第156話 誘惑
「いらっしゃいませ。何かお探しですか? おや、カリーネさんじゃないですか。何かご入用ですか?」
そう言ったタツヤは、カリーネの姿を見て困惑の表情を浮かべた。
店に入って来たカリーネが、胸元が大きく開き身体の線がはっきり浮き出た服装をしていたからだ。
タツヤはすぐにカリーネから顔を逸らしたが、その視線はチラチラとカリーネの胸元を窺っている。興味津々なのはバレバレだ。
「あら、もう店を閉める時間でしたか?」
「まだ大丈夫ですよ。ゆっくり見ていって下さい」
カリーネは店内をゆっくりと見て回りながら、タツヤに話し掛ける。
「ご主人が店番とは珍しいですわね。奥様は?」
「テレーゼは帰省で三、四日留守にしてましてね。妹のエミーも一緒に付いていったので、しばらく私が一人で店番ですよ」
「そう、それは大変ね」
カリーネが棚に並べられた商品を指差す。
「ご主人、この品ですけど、どうやって使うのかしら。教えて下さる?」
「これですか、これは…」
タツヤが商品を手に取り説明を始める。
カリーネが胸の谷間を見せつけるよう、タツヤに身を寄せその手元を覗き込む。
「これはですね、ここに取っ手がありますよね。これをこう引っ張って………、あの、カリーネさん。そんなに近づかなくても大丈夫ですよ」
カリーネは素知らぬ顔で、更に身を寄せタツヤの身体に胸を押し付けた。
「でもこうした方が、もっとよく見えましてよ。それで、ここを引っ張ってからどうすればいいのかしら?」
カリーネの伸ばした手がタツヤの手に重なる。タツヤの身体が硬直した。
どうやらカリーネが意図してやっていると気が付いたようだ。
「あ、あの……。そうやって男をからかっちゃいけません。相手が本気にしたらどうするんですか?」
「あら、本気になったらどうなるのかしら?」
カリーネが手を伸ばしてタツヤの顔を引き寄せた。
そして口を塞ぐように唇を押し当てる。
「うっ……」
最初は振りほどこうと暴れていたタツヤだが、すぐに力を抜きされるがままとなった。
長いキスが終わり、カリーネがタツヤから身を離す。
「ご主人。この品いただくわね。でもごめんなさい。お金持ってくるのを忘れちゃったみたいなの。お金は用意しておくから、店を閉めたらこの品、家まで届けてもらえる? 待ってるわね」
「え? ええっ?」
何事も無かったかのように店を出て行くカリーネ。タツヤはその後ろ姿を茫然と見送るだけであった。
◇◇◇
「いらっしゃい。待ってたわ。私の部屋は二階なの。さあ、上がって」
カリーネは商品を持ってやって来たタツヤを家に迎え入れ、その手を引いて二階へと上がる。
タツヤを自分の部屋のベッドに座らせると、カリーネもその横へと座った。
「あの、カリーネさん。気持ちはありがたいんですが、俺には妻がいるんです。申し訳ないが…」
「タツヤさん。ここまで来てそんな野暮は言わないの。今日は奥さんがいなくて寂しいんでしょ。代わりに私が慰めてあげるわ」
「女性がそんな事を軽々しく口にしちゃ駄目です」
「私がいいと言ってるんだから問題ないわ。さあ、一夜の恋を楽しみましょう」
「カリーネさん、もう止めましょう。もっと自分を大切にして下さい」
カリーネの眉がピクリと動いた。
「黙って部屋までついて来たって事は、あなたもそれなりに期待して来たんでしょ。これ以上、女に恥を掻かすつもりなの?」
「でも俺はテレーゼを裏切る訳には……」
「ああっ、もうじれったいわね!」
カリーネがタツヤに抱き付きその唇を奪う。
強引に舌を絡ませて迫るカリーネと、弱々しく抵抗の素振りを見せるタツヤ。
そこに男女の情熱的な感情は見て取れない。まるで猫が鼠をいたぶるような、見ている者がいれば、思わず身を竦めるようなキスであった。
しばらくして、カリーネがタツヤから体を離した。
「ふう、もういいかしら。タツヤさん、お立ちなさい」
タツヤがふらりと立ち上がった。先ほどまでと違い、カリーネを見つめる目元が妙に熱っぽい。
「そこに跪いて、私の手にキスしなさい」
「分かったよ、カリーネ」
タツヤが膝を折り跪く。そしてカリーネの手を取り、その甲に恭しく口づけをした。
「ねえ、タツヤさん。私の事、どう思ってる?」
「もちろん愛してるよ。カリーネ」
カリーネが吐息を洩らした。
「本気を出すまでも無かったわね。おじい様、イングリッド。もう出てきていいわよ」
部屋の扉が開きクライヴとイングリッドが入って来た。
