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夕食のピークが過ぎ、食堂に残る人たちは既にチョトレートを掛けたドライオレンジをつまみに酒を飲み始めている。今日はワインよりブランデー、特にコニャックが出る。相性がいい酒とつまみは、最高の一品だ。
ダニアが来てからカクテルタイムも楽しみになったと言ってくれる人が何人もいるので、夕食のデザートとつまみをうまくリンクさせられるようにしないと、労力を持って行かれてしまう。ダニアは談笑する人の輪をいくつもカウンターの向こうに見、緩やかに微笑んだ。
レックスが、食器を下げにやって来た。医務部は入院患者に食事を用意する都合上、自前の食堂がある。レックスもいつもは医務部の食堂で食べているのだろう。
「ダニアさん、ありがとうございました。患者さん、夕食も全部食べてくれましたよ。」
「それならすぐに退院できそうですね。」
「はい。それで、患者さんからの伝言があるんですが。」
「あら、なんでしょう?」
「自分はノトスの商人で、助けてくれたお礼がしたいと。この後少しだけ医務部に来てもらえませんか?」
「聞いてみますね。」
ダニアはケネスとショーンに、レックスの話を伝えた。
「あとは僕らでやっておくから、そのまま上がるといい。」
「また明日頼むよ。」
明日休みのショーンが2人分頑張ってくれるらしい。ありがたい。
「それじゃ、お言葉に甘えて、お先に失礼します。」
ダニアはレックスに待ってもらって急いで着替えると、一緒に医務部に向かった。医務部は騎士団の入り口の傍にある。運び込んだ患者の手当を一秒でも早く行うためだ。食堂は毒などの混入を防ぐため、また寮の傍にということで、奥まった所にある。歩くと5分では着かない。暗い中なので、レックスが一緒に歩いてくれるのは助かる。それぞれランプを持って歩けば、それなりに足元は明るい。
「例の方、ノトスの方だったんですね。肌の色が違うから何となくそんな気はしていたんですが。」
「ええ、ノトスの人は浅黒い肌をしていますね。この国よりも南にあるので、アルテューマは寒いとぼやいていますよ。」
「それで体調を崩したのかしら?」
「騎士団の敷地の外で倒れたって言っていましたよね?」
「はい。その瞬間を見ていたので、急いで守衛さんを呼びに行ったんです。」
「そうでしたか。」
医務部は前世の日本で言えば自衛隊の中にある病院だ。医師や看護師の養成も行いながら、主に騎士の怪我の治療を、そして外国から持ち込まれる流行病や風土病の研究もしている。研究棟は奥の方にあるらしいが、その場所は秘匿されているのでダニアは知らない。医務部に入ったダニアは、夜の病院のひっそりとした空気に身を震わせた。アレクサンダー団長が赴任してから街の住民も診察できるようにしたので、外来が1階に置かれている。2階が男性患者用の入院施設になっている。レックスはその中の一室の前に立つと、ノックをした。
「レックスです。ダニアさんを連れてきましたよ。」
「ああ、どうぞ、お入りください。」
レックスに連れられて入院個室に入る。外国人ということで、医務部の中を勝手に歩き回らないよう個室で管理されているらしい。
「ダニアさん、助けてくれたこと、そして美味しい食事も本当にありがとう。何とか明日、国に帰れそうです。」
「そうですか、良かったです。お帰りも気をつけてくださいね。」
「ええ。それで、あなたに個人的にお礼がしたいのです。」
「お礼ですか?」
「はい。私は食品を扱う商人です。この国の乳製品で日持ちがするものをノトスに運び、ノトスからは果物やハーブを運んでいます。ここまで体調を崩してしまいましたので、これ以上北上するのはやめて帰国するのですが、そうするとノトスから持ってきたものが駄目になってしまう。それを全てダニアさんにお譲りしたいのです。」
「ありがたいお言葉ですが、それなら購入でお願いします。」
「それではお礼ではなくなってしまいます。」
「でも、もらいすぎになってしまいます。」
「では、何か欲しいものはありませんか?ノトスにしかないものを、次に来る時に持ってきますよ。」
「欲しいもの・・・。」
ある。ノトスで生産される、あれがほしい!
