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翌朝5時にいつも通り出勤すると、ダニアはブイヨンの鍋から三分の一を別の鍋に移し、コンソメスープを作り始めた。ブイヨンは毎日仕込んで切らさないようにしている。おかげでいろんな料理にうまみが加わり、美味しくなったと評判は上々だ。
塩で味を調える。昨日の内に余ったパンを刻み、オーブンで軽く焼いて大きめのクルトンを作ってあるので、食べる前にトッピングすればいい。フェンネルを少し浮かせば、甘みのあるコンソメスープになる。昼はこのブイヨンをベースにミネストローネに、夜は牛乳・薄力粉・バターを加えてベシャメルソースを作り、ラザニアを作る予定になっている。ラザニアには牛挽肉とタマネギと薄くスライスしたチーズを挟む予定だが、同じソースで別の鍋に10センチ程度の角切りにした牛肉を煮込むことにしている。ラザニアにこの肉をいくつか添えれば、騎士たちでもお腹が満足するはずだ。朝食の片付けと同時に明日のブイヨンを仕込み始める流れもできて、少しずつダニアは体が厨房に馴染んでいると感じている。
今朝のオムレツは、一昨日作って寝かせておいたトマトケチャップを初披露する。トマトケチャップももちろん買い上げレシピの対象である。
ケチャップは意外と簡単に作れる。湯むきしたトマトをみじん切りにし、鍋で煮詰めてからザルで漉し、すりおろしたタマネギと合わせる。塩、砂糖、ローリエなどを加えて一煮立ちさせ、最後に酢を混ぜればOK。後はローリエを取り除いてから煮沸消毒した瓶に入れればできあがる。保存料がなく、強いて言えば砂糖が防腐効果を持つだけなので、ダニアはトマトケチャップを一晩寝かせはするが、5日以内に使い切るようにしている。時期によって入れるハーブを少し変えるのもありだ。敢えてトマトの粒感を残すと、オムレツによく合う。
今日は料理長マシューがお休みの日だ。厨房を3人で回すことにも慣れていたダニアは、カウンターの向こうからこちらを覗き込み、困ったように立ちすくんでいる人がいるのに気づいた。
「どうかなさいましたか?」
ダニアが声を掛けると、その人は決まり悪そうに頭を下げた。
「あの、医務部に一昨日から勤務しているレックスと言います。病人食のことでご相談があって・・・。」
「病人食、ですか?」
「はい。昨日騎士団の前で倒れて、今医務部で保護している人がいるのですが、医務部で作ったミルク粥は重くて食べられないと・・・何かいい案はないか、食堂で聞いてこいと言われたのですが、お忙しそうで・・・。」
「ああ、昨日の浅黒い肌の人ですね?食欲のない人に、バターたっぷりのミルク粥って、栄養価は高いけれども重すぎるんですよ。ちょっと待ってくださいね。」
ダニアはショーンとケネスに病人食を作る許可を得た。2人の答えはイエス、だ。ダニアはコンソメスープを一杯分だけ小さな鍋に移すと水を加えて薄めて弱火にかけ、にんじんとタマネギを賽の目に刻んでコンソメの小鍋に入れた。コトコトと煮込み、にんじんを一つ掬う。指で押して潰れるほどの柔らかさになったのを確認するとカップに注ぎ、パセリを細かく刻んで散らし、クルトンを別皿に入れてトレーに乗せた。
「このスープなら具は噛まなくても舌で潰れます。クルトンはお好みでどうぞ。」
「ありがとうございます!持っていきますね!」
レックスと名乗った男性は、そろりそろりと歩いて行った。どこかで転んだり、こぼしたりしませんように。
ダニアは元の業務に戻った。レックスと医務部で保護した人のことなど思い出せないくらい、忙しく立ち働いた。