ずかずかと部屋に入って来た二人を見て、タツヤが目を丸くしている。
「カリーネ、これはどういう事だ?! まさか、君……」
「美人局みたいな真似してごめんなさいね。でもお金を要求するつもりも危害を加えるつもりもないから、そこは安心して」
「だったらこれは?」
「だから大丈夫よ。お願いだからちょっと黙っててね。いいわね」
「でも……。分かったよ、カリーネ」
渋々といった表情でタツヤが口を閉ざす。
そんなタツヤの様子を横目に、クライヴがカリーネに尋ねた。
「ずいぶん早かったようだが、本当に大丈夫なのか?」
「この男はもう私の虜よ。いつもならベッドの上で一戦交えないと魅了出来ないんだけど、今日はあっさり落とせたわ。こんなの初めてよ」
それを聞いたイングリッドが、心底ほっとした表情で言った。
「全く、神に感謝を捧げたい気分だわ」
本来ならトラブルに備え、情事が終わるまで隣室で待機するはずだったのだ。男のクライヴと二人で、カリーネの喘ぎ声に耳を澄ませながらの待機である。いくら仕事とはいえ、気まずいにも程がある。
今回はそうなる前に片が付いたのだ。神への感謝くらい安いもである。
「よくやった。上出来だ」
カリーネに称賛の言葉を贈るクライヴ。
だがその言葉とは裏腹に、クライヴの胸中には一抹の不安が宿っていた。
(魅了の力が強まっているのか? まさか暴走の前兆じゃないだろうな?)
カリーネは諜報部門のハニートラップ要員であり、何度も重要な作戦に従事し成果を上げてきた。男心を惹きつけ意のままに操る魅了のスキルは、エルドラ帝国諜報部内でも高く評価されていた。
カリーネが魅了のスキルを暴走させるまでは……。
カリーネの魅了のスキルは強力だが、能力の発現が不安定で度々暴走事故を引き起こしている。敵味方関係なしに周囲の男たちを根こそぎ魅了状態にしてしまい、現場を大混乱に陥れたのだ。
現場の指揮官たちは彼女をこう評価した。『カリーネは怖くて使えない』と。
かくてカリーネが現場に出る事はなくなり、諜報部内で飼い殺しされることになる。
そんなカリーネにエデン帝国潜入の任が下った。
魅了のスキルを暴走させる事無く成果を出さなければならない。
もしこの任務で再び失敗を犯せば、もう諜報部内に彼女の居場所はないのだから。
タツヤが魅了状態にある事を確認し、クライヴは早々に尋問を始めた。
「さて、タツヤ君。君にはいろいろと聞きたい事がある。君は皇帝アダムと懇意だそうだな。皇帝アダムについて知っている事を全部我々に教えて欲しい。いいかな?」
「カリーネがそう望むなら」
カリーネがタツヤを軽く抱きしめた。
「おじい様やイングリッドの言葉は、私の言葉と同じ。聞かれた事には何でも包み隠さず答えなさい。いいわね」
「分かったよ。……それで、アダムの何を聞きたい?」
「全てだ。どこで生まれ、どんな経歴を持ち、どんな経緯でエデン帝国の皇帝に納まったのか。彼の持つ先進的な技術はどうやって手に入れたのか。浮遊石をどうやって手に入れたのか。ああ、ワイバーンをどこで手に入れたのかもだ。君が知る皇帝アダムの全てを知りたい」
タツヤがため息を付いた。
「全てと言っても、何から話せばいいやら」
「そうだな。ではまずは君たちの関係だ。懇意と言うが、どういう繋がりなんだ?」
「同郷だ。俺たちは大陸東部のジャパという国の出だ。けど国は十年程前の戦争で滅んでしまった。俺と妹エミーは国が滅ぶ少し前に国から逃げ出し、以来大陸を西へ西へと旅してきた。アダムも同じような時期に国を出ている」
クライヴは眉をひそめた。
国が滅んだというのが本当なら、皇帝アダムの出自に関する裏付け調査は難しいだろう。
「俺がアダムと出会ったのは三年前。いや、もう四年前か。確かバーダムという街だ。俺とアダムはどちらも黒目黒髪で、お互い一目で同郷の人間だと分かった。話しているうちに意気投合して、後はずっと一緒に旅をした。俺と妹とアダム、三人の旅は結構楽しかったよ」
この大陸で黒目黒髪の人間は珍しい。確かに同郷と見抜くのは簡単なはずだ。
「俺たち三人は旅を続け、隣国アルビナ王国のレマーンという街に流れ着いた。結構住みやすい街で、俺と妹はその街に腰を落ち着ける事にした。俺は冒険者登録をして妹と二人で街での生活を始めた。アダムも俺たちの生活が安定するまで見届けるって言って、街に留まって何か仕事を始めた。アダムが何の仕事をしてたかは知らないけど、羽振りは良さそうだったな」
そこでタツヤが口を閉ざした。顔に苦悩の表情が浮かんでいる。