「ラダは手に入りますか?購入でいいので、ラダがほしいです。」
「ラダですか?ラダを使ってくれるのですか?」
「こちらではラダは超高級品で、手に入らないのです。できれば長く手に入れられるルートがないかと思っていた所なんです。」
「そうですか。分かりました。一緒に、こちらで見ないハーブやスパイスをいくつかお持ちしましょう。」
「どんなものがありそうですか?」
「そうですね・・・キビ糖はこちらにはないですよね?」
「ありません!ということは、ラム酒もいいのがあるんでしょうね?」
「もしかしてダニアさん、行ける口ですか?」
「いえ、ラム酒を使って美味しいお菓子を作れるので。ラムレーズンとか。」
「ああ、いいですね。分かりました。次に来るのはおそらく1ヶ月後くらいになると思いますが、待っていただけますか?」
「もちろん、お待ちしています!」
相手の名を呼ぼうとして、ダニアは気づいた。名前、まだ聞いていなかったわ。
相手もそのことに気づいたようで、お互い気まずくなり、そして同じタイミングで吹き出した。
「失礼しました。ザカリーと言います。ボルシュ商会の息子で、親父が引退したら後を継ぐことになっています。今ある食材については、明日朝食後の時間に商談をしましょう。これからも長くお付き合い願います。」
「私は一番下っ端なので私の権限では何とも言えませんが、そうなったらいいなと思います。」
ザカリーは微笑むと右手を差し出した。ダニアも右手を差し出し、握手をした。
「ええ、そうですね。」
ご機嫌で出ていったダニアを見送ったザカリーは、右手に残るぬくもりが逃げないよう、左手で右手を包み込んだ。いい取引相手になりそうだという思いと、握手だけでは物足りないような、そんな気持ちになる。ノトスにいればボルシュ商会の息子というだけで、こびへつらう人のなんと多いことか。ボルシュ商会のことを知らないだけなのかもしれないが、実にさっぱりとした、気持ちの良い人だとザカリーは思った。
ザカリーは決めた。ダニアが喜ぶものを仕入れよう、と。
・・・・・・・・・・
翌朝、一旦食堂を閉めた後にザカリーさんがやって来た。宿に置いてあった荷物を取りに行っていたのだという。事情は朝一番でマシュー料理長にも報告してある。ケネスに仕込みを続けてもらいながら、マシュー料理長とダニアは品物を物色した。
ドライフルーツは使い勝手がよいので、全て購入した。ドライマンゴーを発見した私は、それだけでも儲けものだと思っていたが、大きな箱の中から出てきたのはなんと・・・
「米だ・・・米!」
「コメ?あ、ムチェレのことか?」
「ザカリーさん、これムチェレっていうんですか?」
「ああ、ノトスではムチェレと呼ぶが・・・コメか。初めて聞いた名前だな。品種が違うのかな?」
まさか前世の記憶ですとも言えずダニアはにこりと微笑んで、小さい時に教えられた名前だとしか思い出せないとごまかした。ジャポニカ種の米ではないので、白飯としては物足りないだろうが、騎士団食堂で出すなら味付きの方がいいし、白飯の食感が柔らかすぎて好きではない欧米人がいると前世で聞いたこともあるので、この種のムチェレでいい。
「ムチェレ、全部置いていってください!」
「どうやって食べるんだ?」
「炊いてもいいし、リゾットにもなるし、パエリアもできる、轢いて米粉にすればライスペーパーも作れる、団子も、ああ、もち米はないのかなあ、炊き込みご飯もいいし・・・。」
マシュー料理長が呆れたようにダニアを見ると、放っておきましょう、とザカリーに言った。
「自分が持ってくるよりも、ダニアさんがノトスに来て買い付けした方がいいような気もしますが、そんな暇はなさそうですね。」
「ああ、せっかくいい腕の料理人が入ってくれたんだ、まだ私らもダニアの料理の再現ができていない以上、ダニアを連れて行かれたら暴動が起きそうだよ。」
「いいんです、次回色々持ってきますから。」
ダニアはまだムチェレを見て料理の名をつぶやき続けている。
「ダニアはしっかりしているように見えるが、料理の世界のことしか考えていない。だから、商談なんて言われて心配したよ。これからもいいもの、南でしか手に入らないものをたくさん持ってきてほしい。それから、乳製品だが、アルテューマ騎士団の事務方に、近郊で酪農を主産業としている領地のご令嬢が勤めている。今後のために顔を売っておくといい。ソフィア嬢というんだが、私とダニアからの紹介だと言えば会ってくれるだろう。」
「ありがとうございます。うちも販路が広がるのはありがたいので、助かります。」
ダニアはその日、米のことばかり考えていた。少しだけ、今度ザカリーが持ってくると言っていた胡椒のことも思い出した。
みんなが喜ぶ米料理ってなんだろう?
結果としてダニアは夕食のデザートを作り忘れた。多くの人からお叱りを受ける羽目になったのは、言うまでもない。
読んでくださってありがとうございました。
胡椒がやっと手に入ることになり、ダニアはご機嫌です。
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