れている客人が値切り出したら、次の女主人だって勘違いされても知らないわよ?」
「え? どうして?」
「自ら値切るってことは、商品の価値を分かっているってアピールすることになるでしょう?それは商会を支える者として重要な能力だから、それを遺憾なく発揮しているところを見せて自分の女主人としての能力を見せつけているって思われるわ」
「……値切りは、お任せします。通訳していただかなくちゃいけないんだし、値切っている所を見たいだけなので」
「変わったものが見たいのね」
「クラウデンではあまり値切らないというか、値切るのは事務方の人たちの仕事になっているのでできないというか……庶民は値切らないのが普通ですし……」
「私が預けられていたクラウデン南部の商家では値切っていたけれども。まあ、騎士団の中にいれば目にすることはないかもしれないわね」
「ええ、そうなんです」
ごめんなさい、前世である地方のおばちゃんたちが元気よく値切る姿を見て、いつかはやってみたいと思っていただけなんです。
ダニアの中に、ちょっとだけ罪悪感が生まれる。やってみたいと思っていたけれども、女子高校生にはハードルが高かった、それに再チャレンジしたかっただけだというわけにもいかなくて、ダニアはムティアラの言葉を肯定することでごまかすことしかできない。
「ダニアが値切っている所、見てみたいと思う気持ちもある」
ロンが笑っている。
「まあ、市場に行って、みんながどんなふうに値切っているのか見てからの方がいいかもしれませんね。ダニアさんの思う『値切り』と同じかどうか」
ザカリーが助け船を出してくれた。
ザカリーは、やはり紳士だ。
市場はダニアの想像以上に情報過多でカオスな世界だった。
まずは、色。果物、魚、布製品、木やラタンを加工したもの、視覚の暴力と言ってもいいほどの様々な色がそこに溢れていた。その色に圧倒されながら進んでいくと、次第に様々な匂いがし始める。肉、魚、野菜、果物、スパイス、ハーブ、酒、調味料がそれぞれの存在をはっきりと主張している。特にスパイスを扱う店が集まる辺りは、その強烈な香りで思わずダニアは鼻を覆った。ロンとフィルも同様にしている。
「パウダーが風で舞うと、こんな風になってしまうんですよ。目に入らないように気をつけてくださいね」
いや、それは無理です。眼鏡か、花粉症用の奇妙なゴーグルが欲しいです。
「産地によって少しずつ香りの強さや味が違うんですよ」
ザカリーがある露店の前に立った。まだ若いが、厳つい体の男がスパイスを並べている。ザカリーに気づくと、男は柔和な笑みを浮かべた。
『いらっしゃい、若旦那』
『ハルスはクラウデン語を使えるか?』
『簡単な会話なら使えますよ。変えますか?』
『ああ、頼む』
ハルスは一目でノトス人ではないと分かる三人に向かって笑顔で言った。
「いらっしゃいませ。ボルシュの若旦那のお客様ですか?」
「え、クラウデンの言葉が話せるのですか?」
「はい、昔、国で習いました」
「ハルスはノトスの南西にある小国連合イルの商人なんです。イルのスパイスもいいが、ハルスがノトス国内で目利きしてタマリンドに運んでくるスパイスは最高級品。いつもダニアさんに卸しているスパイスの大半は、ハルスが農家から仕入れてくれるものなんですよ」
「ハルスさんがいいものを探してきてくれるから、私は料理を作れるってことなんですね。ハルスさん、ありがとうございます」
「あれ、もしかして若旦那が言っていた、クラウデンの可愛い料理人のお嬢ちゃんですか?」
「え?」
驚いたダニアの手を、ハルスが取った。
「お噂はかねがね。お嬢さんのために最高級の質のものを揃えろって、いつも言われているんですよ。ああ、水仕事をしている人の手だ。こんなきれいなお嬢さんに料理を作ってもらえる人たちは、幸せですねえ」
すりすりと手をマッサージされる。初対面の男に手を取られることに慣れろと言われていたことを思い出したが、ダニアの文化の中で男に手を取られる時は、好意を伴うものだ。ノトスでは挨拶のようなものだとザカリーもギーも言っていた。
ここで手を引けば相手を侮辱したことになるのではないか。
ダニアはどうしたらいいか分からなくなってロンを涙目で見上げた。ロンはそっとダニアの肩に手を回して引き寄せると、ハルスの手が自然に離れた。
「俺の彼女なんだ」
「あ、そうなんですね。かわいい彼女さんで、羨ましいことです」
おい、どうなっているんだ。ザカリーの想い人ではないのか?
そんな目でハルスがザカリーを見た。何も言わないザカリーの代わりに、ムティアラがノトス語で言った。
『ヘタレなのよ』
『若旦那が? 信じられない。だが、この男は強いから前に出られないのも分かるよ』
『そういうことだから、あまりからかわないでやって』
ザカリーが耳を赤くしているが、ダニアたちには分からない。
「ね、ザカリーさん。これは何?」
「ああ、それはですね」
「これがタマリンドですよ」
ザカリーの横からハルスが口を出した。
「え、これが?」
「そう。生のと、ドライと、ペーストの三種類で売っているよ」
ハルスの話によれば、生のタマリンドの実はしっとりとした甘酸っぱい味だという。おやつやデザート感覚になる。ドライのタマリンドも似たようなものらしい。
ペーストは、種や繊維質を取り除いてあるので、直ぐに料理に使える。甘酸っぱい風味を加えたい時、コクを出したい時に使うという。
「あとはね、ペーストに水と砂糖を加えてジュースにすると最高に美味しいよ」
「試食できますか?」
「ドライでいい?生のは割って出さないといけないし、ペーストは同じ重さにしてあるから、削ると売れなくなるんだ」
「いいわ。お願いします」
ドライのタマリンドを口に含む。ドライアプリコットをもう少し酸っぱくした感じだ。
あれ、これ、梅干しっぽい?
ダニアの口の中で、甘みが先に来るようなタイプの梅干しのイメージが湧いた。おにぎりにあうか実験したい。それから、しばらく自作していないウスターソースのコクだしにも使えそうだ、とダニアは頭の中で考えを巡らせる。
「入ったな」
「ええ、入りましたね」
ザカリーとロンが顔を見合わせる。フィルも頷いている。ムティアラとハルスは何のことだか分からず呆然としている。
「ダニアはね、食べた物で何が作れるか、考え始めると周りが全く見えなくなるんです。口の中に食べ物を入れて咀嚼しながら、一時間も止まっていることがあるんですよ」
ふふっとザカリーが笑う。ムティアラとハリスはダニアが料理一筋だという話を思い出し、納得することになったのだった。
後日、米を炊いてタマリンドの実と一緒に食べたダニアは、梅干しはタマリンドの代わりになるが、タマリンドは梅干しの代わりにならないことに気づき、深く落ち込むことになることを、この時のダニアはまだ知らない。
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