「どうしたの。続きは?」
「これ以上は、言ってはいけない事になってる」
「なぜ言ってはいけないの?」
「言えば、家族に危険が及ぶ」
カリーネがタツヤの手を取ると、安心させるかのように両手で包み込んだ。
「あなたから聞いた事は絶対に口外しないと約束するわ。家族にも害が及ばないよう配慮する。それでも駄目かしら?」
タツヤは暫く迷っているようだったが、やがて重い口を開いた。
「その頃、俺はアダムから小さな石を渡され、しばらく預かってくれと頼まれた。実はその石は浮遊石で、それを知ったアルビナ国王が、俺を捕えて石を取り上げようとした。俺は石の引き渡しを拒み国王に殺されそうになったが、その時アダムが王城に乗り込んできて俺を助け出してくれた」
「城にか? どうやって?」
「空挺母艦アルバトロスに重騎士隊を乗せ、王城の上空から降下させ城を占拠したんだ。その後、アダムはアルビナ王国と講和を結ぼうとしたが、国王の裏切りにより暗殺されかけた。怒ったアダムは報復を決意し、空中フリゲート艦サラマンダーで王城を破壊した」
クライヴが身を乗り出した。
「そこだよ。知りたいのはそこだ。アダムはどこからその浮遊石を手に入れた。二隻の飛行船にゴーレムの重騎士隊はどうやって手に入れたんだ?」
「知らない。アダムは俺にいろいろ秘密を見せてくれたが、浮遊石も飛行船も入手元は頑として言おうとしなかった。俺がこれ以上危険な目に遭わないよう、敢えて教えなかったんだと思うよ」
いろいろ分かって来たが、肝心なところは謎のままだ。クライヴの顔に落胆の色が浮かぶ。
そんなクライヴの落胆ぶりを目の当たりにし、タツヤがカリーネに尋ねる。
「カリーネ、君たちはどこかの国の工作員なのか? 浮遊石が欲しいのか?」
カリーネはその問いには答えず、無言でクライヴを見た。
クライヴがカリーネに代わり答える。
「そうだ。俺たちはとある国の密偵だ。浮遊石を手に入れるため、このバベルにやって来た」
タツヤは何やら考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。
「浮遊石を手に入れるのは難しいと思うよ。エデン帝国の飛行船や輸送機や連絡機には浮遊石が組み込まれてるが、無理に浮遊石を取り外そうとすれば自爆するようになってる。死にたくなかったら手は出さない事だ」
「なら輸送機なり連絡機なり、機体ごと盗み出せないか?」
「浮遊石が組み込まれている乗り物は、全て人工知能が操縦を担ってる。資格のない者が命令しても人工知能は従わないよ」
相次ぐ否定的な答えに、困惑の色を隠せないクライヴ。
「どこかに自爆しない浮遊石はないのか?」
「ない事も無い。塔だ。バベルの塔だ。浮遊石はバベルの塔の最上階に大量に保管されているはずだ。自爆装置は付いてないから、持ち出せるはずだ」
イングリッドが素直な疑問を呈した。
「バベルの塔って飛行船の係留塔でしょ?」
「確かに係留塔の役割も持ってるが、あの塔はもっといろんな役割を兼ね備えてるよ。重要物資の保管もその一つ。侵入者に対する警備がしやすいから、貴重な品でも安心して保管しておける」
「あんな風が吹いたら倒れちゃうような麦わらみたいな塔に、貴重な品を置くだなんて、とても正気とは思えないわ」
「まあ、見た目はあれだけど、あの塔は絶対に倒れたりしないよ」
なおも言い募ろうとするイングリッドを制し、クライヴがタツヤに問いかける。
「塔の内部構造、それと警備体制は?」
「バベルの塔は百以上の階層から成る塔で、飛行船の係留フロアとか、飛竜の待機フロア、展望フロア、貯蔵フロア、宿泊フロア、それと何だったかな……。すぐには思い出せないけど、要はいろんな施設が積み重なってる塔だよ」
「ほう、あの中に飛竜もいるのか。それは好都合だ。で、警備体制は?」
「警備体制はよく知らない。けどアダムはあの塔を『三つの僕』に守らせてるって言ってた。結構自信ありげに言ってたから、バベル城よりも警備は厳重なはずだ」
「『三つの僕』か……」
クライヴの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
バベル城には以前忍び込んだ事がある。あれより厳重だとしても、手に負えない程ではなかろう。
「どんな僕かは知らんが、その三つを何とか出来れば、浮遊石が手に入るという訳だな。いいだろう。面白くなってきたじゃないか」