そんなダニアのところに、病み上がりの人が食べやすいような夕食の依頼が医務部から来たのは、15時頃だった。聞けば、件の人物はレックスが運んだ食事を、クルトンに全てスープを吸わせて食べ切ったという。ダニアは、今日の夕食のラザニアでは重すぎると考えた。昼の残りのミネストローネに、ショートパスタを加えればいいだろう。ケネスとショーンもいいよと言ってくれたので、小鍋にミネストローネを分けておいた。後で取りにくるということなので、パスタは来てから茹でればいいだろう。
夕食時に希望者のみに提供されるデザートを、ショーンと用意する。今日はドライオレンジのチョコレートがけだ。デザートというよりも、酒のつまみになる一品を意識して選ぶこともある。そのままカクテルタイムに入る人向けと言えるかもしれない。
「ダニアさん、レックスです。取りにきました!」
「レックスさん、今すぐパスタを茹でるので、ちょっとお待ちくださいね。」
ペンネを短めに茹でて温めたミネストローネに加えた。ベーコンから出たうま味と塩味が出ている。丸パンも一つ添えた。
「レックスさん、お待たせしました。」
「ダニアさん、ありがとう。重すぎず、良さそうな感じだね。」
「でしょう?今日の夕食はベシャメルソースを使うから、それだとバターが重いんじゃないかと思って、昼の残りのミネストローネをアレンジしたんです。残っていた分よく火が通っているから、具は柔らかくなっていますよ。」
「患者さんにそう伝えるよ。食器の返却は遅くなるけど構わない?」
「ええ、21時までに来てくれれば。早めだととってもありがたいです。」
「わかった、できるだけ早く来れるように頑張るよ。」
レックスはまたそろりそろりととトレーを運ぶ。今回もレックスさんが転んだりこぼしたりしませんように、とダニアはその後ろ姿にそっと祈った。
「ダニア、ラザニアに添える肉は足りるか?」
「もう少し足しておきましょうか?さっき『命の水』を取りに来た騎士さんが、今日の演習はハードだって言っていましたから。」
「命の水」とは、ダニアが作ったスポーツドリンクだ。砂糖と塩と水があればできるので、アレクサンダー団長に進言して訓練の途中で一口二口飲んでもらうようにしたところ、倒れる騎士の人数がぐっと減ったと喜ばれ、経口補水液なんて言っても伝わらないので「命の水」なんていう仰々しい名前を付けられてしまった。医務部からも問い合わせがあり、これもレシピとしてお買い上げいただけることになっている。ありがたい。熱中症のことは、この世界ではまだよく知られていない。体力仕事の人たちが、特に暑い時期に倒れることがあると知ってはいるが、それは軟弱だからだなんていうような、前世でいえば昭和風な説教が飛んでくるだけだ。経口補水液は街の人にもどんどん知ってほしいものの一つだ。
ダニアは牛肉をカットして鍋に入れた。焼いてから入れる場合と煮ながら火を通す場合があるが、できればホロホロの食感にしたいので今回は敢えて焼かない。トマトとベシャメルソースを合わせて、ラザニアのソースを作っていく。ブイヨンを入れるだけでこんなに味が変わるのか、と最初は驚いていたマシュー料理長たちも、今ではブイヨンを入れるのが当然という顔をしている。王宮の料理人も、香草を「草」と言い放った王子様も、きっと今頃おいしくないものを食べているに違いない。
フッフッフと悪い笑みが漏れる。ケネスとショーンは、時々聞こえるこのダニアの悪い笑みを見ると笑い出す。いいのだ、取り繕う気などダニアにはない。騎士たちや文官たちの前でも平気でこの笑いをする。ダニアは知らなかった。いつしかダニアは騎士団の「珍獣」枠に収まっていることを、そしてそれが危険動物ではなく、愛玩動物に分類される類いのもであるということを。
読んでくださってありがとうございました。
トマトケチャップの作り方も千差万別だと思いますが、これが基本的なところだと思っています。
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