72.私は航行の自由を行使している ~I am exercising freedom of navigation.~
「七海、どうして私達のところから居なくなっちゃったのっ!」
真剣な表情を浮かべて私を見つめてくるセーラに対して、私がはじき出した言葉はとてもシンプルなたった一つの感情だった。
「寂しかった、から……。」
私がポツリとこぼすようにつぶやいたその一言を聞いたセーラは、一瞬ポカンとした表情を浮かべた後、込み上がってくる感情をなるべく抑えようと努力しているのが私にも分かるような声で私に疑問をなげかけた。
「寂しいのに、なんでみんなのところから逃げちゃうのさ。」
それは大変ごもっともな話である。「寂しい」のにみんなの元から離れて一人で船内をさまよい歩くというのはまったく辻褄のあっていない話で、セーラが納得行かないのもとても自然な流れである。しかし、私の感じていた寂しさというのはその時その場での寂しさというよりかは、私の未来を考えた時にそばに誰が居てくれるのかというところの寂しさであって、むしろ周りにみんなが居たからこそ、いつかは離れる日が来てしまうのだろうかと思って寂しくなってしまったのである。
……といったような話を、私は一生懸命セーラにした。マリさん達が私のことを思って、この先コーラル・マーメイド号以外の船を選ぶ選択肢もあるということを教えてくれたこと、そして私がどのような決断をしてもそれを尊重してくれると言ってくれたこと、すべて私のためを思って言ってくれているのに、私はコーラル号以外の船を選んで、みんなと離れ離れになるなんて考えたくもなかったあまりに、ヒステリックな反応をしてしまったこと、その全てを若干の急ぎ足で話す。
セーラは最初、私の話を黙って聞いていたが、話が進むに連れて徐々に落ち着きがなくなっていった。そして私が一通り話を終えると、彼女は私の思いもよらなかった言葉で一気に感情を放出した。
「七海のバカ!」
今までセーラの口から聞いたことは一度も無いようなその言葉に、私は思わず面食らってしまう。そしてそれと同時に、若干むっとした気持ちにもなる。そりゃあ私だってみんなの前から姿を消して悪いとは思ってるけど、悩んだ末の行動なんだし、そこまで言わなくてもいいじゃないか。しかし、セーラの次の一言で、私のむっとした気持ちは見当違いのものであったことが明らかになった。
「七海のバカ!人の気持ちも知らないで!七海が他の船を選んだとして、私たちが何も思わないなんて、そんなことあるはずないのにっ!」
彼女の言葉を聞いて、私は全身の力がふっと抜けるような不思議な感覚に陥った。そんな私の様子を気にせずに、セーラは同じ調子で続ける。
「それでも、七海にはまだまだたくさんの可能性があるから、その可能性を奪う権利は私たち、ううんそれだけじゃない他の誰にも無いから。だから少しでも七海が迷うことのないように、みんな気にしないような振りをしてたんだよ。」
たくさんの可能性を奪う権利は誰にも無い、その言葉は代々海軍の家系に生まれながらも、ひとり客船の乗組員を目指したセーラの口から聞くと非常に重みと説得力を持っていた。
「だけど、七海がそんな風に、私たちとずっと同じ船に乗っていたいって思ってるのを改めて聞いちゃったら、私だってワガママが抑えられなくなっちゃうよ……。」
「ワガママって……?」
「七海とずっと、コーラル号で一緒に働きたい。七海が他の船を選べば、もっとお給料がもらえて、もっと偉くなれるかもしれない。でもそんなの関係ない、七海にはずっとこの船に居て欲しい。これは私だけじゃなくて、マリさんもポーラも思ってることは同じ、だからみんなのワガママ。」
それだけを言い切ると、セーラは「とうとう言ってしまった」と言わんばかりの表情をした。肩で息をしている様子からも、彼女がどれだけの葛藤を持ってこの「ワガママ」を告げるに至ったのかがよく分かる。私はそんなセーラに優しく触れると、今度は私の「ワガママ」について話し始めた。
「私、どれだけお給料が良くても、どれだけ偉くなれるとしても、コーラル・マーメイド号以外の船を選ぼうとは思ってないよ。」
「でも、それじゃ七海のためにならないって!」
「私、この航海で気づいたの。海の上で過ごしていくためには、自分がどうであるかより先に、どんな人達と一緒にいるかっていうのが一番大事だってこと。」
私は構わずに話し続ける、セーラは始めはなにか言いたげな様子だったが、やがて静かに私の言葉に耳を傾けてくれるようになった。
「初めに私がこことは違う世界からこの船に来た時、みんなは私の事を特に変な目で見ることもなく普通に受け入れてくれた。……まあ密航者疑惑とかもあったけどさ。それだけじゃなくて、素性の知れない私に、仕事もこの船の暮らしもみんなみんな教えてくれた。だからこそ、私は今までここでやって来れてる。」
セーラは密航者疑惑のくだりで一瞬視線をそらしたものの、それ以外はずっと私の目を見て真剣に話を聞いてくれていた。
「それに、セーラっていう私の中で一番大切な人もこの船で出来た。こんなに出会いに恵まれてて、私のことを受け入れてくれる場所、他にはなかなか無いに決まってる。」
私は渾身の思いで自分がこの船に残りたいことを伝える。それが決して一時的な感情がもたらすものでないこと、私が私なりにちゃんと考えて出した末の結論だということを、まずはセーラによく分かっておいてもらわなければならないから。
そして最後に私は、今まで何度も自分の頭の中に浮かび、時には口に出してきた決意を再び、目の前の大切な人に告げた。
「だから、私はこの船を選ぶ。」




